第25話 明石皐月

「消える?」


 サツキの発言は、俺の頭ん中を真っ白にするには充分だった。


「たぶん、そう」

「なんでだよ。新しい世界に来たばかりじゃないか。サツキの夢がまさに果たされているっていうのに」

「いまの私は至上。ありがたい状況にある。でも、私は黒川さんの精神を乗っ取っている」


 サツキが依り代にしているのは、黒川神奈の身体である。


 黒川の魂が、意識がどうなっているかはわからない。


 すくなくとも、いま黒川の身体を操っているのがサツキなのは間違いない。


「空っぽな人のなかに入れたらよかったんだけどね」

「……要するに、黒川の精神が対抗してきてるって認識でいいのか」


 うん、とサツキは頷いた。


 そもそも、サツキは無理くり黒川の精神に干渉し、意識を前に出した。


 本来はあり得ない異常事態であり、原状回復のため、黒川の意識が戻ってくるのも時間の問題だとのこと。


 サツキの意識が戻ったのはいいが、初期から身体に馴染まない感覚があったとのこと。


 次第に頭が痛くなり、魂が抜け出しそうな幻想を抱くようになったという。


「きのうの段階で、持ちこたえてもきょうまでだとは直感でわかってた」

「限界なのか」

「すこし気を抜くと、意識が消えそう」


 無理を通して、きょう丸一日を要望した。サツキからすれば、残された時間を有効活用したいと思うのも当然か。


「サツキ、また戻ってくるってのはあるのか」

「わからない」

「……それもそうか」

「私は咎人とがびとっていう事実は消えないの。二日間、一誠くんと同じ時間を過ごせただけでも至上の時間だった」

「サツキ……」

「私は消えるけど、一誠くんは大丈夫」


 サツキは続ける。


「幸せ記憶も嫌な記憶も、すべて一誠くんのなかで生き続ける。私を思い出したくなったら、買った服を見ればいい。本来なら次のない命だったんだし、思い出と形見を残せただけ幸せ」


 無理して笑顔を作っている姿を見て、俺は心苦しくなった。


「本当か? サツキは納得してるのか」

「私は」

「いろいろ思うところもあるだろうが、最期かもしれないんだろう? いいたいことくらいいってほしい」


 サツキは背を向けると、星に手を伸ばした。


「一誠くんと幸せに暮らす日々は、あの星みたいに手の届かないものだと思ってた。すべてをわかちあえるなんて、無理な理想を抱いていた。前世では」


 手を引っ込めて、サツキは続けた。


「いまさら気づいた。一誠くんを傷つけることなく、幸せな日々を過ごせたんじゃないかって。初めての恋ですべてが歪んで見えてた。大事なものは、手のひらの中にあると気づかなかった」


 前世にそれが気づけていたのなら、俺たちはどれだけ幸福だったろうか。


「お願いがひとつある」

「願い?」

「一誠くんの顔を見ずに、逝きたい。君の顔を見たら、絶対につらくなるから」

「サツキが望むなら、受け入れる」

「あともうひとつ。黒川さんを大事にしてあげて。彼女の記憶が流れてきて、私同様に不器用な子みたいだってわかった。うまくやってね」

「……承知した」


 サツキにいいたいことはいろいろあったけれど、頭の中がごちゃごちゃして、なにもいえなかった。


 いってしまったら、サツキがこころよく逝けないかもしれない。


「元気でね、一誠くん」

「愛していたよ、サツキ」

「そう。それでいい。私は過去の人でいい。じゃ、またいつか……!」

「ああ」


 サツキは天に手を伸ばすような動きをした。しばらくそのままの格好のままだった。


 操り人形の糸が切れたように、サツキ――黒川の身体が倒れそうになった。


 俺はなんとか倒れそうなところに回り込み、抱きかかえた。


 ややあって、呻き声。


 目が開く。


「あれ……ここはどこ……」

「気づいたか?」

「一誠くんか。私はどうしてここに」

「いまいるのは、神奈か」

「あぁ。当然。私という人間は私であり、他の人間が入り込む余地はない。本来は」

「本来は?」


 黒川は続けた。


「私は科学で説明のできない事象は信じない性質だ。しかし、今回ばかりはそうもいかない」

「なにかあったか」

「どうやら私は、数日の間、意識を失っていたらしい」

 

 ぼんやりだが、サツキが動いていたという実感はあったらしい。何がおこなわれたかまでは記憶にないそうだが。


「そして、見知らぬ女性の記憶が、断片的にだが流れ込んだ。歪んだ愛の重さを体感した。あれはいったい誰だったのか……」

「俺の、大事だった人だよ」

「そうか」


 黒川はそう短く返すだけだった。


「なるほど、カップルの聖地たるこの高台に誘い込むとなれば」

「まあな」

「歪んだ愛の持ち主、その人の思いを私はしかと受け取った」

「というと」

「実験がより進みそうなのだ。その人と一誠くんをおかしくさせてしまう『恋』の力が気になって仕方ない」

「というと」

「一誠くんに、より興味が出た」


 皐月の強烈な思いを受け取れば、そうなってもやむない。そうなのかもしれない。


「知的興味は当然ながら、異性として一誠くんをますます知りたくなった」

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