第18話 調理実習とフラッシュバック

 翌日。


 調理実習当日だ。


 いま、調理室に向かって歩いているところ。三大美少女が前の方で話しながら歩いている。


 朝のことを振り返ろう。


 またしても瑠璃子さんが我が家を訪れた。完全に通い妻である。


「一誠くんのことを深く知るには、ともに過ごす時間を無理にでも長くしないといけないから」

「朝に目をつけた瑠璃子さんは恐ろしいよ」


 けさは調理実習を想定して、安い惣菜パンだけという、簡単なメニューになった。


 サクッと朝食を済ませると、余った時間は雑談、という流れになった。


「一誠くんはさ、運命って信じる?」

「胡散臭い話をされても困るよ」

「いろいろ抜きにして、正直どう思うかだけ知りたいの」


 運命、か。


「あるかもしれない、って時たま思うね」

「一誠くんもそうなんだ」

「なんだろうな、信じられないことが起こると、運命って言葉で無理くり納得しようとする、っていうのかな」

「懐疑的だけど、まったく信じないわけでも亡いって感じかな」


 そうだね、と俺は返した。


「かくいう瑠璃子さんはどうなのさ」

「私は信じてる。行動に伴う結果は、自由意志のようである程度は定まっている。運命には抗えないよ」

「悟っている、いや悲観的なのか?」

「どうだろう。ある程度の諦めがあるから、勇気を持って動けているところはあるし」


 小難しい話になってしまった。俺になにかを伝えたいのか、なんて野暮な話を振る気にはならなかった。


「結局私は、なるようになると信じてるんだよね」


 その言葉がやけに頭に残っていた……。




「一誠くん、そろそろだね」


 瑠璃子さんは、俺を思考の海から引っ張り上げた。

「ついにか」

「私の本気、とくとみてね。きょうも胃袋を掴みにいくから」

「楽しみにしてるよ」


 家庭科の教師いわく、「今回の班編成は自由である」とのこと。


 俺と三大美少女のグループがすぐに決まると、周りから好奇の視線を向けてきた。


 もはや慣れてきたのか、クラスメイトの反応も薄くなり出していた。慣れとは恐ろしい。


 最初にメニューの復習から入って、諸々の注意事項が伝達された。


 ハンバーグを作るのは人生初だ。料理の技倆に優れる瑠璃子さんの活躍に期待したい。味付けは間違いないからな。


「じゃあ、私が先に私が野菜を切る」


 おのおの準備を進めるなか、野菜担当に立候補したのは神奈だった。野菜の水洗いを済ませると、まな板と包丁を用意した。


 ざくざくと野菜が切られるのを遠目で見ていた。


 包丁がまな板に当たる。規則的な音が耳につく。


 様子をうかがっているうちに、俺のなかで嫌な記憶がよみがえっていた。


 ――皐月に刺されたことだ。


 包丁が使われるのを見るだけで、強烈な痛みがフラッシュバックする。恐ろしいことだ。寒気さえ感じる。


 せっかく三大美少女との楽しい料理の時間だというのに。


 おぞましい出来事を乗り越えたつもりでいた。だが、俺の精神に死の恐怖が刻み込まれている。


 直接的な行為ではなくとも、包丁という道具に関連付けてトラウマになっている。


 拒否反応が出始めたのを察知し、神奈の様子を見ないように心がけた。


 代わりに瑠璃子や悠の準備を手伝った。食器の用意や段取りの共有をおこない、気を紛らわせた。


「等分で切るのは難しい……脳内シミュレーションでは完璧だったというのに……」

「究極のロボットでも目指してるのかな」


 悠はふっと笑っていた。


 神奈はほぼ同じ厚みと間隔で切っていく。無視しようと思ってもできない。どうしても意識に入り込む。


「痛っ」


 完璧なリズムが途切れた。


 見ると、神奈は指に切り傷をつくっていた。


「美しい等間隔のカットが失敗するなんて……一誠くん、すまないがあとでティッシュを貸してくれ」

「あ、あぁ」


 傷口は幸いにも浅かったようで、軽く水で流すだけでよかった。


 ティッシュを渡す。圧迫すると、若干血が出た。


「新しいのを貸して欲しい」


 頼まれて、使用済みのものと交換した。


 血のにじんだティッシュを手にしたとき、俺のなかで異変が起きた。


 目の前が歪んで、ハウリングのような幻聴が聞こえた。


 世界が歪むとはこのことだろう。


 今まで感じたことのない金縛りにおそわれて、つい膝をついてしまった。


 頭がじんじんする。手を当てて呼吸を整えるように努める。


「大丈夫か、どうした」


 悠がすかさず心配してくれた。が、強がる余裕もなく、ただしゃがみ込んで金縛りが溶けるのを待つだけだった。


 うっ、という声。


 俺からではなく、今度は神奈からだった。


 突然のことであり、瑠璃子と悠は俺たちを保健室まで運んでくれることになった。


「申し訳ない、瑠璃子」

「大丈夫。きっと大丈夫。そのはずだから」


 瑠璃子はどこか俺たちの様子を勘ぐるようで焦りすら見せた。


「こんな異変、俺は聞いていないぞ」

「私もよ。ふたりして共鳴し合うように」

「いろいろおかしいことになってるな」

「ほんとね」


 瑠璃子に肩を支えてもらいながら歩く。


 神奈の方は悠のサポートを受けていた。大丈夫だ、と声をかけている悠は、かっこよく見えた。

 保健室までつくと、少しずつ体が楽になっていった。


「大丈夫か」

「それは私のセリフ。寝不足?」

「いたって健康体だ。悪魔にでもとりつかれたような気味の悪さだった」

「非科学的だけど、そうと思っても仕方のない自体。パニックが私だけでとどまってよかった」

「神奈は大丈夫なのか」


 神奈はすこし考えた素振りを見せた。


「どうだろうか。頭の中がごちゃごちゃして、自分が自分でないような怖さが、ある」

「世界が歪んでいるか」

「私にとっては、混ざり合うような感じだ」


 俺たちに現れている症状は、おそらく同じ者が原因である。


 それがなにかはわからない。わかりたくはなかった。


 次第に身体は軽くなり、世界のゆがみも改善された。


「そろそろ戻れそう」

「いいのか」

「いろいろ落ち着いてきた」


 俺も楽になってきたので、保健室の先生に状況を伝え、復帰することにした。


 ただの立ちくらみであるというと、渋々受け入れた。




「再開しようか」

「心配をかけさせるね、一誠くんは。私の味付けパートが丸々カットなんて」

「悪い。どうしようもなかったんだ」


 もうハンバーグの調理は大詰めだった。


 あとは皿に移し、ケチャップをかけるだけですべてが終わるのだ。


「仕上げくらいは、ふたりに任せるよ」

「私がやる」


 俺が立候補するまでもなく、神奈がケチャップを握った。


 チューブを開けてぎゅっと握ると、間抜けな音ともにケチャップがあふれた。


 ハンバーグの上で広がるケチャップは、俺の中では別のものの象徴に移った。


 今回は気分が悪くなることもなかった。


 が、神奈の方には変化が起こっていたようである。


 ケチャップを絞り終えると、神奈は立ちすくんだ。フリーズするコンピューターと同じだ。


「……あっ」


 心配するような声をかけるまでもなく、神奈は声を上げた。


「一誠くん?」


 俺が誰だか戸惑っているような感じだった。


「どうした神奈?」

「カンナ。そっかそっか。大成功なのかな」

「おい、どうした、なにをいっている」


 神奈は目を伏せると、ややあってから目を開いた。



 懐かしい語り口だった。


 目からハイライトが消えている。


 顎に手を当てて、蠱惑的な表情を浮かべている。

 間違いない。


 信じられないことはあるのだが――、


 ――皐月が、帰ってきた。

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