9 精霊に愛される者
『お前は
その事実を告げられたのは、両親と兄の死から一か月後のことだった。
その相手は伯父セオドロス。
伯母とは元々面識があったが、伯父に会うのはその日が初めてのことだった。細身だった父と相反してふくよかな体格をしていた男がその兄であることをエウフェミアは不思議に思ったのを覚えている。
伯父は何も知らないエウフェミアに様々なことを伝えた。
ガラノス家の新しい当主は自身であること。
精霊の恩寵を失い、精霊術師としての能力を失った者は一族から追放されるのがしきたりであること。
しかし、温情からエウフェミアが屋敷に留まることを許してもいいと思っていること。
――ここに残る場合は伯父への感謝を行動で示してほしいこと。
エウフェミアは生まれてからずっとこの屋敷で暮らしていた。外での生き方なんて知らない。屋敷の外で生活することはできない。
その上、エウフェミアは家族だけでなく、友人であった精霊たちも失った。全てを失ったと言ってもよかった。だからせめて、家族や精霊たちとの思い出の残るこの地に残りたかった。
ただ、伯父の言う『感謝を行動で示す』という意味が最初よく分からなかった。だが、生活していく中で伯父やその娘たちのために働くこと、動くことが感謝を行動で示すことだと理解した。
だから、伯父たちが快適に暮らせるように、掃除洗濯炊事全てを代わりに行なった。
だから、持っていた服を、本を、玩具を全て従姉妹たちに差し出した。
だから、『自分への感謝を忘れないように』と言う伯父に何度も何度も感謝の言葉を伝えた。
だから、彼らの言うことを全て聞いた。
そうした暮らしを始めて七年。伯父がエウフェミアに縁談を持ってきた。最初、従姉妹のテオドラはそれを聞いて怒り出した。
『エウフェミアに縁談だなんて! しかも、伯爵がお相手なんて! お父様、そんなお方にエウフェミアを嫁がせるなんて失礼もいいところですわ』
『そうです。お姉様の言う通りだわ』
姉に同調するのはもう一人の従姉妹であるメラニアだ。
『エウフェミアの嫁ぎ先なんて、精々平民あたりが関の山でしょう』
『何を言っているの、エウフェミアみたいな鈍臭い子を妻に迎えたいと思う殿方なんて一人もいませんわよ。エウフェミアは一生、この屋敷で私たちに尽くして暮らすのが分相応ですわ』
『先方がどうしてもエウフェミアが良いと言っているんだ。テオドラ。お前はいい婿を見つけて、当主にならねばなるまい? メラニア。お前にはもっといい縁談を見つけてこよう』
伯父は娘二人をなだめる。それから数日でエウフェミアはイシャーウッド家に向かうことになった。
その際問題になったのはエウフェミアの衣装だ。生活に必要なものはすべてあちらで用意してくれるそうだ。身一つで嫁ぐように伯父に言われた。しかし、普段着ている使用人服で嫁ぐわけにはいかない。
テオドラもメラニアもエウフェミアに服を渡すのを嫌がった。どれもお気に入りだからあげられないと言う。従姉妹二人が言い争っていると、伯母が姿を現し、『私のでよければ着ていきなさい』と言ってくれた。
『これならあなたのような年ごろの娘が着てもおかしくないでしょう。それと、これも持ってお行きなさい』
伯母の部屋で手渡されたのはシンプルなデザインの紺色のドレスと、小さな布袋だった。袋の中にを見覚えのある宝石のついたネックレスが入っていた。
(――お父様にいただいたネックレス)
この七年間、伯母は伯父や従姉妹のようにエウフェミアに何かを頼むことをしてこなかった。――ただ一度、このネックレスを渡すように言われたとき以外は。
――なぜ、今これを。
不思議に思い、訊ねる。
『どうして、これを? これは伯母様のものでしょう?』
『いいえ、これはあなたの物よ』
彼女は表情を変えないまま、断言した。
『私は一時的に預かっていただけ。あなたに返します。イシャーウッド家に持ってお行きなさい。ただし、決して誰にも渡してはだめ。どんなことがあっても、手元に持っておきなさい。これはあなたにとって大事なものよ』
そのときのエウフェミアには伯母の意図がわからなかった。なぜ伯父一家と暮らし始めてからすぐに取りあげたネックレスを返してくれたのか。なぜ誰からも隠すように言ったのか。
それでも、ネックレスの宝石を見てると思い出す。
これはエウフェミアが父から十歳の誕生日にもらったものだ。他にもらったものはもうすべて手元にない。全部テオドラたちにあげたから。もうこの石だけが、父からもらったたった一つの思い出の品なのだ。
ネックレスをぎゅっと握りしめるエウフェミアに、伯母は言った。
『さようなら、エウフェミア。どうぞお幸せに』
それが彼女がエウフェミアにかけた最後の言葉だった。
「――エフィさん。終わりました」
タビサの言葉でエウフェミアは顔を上げた。渡した紙には余白がすべて埋まってしまうほどたくさんの名前が書かれている。
エウフェミアは笑みを浮かべる。
「お疲れさまです。サインはすっかり上手になりましたね。――そろそろ時間ですし、夕食の準備を始めましょうか」
「今日はシチューでしたよね。ワタシ、シチューは得意です」
二人で厨房に向かい、野菜の皮むきから始める。仕事を終えた従業員たちが食堂に集まる頃には美味しい匂いが漂うようになっていた。
「今日のシチューはワタシが作ったンです。どうぞ召し上がってください!」
鍋からシチューをよそうタビサはどこか自信ありげだ。その様子を身守りながら、エウフェミアはくすりと笑う。
タビサの言う通り、夕食のメインディッシュであるシチューはほとんど彼女一人で作った。エウフェミアが手助けしたのは野菜の皮むきぐらいだ。
「うん。
「エフィが作ったのに比べるとちょっと落ちるけど――いてっ!」
「そういうこと言わないの! すっごく美味しいじゃない。エフィが来る前のことを忘れたの? 皆で当番決めてご飯を用意していた頃を考えれば、すごく恵まれてるじゃない」
「……ゾーイ、それお前が言うのか? 俺たちの中で一番料理が下手だったのは――痛え!!」
「うるさい! うるさいわよ! 別に料理ぐらいできなくてもいいじゃない! 私はその分商人として稼ぐんだから!!」
皆がわいわいと騒ぐのを横目に、エウフェミアもシチューを口に運ぶ。人が作った料理を食べるのは久しぶりだ。とても美味しい。
タビサは嬉しそうに笑う。
「ありがとうございます。実家にいた頃はいつもワタシが食事当番だったんですよ。――タビサは火の精霊サマに愛されてるからって」
精霊、という言葉にエウフェミアは顔をあげる。先ほどゾーイに叱られていた従業員が「確かになあ」と頷く。
「そう言われてもおかしくない料理の腕だ。俺も火の精霊に愛された奥さんが欲しいなあ」
「そんなこと言ってると会長に怒られるぞ。仕事に真剣に取り組め、って」
「プライベートが充実してこそ、いい仕事ができるんだって」
「まあ、結婚したら寮からは出て行かないといけないから、エフィとタビサの料理は食べられなくなるけどな」
「そうなんだよなあ。たまに遊びに来るから、そのときだけ食べさせてもらうってのはアリかな?」
「奥さんからしたらナシだろ。そんなことしたらすぐ離婚されるぞ」
皆がタビサの言い回しを当たり前のように受け入れ、会話が続いている。当惑しているのは自分だけのようだった。その様子に気づいたのか、タビサが近づいてくる。
「どうかされましたか? 美味しくなかったですか?」
「あの、先ほどの火の精霊に愛されてるって、どういう意味ですか?」
エウフェミアの知識では『
タビサもエウフェミアが世間知らずなことは知っている。「ああ」と納得したように微笑む。
「料理が得意な人をそう言うンですよ。調理をする際、火を使うでしょう? だから、上手く料理ができるのは火の調整を火の精霊サマが手伝ってくれている。わざわざそんなことをしてくださるのは火の精霊サマが気に入ってくれてるんだって」
「そうそう」
他の皆も同意する。
「あとは水の精霊に愛されてると掃除が得意だとか、人間関係を円滑に回せるやつは風の精霊に愛されてるとか。あとは朝に強いやつは光の精霊に愛されてるとかも言うな。職人にもそう言われる奴らは多いぜ。いい鍛冶屋は火の精霊に愛されてるとか、いい陶工は土の精霊に愛されてるとか」
「と言うより、一流の職人になるには精霊に愛されてるっめ評価が必須条件ね。そうでなければ、仕事が回ってこないもの」
そう言ってから、ゾーイはこちらをじっくりと観察する。
「エフィはどっちかしらね。掃除も料理も得意だから、水の精霊に愛されてるのか、火の精霊に愛されてるのか」
「両方じゃねえか?」
「そう、かしらね。でも、両方とも得意な人って珍しいわよね。あんまり聞かないけど」
「エフィさんは日頃の行いがいいですから、精霊サマがよく思ってくださってるンですよ」
タビサが自信満々に言うが、――本当にそうだろうか。
確かにエウフェミアは料理も掃除も得意だが、それは単純に小さい頃から毎日やってきたからと言うだけだ。特に料理に関しては従姉妹の要求が高く、それに応えるために創意工夫を重ねた結果だ。大精霊の恩寵を失ったエウフェミアが精霊たちに愛されているとは思えない。
彼らの会話の話題はどんどん移り変わっていく。エウフェミアは食事をしながら、それをぼんやりと聞いている。食事終わり、こちらに元気がないことに気づいたのだろう。ゾーイが耳打ちをしてきた。
「タビサの前ではあまり大きな声では言えないけど……、精霊に愛されてるっていうのはただの比喩表現よ。その人の得意分野に関連する精霊の名前を出して、その人の能力を褒めているだけ。ただのリップサービスよ。実際に精霊に愛されてるわけじゃない。精霊への信仰が厚い人は本気で信じてることもあるけど。なんにしても、あまり深く考える必要はないわよ」
彼女にはエウフェミアの素性は教えていない。それでも、この半年の間にエウフェミアと精霊を関連付ける何かを感じているのだろうか。しかし、そのことを追求することもできず、曖昧に微笑むしかできなかった。
「……うん。そうね」
どちらにせよ、今のエウフェミアには関係がないことだ。一般人にとって、精霊は崇拝や信仰の対象。彼らに祈ることはあっても、彼らに助けてもらうことはもちろん、会話をすることもない。実在を疑う人間はいないが、日常生活に関わってくるものではないのだ。――そう、空気と一緒だ。そこにあるけれど、目で見ることも触れることもできない。精霊はそういう
タビサのように精霊を信仰をするか。ゾーイのように精霊をそこにあるけれど決して関わりのないものと受け止めるか。
精霊たちを友人だと思っていたエウフェミアにはそのどちらの考え方もしっくりと来ない。だが、
その答えを出すのは難しかった。
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