第2話 突き出せない三行半(みくだりはん)
頭を打ったものの、脳に異常は無し。精密検査をしたので、おそらく間違いない。
半回転したのが救いだったな。後頭部だったらお陀仏だったかもしれない。
体も軽いかすり傷と打撲程度で済んだ。骨折はもちろん、ヒビすら入ってないよ。
「はい、あーん」
「あの……普通に利き手を使えるんですけど」
にもかかわらず、この女は手ずから食べさせようとしてくるんだよ。
もう二度と来ないでくれという俺の願い虚しく、二日目のお見舞いにきたかと思えば急にお弁当を広げだしたんだぜ?
なんだよ、病院にお弁当なんて持ってくんなよ。それ、食べても本当に大丈夫なのかよ? 愛情とか言って、体液入れてないだろうな?
「嫌なの? 彼女の手作り弁当が食べられないの?」
彼女だったら喜んで食べるよ。箱ごと食べるよ。でも偽物なんだよ、自称彼女なんだよ。女さえも自称なんだよ。お前は人の皮を被ったゴリラなんだよ。クッキングゴリラなんだよ。
この前も、手で握りつぶしたリンゴを食べさせるっていう、屈強な生き物にしか許されない求愛行動を取ってきたじゃないか。普通、ヒト科ヒト属ヒト種のメスはそんなことしないんだよ。
「病院食がありますし……」
「ただのケガなんだからいいじゃない」
やめろ、ゴリラのくせに正論やめろ。
ヒト種じゃないくせに人語を解してんじゃねえよ。サピエンスに片足を突っ込んでんじゃねえよ。
「食べないとケガが治らないわよ」
栄養だよな? 栄養的な意味だよな? 食べないとケガが増えて一生入院生活って意味じゃないよな?
お前を信じていいのか? お前に関して確実に信じられるのは、膂力だけだぞ?
「ほら、食べなさいよ」
……南無三!
「どう? 美味しい?」
「……はい」
あんまり味がしない。美味くもないけど不味くもないというか、何これ?
野菜炒めってのはわかるけど、あんなもん適当に塩コショウ振れば美味しくなるんじゃねえの? なんていうか、水気が多いというか、素材の味というか。
「よかったぁ。患者さんだから、調味料抜きで作ってみたんだけど」
そりゃ味がせんわ。サラダ以外に素材の味求めてないんだよ。
でも……俺の体を気遣ってくれたのは嬉しいかも。その事実だけが嬉しいよ。もう二度と作ってきてほしくないけど。
「どんどん食べてね」
勘弁してくださいよ。ご丁寧に白米まで用意してくれてるけど、進まねえよ。サラダで米なんか食えねえだろ?
ああ、辛い。ひたすらに辛い。食事が辛すぎて、拒食症を患いそうだ。なんで入院中に新たな病気に罹患せにゃならんのだ。
「さて、食べ終わったことだし……今日は、し、下も脱ぐわよ」
恥ずかしいならやめよ? 本当にやめよ?
そんな食後のデザート感覚で提供されても困るんですよ。手を出せないのに脱がれても困るんですよ。
うわ、上に関しては躊躇がねえ。一度見せたから何度見せてもいいってわけじゃないからな?
「雪さん、さすがにそういうのは……」
「敬語禁止! 前はもっとラフだったわよ」
今のお前の格好のほうがラフだよ。
「さあ、いつもみたいにスカートを脱がせてちょうだい」
もうやめようよ、こんなこと。病院ってそういうところじゃないから。何してもいい場所じゃないから。
ああ! 困ります! 無理やり脱がさせようとしないで! ホックに俺の指紋をつけさせないで! 証拠残るから! ってか、力強っ!
「芋引いてんじゃないわよ! 大人しく脱がせなさい!」
芋引くってお前、普段どんな映画見てんだよ。絶対、任侠映画見てるだろ。
あかん、このままじゃエンコ詰めされる。タコ糸無しで指を落とされる。
「退院! 退院してから、誰も邪魔しないところでやりましょう!」
「……! そうね、それもそうね。ええ、そうしましょう。ぜひっ」
あっ、やべ……。
この場はなんとかなりそうだけど、ただの先延ばしじゃん。日本人の悪いところ出ちゃってるじゃん。政治的なムーブしちゃってるじゃん。
「ふぅ……とにかく敬語は禁止よ」
「え、ええ……。ああ、わか……った」
事故の前は元々タメ口だったし、それは別にいい。いいんだけど、余計な約束をしちまったなぁ。状況が状況だけに、仕方のないことなんだけどさ。
とりあえず退院までは平穏な日々を送れそうだし、今はゆっくりと……。
「じゃあリハビリがてら、この辺をお散歩しましょうか」
嘘やん。なんで幼馴染と病院デートせなあかんの? それが許されるのは、不治の病にかかった人だけやぞ。
「一応、安静にって言われてるんだけど……」
「あら、そう」
おっ、意外にも素直……。
「じゃあ脱ぐしかないわね」
欲望に対して素直!
「わかった、わかったから。とりあえず許可貰おう。な?」
さすがに降りねえべ。一応、頭を打ってるわけだし。
病院側が拒否ってくれれば、俺の顔も立つってもんよ。
「ええ、いいですよ」
おい?
賄賂か? 袖の下を貰ったか? いくら貰ったんだ?
「転ばないように、彼女さんが支えてあげてください」
おい、本当に収賄してないか? 山吹色のお菓子を貰ってないか?
そりゃお前、家族以外で二日連続来てくれる女がいたら、彼女だと誤解してもおかしくないよ? 家族除けば、こいつしかお見舞いに来てないし。
っていうか家族は初日しか来てないし。あいつら薄情だわ。
「じゃあ行きましょうか」
「……うん」
去り際、怨嗟を込めた目でヤブ医者を睨んでやったが意に介しておらず、ニコニコ顔で見送ってくれた。ぜってぇ許せねぇ。
「それにしても春休みで良かったわね」
「……何が?」
どこに喜ぶ要素があんだよ。貴重な休みだぞ? 平日なら一週間も学校休めてラッキーだし、何よりこいつがお見舞いに来れない。
そもそも、当初はどういうプランだったんだ? 俺が悪ふざけしなかった場合、口喧嘩して終わりだったろ?
「毎日お見舞いに来れるじゃない」
だから、それが嫌なんだよ。
ゲームなり漫画なり持ってきて、そのまま帰ってくれ。それが一番のお見舞いなんだよ。胃にダメージをお見舞いしないでくれ。
「ほら、ジュース買ってあげるわ」
「……ありがとう」
落ちんぞ? ちょっと優しくされたぐらいで落ちんからな?
ああ、美味い。無味な弁当食わされた後だから、めちゃくちゃ美味い。
「私の弁当より美味しそうに飲んでるわね」
「えっ、そんなこと……あらへんですわよ」
妙に鋭いな。危ない危ない、俺の中のガテン系お嬢様が、なんとかやりすごしてくれた。非の打ちどころのない演技ですわ。
「まあいいわ。私の金で買ったジュースで喜んでくれるなら、実質私の手料理ならぬ手ジュースよ」
は? 日本語らしき言語で喋るのやめろ。
手ジュースって何よ。どっちかといえば、昨日の人力リンゴジュースのほうが、よほど手ジュース感あるぞ。
「それにしても懐かしいわね」
「えっと……」
「ほら、二人でよく緑地とか公園でデートしてたじゃない」
知らない。その思い出、俺は知らない。いや、お前も知らないはずだ。相手が記憶喪失だからって、ナチュラルに架空の思い出を出さないでください。
「ごめん、覚えてないや」
「そう……いいのよ、記憶喪失だものね」
違うの。喪失したわけじゃないの。ハナから存在してないの。
そりゃまあ、公園自体は行ったことあるよ? 幼少期に砂場とかブランコで遊んだよな。それのことを言ってんのかな? 違うのかな? 違うんだろうなぁ。
「噴水の前で、アンタのほうから告白してきたのよ?」
いけしゃあしゃあって、こういう時に使う言葉なのかな?
ここまで堂々と嘘をつかれたら、本当にあった出来事なんじゃないかと錯覚してしまう。もしや本当に記憶喪失に……?
いや、違う。ただの嘘だ。噴水って、多分近所の公園にある噴水のことだろ? 水濁ってるし、常にゴミが浮かんでるヤツ。あんな無駄な公共事業の残骸の前で、一世一代の告白なんかするわけないじゃん。フられにいってるじゃん。
「断ろうとしたんだけど、アンタがどうしてもっていうから根負けしたのよ?」
うわ、渋々付き合ってる感を出してきやがった。
〝静かなる昼行灯〟と呼ばれた俺が、情熱的に口説いたことになってるじゃん。
マジでタチわりいな、こいつ。これだけの積極性がありながら、なんで今の今まで仕掛けてこなかったんだよ。
「あの……嫌だったなら、この記憶喪失を機に……」
「ふんぬっ!」
ひいっ!?
その缶コーヒーって、確かスチール缶だよな? 両手で押し潰すぐらいなら俺でも可能だろうけど、こいつ片手で握りつぶしやがったぞ?
「ああ、ごめんごめん。智、何か言おうとした?」
「……綺麗な庭園だなぁって」
「そうね。利用者への誠意が伝わってくるわ」
利用者への誠意か……何気ないセリフってことでいいんだよな?
今のお前から〝誠意〟って単語聞くの、めっちゃ怖いんだけど。
スマホが手元に戻ってきたら、調べてみるか。ゴリラの飼いならし方について。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます