#048 嵐と業火③

 僅かな隙が生まれた好機を逃すものか。

 急がなければならない。

 シロの身体も持たない。逃げたナンバーツーを追わなければならない。

 

 地を蹴り、走る。

 途中、先程落ちたクナイを拾い、握りしめる。


 後数歩。しかし、気付かれた。シロと視線が合う。

 反撃が来る。しかし、足は止められない。


「――シロ、帰ってこぉぉぉい!!!!」


 覚悟の雄叫びと共に、飛び付く様にクナイを持った右手を振るう。

 しかし、その右手はシロに届く事は無かった。


 ――ぽたり、ぽたりと血液の雫が床に落ちる。

 そして、遠くの後方でからんとクナイが落ちる音。


「くそっ、あとちょっとだったって言うのに……」


 俺の右手は不可視の刃によってズタズタに引き裂かれ、クナイはその勢いで弾き飛ばされた。

 激痛が走る。だが――、


「こんな、ところで――」


 もう少しで、この手が届くんだ。

 一歩、一歩、歩を進め、残った左手を伸ばす。


 俺の感情に呼応して、炎が溢れ出す。

 実験室から溢れ出し、この地下全体を覆う程の業火。


「ぁぁ……べー、た……。やだ、だめ、こない、で……」


 間違いなく、シロはウイルス薬の支配を振り払い、意識を取り戻そうとしている。

 しかし、一度暴走し始めたスキルは止まらない。

 

 シロの呟きと同時に、その意志に違反して不可視の刃は放たれる。


「っ、ぐあぁっ……!!」


 左手も引き裂かれ、鮮血が舞う。

 動かない両手がだらんと垂れ下がる。

 ドーパミンで、もはや感覚すら無くなって来た。


「シロ、大丈夫だ。大丈夫だから、帰ろう……」


 それでも、俺は歩を進める。

 頼みの綱のクナイは失った。右手も、左手も使い物にならない。

 それでも、それでも――。


 意識は朦朧とし、視界も赤く染まって来た。

 今自分が何をやっているのかも分からない。

 

 そんな中、走馬灯だろうか、幻聴まで聞こえ始める始末だ。


 『――おい、下手くそ。アタシの発火能力パイロキネシスはそんなもんじゃねえよ』


 知らない声だ。誰だ、お前は。


『もっと燃やせ。何もかも、全部だ。モノだけじゃねえ、感情も、記憶も、想いも、概念も、事象も、何もかもだ。それがアタシの炎だ。好き放題してくれた大人たちへの燃え盛る怒りの炎だ』


 声は俺の問いには答えない。幻聴なのだから、答えるはずも無い。

 そんな狂気に侵されながらも、俺の足は進んでいた。


 気づけば、目の前にはシロの姿。

 虚ろな瞳からは、一筋の涙。しかし、その涙もまた周囲の熱によって蒸発していく。


「ぁ、ぁぁ……」


 不可視の刃が俺の身体を裂く。しかし、これまでのよりもずっと弱々しい。

 そして、俺の身体は、自然と動いていた。


 右手は動かない、左手も動かない。

 それでも――、


「――ぁッ……んぁあッ!!!」

 

 シロが痛みに悶え、苦しむ。

 俺は上からのしかかかり、“首筋に噛みついた”。

 

 シロは抵抗する。

 足をばたつかせて、俺の背に手を回し、爪を立てて掻き毟る。


 しかし、大の男と小さな少女だ、体格差は覆らない。

 俺の歯は皮膚を裂き、肉に食い込み、離さない。


 シロの中に在る全ての闇を、邪悪を、毒を、異分子を、何もかも吸い尽くさんとする勢いで齧り付く。

 口の中に、鉄の味が広がって行く。

 

 やがて、抵抗する力を失ったシロはぐったりと力を抜き、冷静になった俺も噛みついていた口を離し、身体を起こす。


 シロがとろんとした瞳でこちらを見据える。

 その瞳の奥にはしっかりとした色が戻って来ていた。

 そして、口を開く。


「きりゅー……?」

「シロ、目が覚めたのか……?」

「うん。ぜんぶ、おもいだした……」


 シロは血を流す首元を抑えながら、ふらりと起き上がる。

 恐る恐る、俺は問う。


「アル、ファ……?」

「ううん。しろでいい。きりゅーには、そうよんでほしい」


 ふるふると、よく知ったシロの身振りで首を振る。

 血を流した事によって薬が抜け落ちたのか、それとも他の要因が有ったのか。ともかく、彼女はアルファとしての記憶を取り戻した。

 そして、その上でシロとしての記憶も残ったまま、ウイルス薬の支配から解放されたのだ。


「ああ、分かった、シロ」

「こくり」


 良かった、本当に良かった。

 どっと身体から力が抜けかけるが、しかしまだ終わりではない。

 ここはもう火の海だ、脱出する必要が有る。それに、逃走したナンバーツーを追わなくてはいけない。

 

 なんとか意識を保ち、立ち上がろうとして、後ろによろける。

 

 すると、何かにぶつかった。

 瓦礫の様に固い訳では無く、少し弾力が有って温かい。


「お疲れ様、ローゲ。それと、シロもお帰り」


 シロはこくりと頷く。

 

「おま、ウォールナット! 大丈夫なのか……!?」


 そこには、倒れていたはずの来海が居た。

 まだ少し辛そうだが、しっかりと立っている。


「あのねえ、そんなボロボロのあなたに心配されるほどじゃないわ。それよりも――」


 と、来海の視線は、ナンバーツーが逃げた扉の方へと向いていた。

 あの扉の先までは火の手は回っていない様だ。

 そして、ちらりと俺の方に視線を流す。


「――行けそう?」

「大丈夫だ。任務はシロの保護と、ナンバーツーの制圧――生死は問わない、だ。まだ、終わってない」


 強がって笑いかけて見せれば、呆れた様に溜息を漏らす。


「まったく……分かったわ。シロも、歩けるわね?」

「こくこく」

「いい子ね。じゃあ、すぐにあのマッドサイエンティストを追いかけるわよ」


 俺たちは最後の仕事を果たす為に、扉の先へと向かった。



 扉の先は研究機材や資料を押し込んだ倉庫の様になっていて、奥に続く隠し通路が有った。

 不用心に隠し通路の入り口は開けっ放しで、その先は地上へと続く階段になっている。


「ここから逃げたみたいだな」

「ええ。私たちが無事この子を保護して、その上で追いかけて来るなんて考えもしなかったんでしょうね」

「まだそこまで遠くには行っていないはずだ、急ごう」


 と、先陣を切って階段を登ろうとした時、来海に腕を掴まれた。


「どうした」

「その前に、シロの肩の辺りと、桐祐きりゅうの両腕の応急処置だけするわ。ちょっと見せなさい」


 と言って、来海は自分のセーラー服をクナイでビリビリと引き裂いて、即席の包帯を作り始めた。


「おい、まずいだろ!」

「何よ? 期待してるところ悪いけれど、下にインナー着てるから見えないわよ。それに、どうせボロボロだからもう着れないわよ、これ」


 そのまま蜘蛛の糸のワイヤーと合わせて、十秒としないうちに処置を済ませてしまった。

 そういう問題ではないのだが……まあ、いいか。


「手慣れてるな」

「エージェントなら基本よ。さ、先を急ぎましょう」



 階段を足早に上って行けば、すぐに地上の光が見えて来た。


「丁度山の反対側辺りか」


 すると、検討する間もなくシロが道を示す。

 

「……きりゅー、こっち」

「どうしてわかるんだ?」

「くうきの、ながれ……? いやな、におい」


 そこまで分かるのか。

 ともかく、これなら追い付けそうだ。

 

 

 シロの指す方へ向かって走れば、やがて、開けた場所に出た。

 そこには、白衣の男の後ろ姿。

 

「――そこまでだ! ナンバーツー!!」

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