俺氏、魔王軍に生贄として捧げられたのに、何故かギャル魔王に溺愛されている模様

途上の土

第1話 邂逅


 船が魔大陸に着いた。

 魔族の大陸なのだから、もっとおどろおどろしい風景を想像していたが、なんてことはない。ただの港だ。クゥー、クゥー、とカモメが平和を示すように鳴いて、俺を迎える。いや、ひょっとしたら『哀れな生贄が来たぞ』と揶揄やゆしているのかもしれない。

 

 船員が船から桟橋に渡り板を掛けるのを、船上でぼんやり見ていた。手錠を掛けられているのだ。ぼんやり見る他に出来ることはない。

 思考が上手く回らない。自分が今、どんな気持ちなのかも理解できないでいた。怒りなのか、悲しみなのか、諦観なのか。あるいはその全てか。

 ただ、俺はこれから死よりも恐ろしい目に遭うのだろうから、ネガティブな気持ちであることは間違いなかった。

 

 船から降りる時、「ダニエル・スカイ」と船員の一人に声をかけられて、ゆっくりと振り返る。


「そ、その……私には何も出来ないが……停戦をありがとう。キミの勇気ある行動を誇らしく思うよ」


 俺は小さくお辞儀をして桟橋に降りた。

『勇気ある行動』と彼は言った。俺は『行動』なんてものは取っていない。上が勝手に決めたことをただ受け入れただけだ。受け入れざるを得なかった。王から直接言われた言葉が思い出される。


 ——キミが断るのなら、キミの妹に行ってもらうが、構わないね?


 これが『行動』なのだとしたら、この世界の全ての事柄がそうだろう。魔族に無慈悲に殺されるのも、勇気ある行動。馬鹿げている。

 

 俺は今日、魔王に引き渡される『生贄』だ。魔王軍との停戦の条件に人質として捧げられる。人質とは言っても、相手は魔族だ。人間同士のように丁重に扱われるとは到底思えなかった。何せ、奴らはいつ戦争が再開しようと別に構わないのだから。圧倒的に人間側が不利な停戦条約だった。


「こんなことなら、転生なんてしないでそのまま成仏したかったな」


 無意識に口をついて呟いていた。俺を連行する兵士が不思議そうにこちらを一瞥して、すぐに興味をなくし視線を戻した。

 前世は別に普通の公務員だった。

 公務員は社会全体の奉仕者。採用されたての俺に、役所が洗脳のように研修でそう繰り返すものだから、頭にその意識が染み付いていたのだろう。

 だから、柄にもなく女子高生を庇って通り魔に殺される、なんて事態に陥ったのだと思う。ほんの少しの下心があったのも認めよう。女子高生を守って、感謝されちゃって、連絡先を交換して、なんて未来は結局来なかったがな。


 次に目を覚ましたら、もうこの世界にいた。それも赤ん坊の姿で。長閑のどかな村の小作人の長男として出生し、翌年には妹も生まれた。

 優しい両親に、甘えん坊な妹。平凡だけど、幸せな人生を送っていたんだ。


(よく考えたら、ケチがついたのは全て勇者が村に来てからだな)


 勇者は俺の天性の才に目をつけた。

 俺の才は『ギャンブラー』だ。言っておくが、戦闘で役に立ったことはあまりない。パーティ全体の運が底上げされるくらいだ。だが、珍しい才ではあった。

 勇者は根っからのギャンブル好きでいつもカジノに入り浸っていた。俺も無理やり連行されたっけ。勇者は自分の趣味のために俺をパーティに加えたのだ。



 

 そして、今回の停戦の条件が『勇者一行の誰かを人質として差し出すこと』


 俺に白羽の矢が立つのは当然の流れだった。戦力は低下せず、嘘をつくこともない。適任だ。


 ——俺はこれを見越してダニーを仲間にしてたんだよ


 とは勇者の弁だ。耳を疑ったが、事実だ。ただの村の人間を無理やり仲間にして、挙句、生贄に捧げる。これが『勇者』のすることなのか、と絶望すらした。




 

 手錠をされたまま、馬車に乗せられる。俺が逃げ出したら国が滅びる。万が一に備えての手錠らしい。『勇気ある行動』をする人間に対する待遇がこれだ。まったく、見上げた精神である。




 

 石畳の道でも走っているのか、ガタゴトと細かい振動が尻を打ち続ける。

 やがて馬車は立派な城の城門で停まった。

 御者と門番のやり取りが聞こえる。


「許可は取ってあるよ」

「ああ、これが例の。中庭で待て」


 馬車はまた進む。

 下ろされたのは、芝が規則正しく整えられた綺麗な場所だった。白い屋根の東屋あずまやがあり、同じく白い机と椅子が置かれている。


 芝の上でぼんやりと待つ。

 俺の手錠に連結された縄を持つ兵士は、分かりやすく緊張している。先程から深呼吸の音がうるさかった。人間を苦しめる魔族の王にこれから会うのだから無理もない。

 俺はと言えば、緊張はない。緊張よりも絶望や諦めの方が強い。俺の未来はここで潰える。死刑囚のような重い気持ちで、死刑執行者との挨拶を待っていた。


 城の主塔の中から、一人の女性がこちらに歩いて来た。長い黒髪と凍りついたような冷たい目が印象的な魔族。人型をしている者ほど強い、と聞いたことがある。

 

 女は軽く礼をしてから「ようこそ、おいでくださいました。私は宰相のシヴィルと申します」と感情のこもらない声で言い、片手を前に突き出した。魔力が空気に滲む気配が漂う。

 直後、彼女の手を中心としてまるでガラスが割れるように一瞬にして空間に黒いヒビが入った。そして世界の欠片がポロポロと落ち、黒い空間が広がっていく。

 魔族がこれを使ったのを見たことがある。ゲートだ。


「謁見の間にご案内します。準備が整いましたら、ゲートをくぐってください」


 兵士は躊躇っているようだった。得体の知れない空間に飛び込むのだ。恐ろしいのは分かる。

 だが俺はもはや未来の閉ざされた人間。仮にこれで死ぬとすれば、拷問を受けないだけマシだと言うものだ。

 俺は躊躇ちゅうちょなくゲートに足を踏み入れる。手錠の紐を持つ兵士も俺に引っ張られてゲートを潜った。


 一瞬にして景色が変わる。景色だけではない。匂いも、気温も、照度も全てが一瞬で変わった。

 赤いカーペットが敷かれた広い部屋だった。壁際にはド派手な柱が等間隔に並んでいる。天井を見上げると驚くほど高い位置でシャンデリアが煌めいていた。

 目の前の玉座にはまだ誰もいない。位の高い者が後から来るのだから当然と言えば当然だ。

 魔王を待つ魔王の配下達が列を作って並んでいた。人型もいれば獣型もいる。皆が俺に目を向けていた。あまり好意的には見えない視線に、少し怖気付おじけづく。いったい俺はこの後どんな風に痛めつけられるのだろう。刻一刻と迫るその時に、恐怖も徐々に膨張していく。


 一斉に魔族達がひざまずいた。

 一瞬遅れて兵士がそれに倣い、兵士に縄を引かれて俺も跪いて下を向いた。


 コツ、コツ、と足音が謁見の間に響く。

 玉座に魔王が腰をかけたのが気配で伝わる。俺は顔を伏せているため、視界は真っ赤なカーペットが占めていた。


「顔、見せて」


 と少し気だるげに魔王が言う。意外にも少し鼻にかかった可愛らしい声をしていた。

 俺はゆっくりと顔を上げて魔王を正面から見つめた。

 金の刺繍が入った赤いドレスに身を纏った彼女は美の権化、と言っても過言ではなく、透き通るようなプラチナブロンドが輝く河のように垂れる様子は魔王と言うよりも、むしろ天使に見えた。


 魔王は俺を見て、口を開けたまま目を見張って固まった。早速何か粗相をしただろうか、と不安になる。

 終いには魔王は俺を指差して「やばばばばば」とバグったように呟いている。ヤバいのは多分俺の命だろう。


「来てたんだ……」と魔王が言った。

「はい。アベンド王国から参りました。こちらの男が『約束のにえ』でございます」と兵士が声を張り上げる。

 しかし、魔王は兵士の言葉は全く耳に入ってないようで、「ぇ、ちょっと待って。でもなんで? あれ? 人間?」と一人で頭を抱えて混乱している。


「魔王様……」と宰相シヴィルが魔王に近づこうとすると、魔王は片手をシヴィルに向けて制止した。もう一方の手は眉間に添えられている。どこかの任三郎のようである。

 やがて魔王は何かの真相に到達したのか、手を下ろし、堂々と言い放った。




「わけわかめ」


 


 真相には到達しなかったらしい。

 隣の兵士が「そ、それでは条約締結の批准書ひじゅんしょを」とおそるおそる言うと、魔王は兵士に焦点を合わせ、ぽけーっとしてから「あー」とどうでも良さそうな声を出した。

 そして唐突に魔王の目の前の空間が小さく歪むと、魔王はそこに腕を突っ込み、紙を取り出した。何故か少しくしゃくしゃになっている。

 シヴィルが台を持ってくると、そこでサラサラと魔王がサインらしき文字を書いた。

 それをシヴィルに渡すと、シヴィルが兵士のところに持って来た。兵士は書類を確認してから、安堵の息を吐いた。

 

「約束通り、ウチらから、そっちに攻めることはしないよ。その代わり——」


 魔王の大きなアーモンド型の眼が見開かれると、その奥の赤い瞳に映る仄暗い狂気が兵士を捉える。

 兵士はガタガタと震えて、顔を強張らせて恐慌状態に陥っていた。


「——この人は、もうウチのもの……ってことで良いんだよね?」

 

 兵士は無言で何度も頷いた。

 今、この瞬間、俺の身柄は魔王軍に引き渡され、魔王の所有物となった。



 これが俺と魔王アリスとの出会いだった。





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