episode40 深深度掘削
大陸から約107海里離れた沖。
キロに換算すると大体200km離れた場所が、今回の掘削予定地点。
現在、掘削調査船アルカイムは前回潜航調査した場所に昨日到着し、DPSを起動させたのだが――
「きゃ!」
「おっと」
天候が荒れていて、海上待機している状態だった。
揺れの少ないこのアルカイムでも、足元がふらつく程に海面は荒れていた。
倒れかけたシャーリーの背を支えて、揺れが収まるのを待つ。
「大丈夫か?」
「えっ!? う、うん……だいじょぶ」
少し顔が赤い。
体調不良か?
気分が悪くなっているわけではなさそうだが、この悪天候だ。
体調を崩してもおかしくはない。
「気分が悪くなったら気にせず言えよ。この船がここまで揺れるなんて珍しいからな」
「ホント、大丈夫だから!! でも、本当にアルカイムでここまで揺れを感じたのは初めてよ」
まぁ、海上は天気が荒れる時は荒れるからな。
しかし、今まで少し天気が崩れて波が高くなってもびくともしなかったこのアルカイムで揺れを感じるというのはシャーリーにとって衝撃なのだろう。
俺もそうだけど。
「もしかして……ソル様の遺跡を掘ろうとしてるからかな?」
「はははっ! そんなバカな。ただの偶然だよ」
シャーリーが不安気にそう言うものだから笑って否定した。
その証拠に先日打ち上げた気象衛星からの情報で、今日の深夜には嵐は過ぎるという予報が立っている。
「そっか……ところでアーサー?」
「ん?」
「も、もう大丈夫だから……その……手……」
「手?」
そう言われて、今の今までシャーリーの肩を抱いて支えていたことに気がついた。
うむ、これは失敬。
「ごめん、ずっと抱きしめてたな」
「ううん! いいのいいの!! だいじょぶだいじょぶ!!」
抱いていた肩を離したら、顔を真っ赤にして慌てた様子でシャーリーが離れた。
うむ、軽率だった。
反省しよう。
少しギクシャクしながら、向かっていた食堂に辿り着くと、ローレルリングさん……ユースティアナさんとそのお付きのマティルデさんがティータイムを取っていた。
今後会わないと思ってたから敬称で呼んでたけど、なんか今後も会いそうだから名前で呼ぼう。
「あら、シャーリー、ごきげんよう」
「ごきげんよう、ティア。さっき大きく揺れたけど大丈夫だった?」
「ええ、大きく揺れたと言っても「この船では」でしょう? 私達からすれば揺れのうちに入らないわ。ねぇ? マティルデ?」
「ええ、むしろここは船の中なのだと認識できて安心しました」
「あらそう……私、いつのまにか揺れない船に慣れ過ぎたのかな?」
逆に俺は機帆船に乗ったことがないからどれだけ揺れるのか知らないんだけど?
そんなに揺れるの? 機帆船って。
そういえば、今まで船酔いする人に出会したことないな。
あれか、耐性が付きすぎてこの程度の揺れは揺れとして認識していないのか。
たまげたなぁ。
「ところでアーサー様? もう掘削予定地点には到着しているそうですが、掘削は可能なのでしょうか?」
「ええ、明日は晴れる予想なので掘削は明日からになります。もっとも、準備も明日からになりますが……」
荒天状態でドリルパイプの構成をしていたら事故の元だ。
よって今はドリラーズも含めて全員が船内待機で甲板上には出入り禁止にしている。
ドリルフロアは船内を通って行くことはできるからドリラーズハウスへは出入りを許可しているけど。
「準備……6km分のパイプを繋げなければならないんですものね」
「しかもそこからさらに1000m追加よ。合計で7kmだわ」
「7km……それを一点に向かって降ろすなんてすごいわね」
「大体、王城の頂点から裁縫糸を垂らして、地面にある針の穴に通すぐらいの難易度だそうよ」
「ぐらいで済ませていい難易度じゃないわね」
シャーリーとユースティアナさんが和気藹々と会話をしている。
なんとものほほんとしているな。
研究時に使う付箋やらなんやらの準備も午前中に終わっちゃったからなぁ。
やることがない。
「どうぞ、アーサー様」
「えっ? あぁ、これはどうも。いただきます」
これからどうしようか悩んでたらマティルデさんが紅茶を淹れてくれた。
差し出されたカップを受け取り、口にする。
爽やかな渋みが舌を包み、フレッシュな香りが鼻を抜ける。
非常に美味しい紅茶だった。
「……美味しい」
「ありがとうございます」
「もしかして、いい茶葉を使ってたりします?」
「いえ、食堂に常備されている茶葉です。あちらから頂戴致しました」
付き人さんが四つ指で指した先には昨日俺も淹れて飲んだ茶葉があった。
えぇ……俺が淹れた時こんな味しなかったけど?
「淹れ方でこんなに変わるのか……」
シンシアの淹れた紅茶もすごいけど、マティルデさんの淹れた紅茶も甲乙付け難い程に美味だ。
「どうかなさいましたか?」
「いえ、技術の差を見せられて驚愕しただけです。また飲みたいくらいですよ」
「私でよければいつでも淹れて差し上げますよ」
「それは嬉しいです。その時はお願いしますね」
さて、美味しい紅茶も頂いたことだし、自室に行って調べ物しようかな。
「じゃあ、シャーリー。俺は部屋に戻るわ。どうぞごゆっくり、ユースティアナさん」
「ありがとうございます」
「じゃあね」
というわけでシャーリーとユースティアナさんに挨拶をした後、俺は部屋へと戻った。
◆
アーサーが部屋へと戻って行く姿を見送り、姿が消えたところでユースティアナがシャーリーに嬉々として話しかけた。
「……ねぇ、シャーリー! 私名前で呼ばれたわ!!」
「喜ぶとこそこ!?」
名前を呼ばれただけでこのはしゃぎよう……シャーリーは少し引いていた。
「名前を呼ばれたことがなかったから新鮮! 私も名前を口にされるだけでこんなに嬉しく思うなんて思わなかったわ!」
「恋してるわねぇ」
シャーリーは頬杖をつきながらユースティアナのはしゃぐ姿を見つめる。
(そういえば……私も名前を呼び捨てられた時は嬉しかったっけ)
さん付けではなく呼び捨てられたことで仲間として受け入れてくれた……そんなふうにシャーリーは捉えていたのだ。
だからユースティアナの気持ちもわからなくはない。
はしゃぎすぎている気がしつつも、シャーリーは口を開く。
「今回の掘削調査はかなり難しいのは知ってるでしょ? あまり浮かれすぎないようにね」
「わかっているわ。でも、今だけは浮かれさせてちょうだい」
「もう……」
シャーリーの注意を受け入れながらも、顔を緩ませるユースティアナに呆れながらシャーリーはティーカップを傾けた。
◆
――翌日。
昨日までの荒天が嘘のような晴天となり、雲一つない青空が天頂いっぱいに広がっていた。
ということで、今はドリルパイプを四本ワンセットにしてトップドライブ近くにあるパイプラッキングシステムに準備していく作業が開始されていた。
とはいうものの、この辺りはマシューさん達、元アンカース社のドリラーズの方々の領域。
しかも、今回はマシューさんも不安があるのか、エレナの実家であるグリント社からも何名か派遣して頂き、乗船している。
ヴェリタスもアルトゥムも海底でトラブルがあった場合に備えてアルカイムに同伴してくれている。
ヴェリタスは運航時に波を起こすから、その情報をやり取りするためにヴェリタスにもDPSを搭載させた。
もうなんか、総力戦になってんな。
「ねぇ、アーサー? 今回はなんでアルトゥムも持ってきてるの?」
「そうだよね。ROVがあるんだからアルトゥムはいらないんじゃ?」
自室でドリルフロアの様子を見ているとシャーリーとカレンからそんな質問がきた。
なんで俺の部屋に二人がいるのかというと……というか、部屋にいるのはこの二人だけじゃない。
「そういえばそうだよね。ドリルの様子を見る為だったら……えっと……なんだったっけ?」
「アンダーウォーターTVという映像送信魔道具のことか? エレナ」
「あっ、そうですそれです」
「UWTVはドリルパイプに通すようにして潜航させるのでしたか? シンシアさん」
「はい。もう既にライザーテンショナーとムーンプールがあるアッパーデッキに用意してますよ」
「アッパーデッキ……というのはどこにあるのですか?」
「ドリルフロアの下にございます。ユースティアナ様」
「そうなのですね。いろんな場所に名前があるから覚えきれなくて……」
「ふふっ、そうですね。聞き馴染みもありませんし」
「皆様、お茶のおかわりはいかがですか?」
なんかもう……皆。
そう、エレナとエリオットとレイとシンシア、ユースティアナさんとマティルデさんも皆、俺の部屋に来ていた。
こんなに入っていて狭いは狭いのだが、ぎゅうぎゅう詰めじゃないのは、広い首席研究者専用個室であるからなんだけど……
「別にここに集まらんでも……」
「今まで一緒に冒険してきた仲間じゃない。つれないわね」
「そうかもだけどさ」
狭いやん。
「それで? 実際なんでアルトゥム持ってきたの?」
「理由としてはウェルヘッドが外れなかった時の最終手段の為になるな」
「ウェルヘッドの?」
「ウェルヘッドって今まで遠隔でドリラーズハウスから外してたよね? なんで今回はそんなことするの?」
シャーリーとカレンからそう言われたから答える為に口を開こうとしたら、ユースティアナさんが恥ずかしそうに小さく手を挙げていた。
「あのぉ、ウェルヘッドというのは? すみません、不勉強で……」
「ああ、すみません。ウェルヘッドというのは坑口装置のことです。ケーシングの済んだ穴に設置して、その穴にもう一度ドリルパイプを入れて本掘削を行うんです」
「そ、そうなんですね……それってどうやって取り付けるんですか?」
「ドリルパイプの先端に取り付けて、坑口に設置するんです」
「その取り外しを今まではこの船から実施していたってことですね」
「そうです」
というわけで、話を元に戻す為、シャーリーの方へ向く。
「今回は今までとは比べ物にならない程の大深度。その水圧は知っての通りだ。その水圧のせいで今までの取り外し機構は使えないことがわかって、新規開発するしかなかった」
「あぁ、それが上手く動くかわかんないからってことね」
「そう。試したくても6300mクラスの水深がある場所がルインザブの近くにないからな。テストの為だけに遠征するには金がかかりすぎるし」
「だからぶっつけ本番ってわけね」
「一応、耐圧殻を試した時の高圧試験槽で試して動作確認はしたけど、上手くいくかわかんないからな」
モニターを見るかぎりだと順調に準備は進んでいるようだ。
まぁ、ここまでは通常通りだからなぁ……掘削作業に入った後が怖いんだよな。
「今回6348m下の海底でさらにそこから1000mでしょ? 時間どれだけかかるんだろうね?」
「ドリルパイプ引き上げに大体十時間半かかるわね」
「あぁ……やっぱりそれくらいかかるかぁ」
「ドリルの構成変えるごとにこれだから、今回かなり時間かかるわよ。本掘削に入るまで」
カレンとシャーリーが他愛のない会話をしている。
うーん……なんか手持ち無沙汰だな。
「……茶菓子欲しいなぁ」
「お持ちしましょうか?」
俺の口からこぼれた言葉をシンシアが聞いていたらしい。
「いや、自分で取りに行くよ」
「いいですよ、私が持ってきます。マティルデさんもどうですか?」
「ご一緒します」
断りを入れたがシンシアは既にやる気で腰を上げていて、マティルデさんを誘って食堂に向かってしまった。
「まぁ、ゆっくりできるのは今だけだからなぁ」
その後、戻ってきたシンシアとマティルデさんが振舞ってくれたお茶菓子とお茶は最高に美味しかった。
俺、紅茶が好きになりそうだ。
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