さよならを覆す最高の方法
尾八原ジュージ
天使と暮らす
ママが死んだ次の日、天使はわたしの家にやってきて、それからずっといっしょにいた。
「お母さんから、リコがいい子にしているかどうか見てきてほしいと頼まれました。それでもしいい子にしていなかったら、いい子になるように面倒をみてほしい、と」
なんて言うので、天使ってバカ正直なんだな〜と思った。だって天使は白くてきらきらしててふわふわしてて、とてもきれいなんだから、いつまでも側においておきたくなるに決まってる。
そういうわけで、お母さんが死んだ次の日から、わたしは悪い子になった。朝ねぼうするし、ご飯は遊びながら食べるし、着替えは自分でやらないし、学校には遅刻していくし、勉強なんてしないし、宿題なんてのももってのほかだし、テストはいつも白紙で出すし、体育みたいな実技はぜんぶサボった。塾もピアノもやめて、帰ったらずーっとゲームしてご飯もだらだら食べて、お風呂もなかなか入らず、夜ふかしして、また朝ねぼうする。
天使はいちいちわたしを叱ったり、わたしにブロッコリーを食べさせようとしたり、ランドセルを背負わせようとしたり、歯を磨いたり、学校に忘れものを届けてくれたり、いっしょに遊んでくれる子がいなくなったわたしと公園で遊んだり、手をつないで家に帰ったり、晩ごはんのときはテレビを消したり、いっしょにお風呂に入ってくれたり、子守唄をうたってくれたり――とにかく色々やってくれたけどわたしはいい子にはならず、ずっと悪い子をやっていた。
だって、天使が天国に帰っちゃったら嫌だからだ。天使はいつだってきらきらして、ふわふわして、きれいで、ずっといっしょにいたいと思った。
でも結局のところ、一年経ったので天使は帰ってしまうらしい。いきなりそういう話をされて、わたしはポカーンとしてしまう。
「決まりだからもう帰らなきゃならないんですよねぇ。残念だけど」
なんて言いつつ、天使の顔はうれしそうだった。
「ひさしぶりに天国に帰れるの、うれしい?」
「まぁ、そりゃうれしいですよ。やっぱり故郷ですし、天国の家族にもしばらく会えてないし」
天使の家族のことなんて、今まで全然聞いたことがなかった。
「天使、家族いるの?」
「まぁ」
「こっちにずっといた間は? 会えなかったの?」
「まぁ、ビデオ通話とかしてました」
わたしは急に、自分のやってきたわがままが恥ずかしくなった。天使が作ってくれた晩ごはんを全部食べ、宿題の漢字ドリルをやって、急かされないうちにお風呂に入った。天使はびっくりしていた。
「リコちゃん、急にいい子になりましたね」
そりゃそうよ。だってわたしは元々わりといい子だし、わたしがいい子でも悪い子でも天使はいなくなってしまうっていうんだし、それだったら悪い子やってる理由がない。
その夜は早めにベッドに入ったけど、なかなか寝つけなかった。
朝、早めにベッドから出て顔を洗って身支度して、学校の時間割を確認してたら、天使があくびをしながら起きてきた。
「わぁびっくりした。リコちゃん、今日は早起きですね。朝ごはん作るから待っててくださいね」
わたしは天使が作ってくれた朝ごはんを全部食べて、歯も自分でみがいて、遅刻しない時間に家を出た。行ってきますと言うと、天使はいってらっしゃいと笑った。
学校では先生や同級生にびっくりされた。だって授業中に立ち歩いたりさわいだりしないし、給食は全部食べて、そうじもサボらなかったんだから。リコちゃんどうしちゃったの? って何度も聞かれたけど、天使が帰っちゃうからと言ったら泣きそうになるので、何でもないとだけ答えた。
職員室の前を通ったとき、先生たちがわたしのことを話しているのが聞こえてきた。「お母さんが亡くなってからずいぶん問題児だったけど、立ち直ってくれたのかしら」
そんなことを話していた。
違うんです先生。悪い子にしてたって天使はいなくなっちゃうってわかっただけなんです。ママのことは悲しいけど、今はもう前ほどじゃなくて、とにかくそういうのじゃなくて、天使のせいなんです。そう言いたかったけど、やっぱり泣いてしまいそうだから言えなかった。
家に帰ると、天使は晩ごはんを作っていた。
「今日は、リコちゃんの好きな煮込みハンバーグにしましょうね。明日からは、パパやおじいちゃんやおばあちゃんの言うことをよく聞くんですよ」
「わかった」
わたしはうなずいて、手を洗って、宿題を始めることにした。算数のプリントをやっていたら、キッチンからデミグラスソースの香りが漂ってきて、急に悲しくなった。プリントの上に涙がぱたぱた落ちた。がまんしようと思ったのに声がギューッと出てきてしまった。それを聞いて、キッチンから天使がとんできた。
「リコちゃん、どうしましたか。どこか痛いですか」
「どこか痛いって言ったら、明日からもいっしょにいてくれる?」
つい口に出してから、しまったと思った。天使はわたしの頭をなでて、ごめんなさいと言った。
わたしは声をあげて、わんわん泣いた。天使はやっぱりどうしたって天国に帰ってしまうのだ。白くてきらきらしてふわふわでいつもやさしくて、わたしがどんなにわがままを言っても、自分の家族に会えなくても、文句ひとつ言わなかったのは、天使はわたしのことが好きだからじゃなくて、それが天使の役目だったからに違いないのだ。
夜、天使はずっとそばにいてくれた。わたしは天使の手をずっとにぎっていた。でも夜はどんどん更けていって、寝ないといけない時間になって、わたしももう限界の眠さだった。天使はわたしを抱っこして、ベッドに寝かせてくれた。
「さよならリコちゃん」
「さよならなんて言わないで」
「ではおやすみなさい、リコちゃん」
天使は白くてきらきらしててふわふわで、やさしく笑いながらわたしの頭をなでる。
「リコちゃんはとってもいい子でしたよって、ママに伝えますね」
天使の手がまぶたに触れると、わたしはどんどん眠くなってしまう。
翌朝目がさめると、天使はもういない。枕元に手紙が置いてあって、わたしは急いでそれを開いた。
『リコちゃん、たくさん勉強して、たくさん遊んで、色んなことをやって大人になって、たくさん年をとってから天国にいらっしゃい。いっしょうけんめい生きていたら、どんなに長生きしたって、ひとの一生なんて短く感じられるものです。
でも時々さびしいこともあるかもしれませんから、そのときはビデオ通話でもしましょう。フレンド登録よろしく』
手紙の最後にはQRコードを印刷したシールが貼ってあって、わたしは思わず笑ってしまう。やっぱりさよならなんかしなくてよかった。げらげら笑いながら起きて、自分のスマホで天使にフレンド申請して(天使のアイコンは自撮りで、ちょっと盛ってた)、すぐに承認されたのを確認したころ、キッチンの方からパパの声が聞こえてきた。朝ごはんだって。
わたしは手紙をていねいにたたんで封筒にもどして、部屋を出る。天使、ありがとう。わたし、長生きするよ。
さよならを覆す最高の方法 尾八原ジュージ @zi-yon
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