第2話

 グラン・ファンタジア。

 その名の通り偉大なる幻想世界を体現したその仮想世界は、美麗なグラフィックに加えて、多種多様なコンテンツが用意されている。

 戦闘から始まり、消耗品や武具のクラフト、農業や工業、それらの売買、果てはハウジングや絵画の作成まで。

 ひとつのコンテンツを堪能する前に、別のコンテンツにアップデートが入り、無限に楽しみは続いていく。それがグラン・ファンタジアが支持される理由のひとつでもある。


 しかし、実際はどうだろうか。

 レオネがあわただしくログアウトしてから少しばかりグラン・ファンタジアの世界を回ったが、結局はすぐに現実世界へと帰還した。

 あれだけ充実していたはずのこの世界を、どことなく物足りなく感じていたからだ。


 現実へと意識が戻り、少し気だるい気分を振る払うと、エウロパを外してそのままコンマゼロ秒でベッドへとダイブする。

 わずかな軋みとともに、枕元に置いてあったスマホが跳ねる。

 通知は、レオネからの落ちるというチャットのみ。

 そのホーム画面には、『アスラ』と『レオネ』が並んで映っていた。


「今さら、重要なことか……?」


 ここは自室で、俺以外誰かがいるわけでもない。

 それでも誰にともなく、スマホを片手にひとり呟く。

 ホーム画面に映るレオネは、記憶の中のまま、屈託のない笑顔を浮かべていた。


 別にレオナが俺を知っていようがいまいが、今までの三年間は変わらない。

 今も変わらず大切な相棒だし、レオネもアスラの中身が俺だと知っていたということだ。

 なら、下手にレオネが誰かを詮索する必要など、どこにあるのか。


「このままでもいいじゃないか。変に、関係がこじれるぐらいなら」

 

 今の関係に不満があるわけじゃない。

 もちろん、レオネの向こう側にいる人物が、気にならなかったわけじゃない。

 しかし俺が共に時間を重ねているのは間違いなくレオネであり、その向こう側の人間の素性など、些細なことのように思えたのだ。


 だからこそ、余計な思考が回り始める前にゆっくりと目を閉じる。

 不必要な変化も、必要以上の進歩も、望みやしない。

 ただ、今のままの関係が続けば、それでいいのだ。 


 ◆


 眠った気がしない。

 浅い微睡と覚醒を繰り返し、スマホの待ち受けを見ては、再び無理やり微睡へと戻る。そんなことをしていて、体が休まるわけが無かった。

 あくびをどうにか噛み殺し、自分の机に突っ伏す。

 すると前の席から、笑い声混じりの声が飛んできた。


「相変わらず、眠そうな顔だな。どうせまた、遅くまでインしてたんだろ?」

「昨日は早めに引き上げたよ。なんだか気分が乗らなくて」

「んだよ、だったら言ってくれりゃ、こっちに呼んだってのに」


 視線を上げれば、派手な茶髪の男子生徒が俺を見下ろしていた。

 身長は180センチちかくあり、その風貌も相まって高校生にはとても見えない奴だ。

 名は木戸きど 仁之じんじという。悪友兼学友であり、そしてエウロパに登録されたフレンドでもある。

 以外にもエウロパユーザーであり、仮想世界を楽しんでいる、インドアな一面も持ち合わせている。

 とはいえ、俺が生息しているグラン・ファンタジアとは、全く別の領域で楽しんでいるのだが。 


「剣を担いだファンタジーなアバターで入ってったら微妙な空気になるだろ、絶対」

「いんや、剣を担いでようが赤子を抱いてようが、タコのエイリアンだろうが、誰だって歓迎だぜ? 楽しめりゃ、なんだっていい。それがうち……『メメント・モリ』のモットーだからな」

 

 木戸こいつは高校生ながらに、親が経営しているクラブの管理者ユーザーでもあるのだ。

 仮想世界にあるクラブとはいえ高校生の息子に管理者を任せる親も、そしてそれをまっとうにこなすこいつも、だいぶぶっ飛んでるとは思う。そこが面白いのだが。


「俺のモットーは、分相応の楽しみ方をする、だ」

「お堅いねぇ。そんな奴は、これでも見て世の中の楽しみ方ってのを知った方がいいな。ほら、遠慮することはねぇよ。ダチだろ、俺ら」


 目の前に置かれたスマホの画面には、とある少女が映っていた。

 シックな黒のパンツと、白のオフショルダー。足元は足首が不安になる角度のヒールを履いている。


 なんらかのコマーシャルらしく、文字通り画面の向こう側の存在であるその少女は、その目が眩むような美貌を惜しげもなくさらけ出していた。

 ただ、その少女に関しては俺でも知っていた。

 というより、この学校で……いや、エウロパユーザーで彼女を知らないひとは多くはないだろう。


獅童しどう 玲奈れいなだろ? 知ってるよ、そのぐらいの有名人は」

「さすがの明里でも知ってたか。我らが明瞭高校の誇るアイドルだからな。この前なんか、『サン・エントランス』で獅童がモデルをしてる広告を打ってあったんだぜ?」


 正確に言えばアイドルというよりモデルと言ったほうが正確な気もするが、人気者アイドルと言えば、さほど間違いではない。

 この学園の誇る有名人で、どんな生活をしてても学生であれば名前程度は耳にする。


 獅童の噂話の中でも有名なのは、俺達の同級生ながらに某名俳優から婚約を申し込まれたという話だ。それも、二つ返事で断ったという。

 どこまでが事実かは分からないが、『サン・エントランス』に広告が出ていたのを見た時は、その噂が事実なんじゃないかと疑ったものだ。


 『サン・エントランス』はエウロパで入ることのできる仮想世界『ソーラー・システム』の入り口だ。そこから派生した各サーバーにアクセスすることで、様々な仮想世界を楽しむことができる。グラン・ファンタジアはその中のひとつ、ということになる。


 つまりグラン・ファンタジアユーザーのみならず、エウロパユーザーすべてに対して、広告を打っていることになる。

 現在、エウロパを開発したハーヴェスター社が公表している総ユーザー数は15憶を越えている。

 どれだけの広告効果が望めるかは言うまでもなく、そしてそこに起用される獅童がどれだけ人気を誇るかは、語るまでもない。


 ただ、いま気になるのは、獅童ではない。


 相棒である、レオネのほうだ。


 親しい友人はこの木戸とほか数人。

 呼び捨てにするような間柄になると、片手で数えられるほど。

 仮想世界むこうで俺を呼び捨てにしていたことを考えると、レオネはその中の誰かになる。

 

 確かめるべきか、未だに決められていない。

 レオネの言動でこうして現実世界の関係に影響が出ているように、現実世界で下手に詮索すればゲーム内での関係にも当然影響を及ぼす。

 なら二つの世界を割り切ってしまったほうが楽なんじゃないだろうか。


 下手に詮索して、今の関係を壊してしまうのであれば、むしろ――


「おい! 明里!」

「あのなぁ、そもそも獅童にそんな興味はないんだよ」


 やたらと興奮気味に机を叩く木戸の手を振り払う。

 生憎、今の俺に学園のアイドルに興味を割く余裕はなかった。


 何人かの顔が脳裏をよぎっては、消えていく。

 誰がレオネなのか。そもそもそれを特定すべきなのか。

 特定して俺は、どうしたいのか。


 ぐるぐると回る考えに苛立ちを隠せずにいると、木戸は俺の背中を指さして、肩をすくめた。


「なら、それを本人に伝えたらどうだ」

「はぁ?」


 思えば、教室が静かだ。

 昼時になれば動物園かと思う程に騒がしくなるというのに。

 なんとなしに振り返り、そして視線が止まる。


 遺伝的な物なのか、自然でありながら目を引かれる色素の薄い亜麻色の髪。

 切れ長でどこか冷たささえ感じる目。通った鼻筋に、桜色の唇。

 あの広告で見た通りの人物が、そこには立っていた。


 いや、実際に見ると、広告以上に美しく、そして存在感が溢れていた。

 思わず引きつった笑みがこぼれる。感激によるものではない。こんな人間が存在するのかという、呆れと驚きが入り混じったものだ。

 さぞ向こうから見れば、にちゃついてたに違いない。

 

 ただ冷たい視線はそのままに、獅童は良く通る鈴の音の様な声音で、言った。 


「亜澄 明里。ちょっと、つき合って」

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