第2話 ダーちゃん


 王国兵士は無情にも、俺に声をかけることもなく——というか故意に目を逸らして——手錠を解くと、逃げるように退室して行った。薄情な奴らである。


「では、アリス様、この男はいかがいたしましょう? 牢にでも放り込んでおきましょうか?」とシヴィルが訊ねる。俺としてもまさかふかふかのベッドで寝られるとは思ってはいなかったので、特段驚きはない。

 

 ——しかし、


「えぇ?! そんなん、だめでしょ! ヒトシっぴとの関係ギスるじゃん!」

「ヒトシっぴ?」とつい聞き返してしまい、『ヤバ、許可されてないのに喋っちまった』と俺は慌てて口を押さえる。

「人質だからヒトシっぴ」と魔王アリスが俺を指差した。

「あ、自分、ダニエル・スカイといいます」


 俺がまたも勝手に発言すると、魔王アリスはそれを責めるでもなく、唐突に「ダーちゃん」と人差し指を立てた。アリスの指はしなやかで細く、とても魔族の女王とは思えない程、華奢だ。

「ダーちゃん……?」俺が困惑していると「キミは今日からダーちゃんです」と光の速さで命名された。


「ちなみに」とアリスが今度は両手で自分のほっぺたをぷにっと指差し「ウチが誰だか分かる?」と期待の眼差しを俺に向けた。

「ぇ……っと、魔王アリス様です」


 魔王アリスは俺の返答を聞き、分かりやすく大きなため息をつくと「だよね〜……」と俯く。見るからにしょげている。どうやら俺は魔王の期待に答えられなかったようだ。いったいなんと答えるのが正解だったのか。


「で、『ダーちゃん』の保管場所はどういたします?」とシヴィルが割って入り、再び訊ねる。無表情で『ダーちゃん』と言われると却って恐ろしい。

「うーん」と魔王が考えてから「ウチの部屋でいいよ」とあっけらかんと答えた。


「ばかな!」「そんなこと許されませんぞ!」「ウ゛ゥウウウウ!」「魔王様、お考え直しください!」

 

 動揺で魔族達が一斉に体を揺らしたせいか、静かな謁見の間が一気に賑やかになる。やいのやいのと野次を飛ばす人型と物騒な唸り声を上げる獣型は皆一様に恐ろしい形相で俺を睨む。

 俺だって魔王直々に拷問されるのは反対なのに。


「うっわ、何何? 激おこじゃん」と魔王は状況をよく理解していない様子だった。

 

「アリス様。人質とはいえ、人間です。何をしでかすか分かりません。実は『ダーちゃん』が実力を隠していて、アリス様を暗殺する、とも分からぬ故、同じ部屋というのはちょっと……」とシヴィルがいさめるが、アリスは「大丈夫。鑑定結果見る限り、ダーちゃん弱っぴだから」とにへらと笑う。

 いつ鑑定されたのか。


 鳴り止まない野次の中で、配下の1人が一際大きい声で叫んだのはその時だった。


 


「この際、拷問してから殺してしまいましょう!」


 

 

 周りの魔族からも「そうだそうだ!」「それしかない!」「人間など置いておけぬ!」と少なくない数の同意が上がった。

 収拾がつかない事態になるか、と思われたがそれは杞憂に終わることになる。

 

 突如として謁見の間をおぞましい殺気が走った。部屋が突然極寒の地に転移したのかと錯覚する程、体がガタガタと震える。

 意に沿わぬことをすれば、この世の全ての苦痛を与えられた上でじっくりと殺される、と思えるような冷たい気配に無意識に呼吸が早まり、上手く息を吐けない。苦しい。

 配下達も額に冷や汗を貼り付けて震えていた。


「今なんて言った?」


 魔王アリスが玉座から立ち上がる。

 そして、ゆっくりと、コツコツ音を立てて歩き、俺の横に立つ。俺は玉座の方を向き、反対にアリスは俺の背後の魔族達を向いていた。


「なんで誰も答えないのかな? なんて言ったの?」


 こんな殺気を向けられて答えられるはずがない。答えれば、次の瞬間首が飛ぶ。解雇、という意味ではない。文字通り首が胴体とおさらばするのだ。いや、あるいはあえて殺しはせず、見せしめに少しずつなぶり殺す可能性もある。それを確信させられる程に、アリスの殺気の色は濃かった。


「全魔王軍に伝えて。ダーちゃんに手を出した者は殺す」


 配下達は一斉に跪くと、「ハッ。承知しました!」と同時に承諾した。

 俺はどうやら殺されることはないのか、となんとなく理解するが、それは拷問が続くということを意味するので全く喜べる事態ではない。


「ダーちゃん」とアリスに呼ばれて俺は慌てて振り返る。

「もし誰かに意地悪されたら、ウチに言ってね。即殺そくやりするからぁ」とアリスはにっこり笑った。


 俺は「あ……はい」とかろうじて答える。

 この後、結局、俺の処遇について誰も意見することは出来ず、俺の寝床は本当に魔王アリスと同室ということで決定した。

 

 

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