福宝軒


「この店を畳もうと考えている」



 店主である『茂正しげまさ』は、アルバイトの青年『龍一りゅういち』に告げた。


 龍一はカウンターの席を拭いている手を止める。その表情には驚きは無く、この時が来たかと、分かり切っていたような顔だった。


「……この2ヶ月、誰も来なかったもんな……」


 開店から55年経つ『福宝軒』があるこの町は過疎化が進み続け、限界を迎えていた。常連は高齢化ですっかり来なくなり、立地も非常に悪い為、新規のお客さんも絶望的。その上物価高でやりくりも厳しくなってきた。


 その状態は悪化の一途を辿り、ここ2ヶ月、客は誰も来ていない。


「時代の流れだ。頃合いだろう」

「じいちゃん……」


 茂正は今年で80歳。ここまでやれたのは奇跡と言える。


 その表情は暗く、影を落としていた。


「……できりゃあ、もっと作っていたかったがな……」


 無念を口にし、がっくりと肩を落とす姿に、龍一は何も声を掛けられない。


 その時、引き戸が開く音がした。


 龍一は慌てて振り向き、


「い、いらっしゃいませぇえ!!」


 お客さんを出迎える。


 そこにいたのは、スーツを着込み、ロングコートを羽織った、とても髭の長い男性だった。その表情は落ち着いており、優しさで溢れている。


「……お久し振りです、茂正さん」


 渋くも優しい声で、茂正に話しかける、茂正は誰だったかと記憶を辿り、思い当たる人物に行き当たった。


「……もしかして、50年前の……」

「覚えていてくれましたか」


 男性は嬉しそうに微笑んだ。


「50年前、死にそうだった私に定食を食べさせてくれましたね。あの時は本当に助かりました」

「そうか、元気でやってたか」

「はい」


 互いに笑みがこぼれ、嬉しそうであった。


「あの時のお礼をしたくてやって来ました。こんなにも時間が空いてしまいましたが、どうかお礼をさせて下さい」

「……それは、ありがたいが……」


 茂正の歯切れが悪くなる。


「すまねえな、もう店を畳もうと思ってるんだ。出来る事があるとすれば、最後にオレの料理を食べて欲しい、くらいだ」

「……それは、お客さんが来ないから、ですか?」

「ああ、この町じゃもう無理だ。かと言って移転する金も体力も無い。だから、ここで終わりだ」


 暗い表情になる茂正と龍一。それを見ていた男性は、ポンと手を合わせる。


「少々違う形になりますが、解決できる方法がありますよ」

「? というと?」


 茂正の質問に、男性はニッと笑みを浮かべる。


「その前に、私の正体を明かしましょう」


 そう言うと、男性の身体が光輝き始めた。あまりの眩しさに、2人は腕で目を隠す。そして、光が収まり、ゆっくりと腕をどかすと、


「……は?」


 そこには、光る輪を頭の上に浮かばせている先程の男性がいた。加えて、地面から足が離れ、宙に浮いている。


 突然の事態に、2人は呆然としていた。


「驚かせて申し訳ない。私は俗に言う『神様』だ」


 神様と名乗る男性に、現実を受け止められない2人は、呆然としていた。


 神様は2人を見ながら、話を進め始める。


「色々制約があって、こうすることでしか証明できないのだ。これ以上は証明のしようがない」


 苦笑いする神様に、2人は顔を見合わせた。


「どう思う?」

「どうってじいちゃん。目の前で起きてるのは現実だし、否定しようにも……」


 ヒソヒソと小声で相談し合い、どうするか決める。


「……とりあえず話だけ聞くか」

「そうだね」

「話はまとまったかな?」


 2人は神様の方を向き、話を聞く。


「それで、神様がうちにお礼をしたいと?」

「そうです。茂正さん、形は少々違いますが、貴方の望みを叶えたいのです」

「……形が少々違うと言うのは?」


 龍一の質問に、神様は答える。


「茂正さんの望み、自分のお店で料理人を続けること。そして自分の料理で沢山のお客様を笑顔にしたいこと。この2つを同時に解決する方法を私は持っています」

「本当か?」


 茂正は身を乗り出して喰いついた。本当に叶えたい願いだと傍から見ていても分かる。


 神様は笑顔で頷く。


「その方法とは、ズバリ『異世界転移』です。しかも今回はこの福宝軒ごとです」

「い、異世界転移!?」


 今度は龍一が食いついた。この歳であれば誰でも食いつく話題である。


「何だ、その、いせかいてんいってのは?」

「こことは違う世界へ行くことだよ!! 昔で言うならそう、腕輪物語みたいな世界!」

「あー、あの妖精だとか出てくる本か」


 茂正はすぐにピンと来た。神様も頷いていた。


「そうです。そういう世界へお店ごと転移してもらおうかと」

「…………なるほど」


 茂正は少し考え、ニッと笑う。


「この歳で新天地、か。いいじゃねえか」


 意外にも乗り気だった。


「龍一を残すのは心残りだが、まあ一人でも店は出せるだろ」

「じいちゃん……」


 これは茂正の話。ならば、龍一が残されるのは必然的な話だ。年寄りを一人遠い世界へ送り出すのは、心配だった。


「もし龍一くんが良ければ、一緒に異世界転移させますが?」

「え?」


 突然の発言に驚く茂正。それを聞いた龍一は、


「行きます!!」


 即答した。


「いいのか?」

「家族はもう皆いないし、この世界に心残りは無いよ。というか、じいちゃん一人で異世界に行ったら、心配で寝れなくなる」

「賢一……」


 2人はフッと笑い、互いの思いを確認し合う。


「では、合意という事でよろしいか?」


 神様は今一度確認し、2人は静かに頷いた。


「それではご案内しよう、異世界へ!!」



 こうして茂正、龍一は、福宝軒ごと異世界へ転移したのである。



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