第7話:アラリケの呪い

 四月になり、ミーナの嫁ぐ日がやってきた。

 ミーナはヘリガを伴って、コンラートと同じ馬車に乗った。コンラートの隣には彼の妻が座っていた。その立ち居振る舞いを見たミーナは、お兄さまにはもったいないような素晴らしい女性だ、さすがあのゲルトルート奥さまのお眼鏡にかなっただけのことはある、と思った。

 その後ろにはいくつかの馬車が続いていた。警護の騎士が乗った馬車、コンラートの幼い息子二人を乗せた馬車、親類縁者を乗せた馬車、ミーナの花嫁道具を乗せた馬車……。

「お兄さま、花嫁道具に、わたしの部屋の調度品を加えていただきたかったのですが」

 コンラートはあきれた顔をした。

「よせ。あんなもの、ビルング城に置いても似合わない。あの部屋は、そのままとっておく。ビルング家から突き返されたらまたそこで暮らすといい。イメディング家の娘が野垂れ死にしたとなったら家名に傷がつくからな」

「まあ、お兄さま。お優しいこと」

 ミーナは頬を膨らませた。コンラートの妻は思わず笑い出した。

 旅は二日かかった。道中の村で宿をとった際には、豪勢に着飾った一団を人目見ようと、村中の人々が押し寄せた。

「あれが花嫁さんよ!」

 幼い村娘がミーナを指差した。隣にいる、弟と見える幼子が舞い上がった調子で言った。

「すごく、きれいだ。ぼく、あんな人と結婚したい……」

 整った化粧を施されたミーナは、幼い二人に誇らしげに微笑んでみせた。イェルクもきっと、そう思ってくれるだろうと、ミーナは信じていた。


 馬車はついにビルング城にたどり着いた。馬車を降りる直前、道中ずっとふてくされた顔をして、自分からは口を開こうとしなかったコンラートがミーナに声をかけた。

「お前、丈夫な女の子を産めよ」

 ミーナはきょとんとして答えた。

「何をおっしゃるの、お兄さま? きっと丈夫な跡取りを産んでみせますわ」

 コンラートはそれ以上何も言わなかった。

 馬車から降りたミーナはビルング城があまりにも武骨なことに驚いた。土塁の上に、石造の建物が一つ建っているだけだ。石造の建物は二階建てで、脇に見張り塔が建っていた。同じ城でも、ぐるりと囲んだ城壁の中に、広い外庭と中庭を持つイメディング城とは、かなり異なる雰囲気だった。

「ビルング城は古い時代の砦を、ほとんどそのまま用いているそうです」

 何も話そうとしないコンラートの代わりに、ヘリガが答えた。

「なるほど……これじゃ、わたしの部屋の調度品は似合いそうにないわね」

 ミーナは苦笑した。この砦では、修道院でも使えるような簡素な調度品が似合うだろう。ミーナはまた元の暮らしに戻るのかと、少しがっかりした。でも、ここにあるのは愛のある暮らしだ。修道院とは違う、と思い直した。

 一同は大広間に通された。ビルング家の一同も揃っていた。使用人たちも並んでいた。皆一様に、藍で染めた服を着ていた。結婚式参列の親類縁者は結婚前夜に開かれる、ささやかな宴を楽しんだ。ミーナとコンラートは大広間の奥にある、領主の執務室に通された。そこに待っていたのは、深い藍色の衣装をまとった、禿げ上がった頭をした大柄な老人と、付き従うように立っている白髪の老女の二人だった。老女のほうが、老人よりも少しだけ色の薄い衣装を着ていた。

「コンラート殿、遠いところをわざわざお越しいただき、まことに感謝する」

 老人はコンラートの手を豪快に握りしめた。

「マルクス殿。お元気そうでなによりです」

 コンラートは老人の手を優雅に握り返した。それから男二人は先の戦争の話やら何やらしていたが、ミーナの耳には何も入らなかった。ミーナの心はそこにはなかった。肝心のイェルクが見当たらないからだ。

 老夫人がこほん、と咳払いをしたので、男たちは会話するのをやめた。

「コンラートさま、わたくしずっと気がかりなのです。イメディング家とビルング家では、つり合いがとれないと。こんなにかわいらしい妹さんをいただいてしまって本当によろしいのかしら?」

 老夫人は少し心配そうだった。

「お気遣い不要です、カタリーナ殿。このウィルヘルミーナを、本人が一目見るだけで気に入るようないい男と結婚させろというのが父の遺言ですから。イェルクほど、この条件にふさわしい男はいません」

 ミーナは思わず顔を赤くした。

「おお、そういうことか」

「幼いころ、親しくしていたという話でしたね」

 マルクスは豪快に、カタリーナは優しそうに笑った。

「ほら、いい加減に挨拶くらいしろ」

 コンラートはやっとミーナに挨拶するよう促した。こんなかしこまった場では、若い女性のミーナが自分から口を開けないのをわかっているのに、あえて男どうしの長話を始めてミーナに恥をかかせようとしたのだ。

「マルクスさま、カタリーナさま、お初にお目にかかります。わたくしはミーナ、いえ、ウィルヘルミーナ・イメディングと申します。ふつつかな娘ですが、どうぞよろしくお願いします」

 ミーナは赤いドレスの裾をつかみ、緊張で手足を震わせながら礼をした。

「ウィルヘルミーナよ、儂はマルクスじゃ。堅苦しい礼はいらぬ。これからはここを産まれた家じゃと思うとよい」

「わたしはカタリーナです、ウィルヘルミーナ。なんてかわいらしいのでしょう。あなたのことを、娘だと思ってもいいかしら?」

 二人はにこやかに笑っていた。

「もちろんです。ありがとうございます、お義父さま、お義母さま。わたしのことは、どうかミーナとお呼びください」

 ミーナは心から喜んだ。厳しい義両親だったらどうしようかと不安だったのだ。特にマルクスについては、村に火を放つよう命令するような人物だから、きっと怖いに違いないと思っていたのだ。

「ところで……イェルクさまはどちらにおいでですか?

 ミーナは思い切って尋ねた。正直なところ、今のミーナの関心事はそれしかなかった。マルクスとカタリーナの二人は顔を見合わせて、しばらくの間黙っていたが、やがてマルクスが申し訳なさそうに口を開いた。

「ミーナ、すまん。イェルクは今、この城におらんのじゃ」

 あまりのことに、ミーナもしばらくの間黙ることになった。


「イェルクさまは蛮族の討伐に行かれたまま、まだこちらに戻られないのですね」

「そうじゃ。結婚式の前日までには戻ると言っておったが、まだ帰らぬわ。まったく、あの粗忽者め。国境沿いの集落に蛮族の残党が現れたと聞くや否や、馬を駆って出て行きおって……」

 ミーナは必死で正気を保とうとした。もし、イェルクが蛮族どもにやられたら、と思うと、気が気でなかった。

「ミーナ、大丈夫です。イェルクは必ず戻ります。ええ、式までには、必ず」

 カタリーナはミーナの側に立って励ました。その中で、コンラートだけが場違いに楽しそうにしていた。

「いかにもイェルクらしい。さすが、黒髪の騎士と呼ばれた男だ。戦場を単騎で勇ましく駆けていただけのことはある。マルクス殿、カタリーナ殿、そう気に病まずとも。新郎のいない結婚式も、また一興」

「お兄さま、なんてことおっしゃるの! お義父さまにもお義母さまにも、失礼でしょう。イェルクさまは必ず戻られます。わたしはそう信じます」

 ミーナは我慢できずに叫んだ。

「これは失礼。つい、過ぎた口を叩いてしまい、申し訳ない。もちろん、私もイェルクが戻ると信じております。イェルクと私は十年来の親友。この結婚話は私と彼の間の約束ですからな」

 お兄さまは、いちいちかんに障る言い方をする、とミーナは腹立たしく思った。

「ミーナよ、今日のところは休むといい。支度部屋があるから案内させる。コンラート殿は、前夜の宴に出席していただきたい。列席者の皆様には、イェルクが不在の旨、内密にしていただけるじゃろうか」

「もちろん」

 コンラートは気取った様子で答えると、楽しげに執務室を出て行った。ミーナはビルング城のメイドに案内されて、支度部屋に戻った。既にヘリガが待っていた。

「ミーナお嬢さま……」

 心配そうな顔をしているヘリガに抱きついて、ミーナは泣き出した。

「ミーナお嬢さま、大丈夫です。このヘリガがついておりますから」

 いくらヘリガが慰めても、ミーナはしばらく泣き続けた。

 結婚前夜の晩から、ミーナは涙で枕を濡らすことになった。こんなことになるとは、夢にも思わなかったのだ。コンラート含む参列者たちは、宴の終わった大広間で眠りについていた。貴族といえども、宴のあとは雑魚寝が常だった。参列者全員分の部屋などないからだ。領主夫妻は家令のすすめで、酒を飲んで眠りについた。


「イェルクはまだ戻らんのか!」

 マルクスの怒鳴り声が聞こえて、ミーナは目を覚ました。泣き疲れて眠ったミーナは、目が真っ赤に腫れ、顔は涙でぐしゃぐしゃになり、結婚式にふさわしい顔とはいえなかった。ヘリガはミーナを励まし、なんとか花嫁衣装に着替えさせ、泣きはらした顔を書き換えるかのように厚化粧をさせた。ミーナの顔は、釉薬を塗った器のようになった。

「ミーナお嬢さま、どうかお鏡をご覧ください」

 ミーナは鏡の前でしばらくぐずぐずしていたが、意を決して自分の顔を見た。そこには、真っ白い肌をして、豪華な赤い花嫁衣装を着た乙女が映っていた。イメディング家を示す赤と銀の紋章から着想を得た、赤い布地に銀糸で花を刺繍したドレスを着て、美しく化粧したミーナは立派な花嫁だった。ミーナは自身の姿に満足した。

「さあ、あとはこれを……」

 ヘリガはミーナの結い上げた頭に白いベールをかけた。これで、ミーナの赤毛も目立たなくなった。もう一度鏡をのぞいたミーナは安心した。

「イェルクさまは必ず戻られるわ。行くわよ、ヘリガ」

 ミーナは支度室を堂々とした足取りで出て行った。


 参列者たちはまだ大広間で待機していて、二階にある聖堂にはビルング夫妻とイメディング夫妻、それにビルング家付きの司祭しかいなかった。

「さすが、イメディング家が贅の限りを尽くして用意させた花嫁衣装だ。お前のような者が着ても美しく見えるとは」

 コンラートは意地悪く言ったが、ミーナは「美しく見える」という言葉だけ頂戴することにした。

「なんてきれいなんでしょう。こんなに素晴らしい花嫁に心細い思いをさせて、あの子は一体何をしているのでしょう……」

 カタリーナは気が気でないと言った表情を浮かべた。

「いやいや、昨日も申したとおり、こちらとしては花婿のいない結婚式もまた一興……」

 夫の不躾な発言を、イメディング夫人は短い声でたしなめた。さすがのコンラートも大人しくなった。

「イェルクさまは必ず戻られます。お義母さま、ご安心ください」

 ミーナはにこやかに笑った。それを聞いたマルクスは、よくぞ言った、とミーナを褒めた。

 突然、聖堂の扉が開いた。使用人の一人が転がるように入り込んできた。

「マルクス様! イェルク様が戻られました!」

「イェルクさま? イェルクさま!」

 ミーナははじかれたように扉に向かい、誰の制止も聞かずに聖堂を飛び出し、一階に下り、城の外扉を開けた。

 城の前には、数人の騎士を伴った、鎧姿の男がいた。男はまだ馬上で兜をかぶっていた。ミーナは男の前で足がすくんだ。男の鎧が血に塗れているように見えたのだ。

 ミーナに気づき、男は兜を脱いだ。黒い髪に、緑色の目をした、精悍な顔立ちの男だった。その目は冷徹というより、冷酷に見えた。

「あ……」

 ミーナは足が震えた。ミーナの脳裏に、今決して浮かんではいけない言葉が浮かんだ。

「あなたの結婚相手のイェルクさまは、デゼルタ軍から、黒髪の復讐鬼とよばれていたとか」

 ミーナは、一生懸命に首を振ったが、アラリケの言葉はこだまのように響き渡った。

「それに緑の瞳をしてらっしゃるとか! まるであの悪魔みたいに。きっと恐ろしい方に違いないわ! そんな人の元に嫁ぐなんて、ウィルヘルミーナさん、あなたなんてかわいそうなんでしょう!」

「違う。違う!」

 ミーナは目を閉じ、両手をぎゅっと握りしめて、自分の心が発した言葉を振り払おうとした。しかし、その言葉は足下の影のようにミーナにつきまとって離れなかった。

(怖い……。この人、怖い)

「……ミーナか」

 馬上の騎士は低い声で言った。ミーナは恐る恐る顔をあげて、消えゆくような声をだした。

「イェルクさま……」


 イェルクは馬から下りて、ミーナに近寄った。ミーナは身じろぎもせずに立っていた。金縛りにでもあったように、身体が動かないのだ。

「十年ぶりか。見違えたな。綺麗になった」

 乙女心とは変わりやすいものだ。綺麗になったというたった一言だけで、ミーナの身体に再び血が通ってきた。凍りついた身体が暖まるような感覚を取り戻したミーナは、目の前の騎士を再び見つめた。十五の少年と、二十五の青年では、面立ちが異なるのは当たり前でしょう。わたしが五歳の子どもではなく、美しく白い肌を持った乙女になったように。黒檀のような髪に、若葉のような瞳。あの優しかったお兄さまと、目の前にいる立派な騎士さま。何も変わらない。わたしは一体何を考えたの。愛する人のことを、一度でも、怖いと思うなんて。

 ミーナは再会の喜びを伝えようとしたが、邪魔が入った。後ろからマルクスがメイド数人を伴って駆けてきたのだ。

「イェルク! やっと戻ったか! 鎧の汚れも拭かずに戻ってくるとは何事だ! おめでたい結婚式の前だぞ!」

「申し訳ありません、父上。蛮族の残党が思いのほかしぶとく、討伐に手間取りました。ですがご安心ください。近くの集落の被害は最小限にとどめました。やはり、これからも重点的に警備を施さねば……」

「その話はあとじゃ! さっさと支度せい!」

 マルクスが怒鳴り声を上げるや否や、数人のメイドたちがイェルクを取り囲むように並んで、彼を城内に連れて行った。

 ミーナの元にはヘリガがやってきた。

「ああ、ミーナお嬢さま。そんなに慌てたらお衣装が台無しです。さあ、戻って支度のやり直しです。大丈夫です。あちらもしばらくかかるでしょうから」

 ミーナはマルクスが残りの騎士たちに持ち場につくよう命じるのを尻目に、城内へと戻っていった。


 結婚式は無事に始まり、そして無事に終わった。夜になり、参列者たちは昨夜同様大広間で雑魚寝をした。ビルング領主夫妻はほっとした様子で眠りについた。いつの間にか激しい雨が降り、雷が鳴っていた。

 ミーナはイェルクの部屋におもむくべく支度をしていた。支度と言っても、豪華な花嫁衣装を脱ぎ、きっちり結われた髪をほどき、素顔を隠すかのように塗られた化粧を落とすだけだ。化粧を落としたとき、ミーナは自分の肌が真っ白ではなかったことに改めて気づき、落胆した。

 これから、生まれたままの姿でイェルクに会わなければならない。それはミーナにとって恐怖だった。二度と見たくないとまで思った、自分の素顔を、愛する人に見せることになるのだ。がっかりされたらどうしよう。ミーナは不安だった。

 しかし、夜は暗い。貴族の家といえども、こうこうと明かりをつけたりはしない。少なくとも、互いの姿がはっきり見えるほど明るくはないのだ。ミーナは生まれて初めて、夜の暗さに感謝した。ミーナは怖がりで、暗いのを嫌っていた。イェルクはそれを知っているはずだった。

 イェルクの部屋で何をするのか、ミーナはわかっていた。ミーナはそれを恐れてはいなかった。二人の気持ちが通じている、イェルクが優しくしてくれると、そう信じていたからだ。結婚式の間は、参列者が次々と現れ、二人で会話をする時間も余裕もなかった。でも、これからはたくさん話ができるだろう。ミーナは結婚式で交わした唇にそっと触れた。唇の味は覚えていない。あまりの緊張と、あまりの喜びで、実感がわかなかったのだ。

 ミーナは今日から暮らすことになった自室を出て、向かいにあるイェルクの部屋の戸の前に立った。一度、激しい稲妻が落ちた。ミーナは小さな悲鳴を上げた。

「ミーナか? 入れ」

 戸を叩く前に入室を促された。悲鳴を聞かれたのだろう。ミーナは恥ずかしくなってうつむきながらイェルクの部屋に入った。そしてそのまま顔を上げられなくなった。部屋は、思いのほか明るかったのだ。イェルクは寝台に腰掛けていたが、ミーナが入室すると立ち上がった。室内からはよい香りが漂ってきた。絨毯代わりに床に敷き詰めてある、香草のにおいだ。今日にあわせて新調したのだろう。

「イェルクさま。ウィルヘルミーナが参りました」

「堅苦しいのはよせ。私のことはイェルクと呼ぶがいい。そういえば、つい、幼い頃の癖でミーナと呼んでしまったが、失礼だっただろうか?」

「いいえ。これからもわたしのことはミーナと呼んでください」

「変わらないな、お前は」

 ミーナは顔を赤らめた。子どもっぽいと思われたのだろうか。しばらくの間沈黙が流れた。雷の音が重苦しい沈黙を破るように鳴り響いていた。

「どうした? 怖いのか?」

「いいえ」

 その言葉がどこまで本当で、どこまで嘘か、ミーナはわからなくなった。暗闇は怖くないわ。雷も怖くない。もう子どもではないのよ。もちろんイェルクのことも怖くないわ。あれは一時の気の迷いよ。これからすることも、怖くないわ。怖くないはずよ。怖いのは、怖いのは、素顔を見られて……幻滅されることだわ。

「なら、来るがよい」

 ミーナはおずおずとイェルクに近づいた。薄い寝間着を着たその身体はたくましく引き締まっていた。ミーナは恥ずかしさの余りますます視線を下に落とした。寂しい修道院生活で、あれほど焦がれ、すがりつこうとしたイェルクの姿がそこにあるのに、ミーナはどうしても互いの手が触れるほどの距離に立つことができなかった。また雷の音がした。

「やはり、怖いのか。……まだ子どもだな」

 子ども、という言葉にミーナは激しい嫌悪を抱いた。

「安心しろ。お前に手を出す気はない。疲れただろう? 今日はもう……」

「イェルク、わたしは子どもじゃないわ!」

 ミーナは思わず顔を上げて大声を出した。そのとき、雷が落ちて部屋が昼間のように明るくなった。顔を見られてしまう! ミーナの顔はこわばった。

 稲光の中で、ミーナは、自分と同様に、いや、それ以上に顔をこわばらせたイェルクを見た。恐れているようにも見えた。ミーナの顔は炎のように赤くなった。それは、恥ずかしさだけではなく、怒りの感情からだった。

「何です、その顔は……」

 ミーナは声を震わせた。怒りの余り涙がこぼれた。涙を拭うことなく、ミーナは叫んだ。

「確かに、わたしは美しくありません! それに蛮族みたいな髪と肌をしています! でも、だからって、そのような顔をなさらなくても! わたしの顔なら、幼い頃からご存じのはずですが!」

 ミーナは顔をあげ、イェルクの顔をにらみながら叫んだ。

「なぜそんな、恐ろしい獣でも見るような目でわたしを見るのです! なぜ、わたしを拒絶なさるのですか!」

「ミーナ、違う」

 イェルクは慌てて弁明しようとしたが、ミーナは耳を傾けようとしなかった。

「もう、知らない!」

 ミーナは部屋の戸を乱暴に開け、自室に転がり込んだ。そして夜通し泣き続けた。


 これが、二人のすれ違う結婚生活の始まりだった。

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