いつもと違う日

 鐘の音が鳴り響く。希望を告げるような白い鳥が羽ばたき、今日も学園での一日が始まる。この日も、いつもと何も変わらない日が来るはずだった。けれど、空気を震わせる鈍い鐘の音はどこか重苦しく、何かが起きるかもしれないという予兆を感じさせる。



「国綱、いねぇけど」


「……嫌な感じがする」


「当たらねぇといいな」



 机に突っ伏して眠気を我慢する様子もなく、旭は目を閉じて現実から逃避しようとする。思わずため息がでるほど憂鬱な気分だった。

 がらりと、唐突に扉が開き、仏頂面のアステシアが教室に入ってくる。旭が時計に目をやると針はホームルームの開始時刻を示していた。重い瞼をこじ開け旭は背筋をピンと伸ばす。そして、1分1秒の誤差もなく、ホームルームを始まった。



「出席をとる」



 愛想悪くアステシアが点呼をする。仕事で疲れているのか、いつも以上に気だるげな声で名前を呼んでいく。だが、アステシアの呼び掛けに応えず、返事をしない生徒が2人。そこには姿すらなく、アステシアは思わず2度見をした。



「……宮本とヴェローニカが欠席か。珍しいこともあるものだな」


(珍しいなんてもんじゃねぇよ)



 声に出てしまいそうな言葉を押さえつけ、レオノールは誰もいない席に目をやる。国綱が座っているはずの空席。

 真面目な国綱がサボるなんてレオノールは考えたこともなかった。毎日やる刀の手入れも、鍛錬も、何一つだって欠かしたことはなかったはずだ。そんな国綱が、学園を休むなんて予想もしてなかったのだ。



「どこで何してんだろうな、あいつ」


「……知るかよそんなこと」



 しんみりとした辛気臭い雰囲気がしていた。レオノールは苛立ちのあまり物に当たる寸前の所まできていた。旭も同じように、行き場のないどうしようもない怒りのような感情を押さえつけるので精一杯だ。今この場に国綱がいれば、この空気を晴らすことができたのだろう。

 爪がくい込んで跡がつくほど強く拳を握りしめ、2人は深くため息をつく。雨は降っていないはずなのに、憂鬱な湿っぽい空気がする。



「それと、最近学園の近くで魔獣が相次いで出現しているらしい。各自気をつけて行動するように」



 パタンと出席簿を閉じ、アステシアが教室を後にする。アステシアの忠告を耳にした旭は何かを閃いたようにばっちりと目を開いた。けれど、眠気はまだなくなっていないのか、大きく欠伸をして立ち上がる。



「ちょっと外の空気吸ってくる」


「え、一限は?」


「サボり〜」



 レオノールは呆れたように肩を落とす。旭はそんなレオノールの顔を覗き込み、何か楽しそうな悪い笑を浮かべて言った。



「お前……やめとけよ?」


「何を言ってるんだか」


「絶対魔獣で憂さ晴らしする気だろ!」


「しーらね」



 旭はアステシアを追うように教室を出ていった。レオノールはべったりと机に倒れ込み、山積みになった問題を振り返り声に出るほどため息をつく。すると、背後からぽんと背中を叩かれる。驚いたレオノールはビクンと背を伸ばし、恐る恐る後ろを振り返った。



「あ、レオノール君。ごめんね? 驚かせちゃって……」


「け、気配もなく近づかないでくれ。エストレイラ……」


「ごめん、ちゃんと声掛けた方がよかったかな」



 気まずそうにモジモジとしながら、レオノールの席の後ろにモニカが立っていた。



「それで、旭のことでって……聞いたんだけど」


「あ〜そうそう。それなんだけどな……」



 かくかくしかじかと、レオノールは旭がサボってどこかへ行ってしまったことをモニカに伝えると、モニカのぽわぽわとした笑顔はすんっと消えてしまった。見ていると申し訳なくなる落胆の表情で立ち尽くすモニカを見て、レオノールは頭を下げて謝罪をする。



「ほんっっっとうに申し訳ない! 放課後には絶対捕まえるから!」


「ダイジョウブ……気にしてないヨ?」



 そう言うモニカの言葉は若干カタコトになっていた。レオノールは心を痛めつつも頭を上げ、椅子に座って言い訳を始めた。



「いやほんと……ちょっと色々あってな。エストレイラの用以外にもやらなきゃいけないことが山積みで……」


「そうなの? 何か手伝えたりするかな?」


「心配すんなって。俺らでなんとかするから」



 八重歯をちらりとのぞかせるようにレオノールは笑う。だが、どうみてもその笑顔は無理をして作ったものにしか見えなかった。心配するなと言われたが、モニカは引き下がらず言う。



「もし困ったら、私が力を貸すよ! なんたって『全知』だからね!」


「……でも、それってめちゃくちゃ疲れるんだろ? 女の子にそんな無理させらんねぇって」


「そ、そう……」



 露骨に落ち込むモニカを見てレオノールは少し考えてから口を開く。



「……じゃあ、本当に困った時には手伝ってもらうことにする。それでいいか?」


「いいの!?」


「あぁ。でも、もう手のつくしようがないって時だけだ」



 付け加えて言うレオノールの言葉を聞きもせず、モニカは1人で目を輝かせている。レオノールは少し機嫌をよくしたモニカの笑顔を見て微笑んだ。



「ねぇ、ブラックハウンド」



 すると、またもレオノールの死角から声がかかった。レオノールは座ったまま体を捻り、声のする方を見た。



「……雪のやつ!」


「アリシア・トルリーン! なんで名前覚えてないの!?」



 白より白く、透明のようにも思える髪を振り乱し、トルリーンがレオノールに近づいてくる。手の届く距離まで来た瞬間、トルリーンはレオノールの頭を鷲掴みにしてボソッと呟いた。



「‪”‬氷菓アイスクリーム‪”‬……!」


「ん? なにやってんの?」



 レオノールがトルリーンを見上げた直後、レオノールは大声を上げて悶え始める。



「いっってぇ! 何しやがった!」


「アイスクリーム頭痛って知ってる? それよ」


「ぐわぁぁあぁ! 死ぬぅぅ!!!」



 座っていることすらできず、文字通り頭を抱えてレオノールは床に転がり込む。痛みで思い切り顔を歪め、こめかみを襲う激痛に苦しめられている。



「これに懲りたらエストレイラさんに手をつけない事ね」


「えっ……と」


「大丈夫だった?」


「その……別に、レオノール君になにかされてたって言うわけじゃなくてね……?」



 ものすごく気まずそうにモニカはトルリーンに説明をする。黙って話を聞き、トルリーンは頷く。事情を理解して、トルリーンは納得したように振り返り、転がっているレオノールを見て一言言った。



「ごめん」


「ごめんで済んだら魔警団オルディネイトは要らねぇんだよ……!」


「何よ器の小さい男ね。乙女のお茶目は黙って許しなさい」


「あれか?……ノーチェスじゃこの程度はお茶目だってことかよ……」




 痛みが引いてきたのか、レオノールは床に大の字になって深呼吸をしている。その時、がらりと扉が開いた。それと同時に元気な声が教室に響き渡る。



「さぁ! 今日も獄蝶のジョカ先生の授業が始まるよ〜って……何してんの?」


「お茶目」


「その歳でお茶目は通じないよ。準備して席つきな」



 その言葉を聞き、レオノールはトルリーンを見てにやりと笑ってみせた。もちろん、激怒したトルリーンがレオノールの膝にローキックをカマしたのは言うまでもない。

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