第5話 強制力


「モモはこんなの認めませんからねー!」


 モモは脱衣所の扇風機の下でブラをつけながら、頬を膨らませて拗ねていた。俺に負けたのが、よっぽど納得いかないらしい。


「認めない、と言われても、もうモモは俺の命令は聞かないといけない体になってるからなぁ」と俺もパンツを履きながらそう告げる。

「はんっ、そんな命令無視しますから! あんなの反則ですぅ!」メイド服をスポッとワンタッチで着て、尚も憤慨している。ぷんぷん、と口に出して言う始末である。

 俺は現状を教えるためにモモに命ずる。

 

「一周回って、ワンと鳴いて」


 モモはクルッとメイド服のスカートをひらつかさせながら可愛くターンすると、両手を胸の前で軽く握り満面の笑みで元気よく鳴く。


「わんっ!」


 ほほぅ。なかなか、と無言で頷いていると、モモは「え、あれ?!」と慌て出した。「なんで?!」


「俺の特殊スキル『ギャンブラー』は勝負で勝った相手から報酬を受け取れるようになってる。敗者は絶対に拒否できないんだ」

「なんだその無茶苦茶スキルぅ!」

「あ、俺のスキルのこと、誰にも言うなよ」

「わんっ!」


 モモが何故か犬語で返答する。

 俺も腐っても転生者だ。チートの一つも持っている。ただ戦闘ではクソの役にも立たないというだけだ。

 だが、ここでモモを仲間に引き入れられたことで、拷問と死しかない俺の未来に少しだけ希望の光が差した。


「待ってください待ってください! なんで?! 命令は一つだけのはずでしょう?!」

「俺は『負けたら勝者の言う事を何でも聞かなくてはならない』と言っただけだよ。一つだなんて言ってない。ずぅっと、だよ。一生」

「そ、そんな……」とモモが膝から崩れて座り込む。

「モモ、喜べ」とふざけて命令してみる。

「ひゃっほォォう! 奴隷になれて最高ォォ!」モモは片手を突き上げて飛び跳ねた。

 ははははは、と指差して笑うと「変な命令しないでくれますぅ?!」と今度は憤慨する。忙しいやつである。


「まぁ冗談はさておき、モモ命令だ。俺に危害を加えようとするな。俺の情報を漏らすな。それから俺の世話係になれるように動け」

「分かりました。果てしなく納得いきませんが、分かりました。でも、世話係はなれるか分かりませんよ?」

「ああ。それはなれたら、で良い。それからもし俺を拷問しようとか殺そうとか、そういう意見が出たら全力で阻止してくれ」

「あー、はい。それは絶対出そうです。かしこまり」


 モモは俺より先に着替えが済んで、脱衣所の出口に歩いて行く。「もういいです? まったくとんでもない日です。最悪です」


 愚痴を垂れながらモモが出て行った。

 俺は鏡の前に座ってタオルでガシガシと髪の毛を拭きながら、考える。


 モモが世話係になれば、俺は日中拷問されないのに加え、自由に動けることになる。そうして、今のモモみたいに一人一人、仲間に落としていき、この城から脱獄する。

 もしかしたらモモ一人の助けでも、逃げられるかもしれない。


(いいぞ。希望が見えてきた。俺が逃げたら人間界はまた魔王軍と戦争かもしれないが、俺を見捨てるような王国滅びれば良い。妹と両親を連れてこっそり隣の国に逃げよう)



 


 俺が脱衣所から廊下に出ると、そこには魔王アリスが壁に背をつけて立っていた。

 俺を見つけるなり、早々に、


「ぇ待って、濡れ髪ダーちゃん、まぢきゃわたーん❤︎」

 

 と小走りに駆け寄って来た。

 ちょっと半分以上何を言っているのか分からなかった。かろうじて『髪の毛が濡れている』という意味だと理解する。


「あ、すいません」と肩に掛けたタオルでまた髪の毛をガシガシ拭くとアリスにその手を掴まれ、手が止まる。「あんまりやるとハゲひよこるよ」


 ひよこ? とさらにハテナマークが増える。もしかして魔王は古代の特殊な言語でも使うのだろうか。さっきから言葉がちょいちょい通じない。

 アリスはそんなことお構いなしに俺の手を掴んだまま、歩き出した。


「さりげ忘れてたんだけど、あれやっとかなあかん思て」


 あれ? あれって何だろう?

 希望が差した矢先のことだけに、少し不安に思いながらも、アリスの所有物である俺はついて行く他に選択肢はない。


 連れてこられたのは真っ暗な小部屋。

 床に魔法陣が彫られ仄かに赤く光っている。

 小部屋に魔王アリスと二人。

 嫌な予感しかしなかった。


 アリスが「バインドチェーン」と呟くと、まるで何かに縛られているかのように身体の動きが止まった。

 恐怖で心臓がバクンバクン脈打つ。目に涙が溜まるのが分かる。

 いよいよ始まってしまうのか、拷問が。自分の浅く早い呼吸が耳障りだった。


「まぢ可哀想なんだけど、即去そくさりされたら、ウチもガチしょんぼり沈殿丸ちんでんまるなんよ」


 アリスが俺の首筋にゆっくりと口を付ける。生暖かいアリスの舌の感覚が首に当たる。ピクっと快感に体が跳ねる。

 ——が、気持ち良かったのは最初だけだった。

 すぐに身体からだ全身が熱くなる。そして、首筋に激痛が走った。


「あ゛ぁあ゛ァァあ゛ぁあああ!」


 絶叫していた。悶え苦しむ。痛みを振り払おうと暴れたいのに、魔法で縛られそれも叶わない。

 痛みが身体中を這い回るように首筋から全身に拡散される。俺はガクガクと痙攣しながら泡を吹いた。思考はとうに回らなくなっていた。

 ただ俺が悶える間中ずっとアリスが俺を抱きしめて「大丈夫。大丈夫だよ。すぐにおさまるから。我慢だよ」と頭を撫でてくれていたのは分かった。





 どれだけそうしていたのだろうか。

 俺は気絶していたようだ。

 気がついたら、魔王アリスの部屋のベッドの上にいた。

 ムクっと身体を起こす。


「あ、起きた?」とアリスが真横で添い寝して俺を見ていた。一瞬怒りが湧き上がるが、『いやでも、元から拷問されるのは決まりきっていたこと』と怒りは即座に霧散し、諦観に変わる。自然と視線が下がった。

俺の様子を察してか、「もうしないから、大丈夫だよ。ごめんね?」と顔を覗き込むように、アリスの整った顔が俺の視界ににゅっと入り込む。


「あれはね。保険なのだよ」とアリスが言う。「まぁ正確には『呪い』だけど。同じようなものだよね」と笑った。

 全然同じではない。180度違う、と言っても過言ではない。


「もしダーちゃんが、ウチの言うこと聞かなかったり、ここから逃げようとしたら、さっきの苦しみが生じるような呪い。それから致命傷を負った場合も、さっき埋め込んだウチの魔力で即時に回復、蘇生するようになってるし」


 血の気が引いた。

 つまり、俺は……もう逃げられない。

 自殺すらも許されない体になってしまった、と。そういうことだ。


「ダーちゃんは激おこかもしれないけど……でもウチ、それでもダーちゃんとサヨナラとかまぢ無理」


 魔王アリスが俺の頬に手を添える。

 その手は温かく心地良いのに、何故か心はざわついた。

 アリスの赤い目が俺の心を乱す。唐突に冷たい深海に放り出されたような不安が雪崩なだれのようにのしかかる。


 アリスが口角を上げて微笑む。薄紅色の艶やかな唇は不気味な程、美しかった。


「どこにも行かせないよ……ダーちゃん」

 

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