第11話 キス顔


 魔王室にモモがやって来た。


「お前、怪しまれるから頻繁に来るなっつの」と咎めるが、モモには響かず「本当はモモに会いたかったくせにィ〜。素直になれよ? な?」とウザい返しをされる。


んだから、もうちょっと慎重に動いてくれない?」


 そのタイミングでガタガタガタッと本棚に収まっていた本が何冊か落下した。

 俺とモモの視線が本棚に向いた。

 明らかにおかしい怪奇現象に俺とモモは沈黙する。

 それからゆっくりと目を合わせた。


「風ですね」とモモが断言した。

「本棚に入ってる本が風で落ちることあるか……?」

「でも、モモの生命探知センサーには、ダーちゃんさんのクソ雑魚反応しかありませんですし、おすし」


 釈然としないが、モモがそういうなら、そうかもしれない。俺は腑に落ちない感を横に押しやり、雑巾でモモの顔を拭いた。


「あびゃびゃばぁちょ、ちょ、やめ、やめてくださいィ〜!」とモモがぽかすか叩いてくるが全く痛くない。多分、俺に危害を加えないよう命令してあるからだろう。

「ごめん、顔が汚れてると思ったら目と鼻と口だった」

「汚れてるのはダーちゃんさんの心ですゥ!」


 あははは、とモモと戯れていると、突如ドォンと何かが床に打ち付けられる衝撃音とガラスが割れる音が重なって鳴った。

 俺とモモはびっくりして音の方へ顔を向ける。また別の本棚が倒れ、本棚のガラス扉が割れてまき散っている。

 しかもその本棚は真ん中ら辺がひん曲がり、激しく損傷していた。倒れただけで、本棚はこんなことにはならないと思うのだが……。


「風ですね」とモモがまたも断言する。

「いや、風で本棚は倒れないだろ、流石に」

「でも、モモの超高性能マイクには、ダーちゃんさんがモモを見て性的に興奮する『ハァハァハァ❤︎』って吐息しか聞き取れないですし、おすし」

「興奮しとらんわ!」


 モモのどこに興奮する要素があると言うのか。確かに顔は可愛くてメイド服で俺に従順ってのは100点満点のシチュエーションだが、それは生身の人間である場合だ。モモはアンドロイドなのだ。モモと結ばれてもアニメのヒロインを『俺の嫁』と本気で言うような虚しさが残るだけだろう。

 モモは散らばったガラスや倒れた本棚はあまり気にならないようで——メイドなんだからちょっとは気にして欲しいのだが——そんなもの初めから眼中にないようにこちらに歩み寄る。


「そんなことより、モモにかけたこの呪いを——」とモモが言いかけた時だった。モモが何かに躓いて、よろめいた。「ぁ、っと、っと、とと」とバランスを崩して、倒れそうになる。

 床には本棚の割れたガラスが散らばっている。俺は反射的に身体が動いた。


「モモ! 危ない!」


 モモを抱きかかえて、床に背中をつく。ガラスの破片がいくつか背中に刺さった。

 呻きながらも、モモの頭に手を被せて、モモの安全だけは確保できた。


(いってぇ〜……なんか……懐かしいな、背中のこの激痛)


 俺が前世で死んだ時も背中刺されたな、と懐かしむ。

 そういえば、あの時、近くにいたあの女子高生——あの後大丈夫だったんかな。ふと、そんなことを思い出した。


「モモ……大丈夫か?」


 モモは俺の胸の中で、借りて来た猫のようにおとなしく丸まっていた。

 

「もも?」と再び呼びかけると、バシッとモモの頭に置いていた手を弾かれた。

「モモを離してくださいィ! この変態ロリコン野郎がぁ!」と腕の中で暴れる。

「ちょ、暴れんな! まだ背中にガラス刺さってんだから!」

「どう言うつもりですか! モモちゃんルートを攻略するつもりですかァ! ダーちゃんさんみたいな冴えないロリコン野郎、好きになる訳ないです! 魔王様風に言うならありえんてぃです! アリエンティヌスですぅ!」

「分かった、分かったから暴れんなっつの!」


 暴れるモモを押さえようと腕に力を込めていたが、よく考えたらとっとと解放した方が早いと気付き、俺はぱっとモモを離した。しかし、モモは離されるとは思っていなかったようで、バランスを崩して再び俺の上に覆い被さるように倒れて来た。


 モモの顔がすぐ目の前にあった。

 モモの吐息が俺の口にかかる。アンドロイドのくせに、妙に温かくて湿った吐息に、ドキリとする。

 モモと目が合った。モモは頬が赤く上気し、目はとろん、と蕩けている。

 モモの艶のある唇がゆっくり、ゆっくりと近づいてくる。ひょっとしたら近づいているというのは錯覚か、と思えるくらいゆっくりと。


 異変が起きたのは、もうモモと唇が重なる、という時だった。

 モモの湿り気を帯びたとろけ顔が突如として魚になった。比喩ではない。まんま魚である。真ん丸の目の中に大きな真っ黒な瞳が収まり、尖った口はなぜか少し開いている。エラはぱたぱたと動き、光った鱗が眩しい普通の魚。

 ——いや、違う。多分これ……


「……キス? 魚の」と俺が横たわったまま呟くとモモは「ぽんぴ〜ん! ぎょぎょ! ですぅ」とはしゃいだ。

「モモがダーちゃんさんにチューするわけないですゥ! ギョギョギョぉおお」


 モモが憎たらしい魚顔キス顔で煽ってくる。というかどうなってるんだ、コイツの顔。アンドロイドだからってそんなことも出来るのかよ。

 モモはギョギョ、ギョギョギョぉお、とふざけ倒していた。本当にキスを命じてやろうか、このアホロボ。


 しかし、次の瞬間、モモの魚顔キス顔が凍りついた。当然俺の顔もである。


 唐突に魔王アリスがすぐ隣に現れたのである。


(これ……やばない?)


 絶対に笑っていい場面ではないのに、モモのさかなな横顔に吹きそうになり、唇を噛んでギリギリで耐えた。

 ——が、モモがおもむろに魚顔キス顔を俺に向けて来て、流石に堪えきれずに吹いた。

 俺は一生モモを許さない。

 

 

 

 

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