第1話


 フィルドレンテ公国は、巨大な勢力を誇る真華帝国の西に位置する小国の一つだ。別名、水の古都とも呼ばれている。

 水に恵まれた土地なので、様々な作物が豊富にとれる。またフィルドレンテ公国の水は、豊富なだけでなくとてもきれいだ。なので薬の調合に向いており、むしろ泉によってはそのままで薬効がある場合もある。公国は水のおかげで、帝国に次ぐ第二の医療先進国となっており、他国からの留学生も多く、小国でありながらも栄えていた。

 そして公国は今、イサナの兄であるアランが国王についている。アランは前国王の次男だったが、長男が即位前に亡くなったため王位についた。イサナが物心ついたころには既に国王になっていたため、特に可愛がってもらった記憶はなく、たまに国の儀式や舞踏会で挨拶をする程度だ。また、この亡くなった長男の忘れ形見こそが、あのジントだったりする。

 そしてある日、イサナの元へ、国王であるアランから城へ来るようにと連絡が来た。




 珍しいこともあるもんだと、イサナは不思議に思いながら城を訪れていた。しかも国王の側近であるザーク・フィル・ドレンテに部屋まで案内され、さらにイサナは首を傾げていた。彼も王族の一人で、優秀さを見込まれ異例の若さで側近に抜擢されている。そんなエリートが、イサナごときを案内するとは通常ありえないことだ。

「あの……僕は今日、何の用事で呼ばれたんでしょう」

 イサナはザークに質問する。ザークは切れ長の涼しげな目を、イサナに向けた。ジントとはまた別の魅力で、ザークも姫達に人気だと聞いていたが納得だなと思った。知的に整った顔立ち、そして将来有望と来れば、姫達も騒ぐはずだ。

「申し訳ない。私も内容は聞いていないんだ。ただ、君を連れてきて欲しいと頼まれただけでね」

 側近にも内緒のことなのか。ザークも戸惑ったように、首をすくめている。

 頭の中に疑問符を浮かべながら、イサナが国王の部屋の前まできたときだ。凝った装飾があしらわれた扉をノックしようとすると、いきなり扉が開き、ジントが部屋の中から現れた。

「イサナ? お前、何でここにいる」

 ジントはあからさまに、嫌そうな顔をした。いきなりそんな顔をされては、こっちも驚くではないか。

「国王に、呼ばれたんだ」

 イサナが答えると、ジントは後ろを向き、部屋の奥へ向かって叫んだ。

「俺は納得していない!」

「でも、お前はやってくれるだろう?」

 ジントの荒々しい声とは逆の、落ち着いた声が返ってきた。この声はアラン国王の声だ。この雰囲気、ただ事じゃない。イサナはハラハラしつつ、二人の様子を伺う。ジントは無言で国王を睨みつけ、国王は悠然と微笑を浮かべていた。そして、根負けしたのか、ジントは子供のようにぷいっと顔を背け、去っていった。

 唖然と見送るイサナだったが、国王に入室を促され、慌てて拝礼の姿勢をとる。

「イサナ、堅苦しい挨拶は抜きにしよう。さあ、座って」

 部屋に入ると、イサナはひとまず手身近にあったソファーに座る。するとあまりにフカフカなのと、端っこに座りすぎたことで、転げ落ちてしまった。恥ずかしさのあまり、早くも帰りたい気分だ。王家の出身とはいっても、城暮らしをしていないイサナには、高級家具や調度品は見慣れぬものなのだ。しばらくして出された紅茶も、ティーカップがいかにも高級そうで飲むのが恐ろしい。

「大丈夫かい? 悪いね、急に呼び出して」

「い、いえ。平気です。それより、体調のほうはいかがですか?」

 アラン国王は数日前、過労のあまり倒れたと聞いている。現に、昼間だというのに公務用の服ではない。長い髪もゆるく編んでたらし、リラックスした格好をしていた。ほっそりとした長身に、細いフレームの眼鏡が良く似合う。穏やかで優しく、怒る姿を見た人はいないという噂で、国王だというのに気さくに人々と接する人格者。四十歳を越えた今も、国中の女性から憧れのまなざしを注がれている人だ。若い女性はもちろん、幼い少女から年配の女性まで、幅広く慕われていると聞く。

「久しぶりに儀式を行ったからね。疲れが出たんだろう」

 フィルドレンテ公国は、雨がよく降る。それこそ、三日に一度は少量でも雨が降るのが普通なのだが、ここ一ヶ月の間は一回も降らなかった。なので、国王は代々の言い伝えどおりに雨乞いの儀式を行ったというわけだ。

 人間が祈ったところで、本当に雨が降るわけがない。だがそう分かってはいても、王家にとって儀式は切り離せない重要なものなのだ。何せ、王家が王家たる理由は、雨乞いなのだから。古の昔、雨の降らなかったこの地に雨を降らせるようにした若者がいた。その若者の末裔こそが、このドレンテ王家だと伝わっている。

 言い伝えでは、その後も若者の血筋である王家の中に、雨乞いの力を有するものが出現するというのだ。能力者が恵みの雨を降らせることで干ばつから民を守り、民はその者を、ひいては王家を敬い慕う。この言い伝えが元になって、フィルドレンテ公国は成り立っていた。

「雨が降ってくれて助かったよ。でも、私ももう年なんだろうね。以前より体力のなさを痛感したよ。儀式を始めたら、どっと体が重くなってしまってね」

 国王は穏やかに笑いながら、イサナへお菓子をすすめる。きっとお菓子が好きなことを知っているのだろう。さりげない優しさに、イサナは恐縮してしまう。しかし、恐縮しつつも手持ち無沙汰すぎて、水玉模様の紙に包まれたバードチョコを、さっそくかじりはじめた。

「五十歳まで、あと七年でしたか?」

 イサナは、年を気にした国王へ尋ねる。

「そうなんだよ、まだ七年もあるんだ。はやく五十歳になって、学者業に専念したいよ」

 フィルドレンテ公国の国王は五十歳で退位し、次の王は即位のときに三十歳以下でなくてはならないとなっている。他にこのような制度をとっている国はないのだが、この風変わりな決まりだけは連綿と続いているのだ。帝国が五十歳で退位する必要はないと、文句を付けてきたこともあったらしいが、当時の国王が頑として譲らなかったそうだ。国王のアランは現在四十三歳。あと七年で退くのだが子供がいないので、次期国王を誰にするか、水面下で王族や貴族たちが暗躍している状態だ。

「学者業って……国王の公務をしながらも、歴史の研究を続けているのですか?」

 イサナは驚いて聞き返す。国王がもともと歴史学者だったのは知っている。だが、国王になってからも研究を続けていたのは初耳だった。公務だけでも忙しいのだ、並行して研究をするなど、過労で倒れるのは当然の流れではないか。

「イサナまで、側近みたいにあきれた顔をしないでおくれ。この国の成り立ちを研究しているんだから、『国王』の仕事ととらえても、あながち間違ってはいないだろう?」

 国王は、イサナへ向かって穏やかに微笑みかけてくる。そう言われてしまうと、もう苦笑いしながら頷くしかない。

「ところでイサナ、お前は未だに『リール・ドレンテ』と名乗っているそうだね」

 イサナのチョコを食べる手が止まる。

「……はい」

「別に責めているわけではないよ。母方の名を大切にしたいという、気持ちはよく分かる。でも、お前にはちゃんと王家直系の『フィル・ドレンテ』を名乗る資格があるんだからね。それだけは、忘れないように」

「……はい」

「さて、ここからが本題なんだ。さっき、ジントと入れ違いになっただろう?」

 気を取り直すように、国王は紅茶を一口飲んだ。

「何か、険悪な雰囲気でしたが」

「ジントももう少し我慢を覚えてくれたらいいんだが。昨日、またクロヴィスと諍いを起こしたそうでね。まあ先に突っかかったのはクロヴィスの方らしいんだが」

 ため息をつきつつ、国王はもう一口紅茶を飲んだ。クロヴィスとはジントの従兄弟で、つまり、イサナにとっては甥にあたるのだが、これまた同年代の少年だ。

「あぁ、手を出しちゃったわけですね」

「まぁ、そんなところだ。彼に言わせると、手は出してない、足は出したが……ということらしいがね」

「なんですか、その言い訳は」

 屁理屈にもほどがあるだろうと、イサナは呆れるしかない。

「私も、彼らしい言い草だと苦笑したがね。ジントは、剣術は誰よりも強いし、腕っ節も強くて、喧嘩慣れしている。だから、暴力ですぐケリをつけようとしてしまう」

「ジントは自分の身を守るために、必死で強くなりましたから」

 幼いころのジントは、両親を亡くして後ろ盾もなく、他の王族の子供達にいじめられていたのだ。イサナも同じように後ろ盾はなかったが、元から城を出て生活していたので、王族からはいじめられたことはないが。

「分かっているよ。でも、だからといって暴力が正当化される理由にはならない」

「確かに……その通りです」

「そこでだ。しばらく一緒に行動して、ジントが暴れそうになったら止めてほしいんだ」

「僕がですか?」

「そう、お前なら横にいてもジントは嫌がらない。それに、お前の言うことだったら、聞く耳をもつだろう? 聖礼祭まででいいんだ」

 イサナは聖礼祭という言葉に引っかかりを覚えた。聖礼祭とは、この土地に鎮座する女神の祭りで、国王にとって一番重要な行事だ。乾いたこの土地に雨を降らせた若者が、王家の始祖といわれているが、その始祖は女神の助力を得て雨を降らせることが出来たといわれている。それが由来で、この女神を讃える儀式が続いてきたのだ。普段は地方に住んでいる王族も、この日に合わせて都入りする。この聖礼祭は王族が一同に会する、貴重な時なのだ。今年もあと二十日ほどしたら、聖礼祭の前祭が始まる。

「もしかして、ジントを次期国王にお考えなのですか?」

 政治的な重大発表が行われるのは、たいてい王族が集結するこの聖礼祭のときなのだ。イサナは緊張しながら国王に問う。

「私の立場では、誰と軽々しく答えることは出来ない。ただ、そうだな、意中の人物はいるよ。まわりは反対するだろうけれどね」

 国王はこれ以上は話せないと、苦笑いを浮かべている。イサナはそれ以上、何も聞けなかった。

「じゃあイサナ、ジントの件は頼んだよ」

 否とはいえなかった。国王からの直々の頼みなど、そうそうあるものではない。国王の微笑に含まれた信頼に、イサナは「分かりました」と答えるしかない。

 城からの帰り道、手土産にもらったバードチョコをかじりながらイサナは考えていた。国王の言葉の濁し方、どう考えてもジントを押しているようにしか思えない。

 即位時に三十歳以下でなくてはならないので、国王が四十三歳の今、二十三歳より年上の王族は後継者にはなれない。よって現在二十三歳までの後継者たりえる王族はイサナとジントも含めおよそ二十名になる。しかし有力貴族を後見にもつ王族は六名。おそらく、この中から選ばれるだろうと誰もが思っていた。もちろんこの六名の中に、イサナもジントも入っていない。むしろ小物臭の漂うクロヴィスは入っているのだが。

 ジントの父親は、母親もろとも事故でなくなった。母親は帝国から嫁いできた人なので、国内にジントの後見となる母方の親族はいない。だが、血筋から考えれば、ジントは直系中の直系だ。ジントの父は長兄で、不幸な事故さえなければ即位していたのだから。

 イサナは嬉しくなってきた。ジントは確かに短気なところがある。でも、本当は不器用なだけで、とても純粋で優しい心を持っているのだ。誰が知らなくても、イサナだけは知っている。

「これは、気合を入れなきゃな」

 暴力沙汰なんかで、ジントの未来を潰させてなるものか。イサナは溶けるのも気にせず、力いっぱいチョコを握り締めるのだった。

 そんな興奮気味なイサナに、背後から近付いてくる人物がいた。

「イサナ君。待ちたまえ」

 イサナが振り返ると、ボサボサの頭、白く丈の長い羽織もの、よれよれの膝までのズボン、それなのに靴は何故かつやつやと輝く真新しい革靴という、不可思議な格好のおじさんが立っている。

「先生じゃないですか。どうしたんですか、こんなところで。今は研究生達と医術院へこもってるはずじゃ」

 イサナが先生と呼ぶこの人物、身なりはかなり怪しげだが、れっきとした医術院の先生だ。水溶薬学が専門で、イサナはこの先生の助手をして生計を立てている。母の幼馴染のため、街で唯一、イサナが王族だと知っている人物だ。ある意味、保護者のような存在といってもいい。

「そうなのだ。だが、頭が混乱してきたので逃げてきた。研究生たちには、しばらく旅に出ると伝えてくれたまえ。では、さらばじゃ!」

「こらー、さらばじゃないでしょ」

 イサナが止めるのも無視して、先生は風のごとく去っていった。

「……先生の失踪癖、どうにかならないかなぁ。まぁ、先生の行くところなんて、想像つくからいいんだけどさ。探して来いって言われるの、僕なんだから。ちょっとは大人しくして――――」

 イサナは長々と愚痴をこぼしつつ、いつも通りに先生の捜索へ向かうのだった。

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