10 初めての出張


 アーネストから呼び出しをされたのはそれから一月ほど経った頃のことだった。


「来週から出張に行く。お前も着いて来い」


 突然の命令にエウフェミアは戸惑った。そんなことを言われたのは初めてだったからだ。


「私が、ですか?」

「タビサももう管理人としての仕事を一通りできるようになっただろう。一度、一人で働かせたい。お前がいたらすぐに頼ってしまうし、お前も手を出したくなるだろう。誰も頼れない状況に少し慣れさせて、成長を促したい」


 確かに今のタビサならエウフェミアがいなくとも仕事を回せるだろう。


 だが、今の状態だと何かあったらすぐにこちらを頼ってくるのは事実だ。エウフェミアはそれでもいいと思っているし、力になってやりたいとも思っている。


 しかし、アーネストはそれで良しとは思っていないようだ。


「タビサをここに連れてきたのは慈善事業じゃない。雇うからには相応の働きをしてもらわないと困る。従順で献身的なのはタビサの美徳だが、俺は命令にただ従うだけのお人形が欲しいわけじゃない。少しは自分で考える力を養わせたい」


 雇用主の命令はいつもハッキリしている。その意図も明確で、こうして説明もしてくれる。彼の考えを良いとも思う。


 しかし、エウフェミアは何とも言えないもやもやを感じていた。それを言語化するのは難しい。自分でもどうしてこうも陰鬱とした気分になるのかが分からない。


「会長のお考えは理解いたしました。それで、私は同行して何をすればいいのでしょうか?」

「以前、タビサが仕事を覚えたら別の仕事をしてほしいと言っただろう。あれの一環だ。取引相手に料理を作ってほしい」


 エウフェミアは瞬きをする。


 ハーシェル商会で働くようになって半年が経つが、実際商会の内情についてはあまり分かっていない。帝国全土からいい商品を見つけ、それを流通、販売している。それくらいだ。


 あとは積極的に事業を拡大しており、「ハーシェルさんのところは景気がいいね」と言われることが多いことぐらいだろうか。


 特にアーネストは新たな仕入れ先や販売先を探すのに力を入れており、よく事務所を留守にするのはそのためらしい。


「より良い取引をするには取引相手との信頼関係を構築するのが大事だ。そして、信頼関係を構築するには円滑なコミュニケーションが求められる。円滑なコミュニケーションにはいくつか手段があるが――まあ、そのためにちょっとした潤滑油があるとより望ましい。会食の場っていうのはそういう意味で最適だ。食は三大欲求の一つ。美味い料理を食べれば人の心はほぐれるし、話のタネにもなる」


 アーネストはニヤリと笑う。


「という訳で、取引相手と会食の場を設けたいときはお前を料理人として同行させることにした。地元の美味い店を手配するって手もあるが、毎度毎度いちいち探し回るのはめんどうだしな。せっかく、お抱えがいるんだから、使わん手はないだろ」

「ええと」


 彼が他の商会の従業員ではなく、エウフェミアを同行させる理由はよく分かった。しかし、彼の言い回しには訂正したいところがある。


「私は料理人ではないのですけれど……」

「精霊貴族サマに七年間、手料理を振舞ってたんだ。似たようなもんだろ」

「確かに会食向けの料理も作れますが、本当の料理人の方に比べれば腕は劣ります」

「別に帝都に住む貴族サマに料理を作れって言ってるんじゃねえぞ。ド田舎に住む、帝都の一流コックの味さえも知らねえ癖に『自分は上流階級』って勘違いしてるような奴らに料理を作れって言ってんだ。ちょっとそれっぽい料理を作れさえすれば問題ない」


 トリスタンが大げさに咳ばらいをした。取引相手をこけおろすような発現を看過できなかったのだろう。アーネストは大きく息を吐いてから、表情を真剣なものに変える。 


「流石に俺より舌の肥えてそうな奴相手だったらこんなこと言わねえよ。お前はいつも通り、料理を作ればいい。変に気負う必要はねえよ」


 そう言われても、すぐに「分かりました」と頷けない。それでもエウフェミアは気持ちを切り替え、目先の問題に意識を向けることにした。


「それが来週、ということですか?」

「いや。今回はあくまでタビサの自立を促すのが目的だ。会食うんぬんは今後の話だよ。出張先で料理を振舞ってほしいのは事実だが、相手は新規の取引相手じゃねえ」


 アーネストは机の上を見回し、遠くに置かれた煙草に手を伸ばす。


「ウチでお抱えの職人の一人だよ。舌が肥えてるどころか、田舎料理の味しか知らねえジジイだ。普通の料理を振る舞ってくれ」



 ◆



 翌週、エウフェミアは荷物をまとめると、アーネストとトリスタンと共に馬車に乗り込んだ。


「エフィさん、いってらっしゃいませ」


 見送りに来てくれたタビサはとても不安そうだ。安心させるために彼女の手を握る。


「タビサさんなら大丈夫ですよ。本当に困ったら皆さんに相談してください。きっと助けてくれます」


 エウフェミアは寮の管理人という立場だが、全てを自分で解決しているわけではない。困ったことがあれば寮に住む商会の従業員たちが助けてくれる。タビサのことも皆気にかけてくれるはずだ。


「そろそろ出発するぞ。――出せ」


 涙目のタビサを置いていくのは後ろ髪引かれる思いだったが、アーネストは容赦なく御者のトリスタンへ指示を出す。


 馬車へ帝都の外へ向けて走り出し、どんどんタビサと事務所の姿は小さくなっていく。それが見えなくなってから、エウフェミアは進行方向に視線を向けた。


 これから向かうのはブロウズ。ここから馬車で一日の距離にある街だ。そこにキーナンのようなハーシェル商会所有の事務所があり、出張の間そこに泊まるそうだ。


 今回の出張に同行するにあたり、エウフェミアは事前知識をいくつか仕入れてきた。向かいに座って本を読んでいるアーネストに話しかける。


「ブロウズが以前ハーシェル商会があった場所なのですよね?」


 今でこそ帝都の大通りに事務所を構えるハーシェル商会だが、その始まりは小さな店舗からだったそうだ。それがブロウズだと聞いた。


 アーネストは顔を上げずに答える。


「親父の代の話だな。元々ウチは行商人だったが、親父が店を持つのが夢でな。伝手をあたって、色んなとこに金借りて建てたのがブロウズの店だ」

「では、会長のご出身もそちらなのですか?」

「いや、俺も親父も生まれはもっと田舎だよ。ブロウズから少し南に行くと川が流れてるんだが、その傍に小さな集落があったんだ。トリスタンもそこの生まれだ。もうほとんど人もいなくなってるけどな。あそこに今も住んでるのはこないだ言ったガラス職人のジジィとその弟子ぐらいだよ」


 では、エウフェミアが料理を作るのはブロウズではなく、その集落でなのだろう。


「だから、明日朝一番で買い出しをブロウズですませてから出発する。そのつもりでいろよ」

「分かりました」


 それ以降、ほとんど会話は交わされなかった。

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