第16話 神奈、恋人レース参戦

 黒川神奈というイレギュラーは、あまりにも異質だった。


 恋愛があくまで研究対象。そして、告白すら目的達成の手段としかとらえない。


 いささか掴みがたい感覚だ。黒川のなかでは当たり前なのだろうが。


 空き教室から戻った。教室には多くの生徒が帰っていた。悪目立ちせず、後半組に紛れることができた。


 席についた黒川に視線をやる。目があうことはない。


 なにを考えているのだろう。そんな疑問が何度も出てくる。


 純粋に黒川のことが気になる。魔の魅力とでもいおうか、不思議と俺の意識に入り込んでくる恐ろしさだ。


 この時間の担当は、クラス担任だった。サバサバしたクール系の女性教師だ。


「お疲れ様。授業を中断していた間に、前回のテストを返却する」


 出席番号順で呼ばれ、ひとりにつきひと言声をかけていた。


 俺の番が来ると、静かに顔を綻ばせていた。


「あれ、変な点数でしたか」

「点数の方は、まずまずだな」


 はぁ、と相づちを打つ。


「……恋愛面の方は、ここのところ急展開かな。ギャップに戸惑うなよ。応援している」


 俺だけに聞こえるよう、担任はそっと口にした。


 先生にまで変な噂がたどりついているとは。たった二日じゃないか。三大美少女の影響力には、目を見張るものがある。


 ……担任よ、テスト用紙の裏で親指を立てられても困る。


 周りに異変を悟られずに、席へと戻った。


「今回はこれで終了だ。話は逸れるが、水泳のことでひとつ伝えたい。残念ながら、トラブルが毎年のように発生する。ことしもみんなには気をつけてもらいたい。とりわけ男子、浮かれて周りが見えない、なんてのはよくある話だ」


 水泳でのトラブルといえば、ヒロインが溺れてしまうルートだ。


 どのルートでも、誰かしらが水泳の授業で溺れかける。危ないところで主人公が救い出し、懸命な治療の末に命が助かる。


 救出が転機となり、ヒロインと主人公の心理的・物理的距離がぐっと縮まる。


 適切な距離を保ちたい俺としては、水泳イベントを回避したいところだ。


 未来が原作通りかは未知数だ。淡い期待など抱けない。最悪のケースまで想定する必要がある。


 覚悟をしておかないとな……。


 水泳の話をしたところで、チャイムが鳴った。


 あっという間の昼休憩である。


「お疲れ様」


 瑠璃子さんは、俺の席にそっと近づいた。


「なんだい瑠璃子さん」

「疲れが顔に出てる」

「ここ数日は変化が激しすぎたもんで」

「違う。健康診断の前後で、だいぶお疲れみたいだから」

「医者に診られるのが苦手なんだ」


 ふーん、と俺に疑念の視線を向けていた。


「と、一誠くんは供述しているけれど、現実はこうでしょう」


 いうと、紙切れを渡してきた。


『神奈とふたりで会ってたんじゃない? 匂い、移ってるし、目線が神奈にいってたし。わっかりやすいね~』


 やすやすと見抜かれていた。瑠璃子さんに隠しごとはできなさそうだ。


「正解の顔だ~」

「黒川の件は認める。呼び止められたんだよ」

「なにかいわれた?」

「ここではちょっと……」


 渋って首の裏を掻いていると。


「隠すことはない。私のことなんだから」


 黒川本人が音もなく近づいていた。


「あら、噂をすれば」


 噂もなにも、と黒川は続ける。


「一誠くんと食堂に行くのは確定しているから、声をかけにきただけ」

「確定!? いや、そんな覚えは……」

「私との契約を認めてくれたから」


 契約。


 あくまで友人として、俺を知りたいとのことで、俺は受け入れた。


「オーケーはしたが、食堂の話は聞いていないぞ」

「では改めて、一誠くんとの食事は、契約を果たすための必須事項と考える。ゆえに、承諾を要請する」

「……わかった、いこう」


 俺たちの会話を聞いて、瑠璃子さんは首をひねるばかりだった。


「よくわからないけれど、私と一誠くんだけで食事するのを妨害したいって意味で大丈夫?」

「それは私のセリフだと思う」

「あれ、神奈いきなりなにがあったの……?」

「詳しい話はあとでする」


 そうこうしているうちに、次なる乱入者の登場だ。

「おっ、面白そうな話をしているね。ボクも混ぜてよ」


 悠である。


 話をこじらせる人員が投入された。


「どうも、神奈も参戦ってみていいのかな」

「大方正解かも」

「じゃあ、じっくりと話さないと。一誠くんも、当然参加で」

「三大美少女との食事、ふたたび、と」


 結局、またしても三大美少女と同じテーブルを掻こうことに。


 瑠璃子さんが当初予定していた、ふたりきりの食事はかなわなかった。


 私は絶対ふたりきりがいい、と瑠璃子さんは説得を試みていたが、あえなく却下だった。神奈や悠も強い信念を持って反論し、議論が平行線になったので。


 食堂に向かう道中、


「わたし黒川神奈、語りたくて仕方がない。つきあってほしい」


 と黒川は意味深に告げた。当然、ふたりの関心は黒川がなにをいうのか、に向いただろう。


 大事な話ということで、あまり目立たず人もすくない奥の方の席を選んだ。


 選んだはいいものの、三大美少女の知名度はやはり最強レベルであり、完全に空気になるまではいかなかった。


 食券を買い、頼んだものをテーブルに運んでから、ようやく。


「で、神奈の語りたいことってなにかな?」


 悠の提言を受けて、黒川は口を開いた。


「この数日間で、私の心はいまや一誠くんに奪われてしまった。長考の末、私は一誠くんに告白をした」

「「は?」」


 悠と瑠璃子さんの反応は、ほぼ同時だった。そして、目立たないという目標を一瞬で壊してしまうリアクションの大きさだった。


「……失礼しました」

「悪い。いや、悪いのは変な話を振る黒川か」


 瑠璃子はいたってふつうの、反対に悠は反論を含んだ弁明だった。


「変なことはいっていない。私の本能が一誠くんを求めだしているいま。研究対象としてくまなく調べるほかなく、そのためにもいずれ恋人となるのもやむをえず――」


 おい、なんだか話が飛躍している気がする。


「……やっぱり、神奈もこちら側か」


 いうと、瑠璃子さんは腕を組み、上をぼんやり見た。なにかを悟ったようだった。


「いいね、面白くなってきたね。ボクはもっと高ぶってきたよ。ますます、一誠くんの株が上昇する」


 嫉妬が大きくなるにつれ、歪んだ愛も肥大化するのが悠という人間キャラクターの特徴だ。


「神奈さ」


 瑠璃子さんは目線を戻し、ゆっくりと語り出す。


「動機はなんであれ、一誠くんに熱心になるというのなら、私は全力で立ち向かうし、容赦はしないから」


 ね、と後押しして圧をかけた。


 三大美少女の間に、確かな亀裂が入ったのを間近で見た。

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