第10話 神無月

 小学校が昼から臨時休校になった。

 どこんちで遊ぼうかとみんなで盛り上がっていたら、先生に早く帰れと叱られた。まあ事情が事情だけに仕方ない。

 こんな時間ならどうせ兄貴は居間で昼寝してるに決まっている。驚かせてやれ、と思って庭先に回り込んで縁側から覗き込んでみたら、意外なことに姿が見えなかった。あれ、と思って首を傾げていたら、庭の方から声がした。

 「おーい、帰ってきたなら玄関から入れ」

 庭の奥の方からひょいと姿を見せた兄貴は、今日も今日とてだらっと袷の着物を着崩している。そのくせ黒足袋に雪駄を合わせるとそれなりに様になって見えるのが腹立たしい。と言うか、普段からだらだらしているくせに、人が休みのときに限って起きて立ち回ってたりすると、何だかばつが悪くて癪に障る。

 こっちの気も知らずに、兄貴はあーと間の抜けた声を上げた。

 「あれだろ、臨時休校だろ。猿が出たんだっけ」

 「あれ、連絡回ってたの?」

 「保護者向けの緊急メルマガが来てたぞ」

 この兄貴でもいちいちメールチェックするのか、とちょっとびっくりした。

 うちの小学校の学区は広くて、マンションや店の立ち並ぶ市街地から、うちみたいな半分山の中に入り込んだ田舎まで含んでいる。小学校は比較的郊外寄りの場所にあって、時々給食の残飯を狙ってタヌキやイタチが下りてくることもある。今日臨時休校になったのは、学区内に猿が出たと警察から連絡があったからだ。動物園とかから逃げた訳ではなく、どうやら山から下りてきてしまったらしい。さすがに猿は今まで見かけたことはなかったけど、まあこの辺くらい田舎なら全然不思議はない。

 動物園で見かける猿はユーモラスな仕草の人気者だけど、野生の猿がそうもいかないことくらいは小学生でもわかる。観光地で買い食いをする観光客を襲う姿はニュースとかでもよく見るし、賢いうえに爪や牙も鋭くてとにかく素早いから、人間にとってあまり遭遇したい相手ではない。警察からの情報だと、小売店の軒外に並んでいた特価品の果物を盗んでいったという話だ。下校道には地区のお年寄りや交通当番のお母さんたちが立っていたし、猟友会の人たちともすれ違ったから、結構な騒ぎになっている。

 「見つかったら撃たれるのかなあ猿。災難だよね」

 「ま、野のものが里に降りたらまずいわな」

 しれっと兄貴は嘯いた。よく見ると片手に籠を下げていて、それをどかっと縁側に載せると沓脱石の上に雪駄をぽいぽいと脱ぎ捨てた。覗き込むまでもない、鮮やかな柿の実が滴を浮かべて溢れるばかりにぎっしり詰まっている。咄嗟に猿蟹合戦を連想した。

 「……猿って聞いて食べたくなったの?」

 「これは渋柿だ。すぐには食えんよ」

 兄貴は懐から肥後守を出すと、ぱちんと開いて柿の皮をくりくりと剥き始める。干し柿にするつもりなんだろうけど、まるまる太った大きな実だからかびないように気をつけないと。

 お、と兄貴が手を止めた。さくっと手の中で柿の実を切り分けて、一切れ差し出してくる。見ればオレンジの果肉の中に黒い斑点がぽつぽつ浮いている。

 「珍しいな、半甘だ」

 「半甘?」

 「一個の実の中で半分だけ甘柿になってるやつ」

 口に入れると確かに甘い。兄貴も自分用に切り分けて、美味しそうに齧り始めた。

 本当はあんまり柿って好きじゃないんだけどなあ、と思いつつ、一切れだから齧って種を庭に投げ捨てた。干し柿はまだ何となく食べるけど、甘柿は甘すぎて正直得意じゃない。

 「好きじゃなくても柿の実がなったまま放置するなよ、えらいことになるからな」

 見透かされたみたいで思わず肩を竦めた。兄貴はにやっと人の悪い笑顔を見せる。

 「柿は枝がもろいくせに、実が重いからな。実ったまま放っておくと木が痛むし、人が通ると危ない。おまけに化けて出る」

 ふーん、と聞き流そうとしたけど、やっぱり堰き止めることにした。

 「化けるの?」

 「化けるぞ。たんたんころりんと言うんだが、甘柿を取らずに放置してたらガタイのいいおっさんに化けて町中の家にお裾分けして回るんだ」

 「……いい人じゃん」

 「中には人型をしたまま「俺を食え!」と迫ったり、「自分のケツは美味いからなめろ」とか言ってくる奴もいる。ちゃんと柿の味がするらしいぞ」

 「柿食べた直後に、その追加情報はいらない」

 と言うか、そう迫られて味見した人がいるところがすごいと思う。

 「そう嫌うな。砂糖のなかった時代には物凄く貴重な甘味だし、糖度も栄養分も今どきのフルーツと比べて遜色ねえ。だからこそ昔の人はわざわざ渋を抜いてでも食べようとしたし、柿の木自身も喜ばれてたことに自信があるからこそ、あちこち食わせて回ろうとするんだろ。多少洒落っ気があるくらいの方が親しみやすくていいや」

 「そうかなあ……」

 ごつごつした柿の木が大柄な男の人というのは何となく納得がいく。でもそんな人が某菓子パンヒーローよろしく「俺を食え」と言ってくるのはなかなか嫌な絵面だと思う。結構柿が苦手っていう子は少なくないし、空き家の庭先で柿の木が実ったままになっているところも今はよく見かける。ああいう家の一軒一軒からみんなおっさんが出てきて柿の実を配り歩くのかと考えたら、なかなかすごい光景だと思う。

 そんなことを考える間にも、兄貴は次の実を拾ってまたくるくると剥き始めた。意外と器用だな、と手つきを眺めながら変なところで感心した。

 「柿は元々、神々と人の領域を区切る垣の役割をしている神聖な木だ。だから禁忌も多い」

 「禁忌?」

 「切ったり焼いたりしたらいけない。枝が落ちたら畑の端で腐らせないといけない。あと柿の木でけがをしたら一生残るから、木に上ったらいけない。桃栗三年柿八年、種から実るまでには時間もかかる。枝が折れやすいから世話が欠かせない」

 切ったらいけないとか上ったらいけないとかは聞いたことがある気がする。うわ、改めて考えたら面倒だ。

 「そこまで頑張って育てても渋柿のことがあるんだよね」

 「と言うか、普通柿ってのは渋いもんだ。甘柿の方が突然変異なんだとよ。大体世界のどこに行っても柿は干して食うもんだ」

 日本以外でも柿って食べるんだ、と思いながら籠の中のつやつや光る洗い立ての柿の実を突いてみる。ぱんぱんに弾けそうな大きな実だけど、触ってみると結構固い。ふと兄貴は、オレンジ色の実を掲げて眺めながら首を傾げた。

 「今のガキはいくらでも甘いものを知っているから、柿の実のありがたみはわからんかもな。砂糖の普及なんて精々江戸時代のことだし、蜂蜜だって養蜂に成功するまではとんでもない貴重品だったんだ。甘いものは概ね生産に手がかかる。山に住むものにとっては、未だに柿は超一流のスイーツだ。昔は山の中に勝手に生えている分まで根こそぎきれいにもいできたもんだがな」

 ふーん、と相槌を打ちながら、頭の中で何かがつながった気がした。

 「あれ、もしかして猿が出たのって、そのせい?」

 「それもあるだろうな」

 こともなげに兄貴は頷いた。

 「柿の実は猿の大好物だ。ことにありがたい甘柿を食いもせずに人間がほったらかしてるんだから、取られたところで文句なんか言えた筋合いじゃあるまいよ。人が取らない柿の実は山のもんにとっての恵みだからな、山と里の見分けがつかなくなったとしても無理はない」

 それに、と兄貴は手を止めた。肥後守をひょいともたげて、山の方に振り向ける。

 「柿を好むのは猿に限ったことじゃねえ。冬眠前の動物はみんな甘いもんが好きだ。柿につられた熊が出て被害を出している場所だってあるらしいぜ」

 「熊?」

 想像したらぞっとした。もちろん、北海道とかの人食い熊とは訳が違うのだろうけど、そんなのと通学路で遭遇したらだいぶ嫌だ。さすがにそんな動物は、この辺の山には住んでないと思うけど、猿だって今回出るまでは、こんなところにいると思わなかった。

 庭先から見える裏山は、紅葉には少し早いけどだんだん黄ばんだ色をしてきていて、まさしく秋の風情だ。でも遠目に見える山はあくまで山でしかなくて、その中にどんな動物が住んでいるのかなんて到底見分けられそうもない。意外と近いあの場所に、猿や熊みたいなちょっと怖い野生動物が住んでいるのかもしれないと思うと、少しだけ背筋が寒くなった。

 不意に兄貴の掌が頭の上に乗る感触がした。

 「柿は垣に通じる。里人には結界ともなる存在だが、どっちかと言わずとも神に近い」

 見上げると兄貴は庭の奥の方を指さした。その奥に、色づいた葉を残すばかりのうちの柿の木が見える。

 「神は恩恵と災厄をどちらももたらす存在だが、きちんと祀れば災厄は最低限に抑えられる。柿の木だって、人間の手が入れば人間側に肩入れをしてくれるし、放置すればどんどん山のものに近づいていく。別に柿の木の世話をしないのは人間の勝手だが、そのせいで荒ぶる山のものどもに襲われるようになっても自業自得だぜ」

 ふと、どこか遠くでぱーんと乾いた音が響いた。思わず肩が跳ねる。

 「猿、撃たれたのかな」

 もう一発銃声が聞こえた。兄貴はふと黙るように口元に指を当てる。そしてにやっと笑った。

 「外したな」

 「わかるの?」

 「一発目も二発目も上を向いた猟銃の音だ。動く猿に弾を当てるのは難しい。とどめを刺す気なら、下向きの音がするはずだ」

 兄貴ほどは音を聞き分けられないけど、そんないい加減な説明でも少し安心した。ちょっとため息をついたら、兄貴にくしゃっと髪の毛を掻き混ぜられた。

 「うちの柿の木の梢のところ、見えるか?」

 兄貴に顔を寄せられて、思わず視線の先を追いかける。庭の端の柿の木の、風が吹いた調子に葉がめくれて、梢に残った実が見えた。一番高いとこになった実を一個だけ残しておくってのは、どこかで聞いたような気がする。

 「猿にお裾分け?」

 本当は小鳥に取っておいてあげるものだったっけ、と思っていたら、兄貴がちょっと頷いた。

 「あれは木守って言って、山の神用に取り置きしているんだ。あれを取ってしまうと柿は完全に人里のものになってしまう。山の恵みに期待するのなら、山神との繋がりはほんの少し残しておく方がいい。そうしたら山から迷い降りたもんも、迷わず山に戻れる」

 ふうん、と相槌を打つと兄貴はもう一度頷いた。そしてくしゃっと頭を撫でた後、また柿の実を剥き始めた。

 柿は大半を柿暖簾にして、少しだけさらし柿にすることにした。焼酎に柿をくぐらせて、袋に詰めて密閉する。この時期なら一週間くらいで渋が抜けてくるらしい。形のきれいな柿を選んで焼酎でひたすら晒していたら、軒に柿をひもで縛っていた兄貴が間抜けな声を上げていた。

 「?」

 「小学校からの速報メールだ。例の猿、さっき山に帰ったらしいぞ」

 懐から出した携帯電話を指先で突いた後、兄貴はこっちを見てこっそり笑った。思わずにやっと笑い返す。

 ふと庭の柿の木に目を向けると、枝の途中に何か見慣れない影が動いた気がした。梢の木守に手を伸ばそうとして、ふとためらうように動きを止めると、実を取らずにそのまま立ち去った。多分渋柿だからだろう。

 さらし柿の渋が抜けたら、こっそりお裾分けをしよう。兄貴と二人で食べるには、いかんせん多すぎるし。



たんたんころりん


【分布】

 確認地は宮城県。

 但しカキノキ自体は温暖な気候を好むため、東北地方は日本における分布地の北限に当たる。

【形態】

 大柄で赤ら顔をした男の姿。場合によっては僧形。

 【生態】

 カキノキを収穫せずに放置しておくと、夕暮れ時に変身する。村中の家の前に熟れた柿の実を置いて回り、人に見つかる前に家に帰ってくる。

 基本的には無害な妖怪であるが、人の姿をしているときも、排泄物も柿の味がするため、人に試食を進める姿が実にいかがわしい。

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