自己反省と日本の展望と世界政府の動向

どうやってお金儲けをするかずっとずっと考えてきた。 そもそもお金はあるんだから 投資信託 すれば年利5%10億 預ければ5000万円の利息が手に入る 計算になる。 さらに欲張るということになる。 黙って働かなくても5000万円入ってくるというのに、人生って不平等だよな と笑顔でつぶやいてみた。身長も普通体重はすごいけど痩せたらなんとかな るる。 ルックスも 標準以上はあるだろ。 髪の毛は禿げるかもしれない。 どうするかな。 これから先 お金で集まってくる人もたくさん出てくるだろう。 人間という生き物は正の走金性と正の走人性がある。人間はどこに集まるか それはお金があって人が多いところに集まるのだ。 もっとお金が多い場所があればもっとお金の多い場所に移動する それが人間という生き物だ。 人の数も同じだ。 人数が多いところへ 多いところへと移動する それが人間という生き物。 しかしそういうところに戦争が災害がやってくるとバックアップ機能が働くのも人類だ。


結局 1極集中するとどうなるのかと言うと まあ 早い話が株式投資で1つの銘柄だけをずっと買ってるようなもので それが一気に倒産してしまうようなような話である。日本というのはポリオにかかってるようなものだろ。 手足の先からだんだん 痺れてきているのだ。 過疎地 という指先 髪先からだんだんと弱ってきている。何でもかんでも東京に集めればいいというものでもない。 結局 東京も過密化が進んでしまった。 血流も1箇所に集まれば それは病気である。心臓に血が大量に集まるといつか 破裂してしまうようなものだ。なお 厄介なこと日本は心臓と脳を同じ場所に置いている 心臓が停止すれば脳が停止する し、脳が停止すれば心臓が停止するような状況にある。 植物人間になることすら許されていないのだ。


しかし 大阪や 福岡や 名古屋 を発展させればいいではないかというがそういう問題でもない。 結局 東京に一番来ているので誰かと言うとその人たちだからだ。 東京に来ている多くの人たちは都市部出身者がさらにいい大学を出れるのでさらにもっとより良い 都会へ進出した結果福岡や 大阪 名古屋といった人たちが東京に進出してきているのだ。 しかし 福岡 はまだ いいとして名古屋や 大阪はさらにもっと田舎の地方都市からの移住がなかなか進まないのはその地方都市 がもう 衰退 しきっており 今現在神戸や京都は人口流出 都市としてよく知られている。


結局人はどこで増えるかといえば 農村部 なのだ。 農村部で余剰人口を 都市部に送り出し 都市部からさらにもっと都市部に人口を送ります。 そして最終的に大都市部で消費されて終わるのだ。 つまり 大都市に人口を集めたとしても、多くの人は結婚せず一生終えるのだ。


それは生物学的に証明されている。ワタリバッタの例もそうだが、人間をの場合は心理学の領域において 証明されている。 よく都会の人間は冷たいという言い方をするが あれは心理学では証明されている。 都会では 情報量があまりにも多いので自分に見えない世界 というのを作らなくてはならない。もし いろんな情報に取られていたら疲れてしまう。 だから 自分と関係ない情報は取捨選択して取らない 選択をする。 結果都会に住んでいると自分と自分に近い関係のものしか目につかなくなっていく。 多くの自分よりもっと弱い人の存在になんて気づかなくなっていってしまうのだ。


人間を生物学的に考えるなら個人的には地方の県庁所在地に住むのが最大限 自己増殖できる一番いい 立地 なのではないかと思われるが、都市部に生息してしまうと環境収容力が低いため 自己増殖があまりできなくなってしまう。その結果 大抵の人は都市部に住むと多くても2人ぐらいがせいぜい 限界になってしまうのだ。


ホモサピエンスにおける同種間競争に勝利するためには同種と競争しないことも一つの選択肢になって行く。また都市部に生息すると 選択肢が多すぎるあまり 選択できないということも生じかねない。


ホモサピエンスとしての生物 競争に勝利するためにはやはり 空間の確保は必要不可欠なのだ。 そして自分より強い存在が少ないところに生息するのも重要だ。


農村部に住むのであれば これからの時代 農村部には一夫多妻を認めるなどの政策を取らなければ 農村部に住むメリットなど ほぼ皆無に等しい。 農村部に行けばどこでも美味しい空気と自然はあるのだ。基本的に そこで食べられるものは 美味しい。大阪でなくても どこ行っても お好み焼き屋はあるし 中国でもないがラーメン屋はあるし 香川ではないがどこに行ってもうどん屋はある。


日本はまんだら 的 過疎化が進んでいると言ってもいいだろう。 結局 政府がどこに行っても同じような環境を味わえるようにしていた結果どこに行ったら同じような風景が広がり どこに行っても同じような食べ物ばっかりになってしまった。


今の世界政府はそれのグローバル バージョンをやろうとしている。 イタリアではないが どこでもピザが食べられ インドではないが どこでもカレーは食べられ 日本ではないが どこでも寿司が食べられる そんなような世界政府を作ろうとしているのが現実ではないだろうか。 フランスではないが ワインが飲め ドイツではないが ビールは飲め それが世界中で起こっていくのだ。すでに 中華料理では それは達成してきたと言っても過言ではないだろう。


どんどんと 世界旅行に すら 行く意味がなくなっていく時代になっていくのだ。これから50年で。 国内旅行でさえ どこに行っても同じような料理であるにも関わらず

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