episode.41 好奇心


 二人が同時に距離を詰める。


 剣と身体が一つになったような動きで二人は剣を交えた。


 ノアの動きがリラの目にも分かるほど明らかに変わっていた。完全に二人だけの世界に入った彼らには、もう周りなど見えていないようだった。互いの命を削り合う重厚な金属音と二人の呼吸の音だけが響いている。一瞬足りとも気を抜けば命が危うい、殺伐とした斬り合いだった。手合わせというよりも、本当に命の奪い合いをしているかのようだとリラは思った。

 

「まだ不服か?」


 肩で息を切りながら好戦的にノアは言う。普段の冷静な彼からは想像もできないほど荒々しい口調だった。綺麗に整えられていた前髪がさらりと乱れている。


 享楽を得たようにリオンはノアに熱っぽい眼差しを向ける。ノアと同じようにリオンもまた息を弾ませていた。


「……っは。いや? 良い。堪らないな」


 広い庭を余すところなく使い、大胆かつ繊細な剣技を繰り広げていく。リオンの剣先がノアの上腕を僅かに掠める。シャツに出来た浅い切り込みから血が滲む。ノアはそれを気に掛ける様子もなく身体を素早く回転させ、リオンと交戦を続ける。


 リオンの体の動きに合わせて長い髪が振り乱される。真冬の風のように冷たい色をした刃の光がリオンに向かって美しい弧を描いて落とされる。リオンは地面につきそうなほど姿勢を低くしてそれを交わす。彼の動きに追いつけていない、絹糸のようなグレーの髪が数本切れ、ふわりと宙へ舞った。


 たちまち姿勢を元に戻し、構え直したリオンにノアは斬りかかる。


「そろそろ終わりにするか」

「ああ」


 ますます二人の剣戟は激しくなる。リオンと剣を交わせば交わすほどにノアの動きは格段に良くなっていく。その吸収力には目を見張るものがある。リオンは楽しくて仕方がないと言った様子だった。

 


 長い時間に渡って、互いに一歩も引かぬ攻防が続いていた。ノアに生まれた刹那の隙を逃さず、リオンはその首にそっと刃先を当てる。気配の一つすら感じさせない動きだった。

「後半は悪くなかった」

「そうか。これでもまだ加減をされているのが癪だが」



 リオンはノアの首に当てていた剣を下ろし、鞘に仕舞う。ノアは手の甲で額に浮かぶ汗を拭った。リオンは乱れたままになっているノアの前髪を事もなげに直してやる。それから転げ落ちたままになっていた鞘を拾うとノアに手渡した。ノアは鞘を労るように、土埃を優しく手で拭った。


「……お前。序盤から凄まじい殺意を向けてきたな。流石に身の危険を感じたが」

「あれぐらい、お前なら躱せるだろう。いつも言っているが」


 リオンは火照った顔に儚げな笑みを浮かべる。彼の顔を染める熱は動いた後で上がった体温のせいか、彼の心を焼き焦がす熱のせいか、それともまた、その両方だろうか。恋する乙女のようないじらしさがある表情は蠱惑的ですらあった。


「俺は本気のお前と剣を交わしている時が一番楽しい」

「呆れた。そうだとしても、もっと他のやり方があるだろう」




 二人は話をしながらエントランスまで戻ってきた。先程までの恐ろしい殺気はもう感じられない。


 リオンは結んでいた髪を解いた。いつもの見慣れた姿に戻ったリオンは腰の剣を外しながら言う。

「長らくお待たせ致しました。少しは暇潰しになりましたか、リラ様」

「暇潰しどころではなく寿命が縮まる心地がしました」

「はは。そうですか」

 爽やかに笑うリオンにリラは疑惑の目を向ける。


「もしやリオン様は二つの人格をお持ちなのですか……?」


 リオンはキョトンとした顔をする。


「素が出てしまっただけです」

「え」


 真顔でその話を聞いていたノアはリラに目線を合わせ、言い聞かせる。


「気をつけろ。人は見た目によらないからな」


 ノアの背後ではリオンがにこやかに頷いていた。彼らが言うと、説得力が段違いだった。


「……勉強になりました。それよりノア様。傷が」


 リラはノアの左腕を指差す。リラに言われて初めて、彼はそのことに気が付いたらしい。

「本当だ。よく気が付いたな」

 その傷を見たリオンは心底申し訳なさそうな顔をする。

「結構深く切ってしまったな。すまない。夢中になりすぎた」


 一度エントランスに入ったリオンはどこからか薬箱を持ってきた。ノアの服の袖にできた細い切れ目に指を差し込み、リオンは器用に消毒をしていく。袖を捲った方がやりやすいだろうにと思いながら、リラは彼らの様子を眺めていた。手当てをされながらノアは言う。

「リオン、私は森の結界の確認に行ってくる」

「了解。一度着替えるか?」

「いや、いい。直ぐに帰ってくるからな。上着だけ貰えるか」



 手当てを終えたリオンは、再びエントランスに戻ると上着を持って来た。リオンの手を借りながら、上着に袖を通しているノアにリラは尋ねる。


「森の結界ですか? 確か、私が倒れていたとかいう」


 襟首を整えながら、ノアは視線だけをリラに向ける。

「ああ」


「ノア様、ノア様」


 突如目をキラキラと輝かせ始めたリラに、ノアは奇妙なものを見る目をしている。


「……どうした」

「私も行きたいです!」


 その瞬間、ノアは露骨に眉間に皺を寄せる。リオンは悩ましげな顔をしていた。


「何故そのようなところに行きたいんだ? 何も無いぞ?」

「私が倒れていたのがどんなところなのか興味があります」

「だが……」

「危険な場所では無いし、一緒に連れて行って差し上げたらどうだ、ノア。中にずっといらっしゃると息が詰まるんだろう。」

 渋っているノアにリオンが言う。リラはリオンの援護に心の中で感謝する。

「ご迷惑にならないように大人しくしていますから! お願いします」

「…………分かった。仕度は?」

「このままで良いです」

「そうか。ここで待っていてくれ」



 ノアは栗毛の馬を連れて戻ってきた。リラは馬の顔に手を伸ばしてみる。肉付きが良く、丁寧に手入れされた毛並みは艶やかだ。筋肉質な体に長い脚をしており、見るからに速く走れそうだ。馬はリラの手に吸い寄せられるように、くんくんと鼻を擦り寄せた。その体からはお日様のような温もりが伝わってくる。


「ふふっ。よろしくね」

 リラを見つめる、くりくりとした丸い大きな目は愛らしい。西の森に向かった時は急いでいたためよく見ていなかったが、非常に賢そうな顔をしている。

「可愛いお顔をしていますね、この子」

「そうだろう」

 ノアが馬のサラサラとした立髪を撫でる。その手付きから本当に彼がこの馬を可愛がっていることが伝わってくる。馬は気持ちよさそうにノアに身を任せていた。


 一頻り馬と戯れた後、リラはノアの方へ向き直った。

「では早速、行きましょうか!」

「ああ。少し触れても?」

「どうぞ」

 彼を受け入れる様に、リラは彼の方に向けて大きく手を広げる。彼は僅かに目を見開いたが、すぐに表情を戻した。リラをサッと抱き上げると、優しく鞍の上に座らせた。ノアも馬の上に跨ると、逞しい左腕でリラの腰の辺りを支える。

「行ってくる」

「気を付けて」

 リオンと短く言葉を交わすと、ノアは右腕だけで器用に手綱を捌いた。馬は少しずつ加速していく。

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