天偏物と黒の陰謀

第8話 ネベル・ウェーバー

 2422年

 二つの世界が一つになったその年、ネベルは地上で生を受けた。


 魔合。

 無数の神秘たちはいくつかの理不尽を伴って、魔界から一斉に押し寄せてきた。


 人間の世界はたった一晩で混沌カオスとなり、世界は彼らの物ではなくなった。



 混沌とした世界では、ただ生きる事さえ難しい。

 ネベルの母ソリティアは、息子の成長を見守る事なく息を引き取った。


 数年後、父ゲバルもモンスターに殺されてしまう。


 そのため、言葉を覚えたばかりの幼いネベルは、危険に満ちた世界をたった一人で生きていかねばならなくなった。



 独りになっても生きることを諦めなかったネベルは、父が遺した瓦礫に埋もれた隠れ家での生活を始めた。


「いいかネベル。こんな世の中じゃ誰に頼る事もできない。一人で生き抜くしかないんだ。困った時は最後まで知恵を絞れ、使えるものは何でも使うんだ。分かったか?不条理に負けるんじゃないぞ……」


 それがモンスターから自分を庇って死んだ父ゲバルの最後の言葉だった。幼いネベルは、その言葉をありのままに飲み込んだ。



 幸い隠れ家には完全栄養サプリやインスタントなどの食料や、数年分の生活用品が蓄えられてあった。幼い子供が生き残れたのはそれが理由だった。


 他にも地上でロボット整備をしていた父ゲバルは、機械工学の知識がつまった電子端末を遺していた。

 ネベルはそれを使い、旧文明の機械に関する知識を身に着けた。


 ―使えそうな物はなんでも使おう。もう滅んだ技術だけど、いつか何かに役立つかもしれない―



 数年の月日が経ち、遠くない未来に備蓄してある食料が尽きる事が判明した。


 このままでは食べるものが無くなってしまう。ネベルは生き抜くために隠れ家の外に出ていく決意をした。


 ついに、ネベルは穴倉から這い出した。

 手には自分で組み立てたレーザーライフルを持っている。


 ゲバルの電子端末の情報では、外の世界とは機械と金属で平らに整地された死の世界だという。この先に、どんな危険が待っているのか定かでない……。



 ――200憶の人間が仮想空間カテドラルスペースで暮らしていたサイバー時代エイジ


 仮想バーチャルの中で、すべてが思い通りで理想の生活と、普通に暮らしては手に入らない数倍の寿命を約束されていた世界。


 それは現実の身体を仮死状態にし、プールの人工羊水で長い間肉体を保存してやっと維持できる、随分無理やりな形の生命体系であった。


 そんな皮肉を込め、仮想空間カテドラルスペースを嫌うアンチダイバー達は、プールのたくさん詰まったフルダイブ施設の事を墓の塔セメタリ―タワーと呼んでいた。 

 夢の中では世にも美しい天国が見れるが、地上からの光景はまさに死の世界だとゲバルもよく言っていた。



 しかし、幼いネベルが目にしたのは、そんな死の世界とは程遠い全く真逆の光景だった。


 森は緑に染まり、何処からか聞き覚えのない川のせせらぎも聞こえてくるようだった。ネベルはそれらの眩しさに、慣れるまで目を抑えている必要があった。


 微精霊と魔界の空気に触れた大地は緑化され、たった10年で自然は本来の姿を取り戻したのだ。


 皮肉にも魔合はネベルから両親を奪ったが、文明の発達で荒廃した大地から再び命の再生をもたらしていた。


 これほど生命のある場所ならば食料の心配も必要ない。ネベルは一つ安堵した。

 そしてネベルはこの世界で、一人で生き抜く為の一歩を踏み出したのだ――。



 2438年

 当時16歳のネベルは、狂暴なモンスターがのさばる世界で生き抜く為に、さらなる強さを追求していた。


 ダイバーとして遺跡に潜り、新たなレリックを手に入れ、出会ったモンスターを狩る。レリックで武器を改造し、またモンスターを狩る。ひたすら繰り返しだ。


 そうしてついた通り名が不可視の獣。ひたすらに闘争を求める戦いの獣。

 ネベルは殺戮を楽しんでいたつもりは無かったが、戦ってる間はそれに夢中になれたので嫌いじゃなかった。


 そしてネベルは自分の噂を聞きつけた者から、たまにダイバーとは違う少し変わった仕事を受けていた。ネベルを強者と見込んだ者からの、モンスター退治の傭兵稼業だ。



 ここは北大陸にある常闇の森。

 うっそうとした暗い場所だ。しかも数日前から大型のモンスターが荒ぶっており、どこか木々も必要以上にざわめいていた。


 今、ネベルの目前では羽の生えた牛の悪魔フィーンドが、その湾曲した角を突き刺そうとして突撃態勢をとっていた。悪魔フィーンドは人間の男の顔を持っており、怒りに満ちた表情を浮かべながら鼻息を荒くさせていた。


 ネベルは愛用している大型刀剣エクリプスを構え防御姿勢を取った。しかし、自分よりも二回り大きな悪魔フィーンドの巨体から繰り出される突進をもろに喰らってしまえば、いくら防御をしても無駄な事だとは分かっていた。


「ひ、ひえええぇ!! 怖いいぃっ」


 今のはネベルの発した声ではない。ネベルは悪魔フィーンドと対峙したままチラリと横の木の影に潜んでいる小太りの男の様子を確認した。

 彼は見届け人だった。今回のモンスター退治の依頼人でもあり、ネベルの仕事の様子を確認しに来ていたのだ。


 ―ハア、だから来るなって言ったんだ……。アイツのせいで身動きが取れないぜ―


 ネベルはただでさえ視界が遮られる暗い森の中で、背後の依頼人の安否を気にする必要があり、思うように力を発揮できずにいた。


「ブオッ ブォォ」


「来るかっ」


 悪魔フィーンドは雄たけびを上げると、ものすごい怪力で森の木々を薙ぎ払いながらネベルに向かって突進してきた。


 恐ろしい力だったが、その攻撃はネベルにとってはかえって好都合な事だった。

 なぜなら邪魔な木々が倒されたおかげで広い視界が確保できたからだ。


 ネベルは後退しながらエナジーボトルを取り出すと、それを開封し呪文を唱えた。


「導け。ブラックバイン」


 すると、魔法に作用した一本の木から長い蔓が伸びてきた。ブラックバインは植物の成長を促す魔法だったのだ。

 ネベルは蔓に掴まると、木によじ登り悪魔フィーンドの突進を回避した。怒り狂った牛が、急には方向を変えられないというのは、いつの時代でも常識だ。


 さらにネベルは再び魔法を行使すると、今度は悪魔フィーンドの進行上に輪っかのような形の草を成長させた。輪っかは悪魔フィーンドの足を引っかけ、転倒させるための物だった。


 思惑通り悪魔フィーンドは蹄を輪っかに引っ掛けると、身体を横滑りさせながら盛大に転倒した。


「クク 隙だらけだ。横っ腹がガラ空きだぜ!!!」


 ネベルは木の上を伝って悪魔フィーンドの真上に行くと、そこから飛び降り悪魔フィーンドの腹部に思いっきりエクリプスを突き刺した。


「ブモォオォォ……ォォ…………」


 悪魔フィーンドは断末魔を上げた。



 死体の始末を終えたネベルは、悪魔フィーンドが吹き飛ばした大木の隙間で小さくなって震えている依頼人の姿を見つけた。


「おい無事か?」


「うわぁっ! ……ああ、なんだ。あなたでしたか。もしやモンスターをもう退治したのですか?」


「ああ」


「本当ですか! さすが噂に違わぬ仕事ぶりですね。いやいや、ちゃんと見てましたよ。そうじゃないとここまでついて来た意味が無いですからね。いや素晴らしい銃の腕前でした!」


「ああ……………………(?)」


 話が噛み合ってないように感じネベルは首をかしげた。だが与えられた仕事は完遂したので何も問題はない。


 その後ネベルは依頼人兼見届け人を常闇の森の端の木につないであったヒポテクスの元まで連れて行った。そこで報酬の受け取りを行った。


「では約束通り、10エナジー分お支払いします」


「…………ああ」


「それと、ご所望だった豆ですが…………苦労しましたよ? しかし今回は特別に、とっておきの物を差し上げましょう! 助けていただいたお礼ですよ?」


「本当か! ありがとう!!」


 ネベルは趣味として、各地でお茶にする豆を集めていた。


「これは旧文明でグリーンピースと呼ばれていた豆です。ほら、綺麗でしょう!こんな緑の豆は珍しいですよ」


 依頼人兼見届け人は旧文明のレリックと思われる金属製の缶詰を取りだした。そこには緑色の豆の写真がパッケージとして描かれていた。


「ホントだ……この豆はどんな味のお茶になるんだろう」


 ネベルは喜んでその缶詰を受け取った。グリーンピース茶を試して、ショックを受けるのはまだ先の話だ。


「ではこれで契約は成立ですな。またモンスターが出たらお願いしますよ!」


 依頼人兼見届け人はそう言うとヒポテクスにまたがった。


「待て」


「ん、まだ何か」


「何か情報はないか?」


「情報、とは」


「何でもいいんだ。レリックでもモンスターでも」


 ネベルは傭兵稼業の後はこうして各地で情報を集め、次の仕事に繋げていた。

 依頼人兼見届け人は少し考えこんでいたが、やがてこのように語った。


「そう言えばジャングルを越えた先にあるコロニーでモンスターの被害に困っていると、品物を売りに来た別のコロニーの人間から聞いた事があります」


「そうか、助かる」


 ネベルは次の目的地を決めた。

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