第11話 悠は理想の相手になりたい

「やぁ、一誠くん」


 悠が入ってきた。にこやかだ。インターホンを連打し、扉を執拗にノックしたとは思えぬ爽やかさだ。


「遭いにきたよ、君のために」


 さりげなくウインク。


 そんな振る舞いでは取り繕えないようなメッセージを送っていたよな、悠。


 リアルと文章で印象が大きく変わるタイプなのだろうか。ふつうな感じでいられると、逆に余計な考えを膨らませてしまう。


 制服姿の悠は、改めてみると整ったスタイルをしていた。


 背の高さによる存在感と若干の威圧感。シャツのボタンが緩く閉められており、男子の目には毒な胸部。神がかっている。


「ストーカーして押しかけてたけどな」

「いいぐさがひどくない?」

「事実だからな」


 いまのところは大丈夫だが、どこで悠の正常ラインがなくなるかは不明だ。慎重にいこう。


「ボクはね、本気で連続ピンポンとかノックとかをしたわけじゃないんだ」

「だとしても、こっちは本気で怖かった」

「すまない。一誠くんなら喜んでくれるかなと仮説を立てたんだ」


 正気なのだろうか。いぶかしむような目つきで訴えかける。


「瑠璃子が病んでるタイプなのは、長い付き合いだしよくわかってる。瑠璃子と相性抜群の、耐性がありそうな君なら、病んだフリも受け入れてくれるかな、とね」

「どんな賭けだよ」

「いやぁ。昼の様子を見る限り、エムでこういうのはご褒美と踏んだんだけどなぁ」


 俺がヤンデレが大好きな単純男だったらよかったのだろう。が、俺は違う。味わった苦渋により、ヤンデレとは原則距離を置きたいのだ。


 例に漏れず、悠もヤンデレ確定演出だろう。たとえ冗談だとしても、メッセージから連続ノックの一連の流れには寒気がした。本物のオーラが漂っていた。


「とにかく、ヤンデレムーブは怖いからやめてほしい。次はないよ」

「ごめんな! ボクもつい、一誠くんの困り顔を拝みたいどばかりにね。いけないな、暴走するのは」


 わかってくれたらいいのだ。やったことは消えないが、未来は努力次第で変えられる。


「――でも、やはり人の果実は甘そうに見える」


 悠の舌が、ねっとりと上唇を湿らせた。彼女の目は、獲物を前にした捕食者と同じだ。


「悠? きょうはただドッキリをさせにきただけで、もう帰るんだよな。夜も更けてきたし、家の人も心配するだろうし」


 あぁ、家の人。悠は興味なさげに吐き捨てる。


「友達の家に泊まりにいくって話してあるから。相手が男友達とはいってないけど」

「マジか」

「うん。マジマジ」


 なるほど、原作通りだ。


 浅井悠にも、ヤンデレの素質がある。他の女子とタイプは違えど、対象への積極的なアプローチはまさにそうだ。


「あたし、昔から欲しがりさんなんだ。憧れたものは自分のものにしたくてたまらなかった」

「物も、地位も、人も?」

「そう。欲しいおもちゃは甘い声でねだった。バスケで地区の強豪になりたいから、昔から一生懸命に練習してきた」


 ただ欲しいと叫ぶだけではないのが、悠の長所である、とゲームプレイ時によく思ったものだ。


 目的のために、行動を起こす。理想と現実の乖離に目を背けない。理想が現実味を帯びるよう、悠は手も足も止めない。


 最終的には、高いゴールであっても、シュートを華麗に決めてしまうのだ。


「人はどうだろう。好きな男の子なら、付き合っていようとおかまいなし。あたしが上だとわかれば、こっちにくるから。やらない手はないよね?」


 強引なやり方ゆえ、悪評が出回りそうなものだが。


 奪った男の子の元カノさえも惚れさせてしまうので、奇跡的に問題にはなっていない。かわいさとかっこよさの黄金比がなせる技だ。


「今回も同じことを?」

「うん。あの瑠璃子が心を惹かれるってことは、別のことは違う『なにか』を持ってるってことだろう? 人の果実はいっそう美味しそうに見える。そもそも、君みたいなかわいいエムは大好物だから。ターゲットにしない理由は皆無だっ」


 本人の前でよくもペラペラといえるものだ。


「いきなりいわれても、俺は悠を選べない」

「え?」

「瑠璃子さんだって断って、保留にしてるんだ」

「なんで? 瑠璃子がダメならあたしにしとかない?」

「詳しくはいえないが、ダメなんだ。ともかくきょうは、引き返してもら――」


 いおうとしたところで、人差し指を押し当てられた。


「ボクを選ばない理由はなんだい? 保留といってくれないのは? 瑠璃子よりも劣っているのかな?」


 回答をしようとする隙すら与えない。押しつける圧力は強くなる。


 痛さ故に押し返すしかなかった。


「……コホン。いまのは詰めすぎたけど、ボクは知りたいんだ。どうしたら君に選んでもらえるのか、どこが足りていなくてどこを直せばいいのか。毎日成長したいからね。ボクに賛同してくれるだろうか、一誠くん?」


 強い圧力をひしひしと感じる。


 穏便に解決すべきなのだろうが、さすがに本音が漏れてしまう。


 そう。


「ごめん。正直、重い」


 啓示をうけたかのように、悠の顔が晴れやかになる。


「ハハハ。やっぱりそうだ。最初は拒否反応を示すよな。でもね。ボクの『重さ』は、毒みたいにゆっくりと君を蝕む。気づいたときには手遅れ、ボクの虜さ」

「折れないね」

「もちろん。きょうはおとなしく撤収させてもらうよ。ひとつだけ宿題を終わらせてからね」


 いうと、悠は後ろに回り込んだ。


 抱きしめるように手を回し、背中に体の前部を押しつけてきた。


 引き締まったところと、柔らかいところの弾力差。


 甘さの中に酸っぱさが混じる匂い。


「君を奪ってみせるよ」


 囁いた言葉は、低く通っていた。中性的な艶めかしさがあった。


 他の女子からは感じたことのないような、不思議な感覚に、頭がおかしくなりそうだった。


 しばらくすると、満足したようで離れた。


 宿題という名の仕事を終えてからの帰宅は早かった。


「じゃーね、エムくん」


 扉がガチャリと閉められた。


 部屋には悠の残り香で充満していた。瑠璃子さんの匂いを上書きする勢いだった。


 布団に入ってからも、怒濤の一日のためか興奮冷めやらず、といったところだった。


 ともかく一度落ち着けさせないと、まるでダメそうだった。

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