第七話 常夜灯
六月三日。久しぶりにサー室のドアを開けると、前と同じ席にハヤトとセキがいた。ウチが座ってた場所だけ空いていて、それは二人が用意してくれた居場所で、少し悪いと思う。
「おかえり、りっちゃん」とハヤトに言われると、中原家に出入りしていた時を思い出して申し訳なくなる。「この前はひどいこと言って悪かった」セキが頭を搔いているので、「ウチも言い過ぎた。ごめん」と素直に謝れた。
「ハヤト、セキ。聴いてほしい。『常夜灯』」
心臓がバクバクしてくる。本当は今すぐ飛び出して、アイスでも食べながら好きな音楽を聴いていたい。でも何かが変わるはず、変わって欲しい。だから逃げない。ロクのキーボードが聴こえる。ギターを鳴らして口を開く。
『のらりくらり
――一瞬だった。今のウチの精一杯、全てを詰め込んだ。目を閉じて開けない。
怖い。ウチの分身と言えるこの曲が否定されることが何よりも怖かった。お願いだから否定しないで……。
「……あっはは! めっちゃかっこいい。これお前たちで作ったのかよ。すげーな」
「本当に?」
「うん。すごく良い歌だよ」
「良かった……」
自分を認めてもらえた。分かってもらえた。嬉しくて泣けてきた。
「良かったね」
ロクは手を伸ばしてきてウチの涙を拭った。ごく自然なその仕草に違和感はなかった。
「あーあ、こんなの聴かされて、りっちゃんががんばろうとしてるのに応援しない訳にはいかないだろ。てか、六反田が俺らのバンドに入れば丸く収まるのによー」
ハヤトの包み込んでくれる温かさが当時のウチには必要だった。
「俺、お前たちのファン一号になったわ」
セキはいつも真っ直ぐで、ウチも真っ直ぐに返せた。
「お前がファン一号嫌だわ」
「は? ファンクラブのファンクラブができるくらい良いだろ」
なんか笑えてきた。くだらないことで笑い合える、この空間が大好きだった。
「ウチ、ハヤトとセキのこと好きだよ」
「え? なんて?」
セキが嬉しそうに聞き返してくる。
「自分のことももうちょいで好きになれそう。もう少し色々とやってみたいんだ。それにはロクが絶対必要。だから、軽音抜けさせてください!」
胸につっかえていた小さなモヤモヤが、どこかに吹っ飛んでった。
「そんな笑顔で言われたら断れないよな」
「頑張れよ、応援してる」
そうして曲の終わりにしていたように、軽くハイタッチした。
帰り道、興奮が冷めないままアトリエに行って歌った。歌える。楽しい。こんなに音楽を心から楽しめたのは、小三での母親の再婚以降初めてだ。七年目の春、ウチは自由になれた。
「ロク、ありがとう。あたし、ロクに会えてよかった」
「僕も楽しかったし、ありがとう」
「よし、次の曲作ろ! 他にもイメージきてるし! ねえ、バンド作ろうよ」
「バンドって二人で?」
「うん。ウチはベース練習するから、ロクはボーカルとギターかキーボード。絶対面白いよ! 他のメンバーは、ロクの好きなようにしていいからさ」
ロクは顔を曇らせた。ロクは、海でも近くに人がきたら歌うのを辞める。あんなに綺麗な歌声なのにもったいない。ロクの声は絶対この世に知られた方がいい。
「サマーウィークも目指そうよ! 優勝したら全国デビューだよ。あははっ、やばくない? ウチ、今すっごく生きてるって感じする!」
途中で買い込んだ大福アイスを頬張ったあと、二階の窓を開け放して大きく息を吸う。優しい磯の香り。海面にきらきらと光が映っては消えている。前のウチは、世界がこんなに綺麗なことに気づけなかった。ううん、違う。綺麗も汚いも最初からなかったんだ。
横をちらりと見る。ロクは息をするように歌う。ウチが息をさせてやるんだ。
夏が近くなって、練習場所にしてたくじらに客足が戻ってきた。元々海開きまでの約束だったからお礼を言ってくじらを出た。サー室をもらいに行ったけど、三人必要とかで断られた。
居場所がないウチらは、校舎裏で練習して怒られ、土手に移動して怒られて、カラオケに移動してお金が無くなり、少し遠い広めの公園に移動した。そこは猫の集会場だったみたく、ウチらの観客は猫だった。居場所がないことさえ心地よくて、それっぽいと思った。
その後も二人で曲を作った。音はいいと思う。でも正直歌詞は微妙。
「律も作詞手伝ってよ」
「やだ」ウチが即答すると、「なんで?」って聞き返された。
「ウチ、言葉にするとなんか軽くなるし、あんま好きじゃない」
「言葉はステレオタイプかもしれないけど、理解したいっていう思いやりもあると思う」
静かに並んでった言葉は正直意味分かんなかったけど、ロクが言うならそうなんだろう。
「良い人がいるんだけど、声をかけていいかな」
「誰?」
「野球部の佐藤くん」
「……いや、誰」
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