第2話 No.9

 きっかけが何だったかは覚えていない。


 神話だったか、戦争の記録だったか、はたまた知り合いの話だったか。


 気づいたときには、雲を突き抜けるほどの高さを誇るあの摩天楼に挑みたいと、そう思うようになっていた。


 当然、周囲は反対した。摩天楼は人々にとって凄惨な戦争の記憶を呼び起こす負の象徴だったから。


 それでも、周囲の反対を押し切り単身で摩天楼に乗り込んだ。


 そして、気づけば20年近い歳月を摩天楼の攻略に費やしてしまっていて。


 最期は本当にあっけないものだった。


 圧倒的な力を前に、長い年月をかけて培ってきた戦闘技術は何一つ役に立たず、ただ相手に切り伏せられた。


 その後のことはあまりよく覚えていない。


 意識が朦朧もうろうとする中で、武神を名乗る何者かと出会ったような、そうではなかったような。とにかく曖昧だ。


 ただ、確かなことはある。


 それは、再び俺がこの世界に生を受けたということ。


 俺の視界には、雲を突き抜けんとする巨大な塔がはっきりと映っている。


 だというのに――


「おい、No.9! 何やってる、さっさと運びやがれ!」


 綺麗に頭髪をすべて反り上げた頭が特徴的な賊に、耳障りな大声で怒鳴られる。


 そう、理不尽にも俺が転生したのは、賊が支配する強制労働施設の奴隷だった。


         ※※※

 

 No.9――それが、俺の意識が宿った身体の識別名。


 年齢が13か14くらいの黒髪黒目の少年で、奴隷生活の中で食べることができていなかったのか、身体は酷く痩せ細っている。


 ちなみに、摩天楼の第70階層のフロアボスに敗北してから、気づいたときにはすでにその身体に俺という人格が収まっていて、もとの身体の主の記憶は一切ない。


 No.9の一日は、早朝に監視の賊に蹴飛ばされるところから始まる。


「いつまで寝てんだNo.9!」


 ちなみに、これは俺が少しでも体力回復を行い、起きている間のパフォーマンスを上げるために、賊が俺を殺すギリギリのタイミングまで眠っているからだ。暴力を恐れる他の奴隷たちは、全員ちゃんと起床し、すでに作業に向かっている。


 えっ、どうしてそんなことをするのかだって?


 決まっている。


 早くこんな胸糞わるい場所から出て、摩天楼を攻略するためだ。


 ああ、一応言っておくが、No.9は奴隷に従じなければならないような罪を犯してここにいるわけではない。


 この施設で奴隷をさせられている者全員が人さらいや理不尽に身売りされた者たちなのだ。


「おら、さっさと運べNo.9!」


 起きると、朝食抜きでいきなり重労働が始まる。


 どうやらこの場所は人里離れた場所にある鉱山のようで、大人が採掘し、それを俺を始めとする子供が荷車に乗せて外まで運ぶ。


 その間、賊たちは作業をする奴隷たちをいびるか、酒を飲むか、酷い奴は眠りこけている。そして――


「奴隷ども、おまちかねのランチタイムだ」


 中身がスカスカのパンと果実のしぼり汁を水で薄めたような味のスープを渡される。


 とてもではないが、食えたものではない。


 だが、命を繋ぐために俺を含め皆が食べる。


 それから、日が暮れるまで作業を続けると、昼食と似たような粗末な夕飯を終え、ようやく俺のNo.9としての一日が終わ――らない。


「さて、今日もやるか」


 牢の中で、寝床としてほとんど意味をなさないボロボロの絨毯をはぐると、絨毯の下には小さな穴が出てくる。


 そして、穴の中には針金と小型のナイフが2本。


 これらは、俺が賊が身に着けていたものをこっそり拝借したものだ。


 常に偉そうにしている賊だが、実力は大したことがなく、四方八方に敵がいる摩天楼内で気配を消すために培った隠密行動能力を駆使すれば、得物を奪うことなど容易かった。


 俺は穴から針金とナイフを一本取り出すと、針金を使って牢の鍵を開け、外へ出る。


 ちなみに、賊が監視に来ることはほとんどない。夜になると、あいつらは自分たちの宿舎で酒を飲むなり女遊びをするなり好き放題やっている。


 それと、他の奴隷に見られるということもない。皆、毎日の重労働で疲れ果て、深い眠りに落ちている。


 さて、そんな中で俺は何をするのか?


「今日は肉にするか」


 物色である。


 賊が楽しそうに奇声を上げているのが聞こえてくる宿舎の横にある食糧庫。


 そこに忍び込み、日中に補えなかった分の栄養を取る。


 一人だけここから逃げようと思えば逃げられるが、今の貧弱な身体で摩天楼に挑んでも結果は知れているので、身体が出来上がるまでは物資を頂戴しているというわけだ。


 俺は賊に違和感を覚えられない程度に食料を頂いてから、再び牢に戻る。そして――


 そんなNo.9としての生活を続けてから30日くらい経った頃だろうか。


「No.9。お前、少し太ったか?」


 前より少し肉付きがよくなった程度だが、どうやら賊にはそんな俺が怪しく見えるようだ。


「ここで働いたおかげで、筋肉がついたんですよ」

「そういうもんか」


 それからさらに10日後。


「最近、食糧の在庫が変なんだよな」

「誰かが酔っ払って、物色したんですよ」


 そして、さらに10日が経ったある日の夕暮れ。


「離して……っ!」


 賊たちが、一人の少女を宿舎に連れ込もうとしていた。


 長い金髪と碧眼で容姿の整った、いかにも育ちが良さそうな少女だ。


 抵抗しているのを見るに、彼女もまた人さらいかそれとも身売りにあったのか。


 いずれにせよ、気の毒なことだ。


 自分と年端も変わらない彼女にこれから訪れようとする悲運を嘆きながら、牢に戻ろうとする。その時だった。


「こんなところで終わるの何て嫌ですわ! わたくしにはという夢が!」


 ――っ!?


 まさか、この場所でそんな言葉を聞くことになるとは。


 摩天楼は人々から忌み嫌われる場所。


 そこに挑みたいという強い志を、あんな少女が――


 これは運命だ。


「今日にしよう」


 悲鳴を上げながら少女が宿舎に連れ込まれそうになっている中、俺は彼女と共にこの場所を抜け出すことを決めた。





【異世界豆知識:人魔大戦】

摩天楼ができる以前。人々は突如、異界である魔界から襲ってきた魔物たちと戦争を余儀なくされた。人々は多くの犠牲を払いながら100年近く持ちこたえ続けたものの、ついにそれも限界に差し掛かろうとしていた。そんな中、人間の状況を憂えた武神がその強大な力によって魔界を摩天楼に封じ込めたことによって、戦争は終結した。しかし、戦争が人々に残した傷跡は深く、ある時期まで摩天楼は人々から忌み嫌われることになる。

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