第8話

 翌日の昼過ぎ、イサナは再びローラの屋敷近くに来ていた。小さな泉が湧くその場所で、テティと待ち合わせの約束をしていたのだ。

「テティ遅いなぁ」

「お前とデートだって昨日は浮かれてたからな。服とか髪とか、迷ってんじゃねえの?」

 ジントがつまらなさそうに答える。

「ジントも一緒に行くの? 絶対テティは嫌な顔すると思うんだけど」

「一緒に行くに決まってんだろ。何度も言わせるな、俺はお前の護衛係なの!」

「それは分かってるけどさ……」

「それで? 何を買うか、もう決まってるのか?」

「うん。テティがね、ローラ叔母様は身なりに気を遣って、いつも綺麗にしているから、スカーフとかがいいんじゃないかって」

「ふーん、まぁ無難な線だな」

 昨日の訪問時に、テティから街へ一緒に行ってとお願いされたのだ。もうすぐローラの誕生日なので、プレゼントを買いたいらしい。一人で街へは怖くて行けないので、付き添いで来て欲しいと頼まれたのだ。そんないじらしい妹の願いを、イサナが断れるはずがない。

 それにしても、遅い。何かあったのだろうか。だんだんイサナは心配になってきた。軽口をたたいていたジントも、さすがにちょっとおかしいと思い始めたようだ。二人は顔を見合わせると、お互い小さく頷き、屋敷の方向へ歩き出したのだった。

 屋敷へ着くと、ローラは友人のお茶会に呼ばれて外出中だった。恐らくテティはローラが出かけるのを知っていて、今日街へ行くことにしたのだろう。仕方ないので、テティの計画を知っている使用人を捕まえて尋ねると、もうとっくに出て行ったと言われてしまった。

「テティ様、また迷子でしょうか? ちゃんと裏門から出て、道沿いに進むんですよって伝えたんですが」

 使用人が呆れ顔でため息をついている。

「ただの迷子だったらいいんだけど……」

「えっ?」

 使用人が驚いたようにイサナを見る。

「いやいや、気にしないで。テティはすぐ興味のある方へ行っちゃうからね。今頃、迷子で泣いてるかもしれないし、ちょっと探してみるよ」

 イサナは慌てて誤魔化し、屋敷を出た。

「裏門から出ているはずだから、この道だよね?」

「あぁ、どっちみち正門からじゃ、門番に止められるからな」

 きょろきょろと、テティの姿を探しながら進む二人。

「イサナ、あの切り株見ろ」

 ジントに言われ、前方の切り株をよく見ると、何かが載っている。近づいて見てみると、封筒と重石がわりの靴だった。しかも、片足しかないその靴は、見覚えのあるものだった。イサナの手が震える。

「この小さな靴……昨日、テティがはいてた靴だよ!」

「まさか、また誘拐か? 誰だか知らんが、懲りない奴らだな」

「ちょっとそんな悠長なこと言ってる場合? テティが危ない。早く助けに行かなきゃ。何が目的かな。お金かな? お金だったらどうしよう。僕ちょっと持ってないから、ジント貸して! それとも、テティのあまりの可愛さに目がくらんだとか? そうだよ、あんなに可愛いんだ。連れ去られる可能性は高いぞ!」

 慌てふためくイサナに、ジントの冷ややかな突っ込みが入る。

「落着け! 目的は恐らくお前だ」

「ぼ、僕?」

「封筒の中に紙が入ってるが、謎かけが書いてあるだけだ。テティを誘拐したうえでの要求がないとくれば、狙いはお前だろ。お前をおびき出したいんだ」

 イサナはもぎ取るように、ジントから紙を奪う。確かに紙には、具体的な要求は何も書かれていなかった。


『この遊びに参加できるのは二名まで

 西湖の巨石、ナージ神殿、城の後宮 心が落ち着く場所は』


 イサナは文字を見つめていた。何かの暗号だろうか? 組み合わせるとある場所を示すとか? イサナと同様に、ジントも首をひねって考えている。しかし、しばらく考えても何も浮かばなかったので、結局イサナは言葉通りに解釈し、行ってみることにした。

「ジント。参加できるのは二名までってことは、他の人に言うなってことだよね」

「あぁ、そうだろうな。場所は? ひとまず後宮じゃないことは分かるが」

「ナージ神殿だと思う」

「慣れ親しんでいる西湖じゃないのか?」

 ジントが意外そうに聞き返す。

「うん。ナージ神殿は、いつも静かだから落ち着く気がする。西湖はね、ノア好きな僕にとっては、ワクワクする場所なんだ。もちろん城の後宮なんて近寄りたくもないしね。だから、ナージ神殿だ。さっそく行こう」

「待て。このまま二人で進んでいいんだな? もちろん俺は全力でお前もテティも守る。だが、これは明らかに罠なんだ。何が起こるか分からない。だから、親衛隊を動かすという選択肢もあるんだぞ」

 ジントは真剣なまなざしだ。

「罠なのは、分かってる。でも、テティは命に代えても助けたいんだ。犯人の目的がはっきりと分からない段階で、ちょっとでもマイナスの要素になることはしたくない」

「つまり、助けを呼ぶつもりはないってことだな」

「そう。僕たちだけで行く。むしろ、ジントこそいいの?」

「俺がお前を守るのは当然のことだと、何回言えば理解するんだ?」

「……そうだったね。じゃあ、行こう!」

 行ったところで何があるとも分からないが、ひとまず手がかりはこの紙しかないのだ。二人は、はやる気持ちを抑えて、ナージ神殿へ向かった。


 ほどなくしてナージ神殿へ到着する。ナージ神殿は、山の女神を祀る神殿だ。泉の中央に小さな社が浮かんでいるだけの、こじんまりとした神殿だが、どことなく空気が静かで柔らかい。包み込むような、暖かい雰囲気を感じる。

 聖礼祭の前なので、社は綺麗に掃除され、早くも祭り用の飾り付けがされていた。フィルドレンテ公国では聖礼祭に合わせて、どの神殿や社も年に一回の大掃除がなされるのだが、ナージ神殿はすでに色とりどりの花が飾られている。また真っ白な布で波打つように美しくひだが作られ、社を囲んでいた。

「誰もいない。間違ったのかな?」

 イサナは泉の前で、途方に暮れる。すると、小橋を渡って泉の中の社を見に行っていたジントが、手招きをした。

「社の祭壇に、封筒がある。あと……これは髪飾りか?」

 イサナは慌てて駆け寄る。

「テティの髪飾りだ。これ最近のお気に入りみたいで、昨日もつけてた!」

「やはりテティのか。靴の次は髪飾り。まぁパンツじゃなくて良かったな」

「ジント! こんな時に笑えない冗談はやめてよ」

「すまん。ちょっと場を和ませようと思ったんだが」

「全然和まないから。それに、パンツだったら、さすがにテティのかなんて分からないから」

「分からないのか? お前のことだから分かりそうな気がしてたんだが」

「そんな訳ないでしょ」

「それもそうだな。それが分かったらもう本格的に変態だ」

「でも……昔だったら分かったよ。僕が着替えさせてたからね。テティは苺柄がお気に入りだったんだ。今でもそうなのかなぁ」

「この前転んだとき、苺柄が見えたぞ」

「まさかジント見たの? 許せない、即刻記憶から消すんだ!」

「見たくて見たんじゃねえよ。幼女のなんか見えたって、嬉しくもなんともない」

「……ちょっと待って……これ何の会話? 違う違う、パンツの話は置いといて。早く封筒の中身読もう!」

 頭が無意識のうちに、現実逃避をしようとしていた。早く現実に戻らなくてはと思いつつ、イサナは封筒から紙を抜き出す。


『炎を流す 命が宿らぬ 透き通る女神』


「これだけ?」

 イサナは思わず紙を裏返すが、当然真っ白。何の手がかりも書いてない。

「ちっ、また謎かけか……俺達をおちょくって遊んでるのか?」

 ジントに至っては舌打ちをした。

「これもどこかの場所を示してるのかな? 前は具体的な場所が書いてあったのに……これじゃ何が何だか分からないよ」

「でもここに誰もいない以上、この紙の謎かけが次の場所を示してるんだとは思うが……」

「多分そうだよね。えっと……炎を流す? 炎を『消す』んじゃなくて『流す』ってわざわざ書いてあるってことは、水に関係……するのかな。『消す』だと吹き消すとか砂かけて消すとか、他の方法も考えられるから」

「確かに『流す』だと水を連想するな。じゃあ『命が宿らぬ』水ってことか? でも水って命の源じゃないのか?」

「うーん……あっ、分かった。一見綺麗な水なのに、魚が一匹もいない泉がある。先生が以前教えてくれたの思い出した。そういう泉は、水質が綺麗すぎるんだって。生き物が住むには栄養素が必要らしいんだけど、そういう栄養素すらない、澄みきった水だって言ってた」

「その泉はどこにある?」

「都のなかだと、確か三つあるよ。ポポロニアの泉とエンジュの泉、あとヘリオプシスの泉。どれも湧き水なんだ」

「三つもあるのか? どれも山際の泉だな。あとは『透き通る女神』が最後の鍵ってことか」

「そうだね。でも女神が透き通るってなんだろ?」

「泉の水面に女神像が映り込むとかか? だとしたら、エンジェの泉が怪しいな。あそこは確か像があったはずだ」

「あそこの像は、変な動物だよ」

「そうだったか?」

「うん。水牛に羽が生えてて一見、聖なる水牛っぽいんだけど、よくよく見ると蛇が絡まってるし、目は吊り上って、おまけに牙も生えてるし。それに水牛なら足は蹄のはずが、鳥のように四本に分かれて爪があるんだ」

「……お前、よくそこまで細かく覚えてるな」

「先生の手伝いでいろんな泉に行かされるんだけど、ちゃんと泉の周辺の特徴を覚えてないと、ごちゃ混ぜになって目的の泉を間違えちゃうんだ」

「ふーん、そういうもんなのか。で、エンジェの泉じゃないとすると、どこなんだ? 他の二つは、像そのものがないんじゃないか?」

 ジントの言うとおりだった。女神像が水面に映る泉は無いとなると、ますます最後の『透き通る女神』が分からない。イサナは眼を閉じて、必死に考える。三つの泉で、何か手掛かりとなるものはないか。

 目の前の泉を見つめながら、必死に考える。すると集中するイサナの脳裏に、突然、ある映像が浮かんだ。澄みきった泉の底に、おぼろげに女神の影が見える。これは……イメージ? いや違う。これは、いつかの記憶だ。

「ジント……ポポロニアの泉だよ」

 突然浮かび上がった記憶に戸惑いながら、イサナは告げた。

「何故そう思う?」

「上手く理由は言えないけど、ここなんだ。いつかも分からないけれど、記憶があるんだ」

「……わかった。イサナがそう言うなら、きっとポポロニアの泉なんだ」

 ジントは意外なほど、あっさり信用してくれた。てっきり「意味が分からん」などと言い捨てられるかと思っていたのだが。

 そして、二人はポポロニアの泉へと急いだ。


「テティは……?」

 イサナは茫然と呟く。

 ポポロニアの泉へ着いたものの、またしても誰もいない。木々に囲まれた泉で、木葉の擦れる音や鳥のさえずり、ネコリスの可愛らしい鳴き声だけが聞こえてくる。一周ぐるっと泉を回るが、不審な人物はおろか、不審な物も置いてない。間違えたのだろうかと、イサナは不安になる。しかし、やはりこの泉以外に考えられない。

「イサナ! 泉に何か浮いてるぞ」

 ジントに言われて泉を見ると、真ん中にぷかぷかと桶が浮いているではないか。

「もしかして、あれかな? ただの忘れものとかだったら、僕もう立ち直れないよ」

「知るか。どちらにしろ、あの桶を引き上げてみるしかないだろ」

 しかし引き上げようにも、手が届かない。魚のいない泉なので、小舟も必要ないのか置いてない。木の枝を使っても、場所を移動しても無理、届かない。本当にど真ん中に浮かんでいるのだ。残念なことに風も吹いておらず、動く気配がない。

「俺に任せろ」

 ジントが得意顔で進み出た。手には小石が握られている。

「なるほど! ジント頑張って」

 しかし、イサナの応援も虚しく、ジントの投げ放った小石は水の上を撥ねて、右方向へそれていった。

「あれ? もう一回」

 ジントは再度小石を投げる。今度は左方向へそれていった。

「ジント……僕がやるよ」

 ジントの背中が見て取れるほど、寂しげな影を落としている。

 すっかり忘れていた。幼い頃からジントは射的とか、輪投げとかで景品が取れたためしがない。つまりコントロールが悪いのだ。腕っぷしが強く、剣さばきも素晴らしいので、つい何でも出来てしまうと思いがちだが。見せてもらったことはないけれど、おそらく銃や弓の腕前は酷いものだろう。

 イサナは小石を拾うと、桶をめがけて投げる。水の上を二回撥ね、見事に桶の側面へ命中した。桶が振動で揺れながら、少し動く。この調子で何発か当てれば、岸まで寄せることが出来そうだ。

 続けて三発当てた頃には、ゆっくりながらも岸へ向かって進み始めた。ジントが向こう岸に移動し、桶を今か今かと待ち構えている。イサナは集中して、最後の一押し、小石を投げる。すると、力が入りすぎたのか、桶を素通りして、ジントの脛に命中してしまった。

「うぐっ」

 ジントの呻き声が聞こえた。

「あ……ごめん。大丈夫?」

「んなわけねぇだろ! 脛だぞ脛。めちゃくちゃ痛えよ!」

 距離があるので表情までは見えないが、勢いよく怒鳴り声が飛んできた。これだけ元気なら大丈夫だろう。

「ジントなら避けられるかと思って」

「うるせぇ、後で覚えとけよ! めちゃくちゃに泣かせてやる」

 そうか、どうやら泣けるほど痛かったらしい。イサナは少し反省した。

 ジントが痛みに悶えているうちに、桶が岸に到着した。ジントは不恰好な動きで桶を引き上げている。

「ハンカチが入ってるぞ……でもテティのものとは思えないが」

「まさか、これだけ頑張ったのに、ただの誰かの忘れもの?」

 イサナは慌てて駆け寄る。

「体張って頑張ったのは俺だと思うがな」

 愚痴とともにジントが桶から出したのは、飾り気のない無地のハンカチだった。

「このハンカチ、僕の……ほら、ここにうっすら血の跡があるだろ? 以前テティが転んで膝を擦りむいた時に、巻いてあげたんだ」

 イサナはハンカチを握りしめる。よかった、ここで間違ってはいなかったんだ。

「イサナ、封筒は入ってないぞ。指示がなけりゃ、動きようがない」

「もしかして!」

 イサナは急いで握りしめたハンカチを広げた。


『聖なる水を持ちて、心ざわめき近寄りがたい、祈りの地へ参れ』


「これは……」

 二人とも黙り込んだ。またしても抽象的な内容だ。

「ひとまず、ここの泉の水を持ってこいってのは分かる。だからこの桶があるわけだ。が、そこから先が全く分からんな」

 ジントがお手上げとばかりに、近場の岩に腰を下ろした。どうやら脛がまだ痛いらしい。関節痛の老人のように、足をさすっている。

「心がざわめいて、近寄りがたい場所……そしてそこは祈りをささげる場所……祈りをささげる場所ってことは、やっぱり神殿だよね。でも神殿なんて大小合わせたら星の数ほどあるよ」

「だな」

「どうしよう、本気で場所が分からないよ」

「神殿の中で、お前が一番近づきたくないところでいいんじゃないか?」

「僕が、一番近づきたくない神殿?」

「そう、イサナの直感みたいなのでここまで来たんだ。次もお前の直感で行けばいい」

 ジントに言われ、考えてみる。一番、近づきたくない神殿……。イサナは基本的に、神殿は落ち着くので行くのは好きだ。ただ、行ったら嫌な気分になり、酷いと倒れたりした場所がある。何故だかは分からないが、いつもそうなるのだ。

「大神殿……かな」

「はぁ? サージャ大神殿か? あそこは聖礼祭の本祭を行う、国で一番重要な神殿だぞ」

 ジントが驚いて立ち上がった。

「うん、分かってる。でも、あそこは特に苦手なんだ。足を踏み入れると嫌な気分になる」

「だから毎年、呼ばれても聖礼祭に来ないのか?」

「違うよ、大神殿の儀式に出てないだけで、行ってないわけじゃないよ。外で裏方の仕事をちゃんと手伝ってるもん」

 今まで誰にも言わなかったことだ。大神殿に入ると気分が悪くなるなど、誰も理解してくれないどころか、不敬だと白い目で見られるに決まっていると思っていたから。現に、ジントでさえも驚いているではないか。

「そうか、きっと俺には感じない何かがあるんだろうな……」

「何故だかは、僕にも分からない。でも、単なる体調不良とかではないんだ。行くたびに、いつも嫌な気分になるけど、離れれば元に戻るから」

「じゃあこの謎かけの場所は大神殿で決まりだな。大丈夫か? 気分が悪くなるなら、俺だけで行こうか?」

「行くに決まってるでしょ。テティの命と僕の気分の悪さなんて、比べるまでもない」

 イサナはジントから桶を奪うと、泉の水をくみ、大神殿へと走り出すのであった。


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