第25話 悪鬼ト妖狐・急

 さて、なんだかんだとときを経て、数日後のことである。

 或る朝の平凡なホームルームで、京都からの転校生を紹介すると担任教師がのたまった。


「それじゃ、自己紹介を」

「はい……」


 学校指定とはまるで違う真っ白な制服ブレザー

 玉の如く真白き美肌に、腰に掛る程長い麗しの白金色プラチナブロンド

 親の急な転勤で京都から引っ越して来たと云う美少女がそこに居た。


「初めまして皆様……森咲もりさきさつきで御座います」


 そう告げると、転校生の挨拶は淑やかに優雅な仕草で頭を下げた。

 清楚な制服に身を包んだ女子高生・さつき――こと、妖狐・芙蓉である。


「見てみぃ貴之! 彼奴あやつめ、頬を赤く染めとるぞ……うふふっ!」

「あやめと同じだな」

「うぐっ……儂はあやちゅ、程ではにゃい、筈じゃもんっ!」


 不意討ちで自分のことを指摘され、あやめは恥じ入るあまりに噛み噛みと相成った。


 さて雑な自己紹介であった鬼娘とは相反して、芙蓉はなかなかに愛想が良い。だが改めて見やれば、あやめの時と同様にやはり芙蓉も真っ赤な顔をしている。この狐娘こむすめもまた鬼娘きむすめ同様、恥辱を噛み締めているのであろうか。


「不束者では御座いますが、皆の衆、宜しゅうおたの申します……」

「おうおう、キツネを被りよるのー」


 御淑やかな芙蓉の挨拶に、片肘を突いたあやめが呆れ顔で煽る様に呟いた。はて猫を被るではなく狐を被るとは。あやめにしては異なことを云うが、味な云い様である。


「ふむ、それにしても……」


 急ごしらえの割には、やけに凝った身分と名前を付けたものだ。それと云うのも、自ら進んで森咲さつきという偽名を名乗り、ロシア出身の母との混血ハーフであると騙った為だ。

 確かに北欧風の顔立ちに加え、白金色プラチナの髪と白い肌を持つ芙蓉である――その方がしかと説明は付く。また彼女が身に着けし制服は、白を基調としたブレザーで、一風変わっていと愛らし。それは急な転校で、制服を用意するいとまがなかった――と云う理由だそうだ。

 そう云われれば、この時期の編入よる転校は非常に珍しい。故にない話ではない。ない話ではないが……


「設定が凝り過ぎてて中二病くさいな」

「なんだそれは……流行り病か?」

「まぁ……そうだな。一種の熱病みたいなもんだ」

「ほう、そうか。またひとつ物知りになったわい」


 隣の席のあやめが、意外と生真面目な顔でふぅんと頷いた。

 あやめと二人、貴之は悠々と無駄口を叩いているが、周囲に気にする者はなし。

 何故ならばこの時の同級生クラスメイトらは、芙蓉の美貌に両の目を奪われ、教室内は静かなる喧騒に包まれていたからだ。


 何しろこの転校生、身長はあやめよりも小さく顔立ちに幼さは残る。

 だが容姿たるや気品と品格のオーラは満ち満ちて、まさに天香国色てんこうこくしょく傾国美人けいこくびじんとは斯くや、と云わんばかりである。

 あやめ同様の類稀なる美少女振りに、衆目は男女問わず釘付けと相成った。


 蜂蜜の如く艶やかに輝く金髪は、慎ましき腰を包み隠さんや。

 蒼玉石サファイアの如く透き通る瞳に、朱を引く様に鮮やかな口唇くちびる

 白磁の如き滑らかな肌は、鬼灯ホオズキの如く紅く艶付き。

 風鈴のが如く涼やかな声色は、純真無垢にしてそよ風に響く。

 童女わらべのように低い背丈に、相応の柳腰と若枝の如く好く伸びた手足。

 絵に描いたような仙姿玉質っぷりに、声と吐息を洩らさぬ者は無し。


 自己紹介では顔を真っ赤にしていたが、決して恥辱からではない。今までに経験のない衆目を前にして、引き篭もり狐は緊張していたのだ。


 天下の魔物――妖狐の芙蓉は、こうして同じ高校へと通う事と相成った。

 無事に入学を果たしたは、芙蓉の妖術か、将又はたまたあやめが裏で手を回したか。ともあれ同じクラスに通う事と相成るは、貴之にとって都合が好い事この上ない。


「あー、そうだな……森咲君の席は――」

「あの、教師様。私はそこな殿方……いえ、上月貴之さんの隣を所望致します」


 やはりあやめの時と同様の台詞に、教室中が今度こそ大喧騒に包まれた。

 しかもあやめは、わざわざ挙手をして「貴之の隣が空いている」などと云う。だが空いているのではない。用意したのである。朝の内に渚と何やら諮っていたは、これ故か。

 芙蓉――こと、さつきは大混乱する教室内を気にもせず、しゃなりしゃなりと歩み寄る。


「どうぞ、宜しゅう」


 わざとらしく挨拶をした芙蓉は、流れるような優美な仕草で席に着く。こうして貴之は、クラスで……否、学校で一、二を争う美少女に挟まれる状況と相成った。


「くふ、くふふふ……」


 ふと芙蓉は堪え切れぬように、口唇から渇いた笑いを零した。

 貴之はその声を聞き漏らさず、真意を問い質す。


「何か言いたいことがありそうだな、芙蓉」

「な、なんでもないぇ」

「そうは見えんぞ」

「なに、よもや妾が……」

「妾がなんだ」

「妾がこの様な姿で衆目に晒されるとは」


 どうにも我慢できなかったのか。涙目と共に何やら本音が転がり出てきた。


「この妾が孺子ぼうずどもに混じって寺子屋に通うなど、くふふぅ……」


 その言葉を聞きつけたあやめが、いちいち意地悪く口を挟む。


「なんじゃ、悦びで笑みが絶えんようじゃな」

「よ、悦びであるわけあるかっ!」

「うひひ、嬉しいのか?」

「違うわ! 口惜しゅうて歯噛みしておるのじゃ!」


 あちらとこちらから挟んでは、徒口あだぐちの応酬が飛び交った。

 このままでは切りが無いがないので、貴之が間に釘を刺す。


「芙蓉よ、いい加減にしておけよ」

「あ、はい……」

「ざまぁみぃ、怒られよって!」

「無論、あやめもだ」

「あ、はい……」


 貴之を間に挟みて交える会話は、げに殺伐とした冷やかし合い。だが端からは、三人顔を寄せ合って随分と親しげな様子に見えた。

 こうなれば教室中のそこここで、公然と噂する声が漏れ聞こえるは必然。

 やれ、またも面倒なことになった、と貴之は独り言ちる。



 さて――担任教師がホームルーム中にて、活動指導内容へと切り替え始めた頃。

 芙蓉に聞いてみるかと貴之が、教壇に顔を向けたまま、ひそひそ声で問いかけた。


「ところで、芙蓉よ」

「むー、なんじゃ術者さま」

「どうしてロシアのハーフを名乗ったんだ?」


 貴之は気分を切り替え、芙蓉へ疑問を投げかけた。


「そうじゃの……妾の一族は、金毛白面などと呼ばれておる」

「うむ」

「金色の髪に玉の如く白き面を持つ絶世の美少女……何かぴんとこぬかぇ?」

「ふむ」

「どうじゃ、分かったろ」

「うーん……自分で自分を美少女って言うか?」

「そこではない!」


 ドン引きした貴之に、さつきはつい声を張り上げそうになった。仮にもまだホームルーム中である。慌てて口元を押さえると、声を潜めて抗議含みに講義する。


「いいかぇ? 元々我が一族はおろしや国の出身なのよ」

「おろしや国」

「そうじゃ。今で云う露西亜ロシア……つまりシベリアじゃ」


 シベリアと聞きて貴之が思い付くは、凍て付いた永久凍土の大地である。そしてその大地に生きる野生生物と問われれば、浮かぶのはキタキツネである。

 後に調べたるところに寄れば、その名もズバリ、シベリアキツネと呼ばれる種がいるらしい。しかもその毛並みはいと美しく、プラチナキツネとも称されているそうな。


「故に金毛白面……これは白人種の特徴じゃろう?」

「言われてみれば、確かに」

「妾たちは露西亜から中華、そして日本へ渡来した者なのじゃ」


 なるほど。芙蓉の設定には意味があった。

 ただ中二病をこじらせて付けた訳ではない様である。


「しかしロシアを名乗るのはいいが、言葉はどうだ?」

私はロシア語がガヴァリュー話せますパルースキィ

「うん?」

「当然に決まってるでしょ!」


 そうして知識レベルは相当に高い。

 どうやら芙蓉の問題は、知能レベルの様だ。


「くっふふ、露西亜は中華と地続きよ。矮小な島国とは違うわ」

「ほほぅ、聞き捨てならんな」


 貴之の席の向こう側から、カチンと来たあやめが口を出す。

 罵り合いはやがて、ちぎった消しゴムのぶつけ合い抗争バトルに発展してしまった。


「くっ、この……!」

「お、おのれー!」


 だが自分を間に挟んでの抗争は止めて欲しい。そう強く願う貴之である。


◆ ◆ ◆ 


 ホームルームが終わると今日に限って寄りにも寄って、次の授業は自習と相成った。

 未ださざめき止まぬ教室内にて、女子の目線は好奇の目線。男子の視線は貴之へ突き刺さるが如く、げにトゲトゲし。だが貴之の左右に控えるは、あやめと芙蓉の二大究極美少女と相成るなら、さもありなん。

 だがそんな衆目に臆することなく、歩み寄る同級生クラスメイトが三つありけり。


「初めまして、森咲さん」

「あ……っ」


 云わずもがな、クラス委員長の東山 渚とおやまなぎさとその仲間たちである。

 彼女らと云えば思い出すは、ショッピングモールに於ける殺生石事件に巻き込まれし被害者である。二人ともストレスによる疲労と診断されて三日間ほど入院したものの、今は何事もなかったように元気に登校している。


 あやめに聞きしところに寄れば、酷く心配した雪は二人の入院先へ足繁く通い、より一層の交流を交わしていたと云う。そうと知りて眺むれば、渚と雪は目が合えば何とはなしに微笑み合い、言葉無くして会話を交わしているように見える。あの事件より最近は、三人の仲が益々良くなっている――その様に貴之には見えた。

 そうと伝えし当のあやめはと云えば、実は雪に付き添いて共に見舞っていたようである。よって件の三人組とは、何時の間にやら親睦を深めあっているようだった。

 災厄を収めて回る貴之の唯一の気懸りであったが、雨降って地固まるで何よりだ。


「ところで貴島さん、もしかして……」


 渚があやめに問い掛けた。

 警戒心のやや見える芙蓉を避けしは、コミュ力の高い渚ならではであろう。


「二人は森咲さんの知り合いなの?」

「ま、そうじゃな。知り合いじゃぞ」


 渚の問いに、あやめは何故か得意げに答えた。

 この辺りの思い切りとメンタルの強さは、あやめならではであろうか。


「う、うん……まぁ、まぁね」


 あやめに続いて返答する芙蓉は、どこか困惑気味である。

 家の中じゃ堂々不遜とした芙蓉が、外では妙におどおどとした態度を見せる。これはどうやら先般の放り出された外界での経験がトラウマとなって、まだ怯えているようだ。


「もしかして、例の……アレ仲間?」

「んっ? ああ、そうじゃな……此奴コヤツはネトゲ仲間じゃ」


 あやめの意外な台詞に、思わず芙蓉が「えっ?」という顔をした。現代社会の文化に興味津々であった芙蓉は、その辺りにも多少の知識があるようだ。


「しかも此奴コヤツは、引き篭もりのネトゲ俳人じゃ」

「ちょっ……あやめ!?」


 あやめの云う「ネトゲ俳人」とは、以前貴之が口にした台詞の一つである。

 騙すにチョロい鬼娘の表情を読むに、自信満々で「ここは儂に任せておけい」という顔をしている。貴之に騙された事には未だ気が付いていないようだ。

 引き篭もりの事実は否定できない芙蓉とて、流石にネトゲ廃人は否定したかろう。濡れ衣のままでは芙蓉が憐れ。貴之は助け船を出してやろうと、渚へそっと耳打ちをした。


「なぁ、遠山……さつきは不憫な子だから、この事は内緒にしてやってくれ」

「じゅ……貴之さんっ!? そこは否定するところでしょう!?」


 慌てて『術者さま』と云い掛けてちゃあんと云い直すところを見るに、芙蓉の社会適合力はそこそこ高そうである。それはあくまで、あやめと比べて、ではあるが。何しろ貴之やあやめが傍にいるせいか、たまに地が出るようだ。


「じゃあ、森咲さんの好きなものは、なに?」

「そうじゃの、妾は……いや、ええと私はね……」


 だがアドリブとしてはテンパり過ぎたか、まさに噛み噛みである。

 そんな様子を見かねたか、ゆかりが貴之に、ぽそっと耳打ちをした。


「ねぇ……森咲さんも貴島さんみたいに、たまにヘンな口調だね」


 そう云われると思った。

 だから貴之は『三つの掟』に従って嘘をつき、素っ惚ける事にした。


「ああ……ロシアから京都へ移った際に日本語を覚えたそうだ」

「そうなの?」


 興味津々の渚から質問攻めに遭う芙蓉に、貴之らの会話を聞いている余裕はなさそうだ。よって貴之は、口から出るに任せることとした。


「だから京都の方言でな。そっち特有の言葉なんだ」

「へぇーっ、そうなんだー」


 ゆかりは特に疑うことなく、貴之の言を受け入れた。

 無論、貴之は京都の方言など一切知らぬ。いい加減である。

 心の奥底では「京都もスマン」と唱えておく。


「それでね、森咲さん」

「あの、わら……私の事はさつきでいいわ。その方が呼び易いでしょう?」


 漸く緊張の糸が解れたか吹っ切れたか。ともあれ芙蓉は意外にも自らそう申し出た。

 まだ装っては居ようがこの妖狐、社会適合力はともあれ、思いの外に社交性は高い。


「ふぅむ……」


 それを聞いたあやめは、何か思うことがあったようだ。

 顎に手を当てて、暫し考え込んでいたが、


「ところで貴島さんさぁ」

「ならば儂のこともあやめでよい。その方が馴染み深い」


 唐突にそう言い出した。だがこの言葉に貴之は「おや?」と首を捻った。

 あやめは何の気なしの言葉であろうが――貴之にはやや思うところがあった。

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