第七話 読書感想文発表


 読書感想会は順調に進行していた。参加者の意見は概ね好評価で、中には大絶賛する参加者もいた。しかし、その反面酷評する意見もあり、どんなにベストセラーでも万人には受けないのは、いつの時代も同じかと直人は思った。


 参加者の中で、大絶賛した人は、沢中さわなかという30代の女性だ。

「この小説は、まさに文学の傑作だと思います。物語の始まりから終わりまで、主人公の内なる葛藤や、絵里子との関係性が見事に描かれていると思いました。

 特に『時は人を変え、記憶を色褪せさせるが、心の奥底に刻まれた約束だけは、永遠にその輝きを失わない』と言う佐伯健太郎の独白は、彼の心情を端的に表していると思います。時を超えて約束を果たしにいく彼にとって、この約束がどれほど大切なものか、どれほど彼女を愛していたのか、どんなに時が経っても、心の奥底にある愛は変わらないんだと言う、佐伯健太郎の心の叫びのようだと感じました。

 物語が、シンプルな会話で終わりますが、この終わり方も最高でした。

 満月の夜、漸く会えた二人が、堰を切ったように語り合うのではなく、ぽつりと言葉を交わし、過ぎ去った日々を互いに噛みしめ合う。そんな心情が表れた良いシーンだと思いました。この後二人がどうなるのか、非常に気になりますが、この余韻がまた素敵だなと思いました。

 物語が新月で始まり、満月で終わることも、この二人の心情を表しているようで、とても素敵だし、どこを切り取っても、仕掛けのように言葉がちりばめられていて、それを探す楽しみもあり、何度も読み返したくなる作品で、私の愛読書にこの作品を加えたいと思いました。」


 大絶賛する人がいれば、当然その反対、酷評する人もいた。50代の渋谷と呼ばれた男性だ。

「皆さんがおっしゃるとおり、素敵な文体と、微に入り細に入る描写は物語へ引き込む素晴らしい文章だと思います。

 ただ、私は直木賞を受賞した作品としては、すごく期待外れでした。

 私が思うに、ストーリーラインが陳腐であり、主人公の内なる葛藤や絵里子との関係性が、表面的な描かれ方しかしておらず、二人が愛し合った確固たる証拠、例えば燃えるような情熱などが見受けられず、全体的に、おそらく二人は愛し合っていたんだろうな、と言う風で、読者が置いてきぼりになっているような気がしました。

 私に創造力が足りないんだと言われてしまえば、それまでですが、正直物足りなく感じました。

 また、心変わりした絵里子が失踪する場面でも、そこへいたる過程が不明瞭で、突然の失踪を演出したかったという意図は分かるのですが、なぜ、彼女が失踪に至ったのか、彼女の心情の機微が見えず、女性にはもしかしたら自明の理なのかも知れませんが、男性の私には、さっぱり理解できず、もう少し、彼女の感情の機微のようなものを描いて欲しかったと思いました。できれば、一節ぐらい彼女の視点による物語が挿入されていても良かったのではと、素人ながら邪推しました。

 結局、彼女の心情に対する疑問をずっと抱えたまま、最後に短い台詞で再会して終わってしまったため、私にとっては、完全に消化不良でした。

 もう一つ私が思う問題点は、佐伯健太郎が全国行脚にでかけるシーンです。

 絵里子を探す上で必要なシーンでもあるし、彼の為人ひととなりや彼女との関係性を描写する上でも重要だとは思うのですが、いかんせん、どの場所でも各地の観光地を紹介し、思い出を語り、懐かしそうに郷土料理をいただくという、どうにも観光地紹介の繰り返しになっていたのが、描写が素敵なだけに、非常に残念でした。

 素人意見ではありますが、もう少しバリエーションのある行脚シーンにするとか、別のアプローチもあったのではないかと考えました。できれば、もう少し、老年のよわいを重ねてきた重みというか、重厚感のようなものが感じられるストーリー展開にしたら、もっと良い作品になったのではないかと感じました。

 作者がお若い方なので、そこまでのものを要求するのは酷かも知れませんが、私には物足りなさが勝ってしまいました。

 こんな感想で気分を害される方がいたら申し訳ないです。ただ、これが私の正直な感想です。」


 決して頭ごなしに否定したり、腐したりしている訳では無かったが、渋谷の意見を聞いた参加者は一応拍手はしたものの、少し異様な雰囲気になってしまった。参加者の顔には、明らかに緊張感や困惑、戸惑いの表情が浮かび、声を発することもできず、静まりかえっていた。


「渋谷さんありがとうございます。たしかに、物語としての物足りなさはあったかも知れませんね。絵里子さんなんで失踪したんだよって、私も思っていましたので、そのあたりは確かにきちんと語って欲しかった気がします。加藤さん教えてよって言いたくなりますよね。」

 静寂を破るように、そう北窓がフォローすると、漸く失笑する者が現れ、霧散するように異様な雰囲気はなくなり、もとの和やかな雰囲気に戻っていった。


 直人は彼らの率直な意見を、大学ノートにメモしながら、そう言う見方もあるのかと感心した。特に、大絶賛の意見を言うことはハードルがあまり高くないだろうが、皆が絶賛するあの文章に、反対意見を言えるその度胸というか、胆力にひたすら驚いた。


 また、独特の感性で語ったのが、40代半ばの女性で、名を西羅にしらと言った。

「この作品を読むことは、夜空を見上げて突然星座が文字を綴り始めるのを見るかのようでした。

 ありふれた日常とは一線を画し、作者はまるで時空を越えた筆跡で私たちの魂に語りかけているように感じました。

 この物語には、隠された次元があるかのようで、佐伯健太郎と絵里子の関係以上に、過去と未来、経験と希望が織りなす、時の織物のように文章が紡がれているようで、その美しさは、何物にも代えがたい、私たち読者にとっても宝物になるのではないでしょうか。

 この作品は、読者に対して、ただ物語をなぞるのではなく、自らの存在と向き合い、人生の奥深くに潜む普遍的な真実を探求して欲しいと、訴えかけているように思いました。

 私たちが日常で見落としている美しさを、この作品を通して、再発見し、再認識してほしい、そんなきっかけを与えてくれたのだと思います。

 私たちの心を広げてくれる、とても素敵な作品だと思いました。」


 直人にとって、彼女の言葉は一つ一つを理解できても、何を言いたいのかよく分からなかった。まるで、外国語を直訳した日本語を聞いているような、そんな錯覚に陥った。

 北窓や、古株の田中などは、頷いて聞いているので、おそらくこの西羅という人は、こういう感想を述べる人で、以前からいる人は慣れていて、理解しているのだろう。

 しかし、直人にとっては面食らってしまった。こういう修辞的な小説は何度も目にしてきたし、読むのも苦ではないが、音にされると、ここまで理解力が上がらないのかと、直人は新発見をした気分だった。

 彼はノートに、「日常で見落としている美しさを再発見させる作品」とだけ書いた。


 もう一人直人が気になっていた人がいた。それは、受付で代表の北窓と親しげに話していた、気品ある女性の感想だった。彼女、北窓虹華の語った感想は、直人にとっても興味深いものだった。

「私は、高校時代の甘酸っぱい初恋を思い出してしまいました。恥ずかしながら、私の初恋は結局成就しませんでしたので、この物語のように素敵な恋として語れる訳ではありませんが、大切な思い出の一つです。

 そんな気持ちもあってか、こんな素敵な恋をした絵里子さんが少し羨ましくもありました。少女の時のような、キラキラした恋に出会うことはもうかないませんが、こんな歳になっても恋心と言うのは、憧れの存在なのだと改めて気づかされた想いです。

 ただ、絵里子さんが主人公の佐伯健太郎さんと、失恋ではなく、失踪という形で距離を取ったことは、私にはできない行動だけに、ただただ驚きと、そんなことをする彼女に少し恨みがましい気持ちになってしまいました。

 折角の素敵な恋をどうして自分から壊してしまったのか、結局のところ彼女の口からは語られませんでしたので、真相は分かりません。しかし、彼女が残したノートに書かれた『星が輝く夜に再会して、互いの人生を語り合いましょう。』と言う言葉と、『私の愛は生きています』という花言葉がある、寝室に残された一輪の白いカーネーションが、『愛してはいるが、彼を受け入れられない』と言う、相反する女心を如実に表していて、私の心を酷くかき乱しました。

 また、二人の名前にも奇妙な違和感を抱きました。主人公の佐伯健太郎さんはフルネームなのに、ヒロインの絵里子さんは名字がなく、全編を通して一切出てきません。これにも何か意味があるのではないかと考えています。

 例えば、遠く離れてはいるけれど、名字を示さないのは、他の人と結婚するつもりがないことの示唆ではないのかとか、二人が結婚したという描写がなかったので、結婚には踏み切れなかった女心を表しているのではないかとか、もちろん答えはありませんが、そんなことを感じました。

 最後に一言言葉を交わして終わるラストシーンは、二人の今後を想像する余韻が残る終わり方で、凄く良かったのですが、私は二人の再会が、絵里子さんの思い描くとおりではなかったのかも、と考えてしまいました。

 実は、絵里子さんにはもっと高い理想があって、再会を果たすことはできたけれど、佐伯さんは結局彼女の理想に応えることができなかった。だから、最後は淡泊に、余韻を残すような終わり方で、読者に想像をかき立てているのではないかと思いました。

 久々にこのような心をときめかせる小説に出会い、作者の文章力、構成力、そして描写力にただただ感服いたしました。

 素敵なお話だったと思います。」


 女性らしい感想だと直人は感じた。特に名字への考察は、直人にはない発想で、女性ならではの視点だろうと思った。また、女性の恋心に対する考え方も、小説などで知識としては知っていても、実際にこう聞くと、また違った見え方がするものだと、新鮮な感じがした。


 最後に直人の番になった。心臓が口から飛び出てくるのではないかと思うぐらい緊張していたが、大きく深呼吸をして、話し始めた。

「私は、この本を図書館で見つけた時、まずそのイラストに惹かれました。

 何の変哲もない夜の田園風景ですが、とても素敵な表紙だなと言うのが第一印象でした。暫く表紙を眺めてしまったほどです。

 このイラストからは、何か懐かしさと静けさを感じながらも、その奥底にある温かみと安らぎ、そして希望のようなものも感じたのです。

 最初の書き出しを、その場で目を通した時は、その美しい文体に心惹かれ、主人公の気持ちに引き寄せられるようで、即借覧を決めました。

 自宅に帰ってから、ひとたびページを捲ると、この物語の世界に没頭し、佐伯健太郎の苦悩や喜びに共感しながら、一気に読み進めました。夢中になりすぎて、夕飯の支度を忘れてしまうほどでした。

 読後の感想は、一言『美しい』でした。皆さんおっしゃるとおり、とにかく文章が美しく、女性らしい文体というのか、一つ一つの描写が微に入り細に入りしていながらも、くどくなく、その描写一つ一つが佐伯健太郎の心情を表しているようで、私が佐伯健太郎になったような錯覚に陥ってしまいました。

 私も沢山の小説を読み漁りましたが、こんな感覚にさせられた小説は出会ったことがなく、のめり込んだ作品は数多くありますが、そののめり込み方が他の作品とはまったく異なっていると感じました。

 この作品のテーマが『時を超えた愛』であるとよく言われますが、作品内ではそのテーマを意識することなく読み進んでしまい、読後漸くそのテーマに気づくと言う、作者の手法に嵌まったような、そんな魅力のある作品になっていると感じました。

 また、読後、再びこの表紙のイラストを見た時、このイラストの意味が鮮明に浮かんできたのは衝撃でした。

 色んな解釈があるかとは思いますが、田園風景とは季節の移り変わり、時の流れ、すなわち過去への回顧と未来への変化を象徴しているのではないか、また、一軒家は唯一変わらない『約束』の価値を物語っている気がしました。

 さらに、満天の星は絵里子の『星が輝く夜に再会しましょう』と言う台詞とリンクし、約束が果たされる運命を予感させ、裏表紙に描かれた満月は二人が再会を果たし、その愛が満ちあふれているように感じられました。

 そして、左上に描かれたオリオン座の存在は、この二人の運命をガイドする役割を象徴していて、作中にも、佐伯健太郎が絵里子を探す旅の中で、彼を導く星として効果的に登場することからも、作者は二人を結びつける役割をこのオリオン座に担わせたかったのかと考えました。

 とても素敵な作品で、借りてから既に3度も読んでしまい、他に借りた本が手つかずになってしまっています。今日は帰ったら他の本を読もうと思いますが、誘惑に勝てるか怪しいところです。以上です。ありがとうございます。」

 直人は、用意していた冗談も言えて、上手く発表できたと独り満足した。


 この三日間、逡巡しながらも、準備してきたのだ。

 自分の感想を整理し、要点を纏め、どう表現するか、言葉の一言一句を吟味し、母に教わった言葉の紡ぎ方を思い出しながら、感想文を作り上げていった。

 もちろん、これをそのまま読むことはしない。ここは学校の読書感想文発表の場ではないのだ。頭の中に要点をしっかり入れ、できるだけ自分の言葉で自然に話せるように、何度も練習した。

 その成果が実を結んだのだ。直人は内心非常に嬉しく、心が小躍りしていた。


「ありがとうございます。表紙に言及されたのは野村さんだけでしたが、素敵な考察でした。考えてみれば、表紙にも意味があり、何かを示唆していると言うことはあり得ますよね。これからは、表紙も含めて本が楽しめそうです。」

 北窓はそう感想を言ってくれた。


 直人が母に感想を聞いて貰ったのは、母が存命の時なので、10年は聞いて貰っていないことになる。

 それだけのブランクがあり、緊張も酷かったが、やり終えた今は、何か懐かしくて、温かい気持ちになった。

 大きな仕事をやり遂げたような、達成感や充実感を味わった。そんな気持ちになるほど、直人は心底ホッとして、心が満たされ、大きな満足感を得られた。

 モヤモヤと逡巡していた自分が馬鹿らしくなった。こんなに晴れやかな気持ちになるなら、もっと早くから一歩を踏み出していれば、自分の人生が大きく変わっていたかも知れないと思った。

 直人は、漸く母が言っていた「本は友達だけど、人との繋がりも大切にしなさい。」と言う言葉の意味を理解できた気がした。

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