第15話:女たちの力

 ミーナは家事室で、メイドたちの手仕事を観察していた。レニャという若いメイドは、糸車を使って、手紡ぎするミーナの何倍もの速さで糸を紡ぐことができた。ベアンという年かさのメイドは、織機の使い方がとても上手だった。ティベルダという、イェルクの側仕えのメイドは、ミーナがはっとするほど美しく糸を染めることができた。

 ある日、ミーナは三人を呼びつけ、三人の力を合わせて一反の布を織り、ミーナに献上するよう指示した。身分の低いレニャとベアンはともかく、城に仕える騎士の娘であるティベルダは難色を示した。

「若奥さま。イェルクさまのお留守の間、お部屋を守るのがわたくしの仕事でございます。猟犬や鷹の世話を、イェルクさまから直々に頼まれているのは、このわたくしですから」

 ティベルダの言い草に、ミーナは腹が立った。このティベルダこそ、ミーナを門前払いしたメイドなのだ。おそらく、イェルクに淡い、叶わぬ恋をしているのね、とミーナは思っていた。わたしが望めば、ティベルダを追い出すこともできるでしょう。ゲルトルート奥さまなら、鞭の一発でもくれてから、ためらわずに追い出したでしょう。でも、お義母さまだったら? ここは、お義母さまが大切に守ってきたビルング家なのよ。わたしも、お義母さまのように、広い心でメイドたちに接しなくてはいけないのだわ。それに……イェルクはティベルダを相手にしないはずよ。だって、ティベルダこそ、わたしたちの仲をあれこれ噂している中心人物だもの。

「ティベルダ。わたしはあなたの力を見込んで頼んでいるのです。あなたが染めた布や糸は、とても美しいわ。レニャはこの城の誰よりも糸紡ぎが速いし、ベアンが織る布は見事だわ。わたしは、あなたたちに他のメイドの手本となってほしいのです」

 誇りをくすぐられたのか、ティベルダの顔色が変わった。レニャやベアンは、自分たちのような身分の低いメイドが、若奥さま直々に評価されるとは思っていなかったのか、口をぽかんと開けて驚いていた。

「わたしは、この城で一から布を作って、他国に売ろうと思っています。ビルング家に嫁いだ女がそうするように。直接売れば、利益がそのままビルング家のものになります。わたしはビルング家の役に立ちたいと思っています。未熟なわたしに、力を貸してほしいのです」

 ミーナは微笑んだ。力の限り、微笑んだ。その笑みに、若奥さまとしての誇りをかけた。

 やがて、ティベルダが口を開いた。

「かしこまりました。若奥さまの、いえ、ビルング家のために、できる限りのことをいたします」

 こうして三人は順番に仕事を果たしていった。一月後、三人はミーナに一反の布を献上した。ミーナは布の手触りを確かめたあと、素晴らしいわ、と言って三人をねぎらった。


「フバード、この布を他国に売るにはどうしたらいいかしら?」

 ミーナは目をきらきら輝かせて、ビルング城に出入りする若き商人、フバードに尋ねた。このフバードは、東の国ブラーヴァ国出身で、はるか東方から西の国まで商品を売り歩いている、優秀な商人だった。それに、上品、優雅という意味をもつ名前にふさわしい人物で、城内のメイドたちに人気があった。

 フバードはミーナから黄味がかった緑色の布を受け取り、丹念に色を見たり、手触りを確かめたりした。ミーナはその目つき、手つきをなめるように見つめ、確かな期待を抱いた。フバードは優雅に微笑みながら、ミーナに布を返却し、きっぱりと言った。

「売れませんね。こんな布、どこの国のどこの村でも、同じように女達が織っていますよ。わざわざ買う者はいないでしょう」

 それを聞いたミーナは足がよろけた。フバードはミーナの身体をそっと受け止めた。

「そんな、そんな、せっかく織ったのよ。みんなで、ビルング家のためにと、頑張ったのよ。なのに、そんな簡単に決めつけてしまうの?」

 ミーナは上目遣いにフバードを見つめた。フバードはふう、とため息をついて、ゆっくりした口調で語り出した。

「どこの女達も、生きるために必死です。布は、自分達で使うためだけでなく、お金を稼ぐための手段、いえ、お金そのものだと、他の地方の女達は、あなた方のずっと、ずっと前から気づいていたのですよ。あなた方は……ビルング領の女達は、素晴らしい腕をお持ちなのに、自分達で布を消費することしか、考えていなかった。そうしているうちに、周りから置いてけぼりになってしまったのです。もしかしたらそれは、布だけではなくて、すべてにおいてそうかもしれない。この、ビルング領では」

 ミーナは、フバードの言うことを、神妙な面持ちで聞いていたが、だんだん我慢ならなくなってきた。

「わかっているわ!」

 ミーナは耐えきれずに叫んだ。

「だから、追いつこうとしているのよ……」

 修道院暮らしで、自室にこもりがちのミーナも、世の中が全くわからないほど愚かではなかった。ミーナはなぜ、このビルング家にお金がないのか、なぜ、イェルクはずっと城を留守にするのか、なぜ、剣術試合に出るのか、ずっと考えていた。

「このビルング家は、いえ、ビルング領は、戦でお金を稼いだ土地柄よ。男たちは戦に出て、残された女たちは家を守り、やせた畑を耕し、糸を紡ぎ布を織って、なんとか生き延びてきた……。でも、戦は終わった。わたしたちは、戦のないこれからをどう生きるのかを考えなくてはいけないのだわ。生粋の騎士であるイェルクは、リタラント国じゅうを回って、これから自分にできることを探している! だから、わたしも……次期領主夫人であるわたしも、できることを探さないといけないのよ!」

 ミーナはフバードを強くにらんだ。与えられたことさえ、まだこなせていないけれど、という言葉と、そうすればイェルクは振り向いてくれるはずよ、という言葉を、なんとか飲み込みながら。ミーナはやはり自分はイェルクを深く愛しているのだと思い知った。フバードはそんなミーナを意外そうに見つめていた。

「でしたら、若奥様。何かを探すことです。他の国では売っていないような、何かを」

 フバードは名前のとおりに上品な笑みを浮かべ、ミーナに金貨を一枚手渡した。

「これは……?」

 ミーナがおずおずと尋ねると、フバードは優雅に微笑んでみせた。

「この布の代金です。リタラント国でも、南の方は麻があまり育たないのですよ。そういったところに、この布を売ってみせましょう。これからも、いい布を織ってください。私が買いますよ。ですが、いつか、必ず、何かを見つけてください。若奥様なら、きっとできると思います」

 フバードはそう言って去っていった。ミーナは手のひらの金貨を見つめ、驚きと喜びを隠せなかった。

 それからミーナやメイドたちは、一月に数反の布を織って、フバードに売った。フバードは忖度なしの値段で麻布を買い取ってくれた。最初に織った一反より、値段はいくらか下がった。それは、最初の一反で、染めるための香草がすっかりなくなってしまったからだ。ティベルダは、城の敷地じゅうに香草を植えたらどうかと、ミーナに提案したが、ミーナは考えさせてほしいと答えた。ミーナは、何かを探そうとしていたのだ。


 季節は移り、七月の半ばになった。昨年より一月ほど早く種まきをした亜麻のつぼみは、昨年より一月分早く成長した。ミーナは、イェルクが狩りをしに帰ってくることを心から期待していた。狩りは、食料を得るためだけではなく、動物の皮をはいで革製品を作り、それを売って資金を得るためにも必要な手段だった。

 ある日、ミーナは、亜麻の花が青い絨毯のように咲いている畑に、イェルクと二人で立っている夢を見た。目覚めたミーナは、それが正夢となる予感がして、亜麻畑まで駆けていった。予感が的中したのか、何輪かの亜麻の花が咲いていた。

「まだ、ちらほらね……。でも、素敵だわ」

 ミーナはうっとりした声を出して、その花を一つ摘んだ。

「きれいね……どうやったら、この色を永遠にとどめておけるかしら。亜麻仁油が取れなくなるといけないから、あまり摘んではいけないって言われているし」

 ミーナは手にした花をくるくる回しながらその色を楽しんだ。青空のような色だ。もし、こんな色のドレスがあれば……ミーナは憧れの気持ちを抱いた。

 突然、強い風が吹いた。ミーナは目に入りそうになった砂ぼこりを払うのに必死になり、亜麻の花を手放してしまった。その花を風がさらっていった。ミーナはそれを追いかけた。夢中になって追いかけるうちに、いつの間にか城の裏手から正面に出たようだ。馬のいななきが聞こえてきた。ミーナは馬の進行の邪魔をしたらしい。目の前に馬の脚が見え、ミーナは恐怖で座り込んだ。

「ごめんなさい……」

 ミーナが仰ぎ見ると、そこには馬に乗ったイェルクがいた。

「今、青い花が飛んでいったのを横目で見ていた。あの花は何と言う花かわかるか?」 

「あれは……亜麻の花です。まるで空のように青いでしょう?」 

 ミーナはぽかんとしながら答えた。なぜ、この状況で出会うのだろう。この状況で、同じ花を見たと言えるのだろうか。

「そうか。知らなかった。あんな色をしているとは」

 そう言うとイェルクはしばらく黙った。ミーナも黙った。何を言ったらいいのか、ミーナはわからなかった。

「世の中は、わからないことだらけだ」

 唐突にイェルクが話を切り出した。ミーナはやっと立ち上がった。

「まあ、無理もない。私は、自分の感情さえ、よくわかっていないのだから」

「ひょっとして、お母さまの話ですか……?」

 ミーナは土ぼこりを払い、イェルクのほうに向き直った。

「そうだ。私はあの頃、クラーラ様への思いに気づいていなかった。正直に言うと、今でもよくわかっていない。情けないことだ」

 確かに情けないわ、とミーナは思った。あまりにも鈍感すぎるわ。こんな体たらくだから、女心がわからないと、ヘリガにもあきれられてしまうのよ。

「自分の感情を、剣と同じように扱うことができればいいのだが。そうすれば、お前にももっと優しくしてやれるだろうに」

 自分の感情など、剣よりたやすく扱えるじゃない、とミーナは思った。もし、わたしに優しくしたいのなら、今すぐ馬から下りてわたしを抱きしめればいいのよ。たったそれだけなのに。

「もう行かなくてはならない。最近、国境沿いで武装した蛮族を見かけたという報告がいくつもあるのだ。これ以上、侵入してこなければよいのだが」

 ミーナはがっかりしたが、仕方がないとも思った。次期領主夫人ともなれば、領民の平和と安全を第一に考えなくてはならないのだ。

「わかりました。お気をつけて行ってらっしゃいませ」

 ミーナは寂しさをこらえて微笑んだ。

「秋の剣術試合が終わったら、城に戻って少し休むつもりだ。そのときにまた話をしよう」

 それを聞いたミーナは、今度は本当の喜びの笑みをうかべた。

「お前には悪いことをしたと思っている。では、行くぞ」

 イェルクは馬に鞭を打ち、駆けていった。ミーナはその方向をいつまでも見つめていた。ミーナは、生まれて初めて、馬に乗りたいと思った。もし、馬に乗れたならば、イェルクと一緒に馬を駆って旅に出ることもできると思ったからだ。

 それが叶わないのなら、この青を永遠にとどめた織物を売りたい、ミーナはそう思っていた。どこにもない色の織物ならば、きっと誰かが買ってくれる。そうしてお金を稼げば、わたしはビルング家のため、イェルクのために役立てるはず。そうしたらわたしは、心の中に真の希望を抱けるはずだわ。

 ミーナは目を閉じた。夢に見た亜麻の花畑で、イェルクと二人で笑っていたことを思い出していた。

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