第35話 鬼神ノ王・序
富士の麓は、幽世の。向こうへ渡りて人穴の洞窟、奥の更に奥。
「覚悟は、いいかしら?」
芙蓉は行き止まりの巨大な岩壁を前にして、皆に向かってそう問うた。
鬼娘は元より貴之が頷くを見るや否や、何やら朗々と呪を唱え始める。機を見計らい、白く細い指を大岩の隙間へつうと差し入れると、絹を裂くが如く岩肌を切り裂いた。
恐らく幻術により隠し路を塞いであったのであろう。芙蓉が切り裂いた隙間は、次第に人一人が通れる程度広がると、往く手にはより濃厚な闇がぽっかりと口を開けた。
「富士の龍脈に繋がる、隠された
「なるほど、こりゃ地獄への入口によく似ておるな」
そう呟いたあやめに、思い当たった貴之が応じる。
「地獄の入口……あやめのいう『天神様の細道』か」
「そうじゃ。例えば
あやめ曰く、太陽神・天照大神の岩戸隠れの伝説も、天神の細道に通ずる。光から闇へ。闇より光へ。相反し流転する相関を表す、と説く。
「天神と云やぁ、今じゃすっかり天神信仰の菅原道真公を指すがなぁ」
「そも元を遡れば、
あやめの解釈に思うところがあったか、芙蓉までも珍しく口を揃えた。
地獄と同様、この岩屋戸より人穴は、外界即ち天神様へと通じている。千年の時を経た古妖が二人して、相通ずる感覚を持ち得た様だ。
「人は皆、神社で云う参道……即ち産道を通り、生まれ出ずる」
「子宮と云うお宮より、鳥居を抜け出た先は、光か、闇か」
「光の中へ蘇るのか、
古来の鬼どもが、新たなる生を求めて引き籠った地獄。
そして胎内に見立てたかの如き、人穴の伝説。
共に転生、即ち生まれ変わりを主題として双方相交わる。
とおりゃんせ、とおりゃんせ。
行きはよいよい、帰りはこわい。
唄にして音に聞く、出るに容易く、戻るに難しい。
この人穴の終点も、そんな仕掛けと相成るか。
「まさにこれぞ、玉藻前が唄っておった意味の通り……か」
「えっ? 母さま、そんなことを云ってたの?」
呟いたあやめに芙蓉は不思議がり、貴之は合わせて思わせ振りに頷く。すると
「やはり……流石あるじ様は、母さまが見込んだ術者さまと云う事ね!」
「あぁん、さて間違いなく
歓ぶ芙蓉を邪魔するように、あやめはわざわざ大声で云い立てた。
そうして鬱陶しげに睨み付けるとひとり、更に奥へと進み入る。貴之が何も云わずに後へ続くと、芙蓉は文句も云わずちょこちょこと小走りで付いて来た。
三人で肩を並べて奥へと進むにつれ、洞穴の中の温度が上がりゆくを肌身に感ず。
「おう貴之よ、あれを見てみぃ!」
黒々とした溶岩石の大地には、所々割れ目が生じたる。あやめが指差す先へ目を遣れば、そこ
遥か深き地の底で沸々と煮え滾る溶岩は、今にも鳴動し大地を砕かん。まるで悪路王の堪え難き怒りを模したかの如し。その姿、猛り狂う業火の息吹を感じずに居られぬ。辺りには濃ゆい瘴気が立ち込めて、三人を覆い包まんとす。気を乱せば
透かさずあやめが霊刀を一閃抜き放ち、周囲の瘴気を斬り払い清め祓う。それに併せて芙蓉があちこちへ向け「ひぃふっ」と矢を射掛ける素振りを見せれば、洞内の岩壁はそこここに様々な
やがてそれ等は見る見る内に、岩壁全てをびっしりと埋め尽くさんばかりと相成った。壁天井全ての面に及び居並ぶ紅の呪を目にして、あやめと芙蓉が叫ぶ。
「これは……なんと途方もないものを!」
「熾烈にして甚大な法陣と術式……こんなの尋常じゃないわ!」
悪鬼と妖狐が声を揃えて叫べど、貴之に仙術はとんと分からぬ。だが二人の只ならぬ様子を見れば、計り知れぬ術が施されていると知れた。
「ここが第三の災厄、最後の舞台か……」
そう貴之が呟くと、再び呪と共に煌々と溶岩が奔り、
「くふっ、これは高位の術式『転位遁甲の術』えぇ!」
「ふん……なるほど、策を施しておったか」
芙蓉の云う『転位遁甲の術』とは、術者が如何に遥か
大方
「ふふん、留守を狙う当てが外れたな、貴之よ!」
「気にするな、あやめよ。それも計算の内だ」
「おうよ、貴之。兎にも角にも
あやめは最早慣れっこと云わんばかりに、ニヤリと口角を上げた。
悪鬼と阿吽の呼吸を合せる我が主を見て、新参の妖狐はちと妬ける。
「来るぞ!」
あやめが叫ぶと、法陣の中央にゆっくりと人影が姿を現した。
いわずもがな現れ出でたるは、昨晩出遭いし偉丈夫の鬼神。
あやめ曰く、東北の英雄たる伝説の王・
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「我を、呼び戻せし不埒な輩は
鬼神が、閉じている瞳をゆっくりと見開いた。
刹那、切れ長の瞳の奥に、青白い奇妙な光が揺れ動く。
気を失いそうな程に、濃い瘴気を纏いし巨大な体躯。
悪路と呼ばれし鬼王が、伝説そのままにここに居た。
阿弖流為が、霊気と共に
「ほぅ……これは、驚いた」
あやめと芙蓉の姿を見つけ、鬼神はひと睨みす。
ひとつ息を吐くだけで、強烈な鬼気が漏れて風が逆巻く。
眉目秀麗な顔は口元から、鬼の牙が垣間見えた。
「よくぞ
威圧的な聲に、つい膝を突きそうになる。堂々たる貫録と重圧。
だが悪鬼と妖狐は、たじろぐ素振りを一瞬たりとも見せず。
「なに、どうという事はない」
悪鬼と妖狐が声を揃え、泰然として騒がず云い返す。
しかし二人は貴之の様に
鬼のあらゆる手口を知り尽くした悪鬼・あやめ
富嶽の地理、全てを知り尽くした妖狐・芙蓉
世にも珍しき千年の妖が揃うたからこそ、成せし奇跡的な業である。
これも老人の云う縁であろうか――貴之は運命の導きを感じずに居られぬ。
「よもや汝らから、我が許へと参ろうとは――」
「否ッ! 儂らは鬼の盃を叩き返しに参った!」
あやめらしい返答で、真っ向からきっぱりと招集を拒んだ。
鬼娘の返答に鬼王は動じる素振りも見せず、視線のみを緩やかに動かした。
「そうか、我が
「無論、云うに及ばずじゃ!」
鬼王に怯まず対抗するあやめに呼応し、芙蓉が叫ぶ。
「貴様の目論みは決して赦さぬ。必ずや阻んでやりんすぇ……!」
あやめが大喝し、芙蓉が決死の形相で睨め付けれど、鬼神は動じず。意に介さぬかの如く、目をくれることはなし。ただ――その後ろに腕を組んで立つ貴之からは、片時も目を離さない。悪鬼と妖狐の頭越しに、鬼王は貴之へ問答を仕掛けた。
「少年よ……この
「そうだ」
「これが汝の当ての全てか」
「そうだ」
「そうか……」
阿弖流為は、引き連れた二人を見て『式神』と呼んだ。
どうやら貴之を、思惑通りに術者と見込んだようだ。
「ならば、残念至極」
「何だとッ!」
悪し様に云われた悪鬼と妖狐がいきり立つを、貴之が腕を上げて制す。
制したところで当てなどはない。当てはないが、敢て仕掛ける。
「鬼王よ。貴殿の見立てでは、そう思うか」
「思う。げに小さき鬼の娘と尾も生え揃わぬ妖狐とは……如何にも無様」
見て呉れは確かに。だが二人は千年を生きる
この
「だが、面白い」
貴之の思惑は外れ、鬼神は好戦的な瞳を煌々と光らせた。
鬼王は無駄な動き無く、腰の鞘を手に持ちてゆるりと抜刀す。
名を馳せた英雄に、一切の油断や慢心はなかった。
「奇妙で在り得ぬ組み合わせ……実に面白い」
然もすれば隙が突けるやも知れぬ、との勘定は脆くも崩れ去った。これがどう出る、鬼が出るか
「来い……千年振りに死合おうぞ。」
何という威風堂々。鬼王たる風格。これぞ、鬼の中の鬼――鬼神。
その堂々たる態度を目の当たりにし、あやめはついほくそ笑む。
「くくっ……!」
「鬼娘よ、何が可笑しいのじゃ?」
大きな瞳を爛々と光らせるあやめを、芙蓉が見咎めた。
「いや、なに……まさかと思うてな」
まさか『吾妻鏡』にも描かれし、伝説の鬼神と殺り遭う事に為ろうとは。
力と力、技と技――純粋な
「やれ、長生きはするもんじゃ」
なぁに、貴之の破天荒に比ぶれば、自らの行動など児戯が如し。高が知れるを覚えたり。ここにそう思い至りて、愉快そうに喉を鳴らすと、あやめは改めて悪路を睨め付けた。
「さぁて――訳遭って、五尺に足らん我が身成れど、いざ侮るなかれ!!」
今や小柄にして絶世の、美少女が姿と相成ろうとも。
その口上は、相も変わらず威風堂々。
千年悪鬼・鬼島嶄九郎――
否、女子高生・貴島あやめ――いざ、参る!
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