第10話

「さむっ」

 イサナはあまりの寒さに目が覚めた。起き上がった横には、頭から血を流しているジントがいた。

「ジント、血が出てる。どうしたの」

「……雹が当たった。そんなことより、意識はちゃんと戻ってるのか」

 ジントが真剣な表情で見つめてくる。

「ちゃんと意識あるってば。それよりも、ジントの怪我のほうが大変だろ。ほら、何かで傷口を押さえなきゃ」

 イサナは何かないかと自分の服を見た。すると、全身がびっしょりと濡れていることに気付いた。

「僕、何でびしょぬれなの? ジントが濡れてないってことは、雨は降ってないんだよね」

「あぁ、雨は降ってない。雨の代わりに雹が降ってきたから。お前が濡れているのは、俺が、ポポロニアの泉から持ってきた水をかけたから。ザークは、きっとこの時のために持って来させたんだ。清めの水にするために」

 イサナは、改めて自分の濡れた服を見た。そして、ゆっくりと周りの景色を見渡す。

「これ……僕がやったの?」

 巨木が無残にも倒れて燃え上がり、その巨木のせいで神殿の入り口は破壊され、地面にもぼこぼこと大きな塊が刺さっている。少し視線を遠くにやれば、山の方で数箇所煙が上がっていた。

 ジントは無言だった。その無言こそが雄弁に事実を語っている。

「そうか、僕が……。やっぱり僕がやったんだね」

 ふいに、体の中に風が吹いた気がした。

 風に乗って、いろんなことが甦って来る。さっきの記憶から、過去の記憶まで。もっとも目をそらしてきた部分。他人とは違う、他人に忌み嫌われる不吉な力。幼い頃、テレジアを殺しかけ、城を追い出される元凶となった力。

 いつも怒りをまとっているテレジアが恐ろしかった。でも、理不尽に母を罵倒するテレジアが憎かった。許せなかった。そして、ついにある日、一瞬意識が途切れ、再び意識が戻ると、中庭のテラスが燃えていた。そのテラスは、いつもテレジアが午後のお茶をする場所だった。

 テレジアは、すぐにイサナの元へ、怒り狂いながら乗り込んできた。テレジアはとっくの昔に気付いていたのだ。イサナに力があることを。だからこそ、もともと気に入らなかった母と、恐ろしい子供を追い出そうと、あんなにも理不尽に攻撃していたのだ。

 こんな怖い力なんて持っていない。気のせいだと思い込み続けてきた。テレジアが母を妬んで追い出したんだと、幼いイサナは自分に言い聞かせ続け、いつしか、それがイサナの真実になっていた。

「やっと自覚したかい?」

 ザークが左腕を押さえながら、歩いてきた。

「落雷の衝撃で、吹っ飛ばされてしまったよ。でもやっと、自覚してくれたようだね。君は雷雲を引き寄せる強大な力を持っている。つまり、王家の由縁たる雨乞いの能力だ」

 イサナはザークを見上げる。

「何故、僕にこんな力があるんです? 王家の力というなら、僕以外にもあるはずだ」

「もちろん、君以外にも能力をもっている人物はいる。かくいう私も、力を持っているんだよ。この前の雨乞いを結果的に成功させたのは、私だしね。国王の体力が心配になって、儀式の最中に神域へはいってしまったんだ。国王もそれは気が付いていたさ。それなのに、私を差し置いて君を指名しようとするものだから、我慢できなくて抹殺をたくらんでしまった。でも、それは間違っていたよ。君の能力は、私とは桁違いさ」

「だから……僕に国王になれっていうんですか」

「そうだ。次の国王は、君でなければならない。これはもう時代の周期なんだ」

「……周期?」

 イサナは意味がわからず、眉を寄せる。

「私はね、アラン国王の側近だが、政務よりは、主に学者業を手伝っているんだよ。国王は王家と雨乞いの関係について、ずっと研究を続けていた。もっとも今のご時勢、雨乞いなんて王家の威厳を高めるための、ただの言い伝えだと思われているけれどね。だから、国王が何を言っても、本気で信じる人はいない。国王と臣下という立場があるから、皆、聞いたふりはしているけれど、内心バカにしているのが見て取れる。腹立たしいことこの上ない」

 その通りだった。本当に人間が雨を降らせるなんて、皆はあり得ないことだと思っている。現にイサナだって、そんな力はあってはならないと思い込んでいた。

「けれど、歴史書を紐解き、神殿の様子を調べるうちに、いろいろ分かってきた。この地域はね、二百年に一度、大干ばつが襲うんだ。今でこそ、川の整備が進み、ため池も多く作られ、少しくらい雨が降らなくても大丈夫になっている。よって、国王に能力があろうがなかろうが関係なかった。でも、大干ばつが来るとなれば話は別だ。だから、一番能力を濃く受け継いでいる君に、アラン国王は継いでもらいたいと考えたんだ」

 ザークの説明を聞いて、イサナは一呼吸置いてから口を開いた。

「理由は分かりました。でも、だからって僕が引き受けると思いますか? 妹を殺され、その結果、友人も怪我をして、雷があちこちに落ちて、関係ない人々が巻き込まれ……こんな非道なやり方で、僕が説得されるわけないでしょう。何故、こんな理不尽なやり方をするんですか」

 ザークの目が一瞬、鋭くなった。

「君が耳を塞いで、何も聞こうとしないからだ。国王の呼び出しも、ずっと無視していたね。君は話し合いの場にすら来なかったわけだ」

「そ……れは」

 イサナは、続きの言葉が何も出てこなかった。すべては、向き合うことを恐れて、見ないように逃げ回っていた自分が招いた。認めたくない、でも、それは事実だ。

「これからも、君は逃げ続けるのかい?」

 ザークは、容赦なく切り込んでくる。

「……怖いんです。僕は、この力が、怖い。どす黒い感情に支配され、自分が自分でなくなる。そして、気が付くと、目の前は火の海だ……」

 イサナは両手で顔を覆った。

 テティと手を繋いで見つめていた炎。あれは、自分が暴走して家に雷を落としたのだ。母が死んだとき、悲しみのあまりわめき散らして、気が付いたら母の遺体ごと家が燃えていた。

 五歳の時、イサナは身重の母と城を追い出された。行く当てもなくさまよい、やっと街外れに家を借りた。しかし、城から追い出されてやってきたという噂はすぐに広まり、白い目でいつも見られた。幼い子供達の安全を考えた母は、もっと街から離れた山の麓に移り住んだ。そこでの生活は、不便だったけれど、それなりに楽しかった。

 だが、イサナが十二歳のある日、母が熱を出して倒れた。ただの風邪だった。でも、近所に医者がいる訳もなく、テティをおぶって丸一日かけて医者を呼びに行った。それなのに、医者は来てくれなかった。その街でも風邪が流行って忙しいから、山の麓にまで行っていられないと断られたのだ。

 イサナが諦めて家に帰ると、母はすでに帰らぬ人となっていた。イサナは後悔した。どうせ医者を連れてこられなかったのなら、何故母の元にいてあげなかったのか。母は一人ぼっちで最期、どんなに寂しかっただろう。

 そう、イサナはこの国の人々を、心の底では憎んでいる。母と自分を追い出したテレジアも、救いの手を差し伸べることをしなかった父も、街の差別に満ちた人々、母を見捨てた医者、そして何より、母を苦難へと導いた自分自身が、大嫌いだ。

「イサナ」

 ジントに呼ばれて顔を上げる。すると、顔に水をかけられた。

「冷たっ。何で水かけるんだよ」

「国王が言ってたから。護衛を頼まれたときに、親衛隊を動かしていいと言われたんだが、もう一つ追加で言われたことがある。何かあったら水だと。しかも水はキレイならキレイなほど、浄化してくれるからって。言われた時は、意味が分からなかったけどな」

「だから、さっき水を全身にかけたんだね。でも、今のはおかしい。何も起こってない」

「そんなわけないだろ。また雷落とす気か? 雲が集まり始めたぞ。お前は、本当に分かりやすいよな。口には出さない変わりに、いつも雷を鳴らす」

「いつもって……ジント? もしかして、ずっと前から気付いてたの?」

 だから以前、ジントは雷が嫌いだと言っていたのか。

「イサナの母様が亡くなったとき、俺は乳母と葬儀へ行った。城の奴らも街の奴らもほとんどいなくて、静かな葬儀だったよ。お前が暴走するまではな」

「あんなの見て、よく今まで僕の隣にいたね。僕が怖くないの?」

 イサナは、水に濡れた顔を手でぬぐいながら、おずおずとジントを見る。ジントは、平然としていた。

「隣にいるのは、怖くなどない。まぁ、あれを見たことで、お前の印象が変わったのは確かだけどな。初めて会った時のイサナは、ヘラヘラしてて、嫌なことがあっても上機嫌でいるから、気色悪い奴だと思ってた。でも、違うんだって分かったから、安心したんだ。お前も血の通った、どろどろした感情を持った人間なんだって知った。それと同時に、普段、どれだけ我慢しているかも知った。我慢して、ヘラヘラ笑って、お節介な親切振りまいて。そんな風に、自分の中に抱え込んでもがいているお前が、どうしようもなく心配になった」

「ジント……」

 心の中が、暖かくなっていくのを感じた。

「それに、お前は基本的に単純だからいい。ほら、もう雲が薄くなってきた。腹の底から怒っているときと、単に怒ったふりをしているとき、すぐに分かる」

 イサナは空を見上げ、恥ずかしくなって顔を背けた。本当に黒い雲が過ぎ去り、薄曇になっていたのだ。今までも、ジントにはこうやって自分の感情を覗かれていたかと思うと、顔から火が出そうだと思った。

 二人の様子を伺っていたザークが、イサナにハンカチを差し出してきた。

「これで顔を拭くといい。それにしても、やはり、君たちは二人でセットなんだね。イサナの隣にはジントがいなくてはならないと、国王がおっしゃっていた。イサナの力は強大だ。その分、暴走したときの破壊力も凄まじい。それを押さえるには、ジント、君が必要ってことだ。今までも、君はイサナが暴走する前に、止めていたんだろう? 国王はそれを見抜いておられたんだ」

 ジントは仏頂面で、知らんと言っている。でも、振り返れば、思い当たることがたくさんあった。ジントの面倒を見ているつもりが、本当は、面倒を見られていたのか……とイサナは少しショックだった。

「さて、本題に戻ろうか。イサナ、もう理解していると思うが、我々は君を国王にすることを諦めたりはしない。君が国王を継ぐと言うまで、様々な方法で説得を続ける。君にとっては理不尽かもしれないが、仕方のないことだ。この国を守るために必要だからね。君には憎い国でも、私にとっては愛する人が住む、愛する国なんだ」

 ザークの言葉に、イサナは何も返せなかった。

 分かってはいるのだ。ここで自分が国王を継ぐと言いさえすれば、すべてが丸く収まるのだと。でも、どうしても、わだかまりが消えない。自分が国王になろうが、なるまいが、テティはもう戻らないのだ。この世で一番大切な妹すら守れなくて、国民を守るとか出来るわけがない。

「ザーク、ひとつ聞いていいか?」

 黙りこくったイサナを見かねてか、ジントが口を開いた。

「どうぞ」

「王家の頭空っぽな奴らは、自分たちのことを女神に祝福された一族だっていうだろ。女神に選ばれて、雨を降らせる力を授かったって。力のことは信じてないくせに、選ばれた階級意識だけは偉そうに信じて疑わないクソッタレだ。でも、どう考えても、イサナの様子は祝福された人間には見えない。すごく苦しそうなのは何故だ」

「なるほど。良いところに気が付いたね。その通り。これは女神の祝福なんかじゃない、女神の呪いだ。我々王家一族は、その血に呪いを受け継いでいるんだよ」

 初めて聞く話だった。イサナも話しに耳を傾ける。

「王家の威厳を保つため、この神話は門外不出とされ、いつのまにか王族さえも知らぬ神話となった。だからこそ、女神に選ばれ祝福された一族だと、選民思想にかぶれた奴らばかりになってしまったんだ」

 王家に伝わる本当の神話は、こういうものだったそうだ。



 この山には、古より双子の女神がいた。村人たちは、山の女神たちを畏れ敬って生きていた。しかし、あるとき、まったく雨が降らなくなり、山からの湧き水も干上がってしまった。このままではいけないと、ある若者が山の女神のもとへ祈りを捧げに行った。

 山は女神の住まう場所、人間が足を踏み入れたら死ぬとされていたが、勇気ある若者は村のために山へ分け入った。気まぐれで水を干上がらせていた女神達は、その若者の勇気に感心し、恵みの雨を降らせたのだ。そして、その若者に心奪われた妹の女神は、若者と一緒に山を降り夫婦となった。


 一般的に知られている神話は、ここでおしまいだ。だが、ザークの語る神話は、ここから続きがあった。


 若者と妹女神の幸せな暮らしが始まった。その様子を山から見ていた姉女神は、ついに山を降りてきた。実は、姉女神も若者に心を奪われていたのだ。でも、若者が選んだのは妹女神で、己ではない。嫉妬に狂った姉女神は、二人の幸せの証といえる赤ん坊に呪いをかけた。

 呪いをかけられた赤ん坊は、泣くと天変地異を引き起こした。赤ん坊が泣くたびに人々は逃げ惑い、恐怖の叫びがこだました。

 妹女神は呪いを解こうとしたが、人として俗世で暮らしていたため、神力が落ちていた。残った力をすべて使い切っても、姉女神のかけた呪いを解ききることが出来ず、赤ん坊にはわずかに呪いが残ってしまった。この残った呪いの力こそ、雷雲を引き寄せる力なのだ。



「君たちが最初に行ったナージ神殿は、妹女神であるナージを祀っている。我々王家の母女神だ。優しさにあふれた母女神そのままに、穏やかな空気があの神殿を包んでいるんだ。イサナは、ちゃんとナージ神殿を選んだ。そして次に行ったポポロニアの泉は、ナージと若者が出会った泉だ。ちゃんとナージが思い出深いその場所へイサナを導いた。分かるかい? イサナに力があるからこそ、間違わずに進めたんだ。そして、この大神殿は、姉女神であるサージャを祀る場所。つまり、サージャの呪いの力が一番増幅される場所なんだ。この呪いの源は、負の感情。だから、雨乞いをするということは、負の感情を高めなければならないということだ。あと、イサナは呪いの血を濃く受け継いでいるから、自分の負の感情が血によって増幅されていくはず。イサナが苦しいのは当然のことだよ」

「簡単に当然とかいうなよ。それって、すごく辛いことじゃないのか……」

 ジントが唖然としながらも言い返した。ジントの拳が怒りで震えている。

「そうだね。この前の雨乞いのとき、私は初めて雲を呼んだが、酷いものだったよ。自分が悪意にまみれていく感じ、非常に気持ち悪かった。でも、イサナの力を考えると、彼はもっと過酷だろうね」

 イサナはゆっくりと立ち上がった。そして、ジントの腕を後ろに引く。

「ジント、僕のために人を殴るのはダメだ。睨むのも出来ればやめてほしい。僕は、君が心配するほど、弱くはないよ。それに、基本的に僕は鈍感だから、あんまり嫌なことにも気が付かないから大丈夫」

「馬鹿か。それはお前がその力との折り合いで、なるべく何も感じないようにしてるだけだろ。いつもヘラヘラ笑って、嫌なことに気付かず、親切振りまいて。そうしなきゃいけないから鈍感でいるんだろ!」

 ジントが激しい口調で詰め寄ってくる。ジントがこんなにいろいろと考えていたことを知り、イサナは驚いていた。

「そう……かもしれないけど。でもね、生まれたときからこの力があって、ここまで生きてきたんだから、もうこれは僕の性格なんだと思う。ジントは考えすぎだよ」

 イサナは小さく笑った。いつも、ジントにこう言ってた気がする。考えすぎだって。それなのに、国王の件や能力の件になると、考えないようにと思いながら、実は考えないようにと思い込みすぎていたのかもしれない。

「ところで、ザークさん。僕もひとつ聞きたいことがあるんですが」

 イサナはジントから手を離し、ザークを見た。

「どうぞ」

「雨乞いをする人と、国王は同一人物じゃないといけないんですか? だって、この前の儀式は、ザークさんが雨を降らせたんでしょう?」

「それは……」

 ザークが初めて困った表情をした。

「僕しか大干ばつを乗り越えられないというなら、雨乞いしても良いです。でも、僕は王になるような器じゃない。僕に政が出来るとは思えないんです」

「そんなことを言われるとは、思ってもいなかった。でも、それは前向きに考え始めたと受け取っていいのかな」

「少なくとも、闇雲に逃げ回るのは、周りを巻き込むだけだと理解しただけです」

「なるほどね。それで十分だよ」

 ザークは右腕を頭上にかざすと、指を鳴らした。

 その行為に、テティの最期が脳裏によぎる。その乾いた音に引きずられ、テティが崖下へ落ちた鈍い音が甦って来た。イサナは悲しくて思わず唇をかんだ。

 すると、暫くしてザークが慌てて拝礼の姿勢をとった。何事かと思い、頭を下げた先を見ると、ある人物が歩いてきたのだ。

「直々にお出ましとは……予想外ですね」

 ザークが驚きの声を零していた。


 

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