第13話 正妻面して外堀を埋める瑠璃子
「はぁい、一誠くんのごはんです」
家に帰ってすぐに、瑠璃子さんは朝食を作ってくれた。
迷うことなく調理をすすめていた。俺よりも家の構造を知り尽くしていそうだ。転生二日目の俺にとって、ここは新居も同然だ。
できあがった野菜炒めとスクランブルエッグを前にして、不意にお腹が鳴った。
「へぇ、それだけ楽しみにしてたんだね」
「生理現象だ」
「おいしそうとは思わない?」
「うん、マジでうまそう」
「ふふん」
おいしいっていってほしかった瑠璃子さん。お茶目だ。
ヤンデレらしさを出さなければ、瑠璃子さんは最高なのだ。ゆえに、現在気が抜けている。心臓は高ぶっている。俺は単純な人間だ。
自前のエプロンをつけて料理していたので、恋人らしさ全開だ。正妻の余裕がある。本当にただの三大美少女なのかと疑いたくなる。
「じゃあ召し上がってね、一誠さん」
「なんだか新婚っぽくてぞわっとしたよ」
「え? 私たちは結ばれる運命なのでその予習です」
「勝手に展開を決めつけないでくれ」
やはりヤンデレなんだよな、この人。
いただきます、の合図とともにスクランブルエッグをいただく。
「っ……!?」
口に入れた瞬間、言葉を失った。
あまりにもおいしすぎるのだ。火加減もほろほろ加減も完璧。目を閉じれば高級ホテルの朝食だ。
「おいしいでしょ?」
「これまで食べた卵のなかで一番うまい」
「ふふふ。私の長年の成果だよ。もうこれで、他のスクランブルエッグには戻れないね」
「うむ」
いま思えば、他の女には戻れない、みたいないいぐさだった。そんなのどうでもいい。
次に野菜炒め。
これも、塩辛さと火の通り具合が一品級だった。
本当においしいので、言葉を発する余裕もなかった。サムズアップを震えさせて、渾身のおいしさ表現だ。
「どうしてこんなにうまくつくれるんだ」
「なんだろう……美食を追求してるから?」
香月瑠璃子は家の裕福さゆえ、うまい食事が身近にあった。そのため、自分で作る場合も自然とうまいものを求めるようになり、料理は腕利きなのだ――。
と、そんな設定だったかな。
その言葉に偽りはなかった。主人公の反応以上の価値があった。
「そういえばあなた、コーヒーはまだよね」
「忘れてたな」
「いま淹れてきますね」
もはや夫婦ごっこをされても突っ込む気はなかった。いおうといわないと、瑠璃子さんは続けるだろうから。
湯を沸かす。ドリップコーヒーの封を開け、カップにセットする。
慣れた手つきで湯を注ぐと、ふたり分のコーヒーができあがる。
「どうぞ」
湯気の立ったコーヒーカップを軽く回して、ひと口。
……なんて優雅な朝なんだ。
瑠璃子さんはきのうの出来事を茶化しながら話した。それから、ここ最近のことなんかを話題にあげたりして。
にこやかな瑠璃子さんは幸せそうで、場をともにする俺もまた高揚感に包まれていた。
学校に向かって出たとき、あるはずのない新婚気分が抜けなかった。
差し出された手を自然に握っていたときには、自分が脳にかかっているかと思った。あまりにも自然に馴染んでいたからだ。
手を離し、俺はいったん冷静になる。
ヤンデレは全力回避、全力回避が俺の使命!
二度目の死は御免だろう? ならば不用意に距離をつめることなかれ。
心の中の鬼コーチが俺を叱る。同じ轍を踏みたくはないだろうと。
しかし、朝食の契約を結んだ以上、いまさら別々に登校しようといえるはずもなかった。
人がいないところを見計らって、瑠璃子さんは手を繋ごうと必死だった。
俺は手を華麗にかわしていく。瑠璃子さんはかわされるたび、ムググ、と悔しさを露わにしていた。
そんな瑠璃子さんの抵抗なのだろうか、教室に入るとき、同時に入ろうと駄々をこねた。
「なんだかあからさまじゃないか?」
「きのうと同じだし、誰も気にしてないよ」
「瑠璃子さん、腐ってもあなたは三大美少女なんだ。注目の的なんだ」
「注目なんて私は慣れっこだよ。困るのは一誠くんだね」
不敵な笑みを浮かべる瑠璃子さんに、俺は反論できなかった。
周りからの注目を買ってしまうのは、瑠璃子さんを受け入れ、一緒に登校したからだ。自分の招いたことなのだ。
一緒に入るとき、気になるのは悠である。
嫉妬深い彼女が、瑠璃子さんからの当てつけともとれる態度を見たとき、平静を保てるだろうか。
否。
答えは否だ。
瑠璃子さんは、自分の優位性を示し、悠に嫉妬させることまで計算済みなのだろう。三大美少女はお互いのことをよく知っているだろうから。
「……底が見えないよ、あんたは」
「ん? なにかいった?」
階段の踊り場で瑠璃子さんは立ち止まる。後ろを向いて、首をかしげた。
「いや、なんでも。勝てないな、と思ったんだ」
「そっかそっか。じゃあ、一緒に入るんだね」
「ギリ、耐えられるからな」
ここでノーを示せば、またしても脅しが入るだろう。最初に監禁部屋の存在を示したことには、やはり感嘆する。
教室のある階につくと、瑠璃子さんは歩く速度を落とした。
「いよいよだね」
「ああ。いくしかないか……」
残された道は、後ろにはない。ただ前進のみだ。
扉を開けると、瑠璃子さんは開口一番、おっはよー、と高らかにいった。
俺が中にちゃんと入るまで、密かに後ろで手を結ばれていた。
――背徳感があるでしょう?
というのが瑠璃子さんの言だが、こちとらばれない緊張でバクバクだ。
手を繋いでいたのは一瞬だったとは思うが、永遠にも感じられた。
解放された俺を待っていたのは、教室のざわざわ。
そして、ある女子からの強烈な存在感を放つ目線だった。目を逸らそうにも、視線を追われてしまう。
相手はもちろん、悠。浅井悠だ。
頬をぴくぴくとさせている。これから待ち受けるであろう展開に、俺は心のなかで震えていた。
そして、クラスメイトから向けられるさまざま目線や思いをスルーしながら、席に着く。
目を閉じて、視界をシャットアウトした。一度心を空っぽにしたかったのだ。
ゆっくりと世界を受け入れようと目を開いていくと。
真ん前に顔がある。女の子の顔だ。
「幸せそうだね、一誠くん」
無表情で切り口上の悠が、目の前にいた。
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