大嫌い ―3―
「騒がしいと思って様子を見に来たら……なんだこれは」
「こ、これはですね……」
「エトゥラ会長が新入生をイジメてました」
「おいビアス!」
エトゥラがビアスの口を塞いで否定するが、だが紛れもない事実であることに変わりはない。言い逃れのしようもなく、エトゥラは諦めたのか大きくため息をついて両手を上げる。
「申し訳ありませんでした。大人気ないことをしてしまったことを後悔しています」
「謝る相手が違うよね」
ボソッとビアスがつぶやく。痛いところを突かれたのか、平静を保っていたはずのエトゥラの顔がピクりと動く。
「それ、エストレイラちゃんに言うべきだよ」
「ぐぬぬ……」
「プライドが高いのはいいけど、強情になって我を通すのは、生徒の模範としてどうかと思うな」
「わ、分かったから! そろそろ正論攻撃を止めろ!」
「なら早く謝って」
エトゥラはモニカに近づき、襟を正す。背筋を伸ばし、見下ろされているモニカは、その威圧で気圧される。先程とは打って変わってキリッとした真剣な目つきをしたエトゥラが、素早く頭を下ろす。
「今回は本当に申し訳ないことをした。私としたことが、頭に血が上って冷静な判断が出来て来なかったようだ」
そしてゆっくりと頭を上げ、突き刺すような目線をモニカに向けた。チクチクと刺さるような感覚がモニカを襲う。だが、その視線から敵意や悪意のようなものは感じられなかった。
「だが! まだ私は認めていないぞ! お前が黒であることが断定できたのなら――」
「ほら、周り迷惑だしとっとと帰るよ」
「あぁ! まだ話終わってないのに!」
「それじゃ、失礼します。また会おうね」
不服そうな顔をしているエトゥラを引きずりながら、ビアスは帰っていく。嵐が過ぎ去ったあとのように、その場はしんと静まり返る。ぞろぞろと、蜘蛛の子を散らすようにあっという間に人混みはなくなって、幾分か雰囲気も晴れたように感じる。
(仕事の気分転換で様子を見に来たつもりだったが……これも奇跡というやつか?)
どれだけ思考を巡らせても、解にはたどり着けなかった。ただえさえ糖分が不足しているアステシアの脳が悲鳴をあげている。今にも眠気で閉じてしまいそうな目でモニカを見るが、目線は合わなかった。わざと目を逸らしているのか、顔はほとんど見えないが、なぜか既視感がある。
(……どこかで見たような顔だな)
どうにかして思い出そうとするが、合否確認や通常業務に追われて疲労が溜まりに溜まったアステシアの脳のメモリは既に限界を超えていた。記憶力は0に等しく、数時間前の出来事ですら遡ることが出来ないほどだった。
(まぁいいか)
加えて、アステシアの面倒くさがりな性格が、フル稼働していた思考を停止させる。仕事を終わらせてしまったアステシアは、1秒でも早くふかふかのベッドで睡眠を取るために、重い足取りで仮眠室へ向かう。モニカたちは、あまりの情報量の多さを処理しきれず、その様子を見ていることしかできなかった。
「あー、俺も帰るわ。もうやることもねぇし」
「そうだね。次は入学式で会おう」
「なんで仲良くなってんのさ……」
*
ここまでが、合否発表での出来事。緊張と不安の中、無事に合格することが出来たモニカは、自室で静かに日記を書く。モニカの日記はもはや日記になっており、寝る前には必ず記すようにしている。にこにこと楽しそうに笑いながら、1日を振り返る。けれど、近頃の日記に楽しかった出来事は書き記されない。
「……嫌われちゃったな〜」
いつもなら優しく声をかけてくれるソラは最近顔を出さない。どこで何をしているのか、モニカはまったく知らない。
(……寂しい)
毛布にくるまり、両脚を両腕で抱えて丸くなる。季節も変わり始めているのか、暖かくなってきた気温が身体を火照らせる。今日はまた、久しぶりに家に母がいない。孤独感か、満たされない心からか、モニカの意思とは関係なく指が動く。だんだんとモニカの吐息が激しくなっていく。足を絡ませて、悶えるように身体をくねらせて小さく嬌声をあげる。
(……いや、こうやって発散するのは良くない)
次第に冷静さを取り戻す思考。だが、脳までは冷静になりきれていないようで、まだ頭が回るような感覚がしている。モニカの部屋にある本棚は基本的に魔法に関する本ばかりだが、その本棚の奥深くにはそれ以外の本が数冊、隠すようにしまわれている。
(みんな、私の事悪者みたいに言って)
そうして、冷静になってしまった思考が、モニカの隠していた深層心理に触れた。いつでも笑顔で振舞っていたモニカの心の奥深くで蠢いていた誰にも見せないであろう感情が溢れだしてしまう。
(私だって、必死に頑張ってきたのに)
不平不満や嫉妬、怒り。普段は絶対に顔に出さない悲しみと苦しみ。そんな負の感情ばかりが、モニカの頭の中を支配していく。どれだけ抑えても、とめどなく溢れてくる感情を、モニカは制御しきれない。
(どれだけ私が苦労してきたか知らないくせに……どれだけ痛かったか分からないくせに……!)
モニカは、相手から向けられる感情に疎いわけでは決してない。旭が投げかけた言葉は、モニカの心に深く刺さっている。思い出す度に心が痛むほど、モニカはその言葉を強く受け取っていた。
(魔法は人を殺す道具なんかじゃない……! なのに――)
少し。ほんの少しではあっても、モニカは旭の考えに納得してしまった。
(私も、きっと同じことをする)
モニカは、向けられる感情に疎いのではなく、それ以外の感情表現を知らないのだ。いつも通り明るく、いつも通り楽しそうに。モニカはそれしか知らない。自分の感情を、上手く言葉にできないから、言わない。
だから時折、モニカの感情は爆発してしまう。今まで溜め込んできた全てを、自分の中だけで消化しようとする。
(私が死を望んだら、きっと「奇跡」でその人は死ぬ。私も――)
そこまで考えて、思考がシャットアウトされる。これ以上考えてはいけない。使い方を間違えれば、指先1つ、それすら使わず、頭の中だけで相手を殺せてしまう恐ろしい魔法。自分の命でさえ、簡単に消し去ってしまえるだろう。
月はもう沈み始めている。また寝不足になるだろうと、モニカは微かに目を閉ざす。嫌なことばかり起きる近頃は、嫌なことばかり考えてしまう。親友であるパーシーとでさえ、本音で話し合えることは稀だ。そんな、モニカが呟いた、もう二度とないであろう、心の底から出た本音。
「みんなが……嫌い」
思わず声に出たその言葉に、モニカ自身疑問を持たなかった。きっと、心のどこかでそう思っていたからだろうと、目を瞑った。すると、目に溢れていた涙が肌を伝って落ちていくのを感じる。そしてまた、モニカはしんと静まり返った空気にかき消されてしまうほど小さく、言葉を漏らす。
「私が……大嫌い」
誰に聞かれることもなく、言葉は藍色の空に吸い込まれていく。
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