夢の中の君へ

@hayte

夢の中の君へ


 雲ひとつない空に眩しく輝く太陽、されど暑すぎることはなく、ましてや寒すぎることもない心地よい日差し。その光をわれ先に浴びんとするかの様に木々は生い茂り、それによって生じた日陰にベンチが並べられている。その先には幾人もの子供が走り回れるほどの大きさの芝生広場、少し遠くにはブランコに滑り台といった一般的な遊具も置いてある公園。

 その広場の真ん中に男の子がいた。まだ成長期が来ていない小さな体を踞らせることでより小さく見える。しかし、そんな子がいるにも関わらず近くには心配する親の姿どころか、遊具で遊ぶ子供も、散歩をしている人すらいない。それがわかっているのか少年は泣くことなくただひたすらじっとしている。しかし、その沈黙が思わぬ形で破られる。

「初めまして、君一人なの?」

 驚いて顔を上げる少年。視線の先には髪の長い女の人が覗き込んでいた。光の入り加減で顔はよく見えなかったが少年は子供特有の感覚で彼女が悪い人ではないと理解した。

「うん……お父さんもお母さんもどこか行っちゃった…………」

 答えてくれたのが嬉しかったのか頬を緩ませて彼女は続ける。

「そっか……なら私と一緒に遊ばない?」

「……お母さんが知らない人と遊んじゃだめって……」

 少年の拒絶。しかし、それすら嬉しそうに少女は語りかける。

「お母さんの言いつけが守れるいい子だね。でも安心して、私は君のお手伝いをしに来ただけだから」

「お手伝い?」

 思ってもみない言葉に繰り返すことしかできなかった少年に少女は笑顔を崩すことなく同意した。

「そう。でも特に気にしないで今は私と遊ぼう。彰人くん」

 そう言いながら少女は姿勢を戻し、少年に手を差し伸べる。その手に少年は誘われる様に手を伸ばす。理由はと聞かれればなんとなくと答えてしまいそうになる程、少年は感覚的に少女の手をとった。

 すると途端に視界が真っ白になり、次に目を開いた時に見えたのは少女の顔でも、広がる緑でも、綺麗な青空でもなかった。そこにあったのは知らない天井に自分に繋がっているチューブの数々。そこで少年は気づいた、今までの光景が夢であったことを。

 周りの人たちが慌ただしく動くなか、少年は徐々にはっきりしていく意識と反比例するように少女の顔や周りの景色を忘れていく、思い出せるのは夢の中の彼女が悪い人ではなかったことと、彼女の手が異様に冷たかったことだけだったが、少年は再び瞼を閉じ願う。

 もう一度彼女に会えますように、と。

 

 彰人は覚醒を急かす様に響くアラームによって目を覚ました。視界には見慣れた天井にカーテンから差し込んでくる陽光。耳障りな音を消し、かかっている布団を退かす。なんの変哲もない朝。しかし、彼の気分は良くなかった。

 昔はよく見ていた夢。年上の少女と遊んでいたそれは歳を重ねるごとに見れなくなっていった。また会いたいと寝る度に思い、そして起きる度に会えなかったと落ち込む。そんなことを繰り返している自分は側から見たら滑稽に映るんだろうと彰人は考えながら、朝の支度を始める。

 制服に着替えた彰人がリビングに向かうとそこにはすでに用意されていた朝食と見知った少女の姿。

 同じ学校の制服を身につけ、髪を後ろで一つに結び、お茶を飲んでいる。その姿にまたかと思いながら声をかけた。

「おはよう、紫苑。朝早くから来なくても置いて行かないよ? 家隣なんだから」

「おはよ、アキ。そんな心配してないわ。これはあたしが来たくて来てるの、そんなことより早くご飯食べたら? 時間なくなるわよ」

「わかったよ、いただきます」

 ポニーテール少女──紫苑と挨拶を交わしてから手を合わせ、朝食を食べ始める。いつも通りの献立だが、彰人は微かに味の違いを感じ、キッチンに立つ母に問いかけた。

「お母さん、レシピ変えた?」

「なんで?」

「いや、美味しいんだけどいつもとちょっと違う気がしたから……」

 そこで彰人は隣からの視線に気付き、顔を向けると紫苑の顔が少し赤くなっていた。

「何よ」

「もしかして、これ紫苑が作った?」

「だったら何?」

 照れ隠しか語気が強くなる幼馴染から視線を戻し、彰人は再度口にし、ゆっくり味わう。その際も紫苑は彼を気にした様にチラチラ見ているが気にすることなく続け、口の中のものがなくなると改めて幼馴染の方を向き、

「本当に美味しいよ。紫苑は料理も上手なんだね」

と、頬を綻ばせて彰人は正直な気持ちを告げた。

 すると、紫苑は一瞬呆気に取られたのち、みるみる顔が赤くなっていき、彰人の肩を思いっきり叩いた。

「痛っ…………何するんだよ」

「変なこと言ってないで早く食べなさいよ!」

 そう言うと紫苑は席を立ち、どこかへ歩いていく。

「どこ行くの?」

「あたしの家! 次こっちに来るまでに準備しておきなさいよ!」

 その言葉を最後に扉が閉まる。彰人がなぜ紫苑が怒ったのかを考えているとあなたも大変ねと笑って答える母を尻目に、考えるのをやめ、ただこれ以上怒られないように急いで手を動かすのだった。

 

 家を出て学校までの通い慣れた道を幼馴染と一緒に歩く。悟られないように彰人は紫苑の表情を一瞥するが先ほどまでの赤みは引いており、怒っている様子はない。

しかし、いまだに怒りを買った理由がわからない彰人は若干の気まずさを拭えず、どうしようと考えているとそれを知ってか知らずか、紫苑の方が切り出してきた。

「ねぇ、昨日言ってたこと考えてくれた?」

「昨日…………?」

 紫苑の問いに記憶を遡る彰人だが、思いあたる節がなく立ち往生してしまう。そんな彼を予期していたのか呆れたようにため息をつく幼馴染。

「はぁ……そんな気はしてたけど、やっぱり忘れてた」

「……ごめん」

「別に謝って欲しいわけじゃないわよ」

 彰人の表情が曇っていると、紫苑は慰める様に言葉をかけるが、晴れた様子はない。当然それに気づいている幼馴染はさらに続けた。

「でも、そんなに気にするなら今週の土曜日付き合いなさい」

「いいけど、何するの?」

「あたしが学校でよく一緒にいる子たちと一緒に遊びに行くの」

「……それ僕いて大丈夫?」

「あたしがいいって言ってるんだから大丈夫でしょ」

「紫苑ってそう言うところあるよね……自信があるというか……わがままというか……」

「ちょっと、それどう言うことよ!」

 呆れ果てた彰人と頬を膨らませながら抗議する紫苑。数瞬見つめるとお互いにどちらともなく破顔した。

 なんてことのない幼馴染同士の会話。しかし、そのやりとりが曇っていた彰人の表情を明るくし、さらには若干の気まずさまでも取り払っていた。

「やっとまともに笑ったわね」

「え? そんなに変だった?」

 思っても見なかった紫苑の言葉に足を止め、唖然とする彰人。

 彼としては幼馴染の前ではいつも通りにしていたつもりだったし、万に一つも勘付かれることはないと考えていた。しかし、実際はそうはならなかった。それどころか紫苑はさも当然かの様に胸を張りながら振り返って彰人を見つめていた。その表情はこれまでに彼が幾度と目にしてきた朗らかで、それでいてどこからか力強さを感じる満面の笑み。

「あたしが何年アキと一緒にいると思ってんのよ」

 そんな紫苑を前に目を逸らすこともできず、さらには何も言えないでいる彰人をそのままに彼女は続ける。

「どうせ、いつものあの子のことでしょう?」

 紫苑のその言葉に彰人は身を強張らせた。

彰人は夢の話を母親にすら伝えたことがなかったが、例外として幼馴染には話したことがあった。しかし、この話をするたびに紫苑はなぜか不機嫌になったので、彼はいつからか話すのをやめていた。それがまさか彼女からされることを意外に思いながらも、彰人は口を開いた。

「う、うん」

「やっぱり、そうだと思った」

 動揺を隠せず、目を逸らしてしまう彰人に、慈愛を含んだ笑みを浮かべる紫苑。

「まだその人のこと好きなの?」

「……」

 彰人はその問いに答えることができなかった。好きか嫌いかなら確実に好きであると言えるが、言葉にしようとすると喉につかえて発することができない。その沈黙を紫苑は肯定ととらえたのか「そう……」とだけ答えて再び歩き始める。

 それから彰人と紫苑は学校の友達の話であったり、課題の話であったりと夢の話に戻ることなく、たわいもない話をしながら残りの時間を潰していく。遠目には学校が見える様になっており、周囲には同じ制服を着た生徒がちらほら見受けられるようになっていた。

 その光景を横目に彰人は紫苑と信号が変わるのを待っていた。

「信号に捕まるたびに思うんだけど、ここの信号って他のところよりも待つ時間長くない?」

「そうかな? そんなに変わらないと思うけど」

「アキは時間にルーズすぎるのよ」

 紫苑の些細な疑問に反応する彰人。そのありふれたやり取りをしていると、信号が青に変わり、障害者用のアラームがなる。

「紫苑が言うほど待たなかったね」

「なんでこういう話をする時に限ってすぐに変わっちゃうのよ」

 ムスッとした顔の紫苑が足を進めるのを見ながら後を追う様に彰人は動こうとして足を止め、視線を逸らす。そこにはこちらに向かってくるトラック。信号が赤なのにも関わらず、いっさい減速しようとしないそれに彰人は考えるよりも先に動いた。

「紫苑! 危ない!」

「え?」

 紫苑の戸惑う声を気にせず彰人は背中を押す。そして徐々に近づいてくる鉄の塊に目を向け、彼は漠然と思いだす。今まで忘れていた夢の中の風景や、少女の顔、そして自分が昔一度死にかけていたことを…………。

ドンッ!

 

 彰人に背中を押され歩道で腰を抜かしていた紫苑は何をするでもなく、ただただ道路の中央で力無く横たわっている幼馴染を見つめることしかできなかった。周りの慌ただしくなる声も上げられる悲鳴も信号の音響さえも今の彼女には聞こえていない。

「…………ア……キ?」

 呼びかけても返事が返ってくることはなく、二人の間には沈黙が流れる。

いつの間に来ていた担任の先生が隣で何か言っていたり、トラックの運転手や他の先生がどこかへ電話したりしているが、紫苑にとってそれはどうでもいいものと化していた。

 彼女の頭を占めるのは幼馴染の安否だが、近づこうとするも体がうまく動かせないでいる紫苑。それを見かねたのか担任含めた生徒いく人かが紫苑を校舎まで連れていくが、彼女はだんだん小さくなっていく彰人から視線を外すことはなかった。

 

 

 体に激痛が走ったかと思えば途端に痛みを感じなくなった彰人はただ暗い場所にいた。

 当然周囲には幼馴染の顔も、ぶつかったトラックもなく浮遊感に駆られていた。例えるなら、五感全てが無くなった様なそれでいて水中に投げ出された様なそんな感覚を彰人は感じていた。出来ることと言えば、考えることのみ。しかし、時間感覚のないそこにおいてそれは彰人にとって唯一の逃げ道だった、そうでもしなければ自分が狂ってしまうとわかっていたから。

 彰人はさまざまなことを考えた。両親のこと、幼馴染のこと、学校のこと、昔のこと、そして夢の中のあの子のこと。思考が止まれば他のことを考え、また止まれば他のことを考える。それを何十回、何百回、何千回と繰り返し、ついには考えることがなくなり思考停止状態が訪れる。徐々に感情が死んでいくのを感じながらも彰人は何もしないでいた。どうせどうすることもできないなら、感情がなくなれば狂うものもなくなるそれでいいのだと、そんなことを考えている時だった。

(…………ん……)

 声がした。

 この何もない場所で聞こえるはずのない耳が確かに音を認識した。彰人はその声に全神経を傾ける。

(あ……き…………く……)

 再び聞こえる声。どこかで聞いたことがあり、さらにだんだんと近づいてくるそれに彰人は声をかける。

(……誰?)

 返答はない。しかし、やめることなく声をかけ続ける。

(どこにいるの?)

 体を動かして辺りを見回す。どこを見ても真っ暗な場所。今までと全く変わらない光景。しかし、それを穴が空くほど見つめる。また聞こえるかわからない声に耳を澄ませながら。

(彰人くん)

 はっきりと聞こえた声の方へ視線を向けると、そこには一筋の光。温かささえ感じるそれに向けて彰人は走り出す。この地獄に降りた一本の蜘蛛の糸をつかむ様に右手を前に伸ばして、先ほどまで死にかけていた感情が息を吹き返したかのように溢れる涙をそのままにして、大声で叫ぶ。

「姉さん!」

「やっと呼んでくれたね」

 まるでそれが合言葉だったのか光が大きくなり彰人包んでいき、暗闇の世界を真っ白に染め上げていく。最後に聞こえた言葉に反応する暇もなく彰人は再び意識を失った。

 

 

 教室に連れて行かれてから少し平静を取り戻した紫苑だったが、担任の計らいと目の前で事故現場を目撃したことも相まって病院に来ていた。すでに検査や警察からの事情聴取が終えると待っていた両親が涙を流しながら彼女を抱きしめる。その温かさをもっと感じたいと思いながらも紫苑はすぐに彰人の元へ向かった。そこには、膝から崩れ落ちた彰人の母とその背中を優しくさすりながら慰めている彰人の父の姿。

「おじさん…………」

「紫苑ちゃんか……大きくなったね。いや、今はそんなことを言っている場合ではないね。彰人のことが聞きたいんだろう?」

 頷く紫苑。彰人の父は彼に似て笑顔の似合う人であると紫苑は思っているが、今回ばかりはその笑顔に若干の切なさを感じるが、それでも取り乱すことなく話し始めた。

 内容は、外傷はほとんどなく出血もひどくなかったが、落下の際に頭を強くぶつけてしまったため、脳へのダメージが大きく意識を取り戻す可能性がとても低いとのことだった。

 その話に彼女の両親すらショックを隠せず、当然紫苑も例外ではなかった。もう今までの様に話たり、一緒に登校したり、遊びに行ったりすることができなくなる。そこまで考えるとダムが決壊した様に涙が溢れる。そこまでして紫苑は改めて実感する。自分がどれほど幼馴染のことを大切に思い、愛しているのかを。そして意を決し、紫苑は一歩前に出る。

「おじさん、おばさん……ごめんなさい、あたしのせいなんです」

 紫苑が頭を下げて告げる言葉に彰人の父母は困惑の表情を浮かべるが、それでもやめることなく続ける。

「あたしがトラックに気付けなかったせいで、アキが庇ってくれてそれでこんなことに……本当にごめんなさい」

 話終えても紫苑は頭を上げることはなかった…………否、できなかった。

 いつも良くしてくれるおじさんおばさんであった二人に自分は謝っても許されないことをしたという罪悪感と、この後に発される相手の言葉への恐怖心を抱きながら紫苑はただ待つ、例えどんな内容でも全て受け入れるつもりで……。

 頭上で息を吸う音が聞こえる。さらに膨れ上がる感情を、紫苑はスカートを強く握りしめることで抑え、判決をまつ犯罪者のようにその一声に耳を傾ける。

「ありがとう、紫苑ちゃん」

「…………え?」

 予想だにしない言葉に紫苑は顔を上げる。そこには涙を流しながらも今まで通りの柔らかい笑みをたたえる幼馴染の親の姿。そしてなおも続く優しい声。

「あの子がどうしてこんなことになってしまったのか教えてくれて、ありがとう」

「…………何で……何で怒らないんですか?」

 やっとの思いで出した紫苑の言。しかし、それすらも何てことのない様に紫苑の倒れた上半身を戻していく女性。

「怒ることなんてないでしょう? だって、あの子が紫苑ちゃんを守りたいと思って動いたんだから悪いところなんて一つもないわ」

「で、でも……」

「それでも気が済まないなら、彰人が起きた時に元気な顔を見せてあげて。あの子きっと喜ぶから」

 どこまでも優しい幼馴染の母に紫苑は涙を堪えることはできなかった。子供の様に泣くその姿を包み込むように抱きしめてくれるもう一人の母と言っても過言ではない女性に紫苑は何度も感謝の言葉を告げるのだった。

 

 

 再び彰人が瞼を開いた先には、青い空と端々に聳える背の高い木々。両手に感じるのは均一に刈られた芝生のふわふわとした触感。体を起こし、あたりを見渡すと木陰に並べられたベンチと少し遠くに見える遊具たち。全て見覚えがあり、そして今まで忘れていた風景に彰人は軽くため息をつく。

「……やっと来れた」

 あれほどまで望んでいた場所に来たことに歓喜しつつ、彰人は目的の人物を探すために立ち上がり、いつの間にか戻っていた体の感覚を噛み締めながら歩き出す。昔は大きく感じていた公園も今となっては少し小さく感じることに違和感を覚えながらも適当に周ろうとしたところで足を止めた。遠くに見える人影、思いのほか早く見つけたそれに彰人は近づいていく。

「久しぶりだね、彰人くん」

 彰人が声をかけるより先に話しかけて来た少女。二つ並んだブランコの座板の右側にこがずに座っていたその子に習い彰人は左側に座る。

「本当に久しぶり、最後に会ってからもう五年も経っているよ」

 返事をすると同時に隣に視線を送る。相変わらず長い髪に、白いワンピースを身につけ、同じく白い腕と足。裏腹に背丈は大きくなっており、年は自分と同じくらいなのか昔にはなかった胸が際立って見える。

「そっか……もうそんなに…………。フフッ通りでそんなに大きくなってたんだね」

 彰人の成長を喜ぶ様に笑みを浮かべる少女。変わった外見に対して変わらない内面に昔に戻った気分になりながら頬を緩ませる彰人。そのためか口から出たのは懐かしい一言だった。

「今日は何で遊ぶの?」

 昔ここに来るたびに彼女に言っていた言葉。その言葉に花が咲いたような満面の笑みをした少女が楽しげにブランコを漕ぎ始める。

「今日はね、お話をしよう」

「お話? なんの?」

 返事はすぐには帰ってこず、代わりにブランコが遠心力で速度をあげていく。彰人が眉を顰めながら待っていると、タイミングよくブランコから飛び降り、着地。夢の中ゆえかワンピースは軽くはためく程度で特に気にしていない少女が振り返り、

「もちろん、君の今までの話だよ」

と、変わらぬ笑みを向けてそう言ってきた。

 

 

「アキ入るよ」

 ガラガラガラガラと扉を開けて彰人の眠る病室へと入る紫苑。制服に学校指定のカバンという身なりの彼女は寝台の脇にある椅子に座るなり幼馴染に話かけ始めた。

「今日、学校でね…………」

 交通事故から二週間経っても彰人の意識は戻っておらず、その間紫苑は毎日学校帰りに立ち寄ってはその日の出来事を話していた。当然返事はない。しかし、彼女はめげることなく閉館時間まで彰人に話しかけ続ける。例え、いつ幼馴染が目を覚ましても決して一人にしない様に…………。

 

 

 彰人は公園内を散歩しながら、これまでの話をしていた。不幸中の幸で暗闇の中にいたおかげで昔のことを思い出すのに苦労することはない。そのため一方的に話す形になってしまったが、それでも適度に相槌をしながら楽しそうに頬を緩める少女につられて彰人も笑みを浮かべる。ひと通り話終えると少女は子供の様にねだる。

「君の話は面白いね。他にはどんなものがあるの?」

 彰人はその言葉にそんなに面白かったか?と疑問を覚えるが少女の変わらない笑顔を見て気にすることをやめた。数年ぶりにあった子とするたわいもない話。そんな時間がいつまでも続けばいいと願う彰人。しかし、彼は知っている。この時間が長くは続かないことを。

「それじゃあ次は僕からあなたへの感謝の話」

「感謝? 私に?」

 ピンとこないのか少女は首を傾げる。その様子を見ながら彰人は頷く。

「そう、十年前に死にかけた僕を助けてくれたあな…………いや、椿姉さんに」

「……ッ⁈」

 目を見開いて絶句する少女に彰人はやっぱりという納得感を感じていた。

 考えてみればおかしな所はあった。なぜ初めて会った時に親しみやすかったのか、なぜすでに名前を知っていたのか、なぜ紫苑に好きか聞かれた時答えられなかったのか。

「思い……出したの?」

「うん。まあ、ほんとついさっきだったけどね」

 震え声を出す少女──椿に彰人は苦笑いを浮かべる。トラックに轢かれた時に思いだし、暗闇で何度も考えた彼にとって夢の中の子は姉であると分かりきっていたが、すぐに聞くことはできなかった。それは、彰人が姉弟としてではなく昔からの遊び相手として話したかったからに他ならない。

「どうして……どうして思い出しちゃったの? そうしたら彰人は自分を責めるでしょう?」

「うん……間違いなくそうすると思う」

「なら……」

「でも、受け入れないと僕は前に進めないから。それに、もう姉さんのことを忘れたくないから」

 椿の言葉に被せるようにして彰人は発声する。その言葉に俯き涙を流して何も言えないでいる姉の姿を見てから辺りを見渡す。それは薄暗くなっており、空は色褪せた茜色がだんだんと暗闇に侵食されつつある。直感でタイムリミットが迫っていることを感じ彰人は顔を伏せているその子を抱きしめる。その肌は人とは思えないほど冷たいが気にしない。どれほど冷たくとも彼からしたら彼女は姉以外の何者でもないのだから。

「姉さん、助けてくれてありがとう。いっぱい遊んでくれてありがとう。最後まで僕のことを心配してくれてありがとう。姉さんの弟で本当に良かった」

 彰人の偽らざる気持ちを黙ってきく椿。しかし、その手は弟の背中に回され、抱きしめ返している。本来死者は言葉を発さない。だが、今この場にいるのは一人の姉ゆえに椿は発する。今生の別れになる弟を強く抱きしめて。

「私も彰人が弟で良かった。…………ありがとう」

 その言葉を最後に二人は暗闇に飲まれた…………。

 

 

「はっ、はっ、はっ、はっ」

 平日のお昼時、学校を早退して紫苑は病院に向かって走っていた。原因は一ヶ月間眠り続けていた幼馴染の容体が急変したという連絡が入ったため。最悪の場合を思い浮かべ、泣きそうになりながらも必死に足を動かす紫苑。

 病院に到着すると毎日通ったおかげか受付の人がすぐに紫苑を案内してくれた。近づくごとに嫌な考えを振り払いながら、前に進む。こちらですと案内してくれた看護師が扉を指すが紫苑は手を伸ばすも途中で止まってしまった。もしも彼が帰らぬ人になっていたら、今まで言葉にならなかったものが明確に言語化されたことにより恐怖を感じる紫苑だが、意を決し扉を開く。

「どうしたの? そんなに慌てて?」

 そこには紫苑が一月ずっと聞きたいと願っていた優しい声にずっと見たいと望んでいた朗らかな笑みがあった。

「…………ア……キ?」

 紫苑の口から出たのはあの時返事をもらえなかった言葉。

「うん、おはよう紫苑」

 しかし今は、答えてくれる声がある。その事実に紫苑は抑えていた涙が決壊した。

「バカァァァァァァァァ! おはようじゃないわよ! あたしがどれだけ心配したと思ってるのよ!」

「わっ!」

 罵倒しながら飛びついてくる紫苑に耐えきれず倒される彰人。そんな行動に驚きつつも微笑みながら頭を撫でてくる幼馴染に紫苑は今まで無くしていたものが帰ってきた感覚を覚えた。

「アキ」

「? 何?」

「あたし何があってもあんたを離さないから覚悟しなさい」

 紫苑の宣言をよくわかっておらず首を傾げる彰人。しかし、紫苑は気にしない。これはいつか幼馴染を自分のものにするという彼女なりの宣戦布告なのだから。

 

 

 目覚めてから数ヶ月後、彰人は一人佇んでいた。

 そこには自分の苗字の書かれた墓石。そして手にはお供え用の花々。

退院してすぐ彰人は両親に椿のことを話していた。昔、夢の中で遊んだことや、目覚める前にも話したこと、そして自分が無事なのは姉のおかげであること。それらを聞いた母は号泣し、父は涙ぐみながらありがとうと姉にお礼を告げていた。その後、昔の事故の話を聞いてから彰人は一人お墓参りをしていた。

「久しぶり、姉さん。今回はそんなに長く待たせなかったよ」

 彰人は一人でに話始める。当然返事はない。しかし、やめることなく続ける。

「お母さんから聞いたよ。まさか僕の体に流れている血のほとんどが姉さんのものとは思わなかったよ」

 そう昔彰人と椿は崖から転落したが、その際姉が弟を守るように動いたため弟は死なずに済んだが出血多量の状態だった。それを救うために隣にいた椿から輸血することで彰人は生きながらえることを許された。

「姉さんには何度も命を救ってもらっているのに何も返せなくてごめん」

 頭を下げる彰人。それでも返ってくるのは風で揺れた木々の音。それでもまだ喋り続ける。

「今更なのはわかっているよ。でも伝えておきたかったんだ。あ……今更ついでにもう一つだけ言わせて」

 彰人は軽く深呼吸をする。まるで一世一代の言葉を伝えるように。たとえ聞こえていないとわかっていても、この思いは伝わりますようにと。

「姉さん。僕、姉さんのこと好きだったよ。姉弟としてじゃなくて、異性として……」

 幼馴染にも家族にも伝えたことのない彰人の言葉通りの心の中に留めていた言葉。例え姉弟だったとしてもそれまでの友人としての関係が消えるわけじゃないそう考えた彼の本心。返答を求めるつもりのない彰人がケジメをつけるための一言だった。

(私も好きよ)

 咄嗟に後を振り返る。耳元で囁かれた椿の声。しかし、あるのは寂しく陳列された墓石たち。視線を戻すと風が吹いてもいないのに落とされたお供え用の椿の花。彰人はフッと頬を綻ばせる。涙を湛えながら。

「これは当分引きずりそうだな」

 軽く呟いてから彰人は立ち上がる。

「それじゃあ姉さん。また来るよ」

 そう言ってその場を去る。振り向かず、前を見据えて彰人は進んでいく。その姿を見つめるようにそして嬉しそうに椿の花がまた揺れた。

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