第3話 風呂


 なんで、ジベタリアンしてるの? と魔王は首を傾げた。

 そういう魔王アリスはベッドの上に座っている。魔王の自室は過剰な程広い。ベッドは部屋の中央に天蓋付きのキングサイズが一つだけ置かれていた。

 アリスの身体を包むもこもこのパジャマは羊毛だろうか、肌触りが良さそうで温かそうだ。だけど、何故か上衣は長袖なのに、下衣はホットパンツのように短く、アリスの柔らかそうなももが俺の視線をブラックホールのように吸引して離さない。


「俺は人質の身なので」とカーペットの敷かれた床に正座して背筋を張って答える。失礼があれば即座に拷問が始まるかもしれない。せっかく今日は何もされずに終われそうなのだ。ここで失言をする訳にはいかなかった。


「そういう法律があるの? 人間の国では」とアリスは言ってから解せぬ、と呟き渋い顔をした。

「いえ、そういう訳では……」

「なら、いーじゃん。おいで。一緒に寝よ」とアリスが俺に笑い掛けてから「あ、寝るって変な意味じゃないよっ?」と慌てて否定した。アリスの頬が少し染まる。


「いえ、体が汚れているので、ベッドを汚してしまいます故」と俺も慌ててまた固辞する。耳が熱い。何を考えているのだ俺は。相手は魔王だぞ。いくら絶世の美女だからって人類の敵に発情するとは……。くっ、鎮まれ息子。

 

「あー……って、ぇえ?! お風呂入ってないの? あ、場所分からなかった?」

「人質の身で風呂など畏れ多いです」

意味不イミフすぎる。お風呂は入ったほうが良いよ? っぱ男は清潔感よなぁ」とアリスが立ち上がる。俺が反応する前に、いつの間にか俺の背後にアリスがいた。


(……ぇ。ぇえ?! 速い!)


 勇者パーティなど足元にも及ばぬ速さ。速さがある、ということは同時に剣速、殴打速も速いということ。つまり、高威力な一撃が予想される。人類が敵わないわけである。

 アリスはむんず、と俺の後ろ襟を掴み上げると、ひょいっと何故かお姫様抱っこの形で俺を抱えた。


「ちょ、ぇえ?! アリス様! いけません!」

「何が? あ、女子の柔肌ヴァージン系? ウケる」とケラケラ笑うと、そのまま歩き出した。


 俺は『女子の柔肌』よりも『自分の汚さ』と『配下に見られて怒りを買うこと』を気にしていたのだが、アリスに指摘されて『女子の柔肌』の方が次第に気になってきた。

 アリスの綺麗な髪がすぐ近くに揺れる。澄んだ河を思わせるブロンドヘアは首元辺りからカールしてふわりと垂れる。


(やばい……めっちゃ良い匂いする)


 これは魔法なのだろうか。さわやかだけど、ほのかに甘くて頭がぼんやりするような香りに自然と顔がアリスに少し寄る。

 ん? とアリスが微笑みを俺に向けた瞬間、心臓が弾け飛んだかと思う程、ドキッとして顔を逸らした。


「はい、とうちゃ〜く」とアリスは躊躇いもなく男湯の暖簾のれんをくぐり突入して行く。

「あ、アリス様?! お、お、男湯!」とかろうじて伝えるが「大丈夫、この時間、誰も入ってないから」と俺の懸念はまるで伝わっていない。


(まさか、一緒に入る気か?!)


 期待しなかった、と言えば嘘になる。アリスの胸にちらりと視線を向けると、巨乳とは言えないまでも確かな膨らみがもこもこパジャマの上から確認できた。俺の息子も確かな膨らみを示そうとするので必死に説得して押さえつける。


 しかし、脱衣所でポイっと下ろされると、「赤いボトルがシャンプー。白がコンディショナーで黒がボディソね。しっかり洗ってピカピカになるんだよ」と言い残して去って行った。


(……………………そりゃ、そうか)

 

 なんでシャンプーとかコンディショナーがあるんだ、と若干疑問に思うも、然程気にはならなかった。人間界も過去の転生者の残して行った風習やアイテムはある。例えばカレー。それから米や醤油、マヨネーズなんかもそうだ。だから魔大陸で前世の世界の物が残っていたとしても不思議はない。魔大陸こっちでは魔大陸こっちで過去に転生者がいたのだろう。


「風呂なんていつぶりだろう。……やっぱり良いなぁ、風呂」


 頭と体を念入りに洗って、桶を元の位置に戻すとカポーンと小気味良い音が広い大浴場に響いた。

 プールのような広さの湯に浸かると、ふぃ〜、という声が無意識に漏れた。

 少なくとも転生してから村では一度も風呂など入れたことはない。いつも水浴びか払拭ふっしょくだった。ましてやシャンプーなど夢のまた夢だ。

 鏡に写る俺の髪の毛は少し癖っ毛でくるくるしているが、それでもコンディショナーのおかげでつやが復活しているような気がした。


(それにしても不思議だ)


 鏡の自分を見て、改めて思う。

 それは俺のこの姿のこと。俺はこの世界にしたのだ。すなわちこの世界の人間である父母の間に、赤ん坊として生まれた。

 にもかかわらず、俺の顔立ちは前世のそれと全く同じだった。遺伝子的には明らかに別物だろうに。魂が関係しているのだろうか。とにかく、前世と同じ顔、体ですくすく成長しているのだ。今もまだ18歳だから成長の途中と言えた。


 さて、そろそろ出るか、と湯から立ち上がる。

 ガラガラ、と引き戸が音を立てて開いたのは、ちょうどその時だった。

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