灰燼に帰す ―3―

 深刻そうな面持ちで八重は俯く。何かよくないことがあるのだろうと、旭は息を飲んで言葉を聞き逃さないようにしている。



「お主はな、に近づきすぎたのだ」


「……妖に、ってことか?」


「妖とは即ち『死』。現世うつしよから解き放たれた災う者」


「理解できねぇな。なんの関係がある?」


「お前は、『死』に近づきすぎたのだと言っている」



 旭は八重の言葉を間に受けようとせず、顎を突き出して八重を睨む。生暖かい風が入り込んでくる。じんわりと、熱を帯びて再び痛み出す右手に力を入れ、旭は痛みをかき消した。



「お主の魔法。確か『焔』と言ったな。動因は、理解できているのではないか?」



 旭のよれたTシャツは嫌なくらい汗ばんでいる。八重が言葉を続ける度、たどり着きたくない答えは明白になっていった。



「実に危険な魔法じゃな。交えたあの時既に感じることができた。お主、『焔』を使う度に魂を削っているな」



 依然として真剣な眼差しで、八重は旭を見ている。また、右手は獣に噛みつかれたような痛みに襲われる。真実に近づいていく度、痛みは鮮明になっていった。

 旭の固有魔法『焔』は、獄蝶のジョカの魔法を元に旭がさせた魔法だ。改良でもなければ、改造でもなく、発展でもない。旭が魔法を使う度に進化し、変化していく『焔』は、もはや獄蝶とは別の魔法へと変化していた。

 その性質は、だ。心を焦がし、身を焦がし、焔が如く燃えていく。使用者の身体を『焔』に変換する。それが焔の魔法の持つ力だった。だが、『焔』の魔法はそれ故に絶大な火力を誇る。今の旭の全力なら、獄蝶のジョカと対等に戦うことができる可能性もあった。

 そしてもちろん、その代償も存在する。八重は焼け焦げた旭の右手を指さして言った。



「強力すぎる魔法に体が追いついておらん。だからなるのじゃ」



 釘を刺すように八重は口調をやや強めて旭に忠告する。『焔』を使いすぎれば、旭は刻刻と『死』に近づいていく。それが、旭が妖を見ることができるようになった理由だ。



「それは死印と知れ。『焔』を使う度、その印がお主の身体を蝕んでいくだろう。右腕から半身、足にまで及び、最後には心臓を喰らう」



 八重は旭の服を脱がし、死印の状態を確認すると、焼け焦げた痕のような印は既に右肩まで旭の身体を蝕んでいた。



「自己犠牲。なんとも健気で人間らしい。人の為に在ろうとするその心がなければ、妾はお主を呪い殺していただろうよ」


「人の為……ね」



 それは、旭が数ヶ月前までは考えてもいなかったことだ。魔法は復讐のための道具にすぎず、殺すための力に他ならないと、旭はずっとそう思っていた。八重は表情は鋭く真剣な目つきから、柔和で温かさすら感じられる優しい面持ちに変わり、微笑みながら言った。



「あの日、モニカのために1歩を踏み出したお前を、妾は誇りに思うぞ」


「……俺じゃねぇよ。あれは……身体が勝手に」


「そうか。ならば、それはお主が心から望んだことなのだろうよ」



 そして旭は、その感情に、身体を突き動かした正体にようやくたどり着いた。心を締め付けていた死印の痛みは消え、代わりに少し火照ったような高揚感に包まれる。

 どこか懐かしいような、ふわふわと浮き上がるような感覚。苦しくはないが息苦しく、しかし、甘美な気分もする。旭はその感情の名前を知る。



「お主、恋をしておるな?」


「……あぁ、多分……そうなんだろうな」



 旭は、八重の求めていたような初心うぶな反応はしなかった。きっとそうなのだろうと、心のどこかで思っていたからだ。

 燃えるように熱く、身を焼き焦がすような愛ではない。ただ、旭の年齢に相応しい、思春期のような甘い恋。旭はしばらくの間、その感情を噛み締めていた。



「どこに惚れ込んだ? 何にときめいた? ほれほれ、焦らしてないではよう教えぬか!」


「知らねぇよ、そんなの。俺が教えて欲しいくらいだ」


「なぁんだいじりがいのないヤツじゃのう。自分の心にくらいもっと正直になったらどうじゃ」



 八重はどうしても恋バナをしたい様子だったが、旭はそれどころではなかった。繋ぐ者という存在に、『焔』の代償。それによって『死』に近づいていく身体。八重の言葉通りなら、旭の身体はやがて『半妖』となり、人と妖、どちらにもなりきれない半端な者となってしまうだろう。



「俺は、これからどうすればいい」



 悩みぬいても出てこない問の答えを求めるように、旭は吐き捨てるように呟いた。八重もその言葉の重みを理解したのか、少し悩んでから言った。



「まずは、お主の魔法を使いこなせばよい。さすれば、妾の呪いも必要なくなる」


「おい待て。今なんて言った!」


「ふむ? まずはお主の魔法を……」


「その次だその次! 呪いなんて聞いてねぇぞ!」


「え〜? なんのことじゃそれ」



 八重はしばらく目を泳がせてとぼけていたが、旭が殺生石に手をかけようとすると、慌てて本当のことを吐くのだった。



「呪いなどと言うがな。これはお主を助けるために必要なことだったのじゃ!」


「呪いは呪いだろ!」


「ただの呪いではないわ、たわけ! とにかくそれから手を離さんか!」



 八重は殺生石を旭から取り戻すと、両手で大事そうに抱えて状態を隅々まで確認する。光に当てたり、シーツを使って表面を拭いたりなど、傷がないことを確認すると深くため息をついて安心したようだった。



「よいか? お主は妾の呪いによってこの殺生石からエネルギーを吸収できるようになっておる。あの時も助けてやったろう」


「あぁ〜……そんなこともあったような」



 あの時、というのは魔女マーリンと戦った時のことだ。殺生石を手に取り、流れ込んできた妖気。あれは殺生石を介して八重がエネルギーを供給していたのだ。魔女マーリンの魔法に追いつくために思いついた咄嗟の行動だったが、それが功を奏して旭は魔女マーリンの攻撃に耐えることすらできた。



「人を殺す呪いがあれば、人を生かす呪いもある。よく覚えておくといい」


「でもこれ、逆に俺からエネルギーを吸い取ることもできるじゃ……」


「……わ、妾はそんなこと知らんからの」


「ふっざけんな!」



 と、旭と八重はそんなくだらないことを話しては、喧嘩したり、妖のことを静かに話したりしていた。気がつけばかなり時間が経っていたようで、下のギルド受付が賑やかになってきた。どうやらもう昼時になっていたらしい。



「ふぅむ。やはりこの空では時間の流れがよく分からん。いつでも月見ができるのは良い事じゃが……」


「じゃあ、そろそろ行くかな」


「む? 出かける用事でも?」


「馬鹿言え。俺は学生だぜ? 起きた時点で遅刻確定だったらのんびり行くさ」


「学生の風上にも置けんな……」



 旭は軽く身支度を整え、空いた腹を満たすためにいくらかの金を持って窓から飛び立とうとする。窓枠に足をかけ、今にも外へ出ようとした瞬間、旭はピタリを動きを止めて振り返って言う。



「忘れてた」


「まったく。遅刻に加えて忘れ物とは……」


「ほら、行くぞ」


「ほえ?」



 旭はネックレスに加工した殺生石を首にかけ、八重を引っ張って窓から飛び立つ。最初は戸惑っていた八重も、次第に乗り気になり、流れる景色にわいわいとはしゃいでいるようだった。

 ギルドからバウディアムスはすぐに着いた。昼時ということもあってか、いつもより少し賑わっている大広間に旭は何食わぬ顔で降り立つ。


 こうして、魔法世界に1が誕生した。モニカとソラに次ぐ、2人目の妖憑きに旭はなってしまった。奇しくも、2人は同じように傷と呪いの痕を残していた。

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