第5話 十二天将
今日は何の変哲もない、いつもと特に変わらない日だった。
日に日に遠慮なく増していく倉橋さんと蘆屋さんの痴話喧嘩を止めて、真翔くんと話して空き時間で修行して。先輩に強くなったことを褒めてもらえて、嬉しくなって。
本当にただの〝日常〟だった。だけどそれは、すぐに壊れてしまうほど脆いものだということを、私はいつしか忘れていた。
任務を終えて部署に戻ると中は慌てた様子で。何か分からないまま邪魔にならないよう立っていると倉橋さんと蘆屋さんの話声が聞こえて来た。その内容は衝撃的なもので。
「北都に百鬼夜行⁉ また⁉」
「東都の次は北都。今年どうなってるんだ? 百鬼夜行が1年の間に2度も出てくるなどありえない」
「もしかしたら大結界が緩んでいるのかもしれないわね。今すぐにでも大規模な修繕の儀式をしないと取り返しがつかなくなるわ」
北の中心、北都に百鬼夜行が出たという話だった。北は安門院が守る地でまた都に百鬼夜行が出たことにより陰陽寮は処理のため慌ただしくなっているようだ。同僚はほとんど北の地に飛び立っていく。私はまだ1年にも満たない新人なので陰陽寮で待機との命令で。また、遠い場所から無事を祈ることしかできなかった。
悔しくて報告書を書くために持っていた筆に亀裂が入る。少しの変化に気づいたのだろうか。倉橋さんが蘆屋さんとの会議に私を呼び、混ぜてくれることになった。二人はこの部署の現地責任者である左葉さんと随時連絡を取り合っていて、ここから指示をしていた。北都は百鬼夜行の侵入により東都の時よりも混乱を極めているようで、初期段階での処理が遅れたことにより被害は拡大しそうだ。
百鬼夜行は去年の12月に起きた東都百鬼夜行事件以前は100年以上出現がなかったと聞いているのにこの1年の間で2回の出現を許していた。それも記録の中を数えても大規模に含まれるものばかりで。百鬼夜行の主も強い妖であると左葉さんより報告を受けていた。
東都も北都も主要都市なので結界は地方よりもしっかりしており定期的な修繕もしているはずだ。それにそれほど大規模な霊門が開けばすぐに気づく。だけど現実は百鬼夜行の侵入を許してしまっていて。現実と理想はどうも、上手く掛け合わない。
「ここからどう布陣しましょうか。別部署とも連携しているけどどうにもしっくりこなくて」
「北東には四神の一角、青龍が眠ってる。いざとなったらその封印を解いていただくしかない」
「……それは陰陽頭の判断しだいね。進言はしておくけどどうなるかは分からないわ」
「十二天将を使える奴なんて中々出てこない。少しでも使える可能性がある奴がいる時代でこうなってるなら使わない手はねえよ」
「そうだけど……」
倉橋さんと蘆屋さんが少し揉めそうだ。
十二天将。それは安部清明が残した十二の式神のこと。東西南北を守り、中でも四神と呼ばれる式神は戦闘に長けており守護神と崇められていた。そんな十二天将を使える才のある者は中々おらず、土御門家や安部家であっても扱うのは難しいものであった。十二天将の封印を解くものが才あるもの。それは陰陽師の中では常識であった。今この時代を生きる陰陽師で使える可能性のある、まだ封印に触れていない陰陽師は数少ない。
ふと思う。私は手を上げ発言権を求めた。
「あの、いいでしょうか」
「どうしたの?」
「……土御門くんは、土御門北星は十二天将の封印に触れたことはあるのでしょうか」
「は?」
「彼、陰陽師の才能しかないじゃないですか。もし触れたことがないのなら誰よりも試す価値はあるかと」
「土御門本家の期待の新星ね。聞いてみるわ」
倉橋さんがどこかへ連絡を飛ばした。少しすると私の予想通りの返信が返ってきて。土御門くんは一度も封印おろか十二天将の祠にすら行ったことはないそうだ。
北都はすでに北城が潰れ、跡地しか残らないほどの悲惨さ。1級の陰陽師でも祓うことが難しいほどの今回の主。4人しかいない特級の陰陽師は間が悪く全員国外に出ておりすぐに帰って来れる者はいない。陰陽頭は苦渋の決断を迫られた。
「……なんで、私が同行者なの」
その結果は土御門くんが青龍の眠る祠に向かい、封印に触れることだった。
そこまでは納得できる。十二天将の祠に入るには必ず一人は同行者が必要である。私は特に関係ないので報告書の書き上げに戻っていたのだが急に陰陽頭に呼ばれたと思ったらまさかで。少しだけ土御門くんを睨んでしまう。
「土御門としては真翔が良かったらしいけど僕は君が良くてね」
「なによそれ。いざとなったら私、土御門くんのこと守れないよ……弱いから」
「そういう目的は一切ないよ」
「ならどういう目的よ」
「さあ」
会わない間に更に飄々とした態度は増していて。封印解除に同行する本人でさえ、連れて来た理由を教えない始末。本当ならこの位置は1級の陰陽師が担当するはずだ。もしもの事があった時のために。だけど彼が選んだのは私。なぜ選ばれたのかさっぱり分からない。
土御門くんの移動式神黒鶴へ乗り込み北東にある国を守る大結界の大元。青龍の眠る祠へ向かう。地下にある祠は地上が一部崩れており、そこから天の光が差し込む神秘的なものだった。地面を薄く流れる水は聖水だろうか。少し掬えば蒼く光っており、霊力に満ち溢れている。
霊門がある場所も、大きなものであればこのような神秘的な場所は多い。だけどどこか、それよりももっと言葉に言い表せない何かが、ここにはあった。
「祠ってこれだよね?」
「うん。えっと、封印を解くには祠に触れて霊力を流し込むそうよ」
「それだけ?」
「それだけって……過去に失敗した人は霊力が逆流した自爆した人が多いのよ? 危険なの。一か八かなのよ」
「僕はそうならないよ」
その自信は果たして彼に才があるのだろうか。向けられる背からは感情が読み取れない。
土御門くんが祠へ向け手を伸ばす。彼が自信満々とはいえ私自身は自信があるわけではないので心臓の鼓動が早く鳴り、緊張してくる。
祠に手が当たった瞬間、光った。眩しくて手で目を覆ってもそれでも瞼を通じて眼球を襲う。手をどけて目の前を見たその時には、今までそこにはなかったものが姿を現していた。
「我を起こしたのは其方か」
「土御門北星」
「そうか輪廻の巡りとは早いものだ。起こしたのには理由があるのだろう。力になろう」
私なんて足元にも及ばないほどの澄んだ霊力。満ち溢れた力。こちらに向けているはずはないのに感じる強い圧。膝ががくがくと震えて立っているのも精一杯だ。
青龍。それはその名の通り青い鱗を持ち、強い力を保持した神龍だった。
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