中編:ミーナは糸を染める

第11話:贈り物

 その日もミーナは、窓辺に腰掛けて糸を紡いでいた。

「ミーナお嬢さま。そろそろ糸を片付けましょう。まもなくお食事の時間ですよ」

 ヘリガに声をかけられ、ミーナは紡ぎかけの糸をはさみで切った。その糸は隣に置いてある別の椅子の背に、ぐるぐる巻きになっていた。椅子の背をかせ代わりにしているのだ。ミーナは切った糸端を指先に何回か巻き付け、指から外し、それを芯にして残りの糸をくるくると巻き付けていった。椅子の背に巻き付けられた糸をたぐりよせ、最後まで巻き終えたら、糸玉が完成する。その糸玉は、鏡台の脇に置いたかごに入れていた。いつかこの糸を染めて、布を織り上げるのだ。


 田舎貴族といえども、ビルング家の晩餐は豊かだった。適度な厚みに切ったカブを、ビーフストックで煮崩れない程度に煮て、油で炒め、仕上げにハチミツをかけた料理。同じくビーフストックを沸騰させ、そこに小麦を加えて煮込みながらストックを吸わせ、さらに卵黄を加えて煮詰めた料理。羊の肉を、玉ねぎと香草と塩とワインで煮込み、卵と柑橘類の汁を混ぜたソースを加えながら食べる煮込み料理。それだけではなく、アーモンドの粉と牛乳で作った甘いプディングと、南の国から輸入したオレンジを漬け込んで、数か月熟成させたワインまで供された。

 退屈ともいえる暮らしの中で、食事はミーナに栄養だけではなく、楽しみを与えた。そんな食卓で、ミーナにとって心を躍らせるような話が舞い込んできた。


「ミーナはもうすぐ十六歳になるのじゃったな」

「はい、お義父さま。ミーナはもうすぐ十六歳になります」

 マルクスの言葉に、ミーナは食事の手を止めて答えた。

「結婚してから初めての誕生日じゃ。イェルクのやつが戻ってきたら、何か贈り物をねだるとよい。あやつは女心に疎いからのう。ミーナはまだ贈り物の一つももらっていないのじゃろう?」 

 そうだわ、結婚してからまだ何ももらっていなかったわ、とミーナは思った。イェルクは領内はおろか国内を忙しく駆け回っていたが、お土産の一つもミーナによこさなかった。花の一輪でさえくれたことはなかった。

「まったく、あやつは誰に似たのだか。剣術以外のことはからっきしじゃ」

「あなたが、あの子に剣術のことだけを考えろとお教えになったからですよ」

 カタリーナはあきれたように言った。赤髭の存命中は復讐のことばかり考えていたマルクスは、赤髭の死後まもなく、自分の息子が跡取りとしては全く未熟だということに気がついた。彼は慌てて息子に領主としての教育を施そうとしたが、自分自身にも教えられるほどの能力がないことに気がついて愕然とした。幸い、ビルング家は家臣が優秀で、イェルクは家臣から様々なことを学んでいた。

「そうそう、誕生日の話じゃったな。儂は若い頃、カタリーナにまめに贈り物を贈ったものじゃ。特に、結婚後初の誕生日には、豪華な首飾りを贈ってやったのう、カタリーナ」

「ええ、よく覚えていますよ」

 カタリーナは微笑んだ。ミーナはこの二人を心底うらやましいと思った。

「まあ、素敵。一体どんな首飾りですの?」 

「今度あなたにも見せてあげますよ。さあ、昔話はこれくらいにして、食事の続きをしましょう」

 カタリーナに促されて三人はまた食事をとりはじめた。食事の間ミーナは、イェルクにどんな贈り物をねだろうか、ということばかり考えていた。


 その頃、イェルクは王都で行われる剣術試合に出ていた。試合とはいえ危険も伴った。しかし、試合に勝てば報奨金が得られる。貧しい農地と荒れ地が大半を占めるビルング領を経営するためには、試合で報奨金を得ることも必要だった。国一番の騎士と噂されるイェルクがもたらす金品は、ビルング領の命綱でもあったのだ。

 来る日も来る日も窓辺で糸を紡ぎ、毎晩さみしい気持ちで床につくミーナだったが、この日は贈り物のことを考えているうちに眠りについた。幸せな夜だった。

 翌日、朝一番で知らせが入った。先の剣術試合で、イェルクは見事優勝してみせたのだ。ミーナは誇らしい気持ちでいっぱいになった。自分の結婚相手が一流の男だと知ったら、修道院で自分をからかった娘たちはどんな顔をするだろうか、という浅ましいことも考えたりした。なによりミーナは嬉しい気持ちになった。イェルクが無事なことと、じきに帰ってくることがわかったからだ。


 秋が深まり、十月になった。ミーナの畑の半分は、ミーナが株分けして育てた香草で埋まっていた。亜麻の刈り取りが終わったあと、連作を防ぐためにミーナが自ら植えたのだ。周辺の畑では、カブ、キャベツ、チシャ、ルッコラ、フダンソウの芽が顔を出していた。そんな折のことだった。剣術試合で優勝したイェルクが帰ってきたのだ。知らせを聞いたミーナは城の前で待っていた。イェルクは堂々たる姿で城に帰ってきた。後ろに控える騎士たちも誇らしげだった。

「ただいま戻った」

「お帰りなさいませ」

「留守中変わりないか」

「いいえ、何もございません」

 ミーナは微笑みを浮かべてイェルクを出迎えた。イェルクは不思議そうな顔をしていた。今まで、ミーナの出迎えといえば、取り繕ったすまし顔か、怒った顔のどちらかだったからだ。

「そうか、母上のお加減がよくなったから、お前も笑うようになったのだな。色々と気を遣うこともあったのだろう」

 イェルクは労をねぎらうように言ったが、ミーナはなんとも的外れな感じがしていた。それよりも気づいてほしいことがあった。ミーナは左手の指に包帯を巻いていた。イェルクに言われたとおりに、女の手仕事を学び努力した結果だった。しかし、イェルクはそれに気づかずに、今から父上に報告する、だとか、母上に挨拶してくるなどと言って、ミーナのもとを離れてしまった。

 次にイェルクと顔を合わせたのは、晩餐の時間だったが、その時間はすっかり宴会の時間に変わってしまった。イェルクはマルクスとともに酒を飲んだり、騎士たちと談笑したりして、ミーナのことを構おうとはしなかった。ミーナは意を決して、イェルクに仕える従騎士の少年に声をかけた。

「食事が終わったら、イェルクと話があるから、猟犬と鷹をどこかにやってちょうだい」

「若奥様、かしこまりました。しかし……この宴は、いつ終わるのでしょう?」 

 確かに従騎士の言うとおり、宴は盛り上がる一方で、終わる気配はなかった。酒に強いと噂されているイェルクは、皆の勧めるまま、いつまでもいつまでも酒を飲んでいた。年のせいでずいぶんお酒が弱くなったマルクスは、カタリーナに連れられて部屋に戻った。ミーナはちびりちびりとオレンジ入りワインを飲んでいたが、イェルクより先に酔いが回り、ヘリガや他のメイドに連れられて自室に戻る羽目になった。


 翌日、ミーナは二日酔いを抱えたまま、糸を紡ぎ始めた。本当は、すぐにでもイェルクに会いに行きたかったが、夏のように叱られたくなかったので、正餐の時間まで待つことになった。

 その日の食事は、昨夜大盤振る舞いをしたせいか、いつもより質素だった。しかし、ミーナにはちょうどよかった。二日酔いがひどくて食欲がわかなかったのだ。隣に座ったイェルクは、あれほど飲んだにもかかわらず、何事もないような顔をしていた。

「昨夜はずいぶん酔っていたようだが」

 イェルクの声は少し怒っているようだった。ミーナは、ひょっとしたら昨夜お側に参らなかったことを怒っているのかしら、と、甘い期待をしてにやにや笑った。

「何を笑っている? おかしな娘だ。酒が弱いのなら、無理して飲むことはない。言いたいことはそれだけだ」

「わかりました。以後気をつけます」

 ミーナは素直に謝ったが、その顔はにやにや笑ったままで、イェルクはまたあきれた顔をした。

 食事が終わった後、ミーナはイェルクを呼び止めた。ミーナには話したいことが二つあった。一つは、誕生日の贈り物の話で、もう一つは十年前、あの木の下で語り合った約束を覚えているか、という話だ。

「イェルク……お話ししたいことがありますの。今夜お部屋に行ってもよろしいかしら?」

 ミーナはあえて大きめの声で話した。二人の間にはまだ何もないと噂しているメイドや下働きの男たちに聞かせるためだ。

「夜は暗かろう?」

「いえ、暗い方が都合いいので……」

 ミーナは小声で言った。

「話があるなら、今聞くから来るがよい」

 イェルクの言葉に、ミーナはぱっと顔を明るくした。二日酔いも一気にさめた。

「わかりました。ありがとう、イェルク。……猟犬と鷹はどこかにやってくださいね」

 イェルクはしぶしぶといった表情でうなずくと、一足先に部屋に戻っていった。


 ミーナはイェルクの部屋に通された。猟犬と鷹がいなくなっていたので安心した。従騎士の少年もいなくなっていた。おそらく、猟犬と鷹の面倒を見ているのだろう。安心ついでに、ミーナは改めてイェルクの部屋を見渡してみた。部屋は簡素で、今ミーナが腰掛けている椅子と小さなテーブルの他には、衣装掛けと飾り棚と事務机があるだけだった。イェルクは事務机で何やら事務作業をしていた。こんな時まで、こんなことをしなくてもいいのに、とミーナは思ったが、口には出さなかった。ミーナは自分の話も切り出せずにもじもじと座っていた。しびれを切らしたイェルクが口を開いた。

「ミーナ、話とは何だ? 私は忙しいのだ。明日また城を立つから、今日中に書類に目を通さねばならない。手短に済ませてくれないか?」 

「また、お城を留守にするのですか?」 

 ミーナは思わず椅子から立ち上がり、抗議するような目つきでイェルクを見つめた。

「ああ。今度はイメディング領との境にある町を視察してくる」

 イメディング領近くの一帯は、ビルング領でも開けた土地で、領内では珍しいものが売られる店もあった。ミーナは抗議の目つきをやめた。

「どうか気をつけて行ってらっしゃいませ。それで……お出かけついでと言っては何ですが、ミーナはイェルクにお願いしたいことがあるのです」

 ミーナが自分のことを「わたし」ではなく「ミーナ」と呼ぶときは、話の聞き手側に甘えたいときだ。無意識にそう振る舞ってしまう。自分でもそれが不思議だった。そんな態度をとる人物を、他に目にしたことはないのに。

「何だ?」 

「もうすぐミーナは十六歳になります。何か、お祝いの品をいただきたいのですが」

 言ってすぐに、ミーナは後悔した。図々しいと思われたらどうしようと思ったのだ。しかし、イェルクに甘えることを許したのは、イェルクにとって頭が上がらない存在のマルクスなのだ。

「そうか。もうそんな時期か。剣術試合の前に、コンラートに会ったのだが、コンラートもお前が秋生まれだと言っていた。そのときに聞いたが、お前は以前から、手鏡を欲しがっているそうだな。それを買ってやろう」

「手鏡など、いりません!」

 ミーナはコンラートの悪意に気がついてかっとなった。イェルクに八つ当たりしても仕方がないと思ったが、一度開いた口を閉じるのは難しかった。

「イェルク、わからないのですか? お兄さまは私をからかいたくて、そんなことをおっしゃったのです。お兄さまは、あなたが言われたとおりに手鏡を贈って、わたしが腹を立てるのを期待しているのですわ」

「ミーナ、そんな言い方をするな」

 イェルクはミーナをたしなめたが、ミーナは自身の勢いを止めることはできそうになかった。

「だって、お兄さまは昔から、わたしのことを不細工だ何だとからかっていたではないですか。お母さまにも全く似ていない、いったいどこの誰の子なんだ、って。わたしは鏡など見たくはありません。自分の顔など、見たくはないのです。だって、あなたも……」

 そこまで言って、ミーナはやっと口を閉ざした。そのときのイェルクの顔が、とても怒っているような、そしてどこか悲しいような顔をしていたからだ。これ以上この話を続けてはならないと、ミーナに思わせる何かがあった。ミーナは話を元に戻した。

「贈り物については、イェルク、あなたが決めてください。ここであなたと過ごした時間はとても短いですが、そのなかであなたがわたしに感じた思いを、その贈り物に託してください」

 ミーナは精一杯の思いをその言葉に託した。わたしのことを考えてほしい。離れている間、ずっと。考えて考えて考え抜いてほしい。そして、その考えをわたしに見せてほしい。

 イェルクはしばらく考え込んでいたが、やがて小さくため息をついた。

「何の謎かけのつもりかわからないが、欲しいものがあるなら素直に言えばいい」

「あなたが選んでくれないのなら、贈り物の意味がありませんわ」

 ミーナはふくれっ面をして言い返した。

「わかった。では、次に城に戻るまでに用意しておく」

「ありがとうございます。言っておきますが、他の人に聞いたらだめですからね。とくに、メイドたちに聞いたら許しませんから」

 ミーナは念入りに忠告した。イェルクはいつもお決まりのあきれ顔で答えた。

「わかった、わかった」

 言いたいことを言い終わると、ミーナは部屋をあとにした。明日立つのならば、これ以上邪魔をしてはいけないと思ったのだ。なぜ、いつもわたしばかり気を遣わねばいけないのだろうと、ミーナは不満に思っていた。いつも気を遣って、切ない思いを我慢していることを、イェルクにはわかってほしいと思っていた。そうすれば、こんなにも城を留守にすることもないだろうと、ミーナは思っていたのだ。

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