第34話 幽世・奥の細道 - 後

 幽世かくりよの洞穴、富士山麓は人穴の回廊。

 悪鬼と妖狐を従えし貴之の眼前にずらり居並ぶは、醜悪怪奇な鬼の群れ。


「ヒヒヒ、如何どうした卑賤な人間ども」

「ゲッゲゲ……儂らの姿に畏れを為したか」


 絶世の美少女二人と平々凡々たる少年は、泰然として身動ぎひとつせん。

 禍々しき形相、悍ましき巨躯を前にせど、露ほども畏れを為さず。


「いや、全然」


 腕組みを解かずに貴之は、平気の平左で返答す。

 悪鬼・嶄九郎を相手に回した貴之は、眼前の小鬼など最早どうと云うことはない。

 特に見目麗しき黒髪の姫君は、ケラケラと薄ら笑みを浮かべる始末。これには流石の獄門鬼どもも、呆気に取られて見据える他なし。

 居並ぶ異形の者どもに、微笑の美姫は遠慮容赦知らずに一喝す。


「さぁて、死遭しあおうか……小童こわっぱども!」


 あやめが太刀を抜き放ち、霊力みなぎやいばを煌めかす。

 洞穴の闇に潜み蠢く鬼どもは、目を眩ませ、思わず身体を強張らせた。


「ほぅ……それは只の太刀ではないな」

「おうよ。聞きしに勝る名刀の斬れ味、その身で篤と味わうが良い」


 そう豪語するあやめに対し、手のひら返した鬼どもは声を揃えてどっと嗤う。


「カッカカカ! だからどうした!」

「ぬるい、ぬるいわ! 手に持つ小物に小娘如きが!」

「どぅれ、小娘に我等が本物の業物を見せてやれい!」


 ざざんと掲げし鬼どもの、手に手に握るは金砕棒かなさいぼう。六尺・十貫はあらんや金砕棒を前にすれば、あやめの刀剣・二尺七寸なぞ児戯の玩具にしか見えぬ。

 しかしあやめは鬼どもを尻目にまるで動じることなし。寧ろ得意げに「ふふん」と鼻を鳴らした。


「はぁーん……なぁんじゃ、そんなもんか」

「なんだと?」

「この日に備えて溜めに溜まった霊力の、極めに極まれり大業物ぞ!」


 あやめはそう軽んじて、手にした太刀へ鬼気と念を込め始めた。

 妖刀は持ち手の精神に呼応す。即ち念じれば、たちまち刀身は形を変える。


「どぉりゃ! 我が愛刀の真の姿、見せてくれるわ!!」


 見る間に姿を化けたるは――誰しもが絵本より聞きしに勝る『鬼の金棒』。

 天高く構えたその全長は、凡そ八尺八寸。重さは百貫を優に超える金砕棒。鈍色に光り輝く鋼鉄の、八角棒に鋭く尖った凶悪な鋲をあしらえし大業物と相成った。


「わーっはっはははっ! どうじゃ、驚いたかぁ!!」


 げに自慢げな表情で大喝すると、あやめは高々と構えたる。

 これには流石の鬼どもも、腰を抜かさんばかりに驚いた。目玉を引ん剥き大口を開け、ぽかぁんと見上げた形相で、ただただその場に立ち尽くす。


「わっはっはっ! ……わは? わ、わ、おわぁ、あなやぁッ?!」


 軽量な小娘と相成ったその身体に、超重量の金砕棒は荷が重い。否、重過ぎる。

 よろりよろりと一度よろけ始めると、まるで収拾がつかぬ。そうして重心を崩さば、あっという間にすってんころりん。きっちり三回転は前へ転げるとぺったりと尻餅を突き、くわんくわんと目を回しおった。


「うににぃ、やれ天地が回っとるぅ……」


 然すれば度肝を抜かれし鬼どもも、気を取り戻して沸き立った。


「わはは、莫迦め!」

「よぅし、者ども掛かれぇ!」

「やれ生娘の柔肌、思うが儘ぞ!」

「身体の隅々まで蹂躙してくれようぞ!」

「ひゃっはーっ!!」


 鬼どもは思い思いに群がりて、あやめの上へどっと押し寄せた。

 然して次から次へと手を伸ばし、あやめの服を引き裂き破る。


「やめっ……やめんか! これ、やめいっ!!」


 止めろ止めろと云われても、止める鬼など居る筈はなし。

 あれよあれよと云ううちに、鬼娘は一糸纏わぬ姿となった。

 露わと成った白肌と巨乳を必死に隠し、いと憐憫たる容姿となりけり。


「いやぁん、やめて、やめてぇ……!」


 遂にあやめは我慢堪らず、絹を裂くよな大きな悲鳴を上げおった。

 喚く嬌声を聞いた不埒な鬼どもは、いきり猛らんばかりに吠え立てる。


「うははぁ、泣けど喚けど助けなんぞ来はせぬぞ!」

「ああん、あれぇ、あーれーぇぇっ……」


 剛悍な鬼どもに手足の自由を奪われては、今やあやめとて抵抗できぬ。

 いくら泣き散らかして赦しを乞おうとも、もう遅い。嫌よ嫌よと抗えど、真白き肢体を迂闊にふるふると震わせて腰をくねれば、却って鬼どもを誘惑するばかり。

 いざ鬱憤溜まった欲望の捌け口とばかりに、従順可憐な鬼娘は恥辱の限りとなりにけり。


 斯くして乙女の柔肌は、憐れにも思うが儘に蹂躙され――


 ――――――――


 ――――


「――と云ふ、夢を見ているのじゃえぇ」


 芙蓉は甘い吐息の様な声を零すと、稚児が垣間魅せる顔で微笑んだ。


 はて、これは一体。いやはやこれは如何どうした事か。

 当のあやめは呆気にとられ、きょとんとした顔して指を差す。


「んん、なんぞこ奴らは?」


 餓鬼どもは一様に棒立ちとなりて、呆けた顔で身動き一つせぬ。

 果てはだらしなく涎を垂らし、薄気味悪く破顔する者まで居おる。


「のう、何なんじゃありゃ? 一体何をしておる?」


 本人としては、先程まで超巨大な鬼の金棒が重過ぎて、すってんころりんと転んだまんま。ついさっきまでだらしなく尻餅をついていたが、今では胡坐に座り変えたところだ。


「くふふぅ……どぉれ、頃合いじゃ」


 何時の間にやら取り出したるは、胡蝶の描かれし半開きの扇子。

 それを童女が妖艶に口元へ宛てがい、色香漂う流し目でほくそ笑みて呟いた。


さん……!」


 持ちたる扇子を音を立てて閉じる――するとどうしたことか。

 自ら手を下さずとも、鬼どもがバタバタと倒れるではないか。


「おいキツネよ、何をした?」

「なぁに、簡単な術――要するに幻覚よ」


 あやめが太刀を抜き放ちし瞬間、芙蓉は鬼どもに幻覚の呪を仕掛けたのだ。奴らが煌めく刃に目を眩ませ、身を緊張させた刹那の出来事であった。

 後はあやめの大金砕棒を見て呆気に取られた心の隙を狙い、呪を奔らせれば容易く術は成る。これぞ狐の眷属が最も得意とす『幻惑の術』である。


「儂が転げた瞬間に、餓鬼どもが棒立ちになったかと思えば……」


 迂闊に取り落した妖刀を拾い上げつつ、あやめは珍しく嘆息を漏らす。

 キツネに一本取られたよりも、愛刀を自在に操れぬ、自らの技量を大いに悔やんだ。元より刀身は自在に変化を成す。だが身の丈にこの太刀が、如何せんしっくりと来ぬ。

 それは妖狐と一戦を交えし折にも、その身体に覚えたる違和感である。


「ううーむ、しっかし上手く使いこなせんな……」

「まだ自分の身体に馴染めないのか」


 容貌魁偉の大男から小柄な美少女へ身を転じ、早数ヶ月。


「いや……身体は馴染んだ。要は使い方じゃ」

「もっと相応しい形があるんじゃないか?」


 貴之にそう問われ、あやめははたと納刀の手を止めた。

 霊験に輝く抜身の刀身を構えると、何事か呟きてじつと眺めやる。


 朝露に濡れ光るが如し刀身・二尺七寸。この太刀の真の形とは。

 真価を掴みきれずにいるは、もしや我が心次第ではあるまいか――


「ところで芙蓉よ」

「何かえぇ?」


 兎にも角にももうひとつ、貴之には気になる事があった。


「奴らはいったい、どんな幻覚を見ていたんだ?」

「なぁに、鬼娘とくんずほぐれつ欲望と享楽に興じる、宴の夢を見ておる」

「なぁーッ!? き、きき、貴様! 儂の身体を使役つかって何て真似を……?!」


 悪寒にぞわりと襲われて、あやめはつい胸と股を手で押さえて縮こまる。

 然しものあやめとて、青褪めるやら憤慨するやらは無理なかろう。何せ幻覚とは云え、醜悪な鬼どもの慰み者、性欲が捌け口の対象とされてしまったのだ。


「ああああっ、気持ちが悪い、虫唾が走る!」

「くふふぅ……鬼娘きむすめよ、御苦労じゃったなぁ」

「く、くあぁーっ! よくもやりおったな、この狐娘こむすめが!」


 しかし、霊力をすっかり失いし妖狐・芙蓉の、この一瞬の謀計は実に見事であった。ふと芙蓉を見やれば、何時の間にやら尻より尾を生やし、龍脈の奥へと浸しておる。

 千年の時を棲した巣穴は当然、彼奴きゃつらの手により霊脈の術式を変えられていた。だが奸計の得意な芙蓉がそれを見破らぬ筈がない。構造を一目で解析し把握すれば、彼奴らの仕掛けを逆に利用し、意趣返しに『幻惑の術』で見事切り返して見せたのである。


「母上の名付けし芙蓉の名、伊達ではないえぇ」


 霊峰の麓は、霊気溢るる龍脈の力を借りて、てつを踏む筈があらんや。

 芙蓉は新たに開いた扇子を一振りし、かんかかんと大見得を切る。

 白粉に紅を引いた様な稚児の横顔で、色気を帯びた吐息をうっとりと吐く。


「小さき妖気で、大術を成す……蛍火けいかを以って須彌しゅみを焼く、かぇ」


 芙蓉はそう呟きて貴之へ振り返ると、柔らかな表情でにっこりと微笑み掛けた。

 貴之が今まで見た事が無い程に、穏やかで優しげな笑顔であった。


「これも『あるじ様』のお蔭かの、くふふっ」

「や、やや、待て、待て……待て待て待てぇい!」


 しまいには貴之へ腕を絡めんとする芙蓉の間へ、あやめが割って入って物申す。


「な、何じゃそれは!」

「何じゃとは、何ぞぇ?」

「貴様、何時から貴之を『あるじ様』などと呼ぶ仲になった?!」

「くふ、昨日からじゃが……なんぞ、不満があるのかぇ?」

「ぬぐ! や、やや、不満などない。不満などないが、気に障る!」


 などと、如何どうにも矛盾する奇妙な事を口走る。

 尚以て諍いと相成る前に、貴之は大妖怪らを仲裁す。


「まぁ待て、あやめ」

「何じゃ、貴之は狐娘の肩を持つのか?!」

「戦わずして勝てるなら、それに越したことはないだろ」

「ぐっ、それはそうじゃが……」


 げに口惜しそうに、あやめはきりりと歯噛みする。

 いと愛らしき八重歯が元々は、鬼の牙――とは、最早誰も思うまい。


「そもそもお前は、この戦いで何をした」

「ぬ、ぬぐっ!」

「可愛らしいパンツを見せただけだろ」

「あなやぁ!? またもや儂の薄布に包まれた尻をっ!?」


 あやめは「ぴゃあっ」と叫んで跳び上がり、尻を押さえたがもう遅い。あれだけ派手にすってんころりん転がれば、見るなと云う方が土台無理な話だ。

 あやめはまたも真っ赤な顔を両手で隠して、ふるふると戦慄わなないた。


「それにしても相変わらず可愛いのを穿くんだな」

「だ、だって……今日は三つの災厄、勝負の日じゃろ?」

「そうだな」

「じゃから、そう思って勝負ぱんつを……」

「はぁ?」

「しょ、勝負する時のぱんつの事じゃ!」


 どうやら勝負下着の意味をはき違えている様である。パンツだけに。

 それでもあやめは貴之へ、必死になって食い下がる。


「お、おのこたるもの、決死の覚悟で挑む戦場には純白の……っ」

「純白の? ふんどしじゃないぞ?」


 ちなみに今日のあやめは、純白と云えば純白である。パンツだけに。

 だがしかし、いと愛らしフリルとリボンは元より、爽やかな純白に桜の花弁を模した、ティーンズ向けバックプリントと相成りにけり。斯くもいと愛らしき稚児桜。


「う、うににに……」


 これではただ一番のお気に入りを穿いてきたと、白状するようなものである。

 ますます憐れな鬼娘を尻目に、芙蓉が余裕綽々の表情で貴之へ擦り寄った。


「くふー。どうじゃあるじ様。冴えたる妾が幻術の切れ味は?」

「そうだな。お手柄だったぞ、芙蓉」

「くふぅん、のぅ、もっと褒めてもいいのじゃぞ、くふふぅ」


 甘えた声で縋る芙蓉は、まさに野性を忘れて懐いた仔狐の様である。

 頭を撫でられてトロけ顔で悦ぶ妖狐を、あやめは涙目で見過ごすしかない。


「……ふ、ふんだ。ここは華を持たせてやるわい」


 げに不機嫌そうに呟くと、鍔を鳴らせて納刀するのであった。

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