第7話

 オーバーサイズのパーカーを一枚羽織っただけの獅童と、そして不健康そうな真白な肌の一回り小さな獅童。いや、獅童妹と言うべきか。

 混乱していた獅童妹をどうにかなだめた俺は、どうにか獅童に状況を収集してもらい、警察沙汰を引き起こすことはどうにか回避できていた。


 そしてふたりはソファに座って、テーブルを挟んだ俺をじっと眺めている。

 短くない、なんとも気まずい沈黙を消え入りそうな声が打ち破った。


「獅童 氷華です」

「よくできました。それじゃあ、明里?」

「亜澄 明里。エウロパの設定を手伝いに来た、えっと、君のお姉さんの友達だよ」


 現実の俺と獅童の関係は、果たして友達と言っていいのか。

 いまだに断言することに少しばかりの抵抗があったが、獅童の方はそうは思っていない様子だった。


「とても仲のいい、一番信頼できる相手よ。この前話したでしょ、エウロパに詳しい友達を連れてくるって」

「ですが、氷華の裸を見ようとしましたよ?」

「それに関して言えることはこれだけだ。本当にすまなかった」


 全面謝罪。申し開きをできる状況ではなかった。

 頭を深く下げるが、不満げな唸り声が聞こえてくる。

 ただそんな唸りを遮ったのは、獅童の声だった。


「私の不注意が招いたことよ。氷華も、許してあげて」

「いやです」

「どうして?」

「おねえちゃんは、このひとと遊ぶから氷華に構ってくれなくなったんですよね?」


 外見の年齢よりも大人びた性格だと思っていた獅童妹は、年相応の不満を零す。

 つまり姉が没頭している世界に入れるからエウロパを欲しがり、そして俺を妙に敵視しているのだろう。

 獅童はそんな妹の不満を当然見抜いていた。優しく妹を抱きかかえると、指で長い髪をすくように撫でる。


「だから、これから氷華も一緒に遊びましょ?」

「もちろんです。その為に、エウロパを買ったんですから。ですが貴方は必要ないです」


 つんけんしているが、目に見えて獅童妹の表情が緩む。

 仮想世界への期待と、姉と共有できる時間が増えることに、胸を躍らせているのだろう。同じ歳の頃にエウロパを買った身として、その気持ちはよく理解できた。

 無限に広がる空想と、それを実現してくれる仮想世界は、数年たった今でも同じ興奮を与えてくれるが、初めてログインするとなればその期待はひとしおだろう。


「なら早速、設定を済ませましょうか。私はここの外部モニターから氷華をサポートするから、明里は私のデバイスを使ってログインして」

「参考までに聞きたいんだが、そのデバイスって……どこにあるんだ?」

「私の部屋。ログインするときに横になりたいなら、ベッドを使っていいから」


 妹をカプセルに寝かせながら、獅童は後目で俺にそんなことを言い放った。

 さも、なんでもないような様子で。 


 なるほど、なるほど。

 確かにエウロパはその性質上、横になって使用するのがもっとも好ましい。

 かくいう俺もエウロパでログインする際に楽な姿勢を取れる、専用のイスを購入しているほどだ。


 しかしである。


 この状況で横になるのが好ましいかと言われれば、それは否である。

 俺も健全な男子高校生。今まで女子の部屋に入った経験もない。

 そんな俺に女子のベッドで横になってエウロパを使えと言われて、はいわかりましたとはいかない。心拍数が上がり過ぎて、エウロパが異常を検知した結果、起動できないという失態を冒す可能性も十分にあった。いや、その可能性の方が高いまである。


 だが考えてもみれば、こんな危機的状況は、GFグラン・ファンタジアで幾度となく潜り抜けてきた。それこそ相棒のレオネと共に。

 今はその相棒は、相手方に立っているわけだが。


「俺が獅童の代わりに外部モニターで指示するのはどうだ?」

「いやです。貴方が近くにいたら、なにをされるかわかったものじゃありませんから」

「じゃあ一度、俺は自分の家に帰ってから……」

「それじゃあ遅くなるでしょ? 今、済ませてあげないと」

「いっそのこと、俺がそのエウロパを使って初期設定を――」


 屁理屈や言い訳じみた代替案はまだ尽きてはいない。

 しかし、獅童の切れ目がじっと俺を見詰めてきていた。

 約束をしただろう、と。

 喉元まで出かかっていた言葉たちを飲み下し、そして獅童が求めているであろう言葉を、そのまま吐き出した。


「わかった。借りるよ、獅童のエウロパを」


 ◆


「それじゃあ、明里。お願いできる?」


 横になる俺を見下ろしながら、獅童はエウロパの位置を調整していた。

 下から見るといつもとは違う印象を受けるが、今はそれどころの話ではない。

 先程聞いた話の内容を思い返し、復唱する。


「確か、ジュピター・エントランスの23番ゲート前に集合でいいんだよな」

「落ち着いて、明里。氷華を歓楽街に連れていく予定はないわ。集合地点はサン・エントランスの77番ゲート前よ。大丈夫?」

「だ、大丈夫だ。問題ない」


 問題ない、わけがない。

 

 見え透いているであろう虚勢を張って、エウロパを装備するが、正直言えば心拍数は天上を突破していた。

 ヘッドギアタイプのエウロパは一時的に視界を遮られるため、目の前は完全な暗闇となる。これで心を落ち着けられると思ったのもつかの間。

 なんでこんないい匂いがするんだろうな、エウロパから。


 獅童の部屋はモノクロで統一され、GFのグッズと獅童が読んでいるであろうファッション雑誌、そしていくつかのぬいぐるみが設置されていた。

 確かに危惧していたほど女子をしている部屋ではない。しかし確かにここは獅童の部屋であり、いま俺は獅童のベッドで横になっているのだ。


 獅童もなにを考えているのかわからん。

 エウロパは個人情報を多く含む機械だ。それをなんのためらいもなく使うよう指示するのは、いささかセキュリティ面で不安があるな。信用されていると受け取っていいのか、獅童が無頓着なのか。


 それに普通、友達とはいえ男をベッドに横にさせるものなのか?

 友達とはいえ男をベッドで横にさせることに抵抗はないのか?

 いや、その普通が分からん。男女の友情において普通がどういうものなのか、しがないゲーマーの俺が知ってるわけがない。 


「落ち着け、深呼吸しろ」


 気を落ち着ける為の、一呼吸。

 しかし、これがよろしくなかった。


 深く息を吸うことで、この部屋の匂いが余計に思考を奪い、心拍数を上げていく。

 なぜか獅童を近くに感じてしまうほどだ。俺の気のせいに違いないが。

 いや、気のせい、だよな? 部屋から出ていった音は聞こえていないが、さすがに無言でベッド横に立ってるわけがない。


 今はログインに集中すべきだ。

 仮想世界へ入ることができれば、現実で感じる五感のほとんどを遮断できる。 

 この状況も、そこから生じる動揺も、仮想世界むこうでは関係ない。


 呼吸に集中し、そして心拍数が落ち着いてきた頃を見計らって、その言葉を告げる。

 

「ログイン、ソル・エントランス」


 眠気に似た波が意識をさらい、ゆっくりと意識が沈んでいく。

 その過程で部屋の扉が開いた音がしたのは、きっと気のせいだろう。

 気のせいだと、思いたい。

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