第5話
イサナは気付くと、薄暗い倉庫のような場所に転がっていた。それこそ、不法投棄のごみのような扱いだ。
「この袋、臭いよ……。いったい前は何が入ってたんだ?」
ご丁寧に手足を縛った挙句、顔だけ出して、あとは薄汚れた大きな麻袋に入れられているのだ。それにしても、体中が痛い。西湖であいつらに囲まれたときに、抵抗したからだろう。腕っぷしが弱いのは自覚していたが、ジャルヌを連れ去られるわけにはいかないと頑張ったのだ。いまさらになって、ジャルヌをさっさと帰さなかったこと、そしてジントと離れてしまったことを悔やむ。ジントがいれば、ジャルヌを守れたはずなのにと。
「師匠、気が付いたの? 大丈夫?」
隣からジャルヌの震えた声がした。イサナはゴロリと転がり、ジャルヌを見る。ジャルヌも手足は縛られているが、臭いことこの上ない麻袋の刑には遭っておらず、イサナは少しだけホッとした。
「平気平気。ジャルヌは怪我してない?」
「師匠が庇ってくれたから、僕は大丈夫……あの、ごめんなさい。たぶん僕のせいだよね。僕が勝手なことしたから、こんなことに」
ジャルヌは泣きそうだった。でも、歯を食いしばって涙をこらえていた。
「ジャルヌは強いな。大丈夫、なんとかなるって。僕を信じて」
何のプランもなかったが、イサナは笑った。すると、耳障りな声が飛び込んできた。
「おめでたい奴だな。この状況でなんとかなるわけねぇだろ!」
イサナは反対方向にゴロリと転がる。視界に、赤毛が映り込んだ。
「まさか、レッドシャドウ?」
イサナは我が目を疑った。以前、街で揉めたあの破落戸だったのだ。
「おう、また会ったな兄ちゃん。なかなか威勢が良かったらしいじゃねえか。捕まえに行った奴らが言ってたぜ。弱っちいくせいに暴れるから、思わず本気で殴っちまったってよ」
なるほど、通りで痛いはずだ。
「ものは相談なのですが、逃がしてはもらえませんか?」
ダメなのは百も承知で、ひとまず言ってみる。案の定、じろりと睨みつけられ、袋の上から踏みつけられた。
「舐めるのもいい加減にしとけよ。この前は変な用心棒のせいで、大恥かかされたしな。だいたいな、あの菓子は何だ? お詫びの品か? あんなんでチャラになるわけねえだろ」
誘拐の狙いは金持ちの子息(ジャルヌ)だと思っていたのだが、こうなってくると、むしろ自分を狙っていたと考えた方がいいのかもしれない。
踏みつける力がじりじりと強くなる。イサナは苦しかったが、極力いつも通りの声で話す。
「あれ? あのケーキじゃ不満でした? 僕は試食して美味しいと思ったんですけど」
「ん? まぁ美味かったな。ふわふわしてて、甘いけれど甘すぎない絶妙な味」
ちゃんと食べたんだ、と内心思いながら、イサナは続ける。
「でしょう? 商店街の南端にあるケーキ屋で買ったんです。あそこは焼き菓子がメインなんですけど、とても美味しいんですよ。僕のお気に入りです」
「実は俺も。あのあと、自分で買いに行っちまったぜ」
破落戸は得意げな顔をして近くの椅子に座った。踏みつけられることから解放され一安心。それにしても、自分で買いに行くほど気に入ってくれるとは、ある意味置いていった甲斐があったというものだ。
なんとなく穏やかな雰囲気になりかけたとき、手下の男が渋い顔でレッドシャドウに話しかけた。
「ボス、本当にこいつなんですか?」
「あぁ、間違いねぇ」
レッドシャドウはタバコに火をつけながら答えた。やはり、ジントにぶっ飛ばされたのを相当根に持っているようだ。イサナはそう思った。
「でも、とても王族には思えませんよ? どちらかというと、一緒に連れてきたガキのほうが王族っぽいですが」
あれ……何やらおかしな話の流れになってきた。王族を狙ったというならば、二人とも王族だ。だが、言葉の雰囲気からすると、狙いは自分で、ジャルヌはついでのようだ。
「こいつは、ノアを持ってたんだろう?」
レッドシャドウは、床に転がったジャルヌのノアをあごでしゃくった。
「はい」
「なら、こいつだろ。ノア好きなチビだって情報だ。このノア、すべて高級パーツで組み立ててあるんだぜ。こいつがただの庶民だったらありえねぇ。だが、王族ってんなら納得もいくし、そう考えれば、この前一緒にいた奴は護衛ってことだ。そんで、今日西湖へ現れるから捕まえろって命令が来て、こいつがいたんだから決まりだろ」
イサナは混乱してきた。もしかして……いや、もしかしなくても、この破落戸どもはやはり人違いをしているのか。『今日西湖へ現れる』という情報、たまたま屋敷を抜け出して西湖へ行こうとしたジャルヌ。もちろんイサナもノアは好きだが、あの囲まれた時点では、たまたまジャルヌの高級パーツだらけなノアを手に取っていただけだ。
今までの話を総合して考えると、やはり狙いはジャルヌだ。確かにイサナは小柄だが、情報源のチビはそういう意味のチビではなく、小さい子をさしてのチビだろう。しかも、ただの金持ちの子息だからという理由ではなく、王族だから狙われたというのがいただけない。この破落戸達を動かしている黒幕がいるのだ。
クロヴィスの話が思い返される。ジャルヌは今、政争の真っただ中にいるのだ。次の王位を狙っている奴らにとって、これ以上ライバルが増えるのは面白くないだろう。これは、無事に帰れる可能性が低くなってきた。捕まえた側としては、後継者候補は生きているだけで邪魔なのだから。
イサナが考えを巡らせていると、倉庫にまた新たな人物が入ってきた。レッドシャドウが立ち上がって頭を下げたところを見ると、どうやらこの誘拐の黒幕のようだ。つばの広い帽子をかぶり、ロングコートの大きな襟を立てているので、顔はほとんど見えないところが怪しさ満点だ。
「おや、予定外な人物が転がっていますね。でもいいでしょう、面白い」
男にしては高くて、女にしては少々低くかすれた声、性別不明なその人物は、イサナとジャルヌを見ると笑いながら言った。二人を見て誰だか分かったということは、どうやら城に出入りしている人物のようだ。これではせっかく破落戸が勘違いしてくれたのに、意味がないではないか。破落戸の勘違いを利用して、ジャルヌだけでも助けられたらと思っていたのに。
「あのぉ、謎の人物さん。あなたがこの誘拐の黒幕ですか?」
イサナは出来るだけヘラヘラと笑いながら話しかけた。変に突っかかって、刺激を与えたくなかったのだ。
「確かに依頼したのは私です。ですが、あなたを捕獲しろとは言ってないはずですが」
すると、依頼を受けたレッドシャドウが慌て始めた。
「違うのか? でも絶対こいつだと思ったんだ、じゃない、思ったんです」
「あなたは一体どんな情報を受け取ったのですか? こんな年齢の違う人物を間違えるだなんて」
「今日西湖に現れる、ノア好きな王族のチビ……です」
「それだけですか?」
「はい」
「あの女、何を考えているんだ。私が伝えろと言った内容と全然違うじゃないか!」
謎の人物は怒りに任せて、ジャルヌのノアを踏み潰した。耳障りな音が響く。
「あ! 僕のノアが……せっかく走るようになったのに」
ジャルヌが目を見開いて砕けたノアを見ている。
「ちょっと、ノアを踏み潰すことないだろ! 内輪もめしてるくらいだったら、もう僕らを解放してよ」
イサナが大声で非難する。すると、するどい蹴りが飛んできた。
「うるさい! 小僧は黙れ!」
謎の人物の蹴りはイサナの腹部へ見事に当たった。痛さのあまり、イサナはうめき声を出すことしか出来ない。
どうしよう、どうしたらいい、考えても焦るばかりで何も浮かばない。すると、ずっと放心してノアを見ていたジャルヌが、泣きながら叫んだ。
「話が違うよ! 言うとおりにしたら、全部うまく行くってあの人が言ったんだ。あの嘘つき! 僕のノアを元に戻してよ!」
その場にいた全員が、ぽかんとジャルヌを見た。謎の人物でさえ、意味が分からないのか固まっている。
「僕は知ってるんだぞ! もう帽子取ってよ、ダリア姉さまなんでしょ。お父様のやり方が気に入らないからって、僕を狙うとか酷いよ!」
謎の人物は動揺したのか、帽子を深くかぶり直した。もうその行動で、ダリアだと言っているようなものだ。
「何のことだか分からないな。まったく、子供はおかしなことを言う」
わざとらしく咳き込んでいる謎の人物に、全員の視線が集まる。破落戸達も、依頼主の動揺ぶりにどうしたらよいのか困っているようだ。
すると、急に謎の人物の帽子が取れた。いや、正確には背後に現れた人物に取られたのだ。
「あっ、何をする?」
時すでに遅し、帽子からは長く艶やかな髪が流れ落ちた。
「やっぱり、ダリア姉さまだ……」
ジャルヌが恨めしそうに言う。そして、帽子を手に持った女性が、ダリアの背後から出てきた。
「ジャルヌ様、ご苦労様でした。満点の働きでしたよ」
イサナはその女性を見て、息が止まるかと思った。
「君は!」
「ごきげんよう、イサナ様。優しすぎるのも考えものですよ」
怪しく微笑みながら立っているその女性は、城を追い出され、イサナが手を差し伸べたリーナだった。城を出てきたときの着古した服ではなく、真っ白なブラウスに真っ黒なロングスカートをはき、唇には真っ赤なルージュをつけていた。一見、同一人物には見えないくらいの変わりようだ。
「君が仕組んだのか? 何で、どうして、何が目的?」
頭が空回りする。すべてが繋がらない。
「ふふっ、混乱している殿方を見るのは楽しいですね。いつもおっとりしているイサナ様のような方は、特に面白い」
「笑い事じゃない! 君はジャルヌを巻き込んだのか? こんな小さな子を」
いろんな疑問がありすぎて、何からぶつけたらいいのか分からない。とにかく必死に考えて言葉を搾り出す。
「そうですねぇ。結果的にはそうなりましたが、展開が変わっていれば、ジャルヌ様は無事にお屋敷へ帰れたんですよ」
リーナは冷たい笑みを浮かべている。そこに、ダリアが掴みかかった。
「ちょっと、何勝手なこと言ってるのよ。ジャルヌは無事に帰ったら駄目よ。主人は私。あなたはただの使用人でしょ? 何故私の言うとおりに動かないの!」
しかし、ダリアはあっという間にリーナに腕を取られ、ねじ上げられていた。
「うるさいですよ。お姫様は慣れない事はしないほうがいいです。こんな風に失敗するのが落ちですから」
「まだ……失敗してないわ。ジャルヌさえ消えれば、お父様の野望も消えるもの」
ダリアは国王との婚姻話が出ているはずだ。つまり、父親が無理やり国王と結婚させようとするのが嫌だってことだろうか。だからって、実の姉が、弟を消すだって? イサナは目の前の会話が信じられなかった。
「純愛ですねぇ。相手にもされない国王に、そこまで愛をささげようとするのですから。まぁ、私にはただの馬鹿にしか思えませんがね」
リーナは冷たく言い放つと、ダリアの腕を乱暴に放した。ダリアは痛みに腕を抱えながら、座り込んでしまう。
「私は、政治の道具なんかじゃなく、純粋に国王の妻になりたいの。打算で后になったと思われたくないの。当然でしょ! 憧れの人なんだもの。愛だけで嫁ぎたいって思って何が悪いの? でもお父様は分かってくれない。私を踏み台にして、ジャルヌを王に仕立てることしか考えてない。だからよ。お父様が聞く耳を持ってくれないのなら、もうジャルヌに消えてもらうしかないでしょ。何も死ねとか言ってるわけじゃないのよ。ただどこかに姿を消してくれればそれでいいのよ。ね、別にいいでしょ? それくらい……いいじゃない」
ダリアはうずくまって泣き出した。
「ま……さか、そんな理由でこんなことを?」
イサナは呆然とつぶやいていた。なんて身勝手なのだろうか。このまま話が進めば、父親の思惑があろうとも国王の妃にはなれるのに。何故それで満足できないのだろう。
「ふふっ、イサナ様。驚いてらっしゃるようですね。でも、女というものは、こういう生き物なのですよ? さて、どうしましょうかね。おそらく気付いてらっしゃると思いますが、私はダリア様を利用させてもらったに過ぎません。私の狙いはジャルヌ様とイサナ様、両名だったのですよ」
リーナは妖艶に笑う。イサナは空回り中の頭をなんとか落ち着かせる。
「リーナ、君は何者なんだ。これは君の意思? それとも誰かに命令されているの?」
「そうですね。この状況を作るよう、私に命令をしたのはダリア様ですよ。私はダリア様に雇われて城に入り込み、情報を収集していましたから」
「そうじゃない。君を本当に動かしている人のことを聞いているんだ」
「ムキになっちゃって、可愛らしい。でも名前を教えて差し上げることは出来ません。ただ、次期国王の座を巡って、イサナ様とジャルヌ様の存在が邪魔だと思っている人ですわ」
「……そんなの、ヒントにもなってない。たくさんいすぎて分からないよ!」
リーナは、イサナをからかって楽しんでいるようだ。
「ふふっ、そうですわね。では代わりに、私に騙された憐れな人のお話を、特別にして差し上げましょうか。まだ迎えがきませんからね、暇つぶしがてらですわ」
リーナが倉庫の薄汚れた扉の小窓を横目で見た。小窓の外は、黒い雲がどんよりと漂っている。
「その前に、ひとつ聞いておきたいんだ。ジャルヌが今このタイミングで目障りなのは理解も出来る。でも、僕は昔から城の外で暮らしてて、後継者争いにはまったく関わりがないのに、どうして今さらこんなことするんだい」
「関わりがない? 何寝ぼけたこと言っているんですか。あなたは現国王の実弟なのですよ。いくら母君の身分が低いからといって、それは変わらない。それに、イサナ様は先日、国王に呼び出されたそうですね。今まで放置していたのに何故なのか。周りがざわつくのも道理というものです。もう少し、あなたは自分の立ち位置を、ちゃんと考えた方がよろしいですよ」
イサナは何も言えなかった。考えないようにしていたのは、事実だったから。自分は関係ないと思って生活してきた。でも、ジントのために呼び出されたということは、知られていないようだ。それだけは、不幸中の幸いだとイサナは思った。
「私は主の命令で、ダリア様の使用人として屋敷に潜り込み、国王との婚姻話について情報を集めていました。そしたら、ダリア様は私にペラペラと悩みを打ち明け、しまいには城へ行って情報を集めろと命令するんですからね。スパイである私が、更にスパイを頼まれるとは思いもしませんでしたよ。でも、そんなおマヌケさんのおかげで、この計画が成功したんですから、感謝しないといけませんね」
リーナは楽しそうだ。その楽しげな姿が、イサナはとても恐ろしく思える。
「そうそう、イサナ様。私が城の外にいたの、偶然だと思いますか?」
その問いかけに、イサナは顔を上げる。
「ま……さか、僕に近づいたところから仕組まれていたっていうの? 今日のことだけじゃなくて?」
「ふふっ。その悲壮感漂う表情、とても可愛いですわ。私、イサナ様が大好きになってしまいました。もっと見せていただきたい」
「はぐらかさないで答えてよ!」
「怒った顔も、また可愛らしい。ふふっ、そうですね、ハッキリ申し上げると、その通りです。イサナ様が城内の池にいらっしゃったので、テレジア様がちょうど近くを通りかかった時に花瓶を割りました。予定通り逆鱗に触れ、その姿も予定通りイサナ様に目撃していただき、城の外で座り込んでいたら予定通りイサナ様が拾ってくださいました。だから申し上げたのです、優しすぎるもの考えものですよと」
イサナは混乱しすぎて、言葉が出ない。頭の中でいろんな感情がぐるぐると蜷局を巻いていく。
リーナは再び扉を見た。迎えの到着が気になるのだろう。扉の小窓には、雨粒がついていた。いつのまにやら雨が降り始めていたようだ。微かに雷鳴も聞こえている。
「まだ迎えがきませんねぇ。時間はちゃんと守ってもらわないと困りますわ。仕方ない、もう少しイサナ様で遊びましょうか」
その言葉にイサナは、茫然とリーナを見上げる。
「イサナ様の浅はかな優しさのおかげで、私は楽々と行動を知ることが出来て感謝していますの。今日も街へ出ると食堂で話していらっしゃったので、急遽このジャルヌ様誘拐計画に脚色を加えたのですよ。もともとはジャルヌ様が屋敷を抜け出すようにそそのかして誘拐する手筈でしたが、イサナ様が都合よく街へ出られるのなら、あわよくばお二人とも捕まえてしまおうと思いまして。なのでジャルヌ様には、正直にお話して手伝いをしていただきましたの。やはりご自分が姉君に狙われていることもですが、姉君をこのまま放置して父君が困ったことになるのをとても心配していらっしゃいました。ジャルヌ様は物分かりのいい良い子ですね。もう少し大きければ、可愛がってあげるのですが、さすがにそちらの趣味はありませんの私。ふふっ。そう、イサナ様、もっとその表情を見せてくださいな。その負の感情が入り混じった、苦々しい表情。たまりませんわ」
「……この変態」
イサナはそれこそ苦々しく、リーナを睨みつける。
「ジャルヌ様の働きは本当に見事でした。私の頼んだとおりにイサナ様と合流し、西湖まで連れてきてくださいましたから。そして破落戸さんには、イサナ様ともジャルヌ様ともとれる情報を流しておいたので、少なくともどちらかは捕まる計算でしたわ。でも、私はお二方とも捕まえられると思っていましたよ。パッと見て王族に見えるのはジャルヌ様ですからね。そしてジャルヌ様が誘拐されそうになったら、イサナ様が黙って見送るはずがありませんもの。だって、お優しいですから。絶対抵抗して一緒に捕まるはずと考えておりました」
イサナは、街で会った時のジャルヌを思い出していた。会ったとき、ジャルヌは息がきれていた。きっと全力でイサナを追いかけてきたのだろう。そして、イサナを見つけて大泣きしていた。きっと上手くいかなかったら父親が大変なことになると言われて、必死だったに違いない。
「君は……こんな小さな子まで、利用するのか?」
「必要とあれば、どんなものも利用しますわ。私にとっては、ネズミの命も人間の命も、たいした違いはありませんの」
リーナは笑って言った。笑っているのに、目は笑っていない。この人は、何かが壊れているとイサナは思った。この人は、きっと人を殺すことをためらわない。
イサナは本気で恐怖を感じた。今までももちろん恐怖心はあったが、心のどこかで何とかなるのではないかと思っていた。でも、自分はここで死ぬかもしれない。こんな臭い袋の中で、こんな壊れた奴らに、こんな理不尽な争いのために死ぬのか?
「そんなの冗談じゃない」
誰にも聞き取れない、小さな小さな声がイサナから零れる。
イサナはとにかく考えた。しかし、これといって何も出来ることが思いつかない。ただ、リーナは迎えを待っている。つまりイサナ達を移動させたいのだ。ジャルヌの父親が必死で捜索しているだろうから、長々と同じ場所にいるのは危険なはず。迎えがなかなか来ないのであれば、手っ取り早く破落戸に頼めばいいではないか。遅い迎えを悠長に待っているのには、理由があるのではないかとイサナは考えた。
「ダリアさん! レッドシャドウ! ここは危険だ!」
イサナは叫んだ。ダリアは座り込んだまま反応はなかったが、レッドシャドウは驚いたようにイサナを見た。すると、今まで冷静だったリーナの目が、吊り上った。
「うるさいですよ、イサナ様。耳が痛いじゃありませんか。そんなに大きな声を出すなら口を塞ぎますわよ」
そういうと、イサナがしゃべれないように、大きな布を細長く丸めて口を塞ごうとした。
「やっぱり、図星なんだ。レッドシャドウ、聞いて――――」
イサナの抵抗も虚しく、口にはきつく布が巻かれ、何を言っても「ふがふが」としか発音できない。でもこれで確実だ。リーナはここにいる人物を、誰ひとりとして逃す気はないのだ。利用されただけの破落戸達も、口封じのために殺すつもりだ。
どうしよう。伝えたくとも、これでは伝えられない。何故もっと早くに気付かなかったのだ。もっと早く気づいていれば、破落戸達を味方につけて助かる道もあったはずだ。
イサナに後悔が押し寄せる。自分のせいで、ここにいる死ななくてもいい人々が死んでしまう。もう理不尽に人が死ぬのは嫌なのに。それなのに、自分では何も出来ない。何の力もない。力さえあれば――――
『呪えばいいのよ』
イサナの頭の中に、不思議な声とともに、聖礼祭であげる祝詞がながれてきた。意味も分からず、導かれるようにイサナは頭の中で祝詞を復唱し始める。
祝詞を唱えると、どんどん頭の中が黒くなっていく気がした。恐怖、嫉妬、屈辱、怠惰、悪意、孤独……持ちたくもない黒い負の感情がマグマのように湧いてくる。つらくて止めたいのに、もう止まらない。自分が真っ黒になる恐怖に、イサナは押しつぶされそうになる。
その時だった。イサナを呼ぶ、ジントの声が聞こえた気がした。苦し紛れに手を伸ばすと、握り返される。この熱い手がジントなのかは良く分からなかった。手をつないだのなんて、小さいころ以来だから。でも、何だか安心した。
「――――ナ、イサナ。しっかりしろ。間に合ってよかった。まだ大丈夫だ」
さっきよりもはっきりとジントの声がした。
あぁ、ジントが助けに来てくれたんだ。良かった、これでみんな助かる。そう安堵した瞬間、思いっきり全身が冷たくなった。息も上手く出来ずに、黒にまみれた意識が遠のいていく。
「ゲホゲホ!」
口を塞いでいた布が取られた瞬間、イサナは咳き込んだ。何とか酸欠状態から復活すると、自分がびしょ濡れなことに気が付いく。
「何? 何で僕、全身濡れてるの?」
「俺が水をかけたから。すっきりしただろ?」
問いかけの答えが上から降ってきた。見上げると、ジントがほっとした表情で笑っていた。
「すっきりなわけないでしょ。全身びしょ濡れで気持ち悪いよ。おまけにこの袋は異常なまでに臭いんだ。この臭いのが服にも浸透しちゃったじゃないか。どうしてくれるんだよ」
「知るか。そういう意味で言ったんじゃない。それに、まず俺に言うべきことがあるだろ」
ジントが、袋の口紐をほどきながらイサナを見る。そうだ、こんな状況になったのも、もとはといえば自分が勝手に飛び出していったせいだ。
「……ごめん、ジント。迷惑かけた」
イサナは素直に謝った。
「そう思うなら、もう勝手に飛び出すな。本当にダメかと思った」
「うん、気を付ける。助けに来てくれてありがとう」
「俺がイサナを助けるのは当然だ。それに、俺は結局のところ何もしていない。だから、礼はあのノアの店の筋肉男に言え」
「えっ? もしかしてオーナーのこと?」
「そうだ。あの店の常連客が、偶然イサナ達が連れ去られるのを見てて、筋肉男に知らせたんだ。筋肉男はイサナとレースしている奴らを集めて、破落戸どもが集まりそうな場所をしらみつぶしに探した。そして、この場所を俺に知らせてくれたんだ。だから俺は、城から人手を連れて来ただけだ」
面白くなさそうに、ジントはそっぽを向いた。
「オーナーやみんなが……そうなんだ、ありがたいな」
イサナは心の中が暖かくなるのを感じた。自分を心配してくれる人がいるって、本当に嬉しい。
手足が自由になったイサナがあたりを見渡すと、破落戸とリーナが縄でぐるぐる巻きにされ、ダリアとジャルヌは椅子に無言で座っていた。そして、彼らを見張るように、数人が立っている。
「ジント、あそこで立ってる人達って、もしかして国王直属の親衛隊?」
「あぁ、そうだ。いざというときは、動かしていいと国王から言われてる」
「そうなんだ。ジントすごいねぇ」
国王はジントに次を任せる準備を、着々と進めているようだ。
「何が『すごいねぇ』だ。他人事みたいに言いやがって。護衛するこっちの身にもなれ!」
ジントに頬をつねられ、イサナは思わず悲鳴を上げる。
「イタタ……なんで怒るんだよ。それに護衛って何?」
ジントの表情が固まる。どうやら言ってはいけないことだったらしい。しばらく考え込んだあと、諦めた様子でため息をついた。
「だから……俺はお前の護衛役なの」
「何で? いつから?」
「少し前から。国王に頼まれた」
「どうして国王が?」
「国王はイサナを後継者にと考えているから」
「……えっ?」
予想外過ぎる返しに、イサナの声がひっくり返る。
「だから、お前を次の国王にしたいんだとさ」
「……はぁ? 違うよ、国王はジントを国王にしたいと考えてるんだ、僕じゃない。その証拠に、ジントが暴れるのを止めろって言われたんだ」
「それは、俺がお前を護衛しやすくするためだ。イサナは普段、街にいるから護衛しづらい。だから、イサナの方から俺のそばにいるようにと、国王が仕向けたんだ」
「嘘でしょ……? だって、何で僕なんだ? 他にもっといるだろうに、どうして」
「そんなの国王に聞け」
それ以上、ジントは何も教えてくれなかった。
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