第6話

 獅童と出かけて数日。

 再び若干の非日常感の残る日常へと戻った俺は、再び屋上へと呼び出されていた。 


 その日の屋上には、抜けるような青空が広がっていた。

 日差しから隠れ、持ち込んだパンとバナナ・オレを片手に、獅童の話に耳を傾ける。


「新しい環境の構築?」

「そう。妹に新型のエウロパを買ったのだけど、運び込むのに男のひとの手があると助かるの」

「あぁ、あの『カプセル型』か。確かにとんでもなく重かったのは覚えてるな……。」


 家庭用VRヘッドセットであるエウロパの登場は世界の価値観を一変させたと言っていい。それまでは医療と軍事に優先されていた仮想空間を、娯楽の用途で自由に使えるようになったのだ。そこに夢を思い描いた人々は、瞬く間にもう一つの世界を作り上げた。

 そして現代、家庭用VRヘッドセットの普及率は9割を超えており、小型軽量化が熱望されている。


 ただ、エウロパユーザーの中から上がった要望は小型化だけではない。コアなゲーマーや、仮想世界を思う存分に堪能したいという声にこたえて、開発元であるハーヴェスター社は、医療用カプセルを応用したエウロパを発表したのだ。


 カタログスペックは非常に高く、そのコンセプトに沿った製品だと言えただろう。

 問題はその大きさと、初期設定のめんどくささにあった。

 ネットでは散々な言われようで、面白半分で購入した木戸の初期設定を手伝ったこともあり、多少なりとも心得はあった。


「妹は人見知りで、業者に頼むのも嫌がってて。だから私の知り合いに頼む、って伝えてあるの」

「俺で大丈夫なのか? 家の人に手伝ってもらうことは……。」

「無理だと思う」


 即答っぷりを見るに、恐らく指導も両親には相談したのだろう。

 何らかの事情で断られた結果、俺に白羽の矢が立ったわけである。

 困っている相棒を助けることに、さほど理由は必要ないだろう。


「わかった。時間を教えてくれれば、手伝うよ。」

「よかった。じゃあ早速、今日の放課後にお願い」

「き、今日? ずいぶんと唐突だな。それにその妹さんの予定もあるんじゃないのか?」


 レオネの行動力にはいつも驚かされていたが、まさか獅童本人の性格によるものだったとは。

 反射的に聞き返した俺に、獅童は首をゆっくりと横に振った。


「妹の予定は大丈夫。ただ私は明日から数日間、モデルの仕事が入ってて忙しいの。だからできれば、今日中にお願いしたかったんだけど……。」

「わかった。他でもない獅童の頼みだしな。また帰りに連絡してくれ」


 食べ終わったパンの袋を握り潰し、バナナ・オレを飲み干す。

 二人同時に降りていくと面倒なことが起こるため、俺が先に屋上から戻る。

 屋上の扉に手を掛けた時、


「……玲奈でいい。私も下の名前で呼んでる」

「まぁ、そのうちな」


 そのうちがいつ来るかは、まだまだ未定だが。



「ははは、こりゃなんの冗談だ?」


 学校の最寄り駅から電車で三駅。そこからさらに歩いて十数分。

 電車を降りた時点で周囲にマンションが立ち並んでいたため、そんな空気は感じ取っていた。だが実際に見上げてみて、ようやく実感がわく。

 眼前には馬鹿ほど高いタワーマンションがそびえ立っていた。


 獅童はというと、オートロックを解除するためなのだろう。見慣れない端末に手を押し当てていた。


「親が、人前に出る仕事をするならセキュリティの良いところにって。でも正直、持て余してる」


 そういうと、獅童の目の前に合ったガラスの扉が音もなく開かれる。

 広がるエントランスには上品な音楽と、見るからに高級そうなソファ。そして笑みを浮かべたコンシェルジュの姿があった。


「あのコンシェルジュの人に頼むってのは……。」

「妹、すごい人見知りなの」

「それって、俺が勝手に入っても平気なのか?」

「大丈夫。私の一番信頼できる相手だって、伝えてあるから」


 頭を下げるコンシェルジュの隣を軽く会釈をして通り過ぎ、凄まじい速度の監視カメラ付きエレベータへと乗り込み、耳に痛いような無音が広がる廊下を進む。

 そして並ぶ扉のひとつの前で止まった獅童は、再び指紋認証でロックを外すと、その扉を開け放った。 


「さ、入って」

「お、お邪魔します」

「緊張しなくていい。ここに住んでるの、私と妹だけだから」

「……ん?」


 緊張しなくていい、の意味が分からない。

 親がいないから緊張しなくていい、ということだろうか。

 それはそれで別の問題もあるわけだが……。


 とはいえ聞き返しても聞いた事実が変わることはないので、俺の部屋程もある玄関フロアを抜けて、導かれるままに進んでいく。

 どうやらこの物件を持て余している、というのは事実のようで、玄関フロアのすぐ隣にある個室に、カプセル型エウロパの機材が段ボールのまま積み上げられていた。

 

「これが機材一式。カプセルはリビングにあるから、よかったらそっちも確認してもらえると助かる」

「わかった。素人なりに頑張ってみますか」

「私は着替えてくるから、なにかあったら呼んで」


 そう言い残し、獅童は部屋を出ていく。

 俺はそのまま段ボールの山を解体していく作業に取り掛かったが、いかんせん肝心のカプセルの構造を確認しないことには、組み立て作業も進まない。

 木戸がこのカプセル型エウロパを買った時は初期設定の手伝いはしたが、組み立ては木戸の父親が殆ど済ませていたのだ。つまり俺は素人よりはマシ、程度の知識しかない。


 そこで一度、教えられた扉を抜けてリビングへと向かう。

 リビングは白を基調とした室内で、一面は見上げる程の窓。

 壁に埋め込まれた暖炉には炎が揺らめており、生活感があまり感じられない無機質な印象だ。

 俺よりデカいテレビモニターと、その正面にはソファ。そしてソファの近くに、目的であるカプセルは鎮座していた。


 カプセルに近づくと、木戸が買ったモデルよりふたまわりほど小さいように見えた。

 まぁ、獅童の妹が木戸のような図体のデカさなわけがないので、当然と言えば当然だが。

 そのままカプセルの側面でしゃがみ込み、機材を組み込む部分の点検に入る。

 

「接続ポートが内部と外部で別れてるのか。なんでこんな煩雑なつくりにしたんだろうか……。」


 一流が好む物は、えてして一般人には扱いにくい物が多いと聞く。

 これもその例に漏れない逸品ということだろうか。普通に設計ミスにしか見えないが。

 そんなこんなでカプセルの側面を弄っていると、上部を覆うシールド部分が開いた。どうやら内部と外部、両方に開閉ボタンが取り付けられているらしい

 事故が起きた時を想定してだろう。ちょうどいい機会だからとカプセル内部を覗き込んだ、その時。


「うぅ? おねえちゃん?」


 薄着のキャミソールだけを身に纏った少女と、視線がぶつかった。

 獅童によく似た亜麻色の髪に、幼さを残した風貌。しかしそこにはやはりと言うべきか、美しさの片鱗が顔を覗かせていた。 


 目を擦っていたその少女は徐々に眠気が抜け落ち、驚きで目が見開かれていく。零れ落ちそうな大きな瞳には、恐怖さえ移り込んでいる。

 考えてみれば当然だ。目覚めたら見知らぬ男が覆いかぶさっているのだから。


 小さな口が大きく息を吸うのと同時に、俺は視線を逸らしてできる限りの大声で、吼えた。

 

「獅童! 来てくれ! 早く! 警察を呼ばれる、その前に!」

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