第26話 嫋やかに色付きし日々・序
妖狐・芙蓉が貴之と同じ高校へと通いて、はや数日。
当初こそ若干の緊張が見られたものの、芙蓉は無事にクラスへ溶け込めたようだ。
それと云うのもクラス委員・渚の手腕があってこそであろう。今まで気付かなんだが、あやめとてなんだかんだでクラスに馴染んでいるのだ。あれ程までにへんちくりんな鬼娘すら打ち解けているを見るに、彼女はクラスを善く纏め上げていると云えよう。
「この学校は、学年行事が結構派手なんだよ」
「ふふっ、それはとても楽しみですわ」
そう思い芙蓉を暫し見守れば、お嬢様口調で御淑やかなフリを演じておった。
朗らかな笑顔を浮かべて会話を交わす芙蓉は、普段から誰にでもこの調子で物事に当たる。よって幼い見掛けよりも、年齢相応に見えるから不思議なものである。
「ええ、転校して日も浅くて……色々と教えて下さいましね」
そう云ってニコリと微笑む姿は、地上の者とは思えぬ。
滑らかな白磁の頬に薄らと紅を差したような肌。如何に高価なフランス人形が如き、遥かに凌ぐであろう造形美。想像を絶するその姿形は、まさしく人形師たちが裸足で逃げ出す美貌である。もちろんそれは、男女問わず学校中の見目を奪う。
元々が明らかに幼女体型の彼女だが、高校生と呼ばせるには無理がありそうな程に顔も幼い。あやめも背は小さい方だが、胸の分だけ芙蓉の姿は一回り小さく見える。
だがこうした態度で集団の中に溶け込めば、知識の高さと立ち振る舞いの所作でギリギリ上手くいくであろう。ここ数日の暮らし振りを見るに、貴之はそう確信していた。
さて、昼休み。昼飯に何を食すか。貴之が自席にて思案して居た時の事である。芙蓉がそそとした様子で貴之の傍へと寄ってきた。
「ね、ねぇ、貴之……」
「どうした」
「ええっと、あの、どうしよう」
「うん? トイレはもうひとりで行けるだろう?」
「ちっ、違うわよぅ! 莫っ迦じゃないの!!」
御淑やかなお嬢様演技も忘れて、芙蓉が声を荒らげた。
学校へ通う前までの芙蓉は、洋式トイレの使い方が分からずに、これ迄に自宅で何度かトイレのレッスンをしている。だがどうやらその件ではなかったようである。
機嫌を損ねて頬を膨らませた芙蓉は、踵を返してどこぞかへ行ってしまった。かと思えばそう遠くでもない場所から、じっとこちらを睨みつけて居る。
普段は社交性高く優雅に立ち振る舞う癖に、これはいったい如何にしたことか。顎に指を当て思案していると、渚らいつもの三人組が貴之の傍へとやって来た。
「あれ、どしたの上月君?」
「芙蓉……いや、さつきの奴がな」
貴之が事情を簡単に説明すると、渚は得心の行った顔をした。
「あー、さつきさんは上月君と、お昼を一緒に食べたいんじゃないかな」
「そうなのか?」
「うん、だってみんなからの誘いを断ってたもん」
聞けば芙蓉はここのところ、ずっとクラスメイトの女子らに誘われて、昼はコンビニの惣菜パンを食べていたらしい。しかし外見こそ洋風の彼女であるが、中身はガチガチの日本人気質である。家では洋食よりも和食を好む一面さえある。
ははぁ……さては周囲からは見た目から、パン食が好みと気遣われていたか。ここでは逆に芙蓉の社交性の高さが仇になり、和食が好みと云い出せないと見える。
「それにしても回りくどいな」
「あ、あのね、上月君……」
普段は寡黙な雪が、おずおずと意を決したように口を開いた。すると彼女は意外な言葉をぽつりと洩らす。
「上月君に甘えてるんじゃ……ないかな」
「俺に甘えてる?」
「うん……たぶん」
雪の目隠れしている前髪がさらりと揺れて、珍しく片眼が垣間見えた。貴之には一瞬の出来事であったが、何故か優しげで、暖かな眼差しをしていたように感じられた。
そういえば彼女とは今まで殆ど会話を交わしたことがない。だがあの『殺生石事件』を通じて少し仲良くなれた気がする――それは貴之の思い過ごしかも知れないが。
それにしても雪の意外な見立てには驚かざるを得ない。そうと云われて思い返してみれば、確かに芙蓉は何故か貴之にだけツンデレ少女っぷりを普段から遺憾なく発揮しよる。
そんな気持ちを知ってか知らずか、あやめが雪と貴之の間へ割り込んだ。
「貴之、貴之、たーかゆきー」
「なんだ」
「学食へ参ろうぞ、学食へ」
「それはいいから、俺の頭に乗るな」
席に着いたままの貴之の頭の上へ、あやめがずっしりと伸し掛かけてきた。すっかり警戒心を失ったこの鬼娘めは、ここ数ヶ月で随分と馴れ馴れしくなったものである。
ちなみにあやめはその両腕と共に、大きな胸の二つの膨らみまで、どどんと無遠慮に乗せて来ている。だが指摘すると後々面倒なので、黙って捨て置くことにした。
「う、学食……」
遠くで様子を見ていた芙蓉が、小さく呟きて唾を飲み込んだ。思い返せば貴之は、芙蓉を未だ学食へ案内していない。ならばと思い立ちて尤もらしく提案してみるか。
「おい、さつき。名残惜しいが学食へ連れてってやろうか?」
「えっ……ふ、ふんだ、そんなことして貰わなくても……」
「そうじゃぞ、貴之。
「えっ? あっ、あっ……えっ?」
口を挟んだあやめに、芙蓉は明らかに動揺している。げに憐れなりけり。
ちなみにあやめは以前、学食での買い方を貴之よりすっかり伝授され、今や『学食の黒い疾風』と渾名される迄に今日至っている。だがその渾名はまるで『と或る黒い害虫』のようだと思ったが、この言葉は貴之の胸に固く仕舞ってある。
「ここの学食は格別でのー。ほっかほかの白飯の上にじゅうじゅうの牛カルビを乗せた焼肉丼も良いが、揚げたてサクサクの天麩羅蕎麦も堪らんのぅ……うふっふ!」
調子に乗って美味い昼飯をアピールし始めるあやめである。今までずっとコンビニおにぎりしか買えなかった癖に。
「あーあーあーっ! 聞こえない、聞こえなーい、もんっ!」
片や芙蓉は、あーあーと声を立てて両の手で耳を開け閉じしていた。かの姿は如何にも稚児のそのまんまである。だがしかしよく見れば、口の中には
「カッカカ、所詮は獣よのぅ!」
「な、なによぅ!」
いかん、これ以上は拙い。二人の化けの皮が剥がれそうだ。
貴之は立ち上がると、揶揄うあやめの頭をぐいと押さえて、芙蓉を手招きする。
「ほら、いいから行くぞ、さつき」
「え、いいの……?」
「さっさと来い」
「……はいっ!」
その返事、如何にも心より慶び大変愛らしゅう。
聞く者の耳を幸福とさせる、吉兆の
「あ、で、でも、仕方なくよ!」
「わかった、わかった」
「仕方なく付き合ってあげるわ。仕方なくだからね!」
斯うして絶世の美少女を二人引き連れ、学食へ行く事と相成った。
右にあやめ、左に芙蓉。両側をしっかりと二人に挟まれて。
「全くもう……キミたちって、ホント見てて飽きないなぁ」
そう和やかに息を吐く渚ら三人組は、その後ろ姿を楽しそうに見送った。
だがその一方で、貴之が非モテ軍団から更なる恨みを買う事と為るは、最早云うまでもない。
◆ ◆ ◆
黒山の人だかりと為りし学食では、あやめが買い子を申し出た。
芙蓉と二人で席を確保していると、買い物を済ませたあやめが帰ってきたが、その姿は実に奇妙。両の手に二つ、頭の上に一つの盆を乗せている。げに器用な奴である。
どうやら『学食の黒い疾風』という渾名は、伊達では無いようだ。
「さて儂はカツ丼、貴之は生姜焼き定食なら、これは……」
「妾のに決まってるでしょ!」
そう云いて、きつねうどんを手にした芙蓉はニコニコ顔である。
食のチョイスに文句などないが、如何にもそうと分かり易かろ。
「七味は要るか、あやめ」
「おう、頂くぞ」
「あ、妾も欲しいな」
「掛け過ぎに気を付けろよ、芙蓉」
「ち、ちょ……っ!」
貴之が不意にその名を呼ぶと、
芙蓉は声を潜めて、貴之に懇願する。
「お願いじゃ、人混みで
「ふむ……」
「術者さまは、知ってて妾を揶揄っておるのじゃろう?」
「そう思うか」
「ほんに底意地の悪いお方じゃえぇ」
困り顔で芙蓉が抗議した。だが姦計を得意とする妖狐に「底意地が悪い」と云われるは心外の極み。しかしながらこれ以上を訊ねるは、
「妾の仮の名は『さつき・ビクトロブナ・森咲』じゃぞ」
「その設定は長いぞ、
「あ、はい、さつきでいいです……」
殊更に真名とやらを語気を強めて告げると、芙蓉は声を潜めて
「まぁ、いいから食え」
「あ、はい、食べます食べます……」
猫舌ならぬ狐舌のようである。きつねうどんの中にふーふーと息を吹きかけると、おずおずと油揚げを小さな口でぱくりと食べた。
「くふーっ、エータ・フクースナ!」
うん? 何だ今のは、ロシア語か?
よく分からないが、顔はほころびておる。よって味については云わずもがな。どうやら学食特有の御汁だくだく特大油揚げに、夢中になってがっついているようだ。
それではと暫し見計らい、真名とは何かをあやめにこっそりと聞いてみることとした。
「さて、あやめよ。『まな』とは何だ?」
「んんっ、な、なんじゃ。また儂を試すのか?」
カツ丼を掻き込んでいる手を止めて、あやめが妙な顔をした。
そう云えば以前あやめには、師匠面を装って『龍脈』について詳細に語らせたことがある。よって
「分かるであろうが、説明してみせよ」
「んもう、云わずもがなじゃろうに……」
「どれほどのものか、口で誠意を示すがよい」
貴之が堂々と知ったかぶりで促すと、あやめは渋々と答え始めた。
「真名とは、その名の通り真の名前じゃ」
真名の他にも「色々な呼び方があるがね」と注釈してあやめは続ける。
陰陽師などの術者が様々な術呪を仕掛ける時、その対象へ最も効果を発揮する触媒は『相手の名前』であるという。それ故に平安時代の世では、自らの真の名前を隠して偽名を騙る事すらも多かったようだ。
「やはり真名を知られるとマズいか」
「まぁ、呪をかけるには真名を使うが一番じゃ」
「そうなのか?」
「お主ならば、よく分かっていように……」
「なに、知れたことよ」
訝しがるあやめに、貴之は質問を更に被せて誤魔化した。
「元より、あやめにも真の名前があるのか?」
「そりゃまぁ……まさか貴之よ、まだ儂に何かするつもりか?!」
「いや、そんなつもりはない」
澄まし顔で答えると、あやめは呆れ顔で溜息を吐いた。
「まぁ、そうじゃろな……何せ儂の真名も知らんで、これだけの術を掛けたのじゃ」
そう云って両手を広げるあやめは、自らの身を持って貴之の術を経験している。それだけに貴之の扱う仙術の凄味を痛感している、一番の理解者であると云えよう。
「それで居てこれ以上、お主は儂の何を知ろうと云うんじゃ、まったく」
「そうだな……」
貴之は、あやめのほっぺに付いたカツ丼の米粒を摘んで云った。
「できることなら、俺はお前の全てを知りたい」
その米粒を貴之は、じっと見つめて
鬼界については、より深く知って損はあるまい。よって何も知らぬ貴之である。思案に暮れてしまったか、選りに選って米粒なんぞ目もくれず。
だがそんな貴之の弁に、あやめの頬は見る見る内に赤く染まり
「どうした?」
「お……お主は、無意識に心を捉える事を云う……」
「うん? 何か言ったか?」
「なんでもないわい!」
あやめは口の中でもごもごと何やら呟きて、困った様な、少し嬉しそうな――実に複雑で奇妙な何やらが、
そうしてぶつくさと「まったくもう、まったく!」と繰り返しながら、ドンブリで顔を隠す様にして、残りのカツ丼を掻き込むのである。
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