第7話

 数日後、あくまで秘密裏に処理された事件の詳細を聞いた。ジント経由でもたらされたその結末は、何とも後味の悪いものだった。ダリアは結局口を開くことはなく、リーナは事件から三日後に口を開いたそうだ。

 自分はある人物の隠し子だと、リーナが自白したのだ。その人物は、雲居の鷹を動かせるサルジェ・ポー・ドレンテだという。父親に命令されて、すべてを行ったとリーナは涙ながらに訴えたそうだ。しかし、当のサルジェは『こんな娘は知らん。そんな恐ろしい計画も知らん』と言い張っているらしい。

 だが、姪であるダリアからの手紙を、リーナから受け取ったことは認めた。その手紙には父親(ソルジェ)のたくらみをつぶしたいので、雲居の鷹を貸してほしいと書いてあったそうだ。その手紙を読み、弟のやり様が気に入らなかったサルジェは、リーナへ雲居の鷹を託したとのこと。だが、あくまでそれだけで、二人の命を狙っているなど聞いてないし、そんなことしようともしていないと全力で否定する始末。

 結局、リーナの証言以外に証拠がなく、捕まえることが出来なかった。ダリアに雲居の鷹を貸したことにより、謹慎処分が言い渡されただけで終了。そしてリーナは精神を病み妄想癖が酷いとみなされ、精神治療分野に長けた医者がいる医術院へ送られたのだった。

 確かにリーナは、心を病んでいたかもしれない。だが、現状の把握が出来ないような病み方ではない。むしろ、あの場にいた人間の誰よりも、冷静沈着に物事を判断していた。そんなリーナがこの期に及んで、嘘の証言をするとは思えない。そんなことをしても、リーナに何の得がある? 現にリーナは医術院送りにされ、おそらく永遠に出てこられないだろう。サルジェが自分の保身のあまり、リーナへすべての罪をなすりつけたとしか思えない。

 そして、ダリアの処分も謹慎になった。殺人の意思はなかったこと、そして、実際に死傷者が出なかったことで、軽い処分が言い渡されたのだ。しかし、当然ながら国王との婚姻話は流れた。ダリアにとっては、謹慎処分などより、婚姻話が流れたことの方がショックだっただろう。だが、そのことによりジャルヌの王位継承権も後退した。皮肉なことだが、黒幕(かぎりなくサルジェだと思われる)の思惑が、一つ達成されたことになった。




「オーナーいる?」

 イサナは店を訪ねた。仏頂面のジントも、少し離れてついてきている。

「おぉ、イサ坊。心配したぞ。無事だったとは聞いていたけれど、姿を見るまでは安心できなかったよ。その様子だと、大丈夫みたいだな」

 オーナーがエプロン姿で雑巾を持ちながら、店の奥から登場した。

「ごめんなさい、心配かけて。それと、本当にありがとうございました」

 イサナは丁寧に頭を下げる。

「よせよせ、こういうことはお互い様だからさ。イサ坊だって、狙われた少年をかばおうとして捕まったんだろ?」

 オーナーは真相を知らないのだから、うまいこと話を合わせなければ、とイサナは焦った。

「あ……う、うん。そうなんだ。まったく、ちょっと金持ちそうだからって、あんな小さな子を狙うなんて酷いよね」

「まったくだ。でも今回のことで、ノアレーサーは良い奴ばかりだって再認識だな。イサ坊が拉致されたって聞いたら、みんなすぐに駆け付けてきたんだ。呼びかけたのは俺だったけど、思わず感動しちまったぜ」

「うん、そうだね。本当にありがたいや。さっき、西湖へ行って、みんなにもお礼言ってきたんだ。でも、みんな『駆けつけるのは当然だろ。それよりレースしようぜ』みたいな反応で……嬉しくて泣きそうになっちゃったよ」

「だよなぁ。おい、そこの目つきの悪い兄ちゃんも! あんたもありがとな。イサ坊の為に、すぐ役人呼んで来てくれて助かったよ」

 オーナーがジントに向かって呼びかけた。驚いたようにジントが近寄ってくる。

「何故俺に礼をいうんだ、この筋肉男め。俺がイサナを助けるのは当然だ。お前が助けるのよりも、当然のことだ!」

 掴み掛らんばかりに、ジントはオーナーに詰め寄っている。

「何故っていわれてもなぁ。だって、イサ坊はこの店の常連だし、もう弟みたいなもんだからさ。弟が世話になったのなら、礼をいうだろ普通」

「普通とかいうな。俺の方が――――」

 ジントがうるさいので、イサナは慌てて焼き菓子をジントの口へ押し込んだ。それでもモゴモゴと何かを言っているので、問答無用で店の出口へ押し出す。

「じゃあ、オーナーまた来るね! あと、ちゃんと資金調達してくるから、あの帆はちゃんと取っといてよ」

「分かってるって。せいぜいがんばれよ」

 オーナーが出口で手を振っている。イサナも片手でジントを押しながら、空いた手で振りかえす。

 これで、オーナーにも探してくれたみんなにもお礼を言うことが出来た。イサナは、ひとまず肩の荷が下りた気分だった。

 実は、早くお礼を言いたかったのに、なかなか街中へ出てこられなかったのだ。それというのも、ジントが護衛と称して学生寮に住み始め、イサナの外出をひたすら阻止してきたのだ。イサナを心配してなのは分かるが、窮屈なことこの上ない。だが、勝手に飛び出し、痛い目にあったばかりなので、我慢をして今日に至ったのだった。

「ジント、これから寄り道したいんだけど」

「だろうな。手に持ったケーキの箱を見れば分かる」

「あ、ばれてた? やっぱりお土産無しでガッカリされたくないからさ」

「あいつはお前が行くだけで大喜びだ。そんな心配するだけバカだぞ」

「てことは、寄り道しても良いってことだね」

「まぁ、あそこなら安全だしな」

 イサナは歩く速度を速め、目的地へ急いだ。久しぶりに会えるのだ。寂しがっているに違いない。

 イサナ達が目的地である屋敷に着くと、さっそく軽やかな足音が走ってきた。

「イサナ!」

 言葉とともに、ふわふわした少女がイサナに飛びついてきた。ゆるくウェーブのかかった髪が、背中で軽やかに弾む。フリルたっぷりのワンピースを着た少女はまるで天使のよう、飛びついてきたのにとても軽い。長い髪に埋もれて、本当は背中に羽があるんじゃないかと思うくらいだ。

「テティ、元気だった? 相変わらず可愛いなぁ」

 イサナは少女に目線を合わせてしゃがむ。

「イサナ、イサナ、イサナ。全然来てくれないんだもん。寂しかった!」

 少女はイサナの首筋に細い両腕を回し、力いっぱいしがみついてくる。でも少女のか弱い力では、心地よい苦しさだ。

「ごめんね。最近ちょっといろいろあって……。でもほら、これお土産。最近一番のお気に入りのお店で買ってきたんだ。機嫌治して、一緒に食べよう?」

「えー、お菓子なんかでごまかされないもん。テティはもう十二歳よ? れっきとしたレディーなんだから。もっとロマンチックなかんじでエスコートしてよ」

「ろ、ろまんちっく? えっと、難しいなぁ」

 イサナは困って、頭をぽりぽりとかく。すると、未だに仏頂面のジントが口をはさんできた。

「テティ、ちゃんとイサナのことは兄と呼べ。名前で呼んだ挙句、そんなにベタベタしていると、イサナが怪しい趣味の奴だと勘違いされるだろ」

「ジント様こそ、男のくせにいっつもイサナにベタベタしすぎよ。イサナがそういう人だと思われちゃうでしょ」

 ジントとテティの間に、不穏な空気が流れた。二人はかなりの身長差を乗り越えて、にらみあいをしている。

「二人とも、何わけわかんないこと言ってるの。ほら、ひとまず広間へいこう。ローラ叔母様に挨拶しなきゃ」

 イサナは二人を引き離し、その間を通って歩き出す。

「イサナ本当にわからないのかな?」

「たぶんな。あいつは鈍感だから」

 イサナの背中を見つめ、二人は顔を見合わせるのだった。

 テティはイサナの実妹だが、ドレンテの名は持っていない。母が亡くなった時に、前国王の妹(つまりイサナ達にとっては叔母)であるローラの養女となったのだ。ローラは貴族と結婚したのだが、子供に恵まれなかったので、喜んで育ててくれている。イサナはこうして手土産を持参しては、定期的にテティへ会いに来ているのだ。

 イサナには大勢の兄弟姉妹がいるが、同じ母なのはテティだけだ。イサナにとって、本当に妹と思えるのもテティだけ。一緒に暮らせていない分、たまに会うときくらい甘やかして可愛がりたいのだ。それなのにジントは、いつも妹に執着しすぎだとか言ってくる。

「ローラ叔母様、こんにちは」

 イサナは拝礼の姿勢を取る。身分的には、臣下に下ったローラよりも、王家に属しているイサナの方が上だ。しかし、イサナにとって拝礼は身分でするものではなく、目上の人であれば全員にすべきものだと思っている。

「イサナ、しばらくでしたね。少し痩せましたか? ちゃんと食べなければいけませんよ」

 ローラは穏やかにイサナを見つめている。そろそろ六十代に差し掛かろうかという年齢だが、とてもきれいな女性だ。貴族は豪華な食事のせいで、年長者になればなるほど太っている場合が多いのだが、ローラはスリムな体型を維持している。

「ちゃんと食べてますよ。最近、ちょっと忙しかったもので……」

 イサナは語尾を濁す。

「イサナ……あなたは今、大きな波に飲みこまれようとしているわ。あなたの意思とは関係なくね」

「ローラ叔母様……それって」

 ローラは予知にも似た、少々不思議な力を持っている。今の状況が、時折見えるらしいのだ。ただ、抽象的なイメージとして浮かんでくるだけなので、それを聞いてもどうしたらよいのか分からないことの方が多いが。

 王族には、まれにこうした人物が現れる。過去の出来事が見える人や、天候の移り変わりが分かる人など、不思議な力をもつ人物が過去に存在したという話だ。実はローラだけでなくテティにも、そういう力があるんじゃないかとイサナは思っている。テティの天気予想は良く当たるのだ。しかし、ジントに言わせると「それくらい俺だって今までの経験で分かる、兄バカもいい加減にしろ」らしい。

「イサナ、不安そうな顔をしなくても大丈夫ですよ。もう余波である小さな波は来ていますが、あなたはちゃんと乗り越えて、ここにいるのですから」

 どう考えても、先日の拉致騒動のことだとイサナは思った。

「……その大きな波から、僕は逃げられないのですか?」

「むしろ、逃げたいのですか? あなたはもう十七歳でしょう、いつまでも学生寮に居候ではいけません。自立して、世の中へ立ち向かっていくくらいの気力を見せなきゃ。逃げてばかりだと、他の人にも迷惑をかけてしまいますよ」

 ローラは優しく語りかける。確かにもっともだ。追いかけてくる波が、自立とかそういう類であれば、イサナだって勇気を出して立ち向かう。しかし、立ち向かう先が王位継承だとか、それはさすがに逃げたくなるだろう。イサナは思わず黙り込んでしまった。

「あ……小言みたいになってしまいましたね。そんなことを言うつもりなかったのだけれど。久しぶりにイメージが見えたから、つい。さあ、この話はもうおしまい。せっかくジントまで来てくれたのだから、みんなで楽しくお茶にしましょう」

 ローラはにこやかに、お茶の準備を指示した。

 久しぶりのお茶会だった。穏やかで、心が温まる時間を過ごし、夕日が窓から差し込む頃、お茶会はお開きになる。帰り際は、テティとイサナによる、涙のお別れシーンが繰り広げられた。しかし、毎度のことなので、ジントに無理やり終了させられ、ふてくされながら屋敷を出るイサナだった。


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