第5話 無神論者誕生

 ついに退院の日を迎えた。

 結局、家族がお見舞いに来たのは初日だけ。息子が頭打ってんだぞ? 心配じゃねえのかよ。精神歪むぞ?

 来てくれたのは雪と田辺のみ。毎日来てくれたのは雪だけだ。


「退院おめでとう!」


 俺と腕を組むことで、喜びを表現する。

 普通の男子中学生なら『む、胸が当たってる』みたいな感じで、ドキドキするのだろうか。こいつのゴリラメス力を目の当たりにしてきた俺は、別の意味でドキドキしてるよ。入院期間が延長したらどうしようかと。


「そうそう、これあげるよ」


 お祝いの品を持ってきていたことを思い出し、ポケットから小瓶を取り出す。

 ……? 液体? まさかとは思うが、媚薬じゃないだろうな?

 それともニトログリセリンってヤツか? 名前しか知らんけど、コイツなら携帯しててもおかしくないし。


「それは?」

「バラの香水よ」


 ……は? ゴリラのくせに香水?

 バナナとかリンゴの香水とかならまだしも、バラ? ラフレシアの間違いじゃないのか? ジャングルの気候でバラって育つん?


「おっ、良い匂いじゃん」

「えへへぇ」


 なんだよなんだよ、良いセンスじゃん。

 こやつめ、やりおるわ。急に可愛く見えてきたぞ。


「嬉しいよ。でも銘柄とか書いてないけど……どこで買ったん?」

「んー? 自家製だよ」

「自家製?」


 えっと……こいつの家って、普通の家だよな?

 バラを育ててるってこと?

 香水の製造過程なんか知らんけど、梅酒みたいな感覚で作れるもんなのか? そういうキットが売ってんのかな。


「花屋さんで買ってきたバラをね、こう根元から掴んでシュッて」


 ……?


「えっと……そういう機械にバラをセットする感じ?」

「いいや? 握力で絞るの」


 ………………。


「ありがとう。大事にするよ」


 人生を成功させる秘訣は、考えない、深堀しない、とりあえずお礼を言う。この辺だと思う。うん、香水貰ったっていう点だけを見よう。それがいい。

 ゴリラ式のマーキングでは? とか一瞬思ったけど、忘れよう。俺は何も言わない、何も考えない、前しか見ない。ゴリラの住処にちょっかいかけて死ぬ獣なんていないんだよ。生存本能が機能してるうちは、自然と避けるもんだ。




 退院後は特にトラブルなく、残り僅かだった春休みを堪能することができた。

 お見舞いに来なかった家族に思うところはあるが、過ぎたことだし、水に流してやろう。そう、寛容な精神でな。

 でもな? 雪に懐柔されてる件は見過ごせないぜ? 怪獣に懐柔された件は絶対に許さんからな。

 くそっ、あのゴリラめ。外堀から埋めるとは、ダテに森の賢人を名乗ってねえな。


「同じクラスは嫌だ。同じクラスは嫌だ。同じクラスは嫌だ」


 頼む、別のクラスになってくれ。大丈夫、ちゃんと神社まで行ってお賽銭を投げてきたから、いけるはず。あんな寂れた神社にお賽銭投げたんだぜ? きっと、久々の参拝客に涙しながら、俺の願いを叶えてくれるはず。SNSの漫画でもそういう展開を飽きるほど見たし、いけるいける。

 いざ、南無三!


「……嘘やん」


 雪と田辺、セットやん。アンハッピーセットやん……。

 落胆し、地に膝をつけようとした俺の肩を何者かが叩く。

 いや、振り返らずともわかる。人間にしては威力が高いもの。


「最後の一年間、よろしくね!」


 もうあの神社、二度と行かねえから! お賽銭返せ! 焼き討ちされろ!

 ああ……最後の一年間が……平穏を求めていたのに、まさかゴリラのテイマーに転職するハメになるなんて……。


「あら? 香水つけてくれてるじゃん、ありがとう」


 そりゃ、命に関わるもん。

 女子なら余裕で見逃して貰えるだろうけど、男子が香水って大丈夫かな。教師って男子に厳しいからなぁ。まあ、教師に限らんだろうけどさ。


「……どういたしまして」

「私もつけてるからお揃いね」


 頭わいてんのか? なんで同じ香水つけるんだよ。変な噂立つじゃん。

 メイドインジャングルのペア香水つけてるって噂が立つじゃん。


「智君、同じクラスになれたね」

「え、ああ、おはよう。田辺さん」


 今、下の名前で呼んだ?

 なんでお見舞い一つで距離近くなってんの?


「クッキーどうだった? 全部食べてくれた?」

「うん……美味しかったよ。ありがとう」


 フォーチュンクッキーじゃなかったら、もっと嬉しかったかな。凶とか入れなくていいから。一個目が大凶で、二個目が凶だったから、三個目食べるのが怖かったよ。

 ちなみに吉も入ってたけど、『恋愛運:嘘が本当に!?』って書いてたのが怖くてたまらない。


「実は、お菓子作るの好きなんだ」


 だろうな。よほど好きじゃないと、翌日までにクッキーを用意なんて芸当無理だろうし。まあ、入院初日の時点で雪から聞いてたのかもしれんけど。


「どうりで美味しいと思ったよ」

「そう言ってもらえると頑張った甲斐があるよ」


 ああ、天使のような笑顔だ。素朴系文学少女の笑顔って素敵。

 サイコの片鱗を見せる前なら、そんなふうに思ってたんだろうな。


「これからも作ってあげる」

「え、えっと……さすがに悪いよ」


 遠慮半分、危機回避半分。俺に惚れてるなんてことはさすがにないだろうけど、それでも警戒するに越したことはない。

 自惚れみたいでちょっと複雑な感じだけど、場合が場合だからな。


「え……もしかして、本当は不味かった?」

「いやいやいや、美味しかった! マジで美味しかった!」

「ホント? じゃあこれからも作ってくるね」

「……期待してるよ」


 勝てねぇ……。大人しそうな女子には勝てねぇ……。


「すーぐイチャイチャするんだから。悪い子」


 ゴリラにはもっと勝てねぇ。人はショットガンを所持してようやく、初めて対等になれるんだよ。なんなら、まだ負けてる。

 痛い痛い痛い。肩が粉砕されるって。


「落ち着けって雪」

「落ち着いてるわよ?」


 落ち着いてなお、その握力なんかい。本気でブチギレたらどうなるんだ。俺の肩がパージすることは想像に難くないのだが。


「ところで、一人で登校したの?」

「え? ああ、そりゃまあ」

「記憶喪失なのに、学校までの道順は覚えてたの?」


 ……こいつ、疑い始めてないか? そりゃ記憶喪失なんて不自然というか、突拍子無さすぎるというか、アレなんだけどさ。


「記憶喪失はほんの一部なんだよ。ほとんどのことは覚えてる」

「じゃあ私は、忘れられた一部の中に入ってたのね」


 め、め、めんどくせぇ!

 ガチの彼女ならまだしも、偽りの彼女が何言ってんだよ。


「最近の記憶だけならまだしも、昔のことも忘れてるじゃない。私にまつわる記憶だけピンポイントで」


 うっ……言われてみりゃ相当怪しいな。実際の記憶喪失がどういうものか知らないからなんとも言えんが。


「しょうがないだろ。俺に言われても困るって」

「それはそうなんだけど……」


 あっ……ネタバラシする最後のチャンスを失った気が……。

 仕方ない、卒業まで貫き通すか……。

 ってことは他の生徒にも嘘つかなきゃいけないんだよな。

 いや、待ってくれ。雪は雪で嘘をつくんだよな?

 ええっと……ややこしくなってきたな。雪は雪で記憶喪失の人間を騙そうとしてるわけだし、俺と以前から付き合っていたという設定を貫かなきゃいけないわけだ。

 ってことは学校で堂々とイチャイチャできないよな? だって記憶喪失以前はお互いにそっけなかったわけで、クラスメイトからすれば異様な変化になるんだから。


「記憶を取り戻すためにも聞きたいんだけど、俺と雪が付き合いだしたのはいつ?」

「え? ええっと……中学に上がる前ぐらいね」


 え、アホかこいつ?

 じゃあ中学上がってからの二年間の説明がつかないじゃん。つまり、学校の中では今まで通り距離感を保たなきゃいけないぞ?

 よしよしよし、良い流れだぞ。適度に質問していけば、こいつは嘘に嘘を重ねていくことになる。つまり、ボロが出やすくなるってことよ。

 こいつのほうから『嘘でした、ごめんなさい』って言わせれば、俺もドッキリ宣言しやすくなる。よし、いける。

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