仮想世界における同棲生活が現実世界に及ぼす『影響』について
夕影草 一葉
事実によって生じる揺らぎ
第1話
『
変わった名前だと、自分でも理解している。嫌というほど。
苗字の終わりと名前の頭にみが続き、口に言葉がつっかえる。
一目見て
そしてその名前から女だと思われることも。
だが名前をイジられるのが嫌というわけではなかった。
適当に笑って話を合わせておけば場は盛り上がるし、数十秒もすれば場の話題は別のことに移っている。
俺の名前の話なんて、その日の夜には誰も覚えちゃいない。
だからなんというか、そう。
少しばかり疲れたのだ。
当時は多感な中学二年生。
気疲れしても無理からぬことだろう。
そこで俺は、自分の名前とは一旦おさらばして、全く別の名前で自由に生きるという漠然とした目的を心の中に抱いていた。。
だからこそ、話題の渦中にあったVRMMO『グラン・ファンタジア』を始めたのは、必然と言ってもよかった。
とはいえネットゲーム初心者の俺に、仮想世界は余りに広大で、未知が充ち満ちていた。はっきり言えば、なにをすればいいのか分からなかった。
溜め込んだお年玉でヘッドギアデバイス『エウロパ』を手に入れ、ネットで調べた付け焼刃の知識で、仮想世界へと飛び込んだ。
高鳴る鼓動と逸る気持ちを抑えて、グラン・ファンタジアに足を踏み入れたその瞬間。
そこには、世界が広がっていた。
生い茂る草原に、鬱蒼とした森。そびえる山脈と、その上を飛ぶ翼竜達。
そして初めて電子で構成された幻想世界に降り立った俺に声をかけてくれたのが、ほかでもない『レオネ』だった。
そう、今の俺の、かけがえのない相棒だ。
出会ってから三年間もの間、苦楽を共にし、幾度もの修羅場を潜り抜け、互いに資金を出し合って共同の家まで購入した。
中学の制服を脱ぎ捨て、真新しい高校の制服に袖を通しても、その関係は変わらなかった。変わるはずが無かったのだ。
なぜならレオネは誰に対しても胸を張って相棒だと言える、そんなプレイヤーだったからだ。
その、瞬間までは。
◆
「明里、どの科目を選ぶんだろ……。」
消え入りそうな、ひとりごと。
しかし聞き間違えることのない、ひとりごとだった。
場所はレオネと共同で買った家のリビング。
暖炉の前の安楽椅子で微睡んでいた仮想世界の俺――『アスラ』の意識は、冷水をぶっかけられたかのように、急速に覚醒した。
だが、声は出ない。
いや、出せない。
驚きで、言葉が喉につっかえていた。
VR環境下では、思考が本人の意図とは関係なく口に出る、という現象は珍しくもない。そのためパーティプレイが推奨されており、周囲のプレイヤーの発言をミュートする機能まで充実している。これは完全に余談だが、ハラスメント問題に対処するために実装されている、異性プレイヤーをミュートする、という機能で相手がネカマかどうか判別する方法も一時期流行った。
つまり、無意識下でも深く考えていることが言葉になって、ぽろりと口から飛び出てしまうのだ。もちろんNGワードだった場合には自動でミュートがはいる。
しかしレオネの言葉にいかがわしい言葉は混じっておらず、かといって仮想現実で聞き間違えなどするはずもない。
薄目で見れば、レオネは自分の口を咄嗟に塞いでいるが、後の祭り。
室内にはぱちぱちと薪が弾ける音だけが響いている。先程の呟きをかき消す雑音など、ほかにはなにもない。
なんとも眠気を誘う昼下がりだが、部屋の中は異様な空気が支配していた。
「お、起きてる? アスラ」
「……。」
答えは沈黙。しかしレオネは頻繁に俺の方を確認してから、そそくさとログアウトしていった。
数秒後には俺のチャットに、急用ができたのでログアウトしたとの旨が届く。
ゆっくちと体を持ち上げ、レオネが気に入っている定位置のイスを眺める。
「俺のリアルネームを、レオネは知ってるのか……?」
少なくとも、聞き間違いではない。
VR環境で聞き間違いなど起こりうる隙は存在しない。
そしてレオネの現実世界で、明里などという名前の知人がいるとは考えにくい。
この名前がどれだけ珍しいか、なんてのは俺自身がよく知っている。
なにより、レオネの呟き。
あれは俺が通っている――下手するとレオネも通っている――学校での、選択科目についてのものだった。
提出期日は差し迫っている。
少なくとも教師から催促される程度には。
だが俺は、未だに決めかねていたのだ。
結論。
いや、時期尚早か。
ならこれは、推論。
レオネは、現実の俺を知る人物である。
問題なのはワトソン君であるはずのレオネの行動を推理しなければならないということだ。
しかし不思議なことに、不安などは少しも感じていなかった。
実際の知り合いでもなければ、ネット上でリアルのことを詮索するのはタブーとされている。これはVRが普及する以前からのマナー……というより、文化的なものだ。
だが、俺達には三年間の積み重ねがある。
レオネが俺のリアルを詮索していると聞いても、不快な気持ちは湧いてこない。
それだけ信頼している証拠だ。
単純というか、純粋というか。
レオネにかける自分の信頼に、自分でも少しばかり驚く。
とはいえ好奇心を抑えるには、かなりの時間を要したが。
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