11 ブロウズの街


 途中何度か休憩を挟みながら、ブロウズの街へと到着する。


 そこは以前訪れたキーナンのように栄えた街だった。しかし、帝都の人の多さに慣れた今のエウフェミアは人の多さに驚くことはない。人が少ないと感じてしまうほどだ。


 キーナンと違い、ブロウズには定期的に訪れているそうだ。そのため、こちらの事務所——一階は店舗部分で今は使っていないそうだ。二階の居住用スペースを今回のように宿泊場所として使っている——は近所の住人に清掃を依頼しているらしい。おかげでエウフェミアの仕事は食事作りだけですんだ。


 二階には前と同じで寝室が三つ。ただし、こちらはすべて住人用の物だ。それぞれアーネストとトリスタン、そしてアーネストの父親の部屋だったそうだ。


「会長のお父様はどういう方だったんですか?」


 夕食の場で二人に訊ねてみる。こんな風に一緒に食事をするのもキーナン以来だ。


 貯蔵してあるという酒をあおりながら、アーネストは答える。


「人を疑うことを知らない、馬鹿がつくほどの底抜けのお人好しだったよ」

「若様」


 批難するようにトリスタンが声をあげる。主人は全く胃に介さない様子で「事実だろ」と言う。


「とても良いお方だったんスよ。働き口のない僕を雇ってくださって、勉強も教えてくださったんです。僕の恩人でした」

「雇ったっつってもほぼタダ働きだっただろ」

「もう、若さま。いちいち止めてくださいよ。旦那様が本当に素晴らしい方だったのは若様だって分かってるでしょう?」

「まあ、文字の読み書きも出来ねえ子供を雇おうと思う懐の広さは俺にはねぇな」

「もう、いっつもそんなことばっかり言うんスから」


 エウフェミアは手を止める。今のアーネストの発言は少し引っかかり、会話に混ざる。


「でも、会長もタビサさんを雇われましたよね。お父様とご一緒ではありませんか?」

「違う」


 反論は即座に返ってきた。不機嫌そうにアーネストがこちらを睨む。


「俺と親父は同じじゃない」


 エウフェミアはハッキリと彼の怒りを感じた。


 それはキーナンでアンタが嫌いだと言われたときと同じ空気。あのときは口調の強さに驚きと戸惑いが強かったが、今は違う。――恐怖を感じる。


 アーネストはあのときエウフェミアを嫌いと言ったが、それ以降こちらにそういった感情を向けることはなかった。雇用者と被雇用者として適切な関係を築いていた。だから、その相手から向けられる真っ直ぐな怒りが恐ろしい。


 しかし、その空気はふいに和らぐ。どこか疲れたようにアーネストは言う。


「言っただろ。俺がタビサを雇ったのは慈善活動じゃない。文字の読み書きはできなくても、アイツには他に能力がある。報酬を払うに値する働きをすると思ったから雇ったんだ。――自分の飯代を稼ぐだけでギリギリなのに、近所に住むろくに食事にありつけてない子供を助けるために表向きは従業員として雇って自分の飯を分けてやるなんて福祉活動は、俺は出来ねえよ」

「お優しい方だったのですね」

「……馬鹿だったよ。他人のことばっかり優先して、自分を疎かにし続けて。その結果、体を壊してあっさりお陀仏だ。本当に大馬鹿野郎だ」

 

 そう答える姿はいつも斜に構えた彼には珍しく、感傷的に見えた。


 先代のハーシェル商会会長は今から三年前に亡くなってしまったそうだ。そこからアーネストが跡を引き継いだ。そして、彼はブロウズの小さな商店から今の帝都に事務所を移せるほど事業を拡大した。


 それほどの短期間でここまで商会を大きく出来たのはアーネストの商才故だろう。


 少し湿っぽくなってしまった場を変えるように、トリスタンが明るい声を出す。


「それにしても、こうしてエフィさんとゆっくりお話しできるのも久しぶりッスね。どうですか、最近は? 困ったこととかないッスか?」

「困ったことですか?」

「あ、もちろん仕事の話じゃなくてプライベートな話ですよ。これは雑談ッスから」


 ――プライベートで困ったこと。


 少し考えてから、最近困っていることを思い出す。彼らになら聞いてもいいだろう。


「その、お二人もお給料は貰っていらっしゃるんですよね?」

「もちろんッス。会長なんかはウチで一番偉い人ですからね。それはもうガッポリと役員報酬を受け取ってますよ」

「おい。従業員のやる気を削ぐような発言はやめろ」


 たくさん貰っているならこれをストレートに聞いても許されるだろう。安堵してエウフェミアは本題を切り出した。


「その、私……いただいたお給料の使い道に困っているんです」

「は?」


 何言ってるんだ、という目を向けてきたのはアーネストだ。


「その、食事は私も寮でとっておりますので、食費も特にかかりませんでしょう? 時々必要なものを買うことはあるのですが、それだけだと余ってしまうんです。今のところ貯めているのですが、将来的な使い道も思いつかなくて……」


 この半年でこうしたお金の話を不用心にするのは良くないことをエウフェミアも理解している。働き始めの頃は貰った銅貨の意味も考えずに箱にしまっていたが、精神的な余裕ができた今はその箱の中身をどうするべきなのかと悩むようになってしまった。ゾーイにならこうした話題を出してもいいかと思っているが、まだ聞けずにいた。


「お二人はお給料をどのように使われてるんですか?」

「煙草。酒。博打。女」

「若様」


 アーネストが即答すると、焦ったようにトリスタンが口を挟む。


「さすがに女性の前でその発言はデリカシーがなさすぎっスよ」

「聞いてきたのはコイツだ。嘘ついても仕方ねえだろ」


 なぜトリスタンが慌てているのかよく分からず、首を傾げる。


「煙草とお酒、博打はわかりますが、女性というのは……?」

「帝都の東に歓楽街がある。そこでは金を払うと、美女と過ごすことが出来る」

「……それは楽しいの、ですよね?」

「男にとってはな。言っとくが他の使い方を勧めねぇぞ。少量ならともかく多量のアルコールは身を滅ぼしかねねぇし、煙草は体に悪い。博打も上手く立ち回らねえと勝っても負けても痛い目に遭うからな。他人の金の使い方を参考にしたいなら別のヤツに聞け」


 そうなると残りはトリスタンだ。彼のほうを見ると、少し寂しそうに笑った。


「僕は本を読むのが好きなのは、本を買ってばかりっスね」

「娯楽が本だけってツマンねえ使い方だな」

「お金を道楽の限りみたいな使い方をする人に言われたくないっス」


 アーネストに比べるとトリスタンの使い方のほうが参考になりそうだ。


 しかし、エウフェミアは本を読めるが、あまり難しい物を読んだことがない。多くが子供の頃に読んだ児童書だ。アーネストやトリスタン、あとはゾーイが本を読んでる姿を見たことがあるが、彼らが読むのは経済や商業関係の書物だ。エウフェミアには少し難易度が高い。


「本ですか。私、あまり難しい本はそんなに……」

「大丈夫っス。大衆向けに娯楽本なんかも帝都にはたくさん売ってますよ。読みやすいものもあると思います」


 娯楽本がどういうものかはよく分からないが、彼がそう言うからにはエウフェミアでも楽しめそうなものなのだろう。


「では、そういった物はどちらに行けば買えるのでしょうか?」

「大通りを真っすぐ行って――いや、買うよりはまず借りたほうがいいっスよ。ずっと手元に残したいとかがなければ貸本屋のが安いですからね。借りて欲しいのがあったら買うといいっス。帝都に戻ったら場所を教えるっス」

「ありがとうございます」


 いい話を聞けてよかった。


 食事を終え、後片付けをすませるとエウフェミアは先代会長の部屋を借りて就寝した。

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