エモール・コルム ―2―

機械之心きかいのこころ


 自動機巧人形オートマタであるエモールに埋め込まれた心。エモールに意思を、精神を、感情を与えている動力の名前。



「だからって、納得はできません! エモール先輩は……それでもいいんですか!?」


「う〜ん、よくわかんないなぁ」



 エモールの動きの一つ一つは本当に人間のように見える。だが、それもすべて『機械之心』によるもので、エモールのものではないのかもしれない。モニカは落ち着きを保ったまま激しくエモールに訴える。



「モニカっちはどうしてそんなに怒ってるの? あたしにはモニカっちと同じように感情もあるし、心もある。自律して行動することもできるんだよ?」


「エモール先輩は……そのままでもいいんですか?」


「……どういう意図の質問なのかな?」



 コテンと頭を傾けてエモールはハテナを浮かべる。感情を、意志を持つ自動機巧人形オートマタ。それは本来ならば素晴らしい技術なのだろう。機械工学において、それは称えられるべき功績なのかもしれない。

 けれど、モニカの中の倫理はそれを許さない。エモールの言う通り、『機械之心』の技術によって、自動機巧人形オートマタは人間と同じように生きていくことができるのだろう。だが、それだけだ。



「エモール先輩は……こたが、怖くないんですか?」



 それは、モニカだから分かる苦悩だ。周りの友達はつぎつぎと魔法が使えるようになっているのに、その兆しすらない自分。それがどれだけ辛かったことか。

 だからモニカは怒っているのだ。自分だけ違う事が怖くない人なんていない。それは、『機械之心』であっても同じだろう。だというのに、エモールは笑っている。笑ってしまえている。



「おかしいですよ。どうして、笑っていられるんですか?」


「どうしてって……言われてもなぁ」


「エモール先輩は……今までどんな顔をして生きてきたか、覚えていますか?」



 エモールが笑えているのは、『機械之心』の影響だ。『機械之心』は感情を与えるだけしかできない。エモールは、プログラムされた『喜び』という感情をなぞっているだけに過ぎない。本質的なはそこにはないのだ。

 エモールの顔から笑顔が消える。機械的な表情がモニカの目に映った。どんな顔をして生きてきたかなんて、覚えているわけがないと、エモールはメモリーを振り返る。そこにあったのは、いつもニコニコの笑顔で笑って過ごす自分の姿だった。



「エモール先輩はずっと楽しそうに笑っているように見えました。でも、それが本当にありのままの自分だったって言えるんですか?!」



 。それがエモールの答えだった。しかし、エモールがそれを口に出す事はなかった。分かるはずもない。ずっとそうやって生きてきたのだから。

 作られた感情。『喜び』、『悲しみ』、『怒り』、『驚き』、『恐れ』、『嫌悪』。数多存在する感情をなぞって生きてきた。もっとも正しい感情を選んできた。

 辛くて心が痛む時には『悲しみ』を。不満や不快なことがあって我慢できない時には『怒り』を。予想だにしないことがあった時には『驚き』を。怖い時には『恐れ』を。強い不快感があった時には『嫌悪』を。


 でも、1番使っていた感情は――



「……人は、笑っていれば楽しいんでしょ?」



 エモールは無機質な表情でモニカに言う。こんな場面で、どんな感情を選ぶべきか分からなかったから。せめて、モニカの言うでいようと、何の感情もなくエモールは言った。



「違います。違うんですよ、エモール先輩……」



 けれど、モニカは涙を流していた。それは『悲しみ』だ。エモールにはそれを理解することができた。だというのに、なぜモニカが哀しんでいるのかまで理解することはできなかった。



「辛い時に無理をして笑う必要なんてないんです。泣きたい時に泣かないと……エモール先輩のはずっと傷ついていくだけじゃないですか」


「……分かんないや。あたし、泣いたこと……ないから」



 エモールはそう言って手を持った『機械之心』に目をやる。この機械がなければ、本当のを知ることができるのだろうかと、エモールはじっと『機械之心』を見つめる。ふと、エモールの胸に正体不明の感情が込み上げてくる。感情を選択した記憶はなかった。ズキズキと、胸に空いた空洞に痛みが走るような感覚がする。



(これは、機械のバグ? それとも――)


「エモール先輩」



 エモールは思考を止めてモニカの方を見る。目の前には、両手を広げてハグ待ちをしているモニカがいた。



「何をしてるの?」


「わ、私が胸を貸しますから、泣いてください!」


「……モニカっち、胸ないじゃん」


「ありますけど!?」



 エモールは自分の胸とモニカの胸をじっくり見比べた後、モニカの胸に飛び込んだ。どうしてそんな行動をしたのかは、本人にも理解はできなかった。ただ、人肌の暖かな温もりと、優しい両手を包まれて、エモールの心はじんわりと何かが込み上げてくる感覚がした。



「……あたし、本当に楽しそうに笑うフィスティシアが羨ましかった」



 気づけばエモールは、どこかで思ってしまっていたことをモニカに吐露していた。塞ぎ込んでいた言葉を、吐き出すようにモニカに伝えていく。



「フィスティシアの隣に立って、幸せそうにしているメモリアみたいになりたいって思ってた」



 いつの間にか、エモールの目には涙が浮かんでいた。機械の身体に、少ししょっぱい涙が流れる。『機械之心』を持っていたとしても、自動機巧人形オートマタが涙を流すことなどありえない。だというのに、なぜこんなことが起きたのだろうか。



「あたし……あたし、ずっと辛かった……! 笑っているみんなと同じように、ただ笑顔になることしかできないのが痛かった!」



 エモールの『機械之心』は。奇跡を起こしたのだ。叶うことのないエモールの本当の願いを、芽生えることのない感情を。モニカは叶えた。



「たくさん泣いてください。せめて今だけは、私が全部受け止めますから」



 初めて抱いた感情。『悲しみ』。

 エモールは人目も気にせず泣き続けた。その姿は、エモールが自動機巧人形オートマタであることなど忘れてしまうほど人間味に溢れていて、モニカの胸で崩れ落ちながら泣いていた。

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