第3話

 視線が痛い。

 そんな文言を眼にするたび、心の中で馬鹿にしていた。

 視線を向けられるだけで感覚なんてあるわけないだろ、と。


 謝罪し、訂正する。

 過剰な視線というのは、向けられるだけで痛みを伴うのだ。

 主に、精神と心に。


 ただの引きこもりネットゲーマー――というか存在すら知られていないであろう俺――と、学校のアイドルである獅童玲奈。まさに異色の組み合わせに、周囲から向けられる視線はとんでもない物だった。

 

 教室で俺の名前が呼ばれた時に、意味を測りかねる悲鳴が聞こえたほどだ。

 だが目の前を歩く獅童はそんな視線や声を意に介さず、ただ淡々と校舎内を突き進んでいく。その足取りに、迷いはない。

 

「……どこにいくんだ?」

「B棟の屋上」


 淡泊で簡潔。

 しかし聞き取りやすい声を聴いた俺は、その背中へ再び問いかける。


「カギが掛かってるぞ、あそこ。もう屋上に入れるなんて、フィクションの中でしかありえないだろ」

「これがあるから」


 肩越しに差し出された指に引っかかっていたのは、一本のカギだった。

 かなり古いもので、リングには擦れた文字で屋上と書かれたプレートがくっついている。


「よく、そんなの持ってたな。今のご時世、電子キーじゃないほうが珍しいってのに」

「誰にも邪魔されない、発声練習場所が欲しいって言ったら、先生がくれたの」

「そうかい。そりゃお優しいことで」


 なんと無しに言う獅童は、その鍵をポケットにしまった。

 特例という奴だろう。学校側も獅童が広告塔になってくれれば、文句などあるはずもない。在学しているだけで、この学校のブランドはうなぎ登りなのだから。


 持ちうる者はさらに手にする。

 ネットゲーマーでさえ知る世の常、世の常識である。


 ◆


 そして一方、持たざる者である俺は、春先の暖かな風を受けながら沈黙をただただ受け入れていた。

 目の前には吸い込まれそうな瞳の美少女がひとり。しかしてその表情からここに呼び出された意図を読み取ることなどできるはずもない。

 これが百戦錬磨の恋愛強者なら、相手の心に抱くなにかを見抜けたのかもしれないが、いかんぜんただのネットゲーマーである俺にはこのシチュエーションは難易度が高い。


 錆び付いていた、会話ルーチンを頭の奥から引っ張り出し、月並みな質問を投げかける。


「それで、こんな場所まで連れてきて、なんの用事だ?」


 短くない沈黙。

 はっきり言って、今からでも物陰から数人が飛び出してきて、のこのこついてきた俺を動画で撮影しながら馬鹿笑いされるんじゃないかと思ってる節もある。

 しかし、いつまでたってもカメラ係は飛び出してこない。


 フェンスの向こう側に広がる蒼穹を背負っていた獅童は、ようやくその言葉を捻り出した。


「亜澄 明里。選択、なにを取るの?」

「……まだ迷ってる」

「奇遇だね。わたしも」

 

 奇遇か、奇跡か。

 獅童の質問の意味が、わからないわけではない。

 だが俺の返事如何では、その意味が大きく変わってしまう。


 踏み込むべきか、俺に委ねるつもりか。

 あるいは、向こうも迷っているのか。


「……なんでそんなことを気にするんだ? 自由に選べばいい」


「知りたいの、もっと。明里のこと。けれど迷惑だと思っているのなら、これきり。もう関わらないわ」


 もっと、か。

 つまりある程度は知っているということだ。

 その程度をどう受け取ればいいのかは、わからない。


 そもそもこの獅童はどうしたいのだろうか。

 俺の名前を呼ぶだけで悲鳴が上がる状況だ。

 関係値は、いわば他人かそれ以上に遠い。


 ただ言えることは、仮想世界での関係が現実に浸食してきているということだ。

 本来なら忌避すべきことだ。しかしそれを望んだのはほかでもない、目の前のレオネ――いや、獅童だ。

 

 ため息を吐き出し、質問に答える。


「……ある場所に飾る、絵が欲しいと思ってたんだ。さすがに練習もかねて、美術を取ろうと思ってる」


 思い返すのは、ログハウスの一角。

 暖炉の上にスペースが開いており、そこに以前飾った絵はすでに撤去してしまった。だからこそ新しい絵が必要だったのだ。

 俺の返事を聞いて、獅童は微かに口角を上げた。そんな気がした。


「ありがとう」

「感謝されるようなことはしてないだろ」

「……そうね。そういうことにしておきましょう。けど残念。あの絵、私は好きだったんだけど」


 微かな笑い声を残して、獅童が横を通り過ぎる。

 ふわりと香るのは柑橘系の香水だろうか。馴染みのない匂いだったが、なぜか懐かしさを感じていた。

 

 笑い声も、匂いも、目の前にいる人物も、全て関わりがなかったというのに。 


「だからだよ。散々、笑われたからな」

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