第8話 潜在力


 静寂が包む魔王アリスの自室。俺はベッドに座り、出入口のドアの方を向かされていた。

 

 背後で布が擦れる音がやけに大きく聞こえる。周りが静かだから大きく聞こえるだけなのか、アリスがあえて音を立てて着替えているのか。

 朝食後、魔王アリスは「着替えるから、ちょっとあっち向いてて」とだけ言うや否や、手を前にクロスしてパジャマの裾を掴み出したので、俺は慌てて後ろを向いたのだ。

 ただ着替えているだけ、というのに俺の心臓はバクバクと元気に暴れる。


「ア、アリス様。もうよろしいですか?」


 布の音が止まったので俺は後ろを向いたまま訊ねるが、返答はない。振り向いてまだ着替えてたらまずいし、かと言ってこのまま後ろを向いたままというのも、と困っていると、不意に背中にのしかかるようにアリスが抱きついて来た。

 チェック柄のブレザーに包まれたアリスの腕が俺の顔の前でクロスする。背中に柔らかい感触が当たってふにゅっと形を変えるのが伝わって、俺の緊張は最高潮に達した。賭けでタッチしたモモのソレでは太刀打ちできない興奮が沸き上がる。そもそもモモはアンドロイドだからノーカンだ。


「ウチ、これでも魔王じゃん? 仕事ができるしごできバリキャリだからさぁ、ウチいないともうまぢ無理、みたいな? ごめんね。てなわけで、お仕事行ってくるね」


 チュ、と後頭部で音がした。バッと振り返ると魔王アリスはもういなかった。速い、という次元ではない。消えた。魔族特有の転移系の魔法だろうか。

 後頭部にそっと手を触れる。微かに湿っている……ような気もする。正直感触は全くなくて、キスされたのかどうか分からない。

 まだドクドクいっている心臓に手を当て「アレは人類の敵」と一人呟いた。


 ♦︎


 ドアがノックされたのは柱の水拭きをしている時だった。

 手を止めてドアを見やる。が、誰かが入ってくる気配はなかった。

 俺は部屋の主人ではないので、返答する義務は——もとい権利はない。再び水拭きを再開させる。

 またノックの音が鳴る。

 俺はノック音をBGMに柱につく目に見えないミクロな埃をキュッキュッと良い音を立てて拭き取って行く。

 コンコンコン。

 キュッキュッキュッ。

 コンコンコン。

 キュッキュッキュッ。

 コンコンコンコンコンコンコン。

 キュッキュッキュッキュッキュッキ——


「——ちょぉおおおい! 聞こえてんですけどォ?! キュッキュふきふき、ドアの外まで聞こえてんですけどォォ?!」


 突如ドアが勢いよく開き、桃色髪のちんちくりん——モモが入室してきた。続いて紳士服の初老の男……のような様相をした魔族が入ってくる。


「てか、なんで掃除してんです? お仕置きですか?」とモモがぷぷっと嘲笑う。

 こいつ……。全裸でソーラン節踊れ、と命令したろうか。いや、隣に知らない魔族がいる。モモが俺の支配下だとまだバレたくない。今は我慢か。


「なんとなく魔王様のヒモみたいで嫌だからだよ」と仕方なく答えると「事実、ヒモじゃないですか。というか寄生虫?」と失礼な返答が返ってくる。後で覚えてろよ。


「ほぅ。コレが例の魔王様のお気に入りネ」と紳士服の魔族が筆のように立派な髭を撫でながら呟く。


 俺は即座に跪いて顔を伏せた。多分、幹部だ、と思ってのことだ。


「モモに対する態度とずいぶん違います。モモも幹部なのに」

「モモ様はアホ故」と返答しておくと、「誰がアホですか!」とモモは憤慨しだした。


「ワタシはジェネット。魔王軍幹部の1人ネ。キサマのコトを調べに来たネ」


 調べに、だと? 跪いたまま、ジェネットの動きに警戒する。モモのように、簡単に騙せるとはとても思えない。モモは幹部の中で最底辺の知能だと思っておいた方がよさそうだ。

「なんか今失礼なこと考えてません?」とモモが睨んでくるが無視しておく。


「立ち上がることを許可するネ」と言われ、俺はスッと立ってジェネットを観察する。特段好意的でもなければ敵意も見られない。腹芸が得意なタイプか。


「魔王様からキサマの鑑定をするよう言付かっているネ」


 魔王アリスから?

 俺はやはりアリスに警戒されていたのか?


「キサマは途轍もない特殊スキルを持っていると聞いてるネ」


 動揺に身体が固まる。ダメだ。ここで反応したら、肯定しているようなもの。とぼけるんだ。


「何のことでしょう。私はしがない農村の小作人の長男です。大した強さもないことは見てお分かりでしょう?」

「特殊スキルはステータスとは関係ないネ」


 くっ。とぼけきれない。

 そもそも何故魔王に俺のスキルの存在がバレた? モモには命令してあるからモモがバラすことはないはずだ。

 で、あれば魔王に相手の保有スキルを感知する能力があるのか、あるいはモモの記憶を読まれたか、だろう。


「そこに座るネ」とジェネットが持っていたステッキで室内の椅子を差す。

 従う他ない。俺は大人しく椅子に座った。

 ジェネットは俺の頭に手を置くと、「魔波鑑定(全)パーフェクト アプレイズ」と唱えた。ジェネットの手のひら——俺の頭のてっぺん——に赤い魔法陣が浮かび上がり、俺をスキャンするように魔法陣が降りてくる。目を通る一瞬赤い眩しさを感じて目を閉じる。あっという間に足まで魔法陣が通過して行った。


「ふむ。『ギャンブラー』ネ。変なスキルネ」

「危険ですゼ、おやぶん」とモモが命令違反スレスレのことを言う。言えた、ということは『セーフ』ということだ。きっとモモの発言は普段から誰もに軽んじられているのでセーフだったのだろう。


「確かに使いようによっては魔王様すら征服できるネ。でもタネが割れてればなんてことないネ」


 くそ。俺の計画は早くも破綻した。最早魔王軍のメンバーをモモのように服従させることは叶わないだろう。俺からの勝負を受けなければ良いのだから。


「安心するネ」とジェネットが怪しく笑う。「ワタシはキサマのスキルをバラすつもりはないネ。モモもそれは出来ないようだし、ネ」


 こいつ……?! モモを支配下に置いていることがバレてる。


「ワタシはフェアな戦いが好きネ。キサマに騙されるならその程度の存在、というだけのことネ」

「誰が『その程度の存在』ですか! 失礼なジジイですぅ」


 この男、味方なのか? と思い始めた時、ジェネットは唐突にステッキで俺の腹を突いた。

 鳩尾みぞおちに入った一撃に、俺はうずくまり、『お゛え゛ぇ』とえずく。


「勘違いしてはいけないネ。ワタシはキサマをいつでも葬り去れるネ。魔王様が用無しになったらワタシが殺すネ。その時はついでにキサマも殺しに来るネ」

「モモのところには来ないで大丈夫です」とモモが片手を突き出して固辞する。


 ジェネットは「今は魔王様に利用価値があるから従うネ」と言って、また俺の頭に手を置き、「特殊スキル『潜在力解放』」と唱える。

 すると、俺の中に霧散していた取り留めのないモヤが圧縮されて濃度が濃くなったような感覚が生じた。


 なんだ、これ……。

 今まで使ってきたスキルが氷山の一角だとしたら、無理矢理氷山を引っ張り上げて露出面を増やしたような、今までと比べようもなく大きなものに変わり果てていた。

 ジェネットはもう一度、俺に魔波鑑定(全)パーフェクト アプレイズを使用した。


「ふむ。いくつかパワーアップしたネ。まず『ゲーム』中はどんな物理攻撃、魔法攻撃も無効になるようネ。それから『ゲーム』中のあらゆるステータスが底上げされるネ。さらに相手が『ゲーム』とその内容に承諾したら、何を賭けさせるかはキサマが決められるネ。ただし、賭ける物もある程度公平になるものでないと成立しないようネ」


 ツラツラと読み上げるようにジェネットが説明する。俺もなんとなく変化を身体で感じ取っていたため、ジェネットの説明はスッと頭に入ってきた。


「ま、相手がキサマの『ゲーム』の申し出を断ればそれまでね。初見殺し用と言えるネ」

「私も初見でやられました」とモモがえっへん、とない胸を張る。

「オマエはバカなだけネ」とばっさり切られていた。



「なんで」と俺は口をついて言葉を漏らす。「なんで俺を強くするんですか?」


 ジェネットはつまらなそうに冷たい目で答える。「それが魔王様の命令だからネ。そうでなければ、人間如きにワタシの特殊スキルを使う訳ないネ」


 ジェネットはゆっくりと扉まで行くと「魔王様に感謝するネ。せいぜいお気に入りであり続けられるよう頑張るネ」と言い残し、一人出て行った。

 モモも「せいぜい一人で寂しくマスかいてな、です」と卑猥な捨て台詞と共に出て行こうとしたので「モモ、中庭で全裸でソーラン節踊ってこい」とその背中に命じておいた。


 窓の外から元気な声で「ソーランソーラン!」と聞こえたのは、その2分後である。

 

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【あとがき】

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